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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2018年11月16日(金曜日)更新

第524号 〜贅沢とお洒落に関する感想〜

 これは我ながらなかなか贅沢なことだなと思うことがひとつある。ちょっとした外出の際、洗濯後袖を通していないシャツにきちんとアイロンをかけて着ることだ。出かける先はたまに繁華街をぶらついて食事をしたりするほか、定期的な病院通いや近隣や町内の会合などがある。それにこれからは忘年会もある。そうした行先に合わせて私は上から下までコーディネートにはけっこう気を使うし、中でも凝るのがシャツなのだ。シャツといってもポロシャツなどのスポーツ用ではない。長袖でネクタイをしめることができるものだ。
 このシャツがほとんど色柄物でかなりの枚数ある。とにかく勤めをリタイヤするまでの業務が編集が3分の2で残りが広告宣伝というヤクザな部署だったから当然。現に冠婚葬祭用のオーソドックスな白シャツは2枚しかない。

 出かけたり何かのイベントに出席するときは2〜3日前、時には1週間も前からコーディネートを考える。当日の天気や暑さ寒さはもちろんイベントなら出席者の顔ぶれや雰囲気などを勘案し、さらにはよく行く日赤眼科などは前回の服装とはイメージを変えるように考えるのだ。
 そしてまず選ぶのがシャツ、それに合わせてジャケットやパンツ、靴などを組み合わせるわけだが、そのシャツにアイロンをかけるのが楽しみなのである。

 私のアイロンかけはクリーニング屋さんのようにガチガチに糊づけしない。スプレー糊を吹きつけるのは襟から前立て部分と袖口だけ、それ以外はアイロンのスチームでしっかりしわをとるだけだ。肩先から袖口まで昔の温泉旅館にあった「パリッと糊のきいたゆかた」みたいな折り目をつけるのは好みじゃない。
 このアイロンかけに私は1着20分ぐらいかける。クリーニング屋なら商売にならないだろうが、これは1度に1着しかかけないからだ。それに何着もかけたって着る機会が増えるわけじゃないし、第一仕上げたシャツをしまっておくスペースがない。私は仕上げたシャツはハンガーにかけて吊るしておく。たたんでしまうとせっかく仕上げた襟や袖口が潰れるような感じがするからで、もうひとつの理由はすぐ着られるからだ。吊るすのは藤製の簡易ハンガー、5〜6着のスペースがあり、私のパジャマがいつもぶら下がっているほかは、洋服ダンスにしまいこむ前のジャケットなどの仮置場になっている。
 そしてこの自分でアイロンかけしたシャツを私はほとんどの場合1度だけの外出、それもせいぜい数時間ほど着ただけで、洗濯――家内が他のものと一緒に普通の家庭用洗濯機で洗う――してしまうのだ。つまりたった数時間身につけるだけの1枚のシャツに、これだけの手間や時間をかける人なんてちょっといないんじゃないかと思ったわけだ。
 これはお洒落に対する意欲と体力(体型も)に加え、それを実現させる時間をいつでもつくり出せる年寄りにしかできない"楽しい贅沢"といってもいいのではないか。イタリアの格言に「どれほどお洒落な人でも1度に3着もの服は着られない」というのがあるそうだが、1度に着られなければ3度に分けて着ればいいのだ。

 アイロンはシャツとコーディネートするパンツにもかける。ただパンツは洗濯した後1度しっかりアイロンを当てて専用のハンガーにかけてしまっておくので、そうしたいわば"洗濯おろし"はかけなくともいい。かけるのは1度はいてそのまましまっておいたものだ。いまはウール製品でも家庭用洗濯機で洗えるし、シャツほど枚数もないので2度目のおつとめも多いのである。
 もっともジーンズにはかけない、というより折目をつけるようなかけ方はしない。あれは労働着なので折目はかえっておかしい、洗いざらしがいいのだ。それで私は
"しまった"と思ったことが先日あった。
 町内の敬老会に私はホワイトジーンズをはいて出席した。この白いジーパンはかつて女性を主要な顧客にしている営業マンの必須アイテムだったお洒落着だ。これに私は洗濯後折目つきのアイロンをかけておいたのだが、そのままはいて行ったのだった。
 席についた途端隣席のOさんから「ゴルフウェアですか?」と言われた。Oさんはリタイヤ前市内の有名デパートに勤めていたので、そうしたファッションにはくわしい。私は「ジーンズですよ」とさりげなく返したが、内心赤面ものだった。

 古い話だが、ある有名会社のトップが休日に翌週はいていく靴を自分でピカピカに磨きあげるというエピソードを読んだことがある。当時は土曜休日じゃなかったからそのとき私は「さすがに社長ともなると通勤用の靴が6足もあるのか、贅沢なもんだな」とまるで見当違いの感想を抱いたのだったが、考えてみればいま同じ贅沢を味わっているのである。
 贅沢もお洒落も達者でいればこそ……である。
 

2018年11月09日(金曜日)更新

第523号 〜山歩きで出会う変妙珍奇な連中〜

 山歩き(墓園のウォーキング)をしているといろんな生きものに出会う。熊に出会ったことは前に書いたが、その後カモシカに出会ったしタヌキも見た。だが何といっても面白いのはわれわれ自身、ニンゲン様だ。この春以降は私が山歩きに精を出した(本が読めなくなったので)おかげで変妙珍奇な連中をいろいろ見た。いくつかピックアップしてみよう。

 私が「何だ、こりゃ……」といちばん首をかしげたのが"露出狂"としか言いようがない男性ウォーカーだ。初めて出会ったのが梅雨の晴れ間の蒸し暑い日だったが、とにかく身に付けているものが尋常じゃない。上が肩から先がムキ出しになった裾長のTシャツだったのはまだしも、そのTシャツの裾からのぞいているのが黒いビキニのパンツ――さだかな記憶はないが古い競泳用の水着にそんなものがあったかもしれない――だけ、太股から足首までムキ出しだったのだ。首から上はごく普通のキャップに濃いサングラス、足首はこれも普通のスニーカーだっただけに、チラチラ見える黒い部分が余計目につき、何やら強調している風にも感じたものだ。
 これがどこかのビーチでかぶっているのが麦わら帽子、はいているのがゴムサンダルだったらピッタリだが何しろ墓地である。場違いも極まれりだ。私はまず呆気にとられ、次いで「何者だろう?」とかなり緊張しながらスレ違った。

 その後も同じスタイルで歩いているのを何度も見かけた。私の観察では年の頃は70代前後、若い頃から何かスポーツをやっていたらしく、腹はまったく出ていないし腰から下の筋肉もしまっている。ただしボディビルダーのような他人に見せたがるほどの筋肉ではないし、またマラソンランナーのように走るためにしぼりあげた筋肉でもない。本人もただ歩いているだけだ。
 もうひとつ。この黒ビキニ氏は車でやって来て空いている駐車場に停め、車内であのスタイルに着替えている(といってもビキニの上にはいている短パンか何かを脱ぐだけだろうが)らしいのだ。私がそれらしい様子を見たのは帰るときだったが、彼は車に乗り込んでから何やらモゾモゾしていた。
 またその駐車する場所はあまり人気のない墓園奥の一角、歩くところも人目につかないゾーンばかりだ。車がよく通る外周道路を歩いたり、人が集まる斎場や墓園の中央のモニュメント近辺にはけっして近付かない。つまり他人に見せるためにあんな露出過多になっているわけではなさそうなのである。
 だから何が目的であのスタイルで歩くのか私にはさっぱり見当がつかないのだ。人並み以上の好奇心から私はぜひたずねてみたいところだが、なにせあの濃いサングラスに隠された目が気になる。"君子危うきに近寄らず"だなと思っていたが、近頃は気候も涼しくなって姿をさっぱり見なくなった。身に付けるものは変わっても歩き方や体つきは変わるわけないので、同じ人物かどうかはほとんどわかる。
 いまは、来年暑くなった頃にまたあのスタイルで現われるかどうか楽しみにするしかない。

 この黒ビキニ氏とは逆によく上半身裸になる男が2人いる。
 1人はさきに書いた墓園中央のモニュメントの周囲をただぐるぐる走っている。このモニュメントは高さ約10メートルほどの灯台のような塔で正面入口付近から大階段越しにてっぺんが見える、いわば墓園のランドマークのようなものだ。その土台は1辺が7〜8メートルほどの正八角形で、約1メートルほどの高さがあり東西南北に小さな階段がある。ただし塔そのものには入ったり登ったりはできない。
 この土台の周りを走るのだが距離は100メートルもないだろう。それでも裸の男は2〜3周でしゃがみ込み肩で大きく息をしながら休んでいた。

 もう1人の裸男は大階段の上の方の踊り場で太極拳みたいな体操をしている。2人とも中年後期で一応筋肉マンだが、腹が少々たるみ始めている。そしてやって来るのが休日なので普通のサラリーマンだろう。要は仕事や付き合いにかまけて運動不足になりせっかく鍛え上げた見てくれのいい裸がメタボになりそうなので、知った顔に会わない場所を捜してあわてて鍛え始めたといったところだ。

 正面大階段では、いちばん下で階段を壁にしてピッチング練習をしている男性がいた。年代は50〜60ぐらい、体も小さくおよそスポーツには縁のなさそうな初老だ。運動神経も少年野球チームの補欠以下にしか見えない。
 大階段は下から各段28,25,25,3,25,3,25と全体が5つの部分から成り、間にそれぞれ15〜30メートルの踊り場がある。そして下から上まで間にちょっとした植え込みをはさんで2列に分かれている。ついでにいっておくと、左右2列に分かれているおかげで私は左右交互に上り下りでき、回数を勘定しやすい。
 いちばん下の階段は段数も多いが幅も約15メートルともっとも大きいし、その前がちょっとした広場になっているので、投球やテニスの壁打ち練習に利用する人が多い。ただし壁といっても相手はノッペラボーの面ではなく階段だ。ボールが角に当たると上に飛び上がって戻ってこないこともしょっちゅうある。ピッチング男はそんなボールをいちいち"追いかけて拾っては投げ"しているのだ。まるでギリシャ神話の"シジフォス"である。
 しかも彼が投げているのが硬球なのだ。軟式ボールなら勤め先でメンバーが足りずに無理やり引っぱり込まれたんだなと好意的な解釈もできるが、硬球じゃわからない。これまた黒ビキニ氏同様、事情をたずねてみたい衝動にかられたが辛うじておさえた。
 この"ピッチング・マン"はいまでも休日に時々見る。

 とにかく人にはそれぞれ"事情"があるのだ。毎日カッコよく(自分ではそう思っている)私だって知らない人から見れば"変妙珍奇"のどれかに入るだろう。
 

2018年11月02日(金曜日)更新

第522号 〜眼だって足と連動している〜

 本を読むことはやっぱり楽しい。
 家内にしつこくすすめられて図書館から大きな活字の本を1冊借りてきた。行ったときは"なかば義理"といった気持で渋々と"大きな活字の本棚"の前に立った。ざっと見たところ古い有名作家――たとえば夏目漱石や川端康成――の"名作"ばかり並んでいる感じだった。いまさら「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。……」「……夜の底が白くなった。……」もないだろうとちょっとしらけた気分でいると、家内が「裏側にもあるわよ」という。そちらに回るとだいぶ新しい作家のものが並んでおり、ようやく1冊見つけて借り出してきた。
 隆慶一郎の剣客小説集だ。この作家は昭和50年代後期に突然登場し、多くの話題作問題作を遺してわずか6年で亡くなった。ちょうど私が編集から広告宣伝に異動し、また住居を東急東横線日吉から東部野田線川間に替えた頃で何かとあわただしく、読んでみようと思いながら今日まで縁がなかつた。つまり35年ぶりの再会なのである。
 作品が面白かったことに加えて、そうした思いがけない巡り会いも読む楽しさを倍増させたかもしれない。

 本はA5版ハードカバー、1ページに31字12行の大きな活字が並んでいる。編集実務から遠ざかって久しいので、活字の大きさを数字で示すことはできないがとにかく大きい。一般的な小説単行本がB5版とひと回り小さいのに各ページ45字20行もの小さな活字が並んいるのにくらべたら、単純計算でも字数は半分以下だ。咄嗟に「小学校低学年の教科書みたいだな」と思ったほどだった。
 というわけで読む作業も眼が悪くなる前とほとんど変わりなくできた。視力は左右とも0,3でも眼鏡をかければ手近なものはたいてい不自由なく見える。それに注射による治療のおかげで左眼の見え方も少しずつ良くなってきている。こうして書いている原稿も以前のように、1センチ幅で引いた赤エンピツのケイ線からやたらハミ出してジグザグ航走をすることもなくなった。物事は前向きに考えていさえすれば何とかなるものだと思う。
 また「これは!」と感じた大きな活字の本を借りてこよう。

 ところで私が本を読んでいると、家内が「徒然草はやめたの?」という。これは本項の5号前に書いたことをいっている。夜更けてから何もすることがなく部屋の中をただ睨め回して考えごとをしている私を、家内が不気味がり心配するので、これからは考えごとをしながら思い付いたことを『徒然草』ばりに書きつけることにしよう、といったことである。要は私がいつもは寝る時刻を過ぎても借りてきた本に目を据えているので、差し障りはないかと気がかりで声をかけてきたのだ。
 本といっても前述のように中身は文庫本1冊にもならないくらいだから眼にも体にもたいして負担はかからないのだが、別に議論するまでもないので私は読むのをやめて寝る仕度をはじめた。

 徒然草は続けている。メモ用のノートが傍にあり考えつき思いついたことをすぐに書きつける。開いてみると新しいものでは「不気味なヨコハマ」があった。これは隆慶一郎を読んでいるときに思いついたものだ。氏がデビューした頃、私たちは横浜に住んでいたなと思ったことから『ブルーライト横浜』という曲が頭に浮かび、歌詞の「……足音だけがついてくるのよ……」はブルーライト=青白い灯りの下では考えてみりゃ気味が悪いな、となると続く歌詞も「ブルーライト横浜」じゃなく「不気味なヨコハマ」できまり、となったものである。ご存じの方は歌ってみてはいかが? そして「……わたしもゆれて……」も「……わたしはユーレィ……」とやるとなおピッタリじゃない?

 ついでにもうひとつ。これも今回借りてきた本を読みながら何となく感じていたことで、体の部分的な劣化や故障は、体全体を達者にしようという意識が常にあれば回復や治癒も早くなるんじゃないかということだ。
 私はその大きな活字をスラスラ読めただけではなく、末尾のずっと小さな活字の解説もほとんど同程度に読むことができた。さきに「この原稿も以前ほど苦労しなくなった」と書いたが、書くだけではなく読むほうも以前よりずっと楽にできるようになっているのだ。そしてそういうことが起こるのは単に治療によるものだけではなく、体そのものを衰えさせないように日々鍛錬を欠かさないことが大きな要因になっているではないかと感じたのだ。
 私にとっては眼も足と連動しているのである。
 

2018年10月26日(金曜日)更新

第521号 〜ベランダで毎朝体操する意味〜

 萩(はぎ)桔梗(ききょう)葛(くず)女郎花(おみなえし)藤袴(ふじばかま)尾花(おばな)撫子(なでしこ)……おなじみの「秋の七草」である。だが10月下旬のこの時期、これらの花はみんな咲き終わっている。残っているのは尾花(ススキの穂、あるいはススキそのもの)だけだ。習慣の山歩き(墓園のウォーキング)をすると薄汚れた白い穂が、こちらはいかにも生命力旺盛といった感じのセイタカアワダチソウに混じって頼りなげにゆれている。その他に私が見てわかるのは萩と葛と桔梗しかない。
 萩は伊達家のお家騒動を芝居にした『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)で知られるように当地ではおなじみの花だ。葛は私たちの団地を含め墓園一帯の地名が「葛岡」である。京の松尾大社を当地に勧請したとき大社の地名(山城国葛野郡)から一字いただいたもので、由緒ある地名であり葛もその頃(いつかはしらない)から生茂っていたのだろう。桔梗は紫色の花がよく知られている。ただ墓園内では10年ほど前から全然見なくなった。それ以前もほんの2〜3ヵ所、つつじの植え込みの中とか手入れの届かない茂みの中などにポツンポツンとあっただけだったが、花を見つけてすぐ掘り取っていく奴がいたらしい。きれいな花なので庭やベランダのプランターにでも植えるのだろう。まったく心ない仕業だ。
 女郎花以下の三つは知っているのは名前だけ、草花の実体はまるで知らない。サッカーの"なでしこJAPN"で有名になった撫子でさえ知らない。

 こうした草花をはじめ樹木や昆虫野鳥小動物など身の回りの自然物に関する知識は、こどもの頃自分でも意識せずに身についていくものだろう。そういえば長野県出身で後にF社の社長になったSがよく雀蜂の話をしていた。「スズメンバチ」と独特の発音をし、巣の見付け方や蜂の子の取り方食べ方などを自慢げに話したものだ。私みたいな都会生まれの都会育ちずっと都会暮らしだった者が年老いてから勉強しようたって無理なのだ。秋の七草を淀みなく言えるだけでもよしとしなきゃと思う。
 ところでいま私は"淀みなく"と書いたが秋は春ほどスラスラとは出てこない。対象そのものをよく知らないのは同様、というより春のほうがもっと知らない、知っているのは芹(せり)と鈴白(もっと難しい漢字もある。ダイコンの別名)だけといってもいいくらいなのにである。家内や知り合いに聞いてもほとんどそうだった。きっと春の七草のほうが語や音の並びがよく頭に入りやすいのだと思う。

 今年は猛暑続きの8月から9月の残暑もきびしく台風も連続来襲したこともあって、いま頃になってようやく秋という感じだ。しかし月日は容赦なく過ぎ暦はもう10月下旬、何やら自分が年をとっていく――実は先週86歳の誕生日だった――ことさえ忘れたような気になる。頭も体も達者ならこれでいいのだ。
 秋はその前に付く言葉や表現が他の季節より格段に多いのではないか。たとえば"芸術の"とか"天高く馬肥ゆる"などだ。思いつくまま並べてみる。読書、実り、食欲、行楽、スポーツ、ボージョレヌーボ、ひやおろし、飲み会、灯火親しむ、メタボ、仕立て直し、……こうなると何でもくっ付きそうだ。案ずるに「寒くなったらできなくなるのだからいまのうちに何もかもやっちまえ」と急かされているのかもしれない。
 これらのうち私と縁が深いのは読書、スポーツ、飲み会、ひやおろしなどだ。読書は思うように読めなくなったからといってまったく縁が切れたわけではない。かつて読んだものを頭の中から掘り起こし、不足部分を家内に調べてもらうことも私にとっては読書である。それに現代医学は今年のノーベル賞のようにいつどんな奇蹟を起こしてくれるかわからない。希望は捨てるもんじゃない。
 スポーツは私の場合ゴルフなど単にプレーすることだけではなく、体を動かすことすべてをいう。特に下半身の大きな筋肉を動かすことは体全体の血流を活発にし、脳から五臓六腑まで老いさせない。これから高齢者の医療や介護の費用も上がることだし年寄りはできるだけ歩いたほうがいい。
 飲み会はこの年になってもあちこちからお声がかかってうれしい限りだ。若山牧水の「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」を引き合いに独酌がいいなんてのは嫌われ者の強がりに過ぎない。またそういう嫌われ者ほどOB会などにホイホイ出てきて、スピーチの終わりがいつもお説教めいた言い方になるのもあきれる。
 ひやおろしは"秋あがり"ともいう日本酒党にはこたえられない秋限定の酒だ。先日飲んだのは生協の宅配で見つけた飛騨の蔵元の酒、アルコール度19度とちょっと強かったが口当たりはなめらか、夕食後ひとりでゆっくり味わうのにぴったりだった。生協は全国にネットワークがあるので宅配の酒もいろんな産地の「これは!」とそそられるような銘柄がパンフレットに載っている。値段も有名な蔵元の宣伝銘柄より安い。この夏の初め頃から利用し始めた宅配だが、ひやおろし以来毎週パンフレットを見るのが楽しみになった。

「秋深き隣は何をする人ぞ」は芭蕉の俳句人生最後の句――辞世の句ではない――とされ、秋を詠んだ古今の名句の中で常に筆頭にあげられる。しかし秋の夜長ひとりもの思いにふける詩情を詠んだこの名句も、現代のマンション族にかかると"のぞき趣味"に一変する。「隣の後家さん、また男を引っ張り込んでるわ」である。
 しかし私は現代はこれでいいと思う。近頃、特に災害の被災地で増えている老人の孤独死をいくらかでも予防できるからだ。現代のマンション族にはお節介でも隣り近所の目は必要なのであり、そして当の老人自身が常に存在をアピールすることも、なのである。
 だから私は毎朝ベランダで体操しているのである。
 

2018年10月19日(金曜日)更新

第520号 〜難儀も前向きに考えれば面白い〜

 本が読めなくなったため、自分にとってかなりマイナスだなと気付いたことがある。ちょっとした小冊子、たとえばわが家に毎月送ってくる『JAFMate』や『大人の休日倶楽部』、あるいはタウン誌、あるいはふだんほとんど目を通すことがない婦人雑誌や健康情報誌なども読めなくなったことだ。それら各誌で私がもっとも興味をもって読んでいるのはエッセイと人物インタビューである。あとはページをめくって大きなタイトルを見、興味をひかれた記事にざっと目を通すぐらいだ。
 実はそうしたエッセイに似たものなら、パソコンのブログが手っ取り早いじゃないかという声も聞くが、私は――自分でも書きながらいうのもヘンなものだが――あれはテレビのニュースショーを右から左に聞き流すのと似たようなもので、真っ当に付き合う気にはなれない。その意味では私は根っからの"活字人間"だ。

 私は若い頃から活字の印刷物は本に限らず目につき次第それが読める状況下にあればとにかく読んでみようとした。街頭で配っているチラシでも活字印刷されたものだとわかると、たとえ通り過ぎてからでも戻って手を出した。そしてそれらはたいてい読むだけの内容はなかったが、私はほとんど全部読んでからきちんと捨てた。私たちの世代は子どもの頃「本をまたいじゃいけない」としつけられたものだが、たかがチラシでもちゃんと読んで始末していたのはその延長だったと思う。
 このあたりいまの子どもたちはどうなのだろう。テレビに始まりパソコンだスマホだと現代は"本離れ"に歯止めがかからない。かといって誰もが本から離れてしまうのはどうか? 「教科書を信用するな」というのは正しい。だが、教科書以外の本まで信用しなくなることは子どもたちには教えたくないと私は思っている。

 私はリタイヤしてから年とともに本を時間をかけて読むようになった。現役の頃くだらないものを散々読まされた反動だろう。また新聞や雑誌の連載ものは一冊にまとまってからゆっくり読む。週刊誌などのコマ切れでもOKなのはポルノだけだ。あれはどこを切り取っても中身は同じ、バウムクーヘンみたいなものだから読者は作者のセンスや筆力を賞味するのである。
 さらに10年ほど前から、東京などへ電車で遠出するときでも読む本を持って行かなくなった。そうまでしなくても読書時間は自由にたっぷりとれる。通勤の車内で文庫本をめくっていたのとは大違いだ。
 そのかわり行った先々で読むものを見つけるようになり、それが業界PR誌や婦人雑誌などのエッセイなのである。そして初めて見る書き手の名前に「へぇ、こんな人がいたのか」と感心したり、初めて聞く話題に「ふぅん、知らなかったなあ」と驚いたりするのが面白いのだ。

 古い話で恐縮だが、タウン誌『銀座百点』で『父の詫び状』を読んだ山本夏彦さんが「向田邦子は突然現われて既に名人である」と書いていた。私にだってそんな出会いがないとも限らないではないか。私がエッセイを読むことにはそういう楽しみもある。かつて編集者だった名残りかもしれない。
 ちなみに向田邦子のエッセイでは『中野のライオン』が近頃よく頭をよぎる。彼女がOL時代勤め帰りの電車に揺られながら窓の外を一瞬通り過ぎた光景を書いたものだ。
 中野駅にさしかかったあたりで商店街のとある1軒の店先にライオンがいた、というのである。彼女は咄嗟に隣の吊皮の男性に「いまライオンがいましたよね」と話かけたが、相手はきょとんとするばかり。彼女も自分の突拍子もない言動が恥ずかしくなった。しかし後年その店の経営者だった人物と知り合い、実際にライオンを飼っていたと聞いて、自分の視力1.5は矢張り確かだったと思う……そんな話だ。

 実は私も40代で老眼が始まるまで視力1.5だったのだ。そして70歳で白内障の手術をするまで遠くはよく見えていた。それがいまや何の因果か左右とも0.3しかない。
 住居のベランダから南方向ちょい西寄り約2キロ先に道路信号灯があり、赤青オレンジの点滅が見える。間に広瀬川(これが一番低い)や高速道路のIC、建物などもあるが住居が岡の中腹、その道路がけっこうな上り坂になっていることでよく見えるのだ。
 この見えるのを以前はほとんど気にとめなかったが近頃は視力の目安にしている。夜サッシのガラス越しに見ながら「今日は調子いいな」などと心中つぶやき、ついでにもし通勤帰りの向田邦子の隣にいたのが私だったらライオンで話がはずんだかもしれないなと思ったりするのである。

 視力0.3は難儀である。また"書く者"にとっていろんなエッセイを読めなくなったこともつらい。だがゴルフで難しいショットほど楽しんでプレーできるように、難儀も前向きにとらえれば面白いのではないか。
 
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