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鈴木富夫
昭和14年新潟県村上市生まれ。
昭和37年(株)講談社入社。「週刊ヤングレデイ」「週刊現代」編集長のあと学芸図書出版部長。この時、超ベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」「気くばりのすすめ」など刊行。広報室長、第一編集局長などを経て取締役。
平成16年退任後、出版倫理協議会議長、東京都青少年健全育成審議会委員など。平成26年12月退任。
平成16年3月、偽造キャッシュカード事件の被害発覚(3,200万円は当時、日本一)。同年5月、妻晟子に6年介護の末、逝かれる。8月、東京地裁に銀行2行を相手に、訴訟を起す。平成17年3月、銀行2行が全面補償で和解成立。
18年5月、郷里村上市の隣、(旧)朝日村上中島で、本を読む塾「けやきぶんこ」を設立。 毎月10日ほど出かけている。

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2014年06月09日(月曜日)更新

第96号
 隆さん下巻・後水尾天皇を読む、そして塾も9年目に

 村上入り(5月24日)して、「けやきぶんこ」で車をとめる。「やあ、お前たち、いいなあ」思わず声がでていた。シャガの白い花、庭中(ま、何もしないから藪だけど)に、いっぱい咲いている。可愛いのに生命力(繁殖力かな)強いのだねぇ。昨年までは庭の一角だったのが、ぐるりと、あっちもこっちも。嬉しかったなあ。ひとつひとつは派手じゃないのがいいよ。私を好いていてくれるみたい。このところ右肩痛や脚力の弱り方、老いたな私も、なのだけれど、元気をくれるよ、私に。
 さて今回は、前回に続いて隆慶一郎著「花と火の帝」下巻である。未完の作品。小説を書き出した隆さん、僅か5、6年で死んだ。隆さんの小説「捨て童子松平忠輝」(上中下、講談社文庫)を以前、皆んなと読んだが、ぜひ、他の作品も読んでほしい。代表作「影武者徳川家康」を含め、隆さんもの、全部面白いのだから。私の気持ち、皆んなに伝わればいいな、と思っている。私、気合は入っていた。どの組も2時間を軽くオーバーしていた。作者は、後水尾天皇に凄く気をつかって書いているのが、よくわかる。だって、世界中に、日本みたいな国ないのだから。いまの天皇につながる。こんな国ないよ。三浦朱門著「天皇とは何か」(海龍社刊)を読めば、わかる。日本人ってのは、西洋人から見ると“オリエンタル・ミステリアス”なのだろうね。三浦さんが、よくまとめていてくれる。塾の皆んなの関心が、そこまでつながっていくといいな、が私の望みなのだけど。
 気がついていたことをいった。「次に私が来る6月末、この塾も9年目に入るよ。そんなに続いたのだね」に合わせて、札つき組の川村公一さんが、「先生、今年中に100回目が来るよ。皆んな、何かやらなきゃ、ね」と。ああ、そうか、私、そっちは気がつかなかったな。100回目か。1回に2冊のこともあったから、よく読んで来たなあ。大きな区切りがやってくる。越後の田舎村上に行く。最近の私の生き甲斐であるけど、梅雨空など、すっとぶ元気が出る。皆んなと村上が勇気をくれている。
 

2014年05月15日(木曜日)更新

第95号
 隆慶一郎「花と火の帝」をたっぷり楽しんだあとで

 5月の黄金週間、けやきぶんこ(村上)に居た。約2週間余、この3年ほどそうしている。樹々が芽吹くとき、毎朝、外の黒色が変わる。いいものですよ。欅8本にも順番があり、いつもラストの1本は決まっている。ホントお前はなあ、である。水仙が一列に咲き、山野草も次々と。帰宅する前、シャガが庭一面に白い花をつけ出した。全部は見れない。塾生の皆んな、やってくれている。
 4月は「花と光の帝」上(隆慶一郎著=日経文芸文庫)である。下巻は5月、隆さんの絶筆、最後の作品、未完である。家康、秀忠、家光のとき、後水尾天皇の側から書いている異色の作品。京都の北、八瀬の人々の活躍。八瀬の岩兵衛・岩介の父子、岩介を中心に、“天皇の隠密”が、幕府と対峙する。岩介のもとに猿飛佐助、霧隠才蔵らが集まる。岩介は5歳のとき、“天狗”とともに海を渡り修業(朝鮮らしい)、10年で帰国。待っていた八瀬の少女とらと結婚する。それからの無類の活躍、柳生一族も登場するが、問題にならない。初めて知ったこともある。近親結婚の多い天皇は意外と短命、80歳半ばまで生きていたのは、後水尾天皇以来、昭和天皇までない。隆さんの伝奇ロマン小説、事実を押さえながらの展開だから、実に興味深い。
 塾の皆んなも、興味津々、十分楽しんだようだ(ちなみに後水尾天皇84歳、昭和天皇87歳である)。5月は2週間余で村上にもどる。下巻は、さらに波乱だが、結びは、皆んな、どう想像するだろう。私、いちばんの楽しみである。
 村上に居て、何をしていたの? 意外と本を読めなかった。連日出かけていたもの。若い友人大滝薫さんと、加治川側の桜100種がある山へも行ったし、ソチ銀メダルの平野歩夢くんの高校(胎内市)も行った。また塾生の菅井晋一氏一家7人と久しぶりに粟島、日帰りもした。何10年ぶりだろうか。本場のわっぱ定食を食ってきた。ボヤーッと時間の過ぎる連休、村上にいると、混雑と渋滞のイライラを感じなくていい。田植えも5月10日以降になるので、田に水を入れだしたところで帰って来た。ああ、遊んだなあ、である。
 

2014年04月11日(金曜日)更新

第94号
 若妻がくるくる日傘を廻して、家へ。いいなあ。

 春が来た。毎月、雪国越後に通うようになって、間もなく9年目に入る。ときめく季節だが、年をとってくると、年々苦手になる。雪解、雪解水、雪解川、雪解風、雪解野、どうもいけない。雪で白一面の世界が、まだらになる。いちばん汚いころ。わが家の欅もまだ裸、つらいのである。
 今回は、太宰治著の短編集「富嶽百景、走れメロス他」(岩波文庫刊)にした。太宰治は私が色気づいた頃、いちばん好いた作家、筑摩書房刊の全集、20歳前にもっていた。リズム感のある文章が好きで、ノートに引き写していた。青森津軽というのもいい。在郷だもの。とくに「富嶽百景」を読んでほしかった。岩波文庫には、タイトルにもなっている。富嶽百景も短編だが、富士山が世界遺産となって、富士山を描いた文章となると、たいてい太宰治の「富嶽百景」をあげる。「富士山には月見草がよく似合う」この一節で、太宰治の文章は遣ることになった。それを知ってほしかった。解説が井伏鱒二、レトロだなあ。ウチで岩波文庫をまとめ買いしたのも初めて。短編10作、すべて戦前のもの。
 人は忘れる。若いころ、凄いセクシュアルな表現と記憶した作品「満願」が、この短編集に入っていた。嬉しい、タイトルも忘れていた。当時、肺の病いは重病、死に至る。ご亭主が、その病い。若妻は、医師のもとに通う。そして3年。お許しが出た。晴れた初夏の朝。小走りに帰る若妻は、小道を日傘をくるくる廻わしながら。いいなあ、昔の私は羨ましく読んだ。簡単服の彼女の夜への“よろこび”日傘を廻わして。今夜はどんなに、いいのだろう。夜じゃなくて、帰ったらすぐか。想像、妄想は限りなく広がる。私の記憶が違っていたのは、医者の家で新聞を読みにきた作者(太宰)が目にした、若妻の足どり。私は勝手に土手道と思っていた。実際は、医者の家からの小道であったが。最高の艶っぽい表現は変わらないのだけど、土手道の方が似合うよなあ。私はいまもそう思っている。
 いまや教科書にのる太宰治の文章、「走れメロス」だろうが、何でもいいよ。太宰が、芥川賞とってたら、どうなったのかな、と。
 

2014年03月10日(月曜日)更新

第93号
 半沢直樹の作者の「下町ロケット」これは素晴らしい

「この冬は雪が少なくって、よかった」姉フミコはじめ、塾生、近所の人たち、皆んながいう。「関東の人たち大変だけどね」笑っていう。「私は面白くない。雪国でこんなじゃ、ね」と、いいロマンも怖さもないよ。と結ぶ。
 今回は「下町ロケット」(池井戸潤著・小学館文庫)である。親しい人、OBを含め出版社ではいちばん多いのに、わが塾では、初めて読むことになった。直木賞(145回)受賞作。初めてじゃなかろうか、小学館の本としては。私、ひとりそんな感慨だった。池井戸潤といわれてピンと来なくとも、昨年流行語になった“半沢直樹の倍返しシリーズ”の著者だよ、で説明がつく。小説としては「下町ロケット」の方がいいよ、と私は進めた。宇宙工学の研究者・佃航平が父の死を機に、家業の町工場(佃製作所)を継ぐ。大手メーカーの厳しい下請けたたき、訴訟などピンチの連続。どう切りぬけるか。そんな中、国産宇宙ロケットを開発する巨大企業・帝国重工が、なんと佃製作所の有するある特許技術が必要になってくる。特許を売るのかどうするか。社長佃航平の選択は? 男の夢がいっぱいつまった男たちの夢と矜持、さてどうなる。
 科学技術に暗い私たちにもわかりやすい感動の、種子島宇宙センターでのエンディング。一気読み出来るスリリングなエンタティメントになっている。半沢直樹よりいいんだよ、これが、私は今回、話がしやすかった。
 さらにもうひとつ。村上を全国区にする快挙があった。オリンピック・ソチ大会で、村上の中学3年生(15歳)が銀メダル! これがどんなに凄いことか、わかる? 村上の中3(第一中学校)が、やったんだ。私は、各組の始まる冒頭に、「村上の人たちおめでとう」で、塾を始めた。村上を離れて60年近く、毎月、村上に通って来ているが、私は、“よそもん”それでも、わがことのように嬉しかった。
 スノボーハーフタイプの競技、村上の人たちのほとんどは、私同様に知らなかった。それが平野歩夢(あゆむ)という、少年が、村上を全国区にした。ようやく鮭とお茶と推朱の伝統芸の町から、一挙にイメージを変えた。嬉しかったなあ。銀座のBARでもいったよ。
 

2014年02月12日(水曜日)更新

第92号
 日本の女医第一号荻野吟子、波瀾の生涯「花埋み」

 この冬の越後村上の雪は少ない。景色は一面の白であるが、雪の壁の中に居る気がしない。冷え込み、風は冷たいが、雪の嵩が違う。そのせいか、1月の出席率、抜群によかった。皆んな車で来るが、前が見えない(吹雪で)ことはなかった。その上、暮の納会で、私が毎月通うのも、そうは続かない。どうやって塾を運営していくか、考えている、そんな話をしたせいもあるかも。ともかく各組、ニギヤカな話につつまれていた。
 今回は渡辺淳一著「花埋はなうずみ」(講談社文庫)、550ページの大冊である。医師であった渡辺さんが、日本の女性第一号医師荻野吟子の生涯を描いたもの。代表作のひとつに間違いなく入る。埼玉県出身の偉人3人に入る人、“荻野さん”のこと。けやきぶんこの6割は女性、それにこだわらず、この人の生涯、圧倒される。出席の全員、完読である。埼玉の素封家の末女、16歳でつり合いのとれる金持ちの家の跡取りに嫁入り。ところが、夫の貫一郎から淋病を移され、実家に帰る。この屈辱、不遇、そのまま離婚。それからが違った。ぎんの、この恥ずかしい苦しみの中にいる女性たちを救う、女医者になる。決意はできるが、ぎんは、やりとげる。もの凄い勉強の仕方、男しかいない医学校にどうやって入るか。医師の国家試験を受ける(女性に例はなかった)ための、ぎんの孤独な闘い。ついに道は拓ける。国家試験合格第一号は荻野ぎん、34歳になっていた。離婚してからこの日まで、ぎんの勉強と男社会での闘い、頭が下がると簡単にいえない迫力である。こんな受験生、若者がいるだろうか。
 評判の女医、そして社会活動家ともなる。キリスト教へ入信。その間、同志社大の志方と知り合い結婚、荻野吟子39歳、夫志方之善26歳。13歳の年の差があった。夢見る男志方の北海道開拓に、吟子も従う。東京での女性医師の名声、すべてを捨てて吟子は、志方のいる北海道に渡る。悲惨な暮らしが待っていた。頑丈なはずの志方が倒れる41歳の死。その後の吟子の暮らし、つらいものだった。医学の進歩の凄さ、吟子の知識では――。
 
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