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2014年01月14日(火曜日)更新
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第91号
夏目漱石「こころ」 皆んなの読後感、どうだろうか
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新しい年が来た。快晴続きの関東である。私の年越しは、この10年変わらない。大晦日は浦安市に住む息子の家。ほろ酔いで帰宅して、紅白が終わると、向かいの雷電神社で、2年参り。2日箱根駅伝が終わると、柴又帝釈天に初詣。帰りは荒川土手沿いを歩いて帰宅。1時間余。今年は少し不安だったが、無事歩けた。あと何年続くかな、である。暮の「けやきぶんこ」雪なしであった。降っても積もるほどない。「雪がないと面白くないな」
今回は、夏目漱石「こころ」(角川文庫)である。「皆んな教科書にあったりして、昔、読んだろう。改めて読んで、どうだった!?」 漱石は大正5年(1916)、49歳で死去。2年前に「こころ」は出版(岩波文庫刊)、文字通り、漱石、晩年の代表作である。登場人物も少ない、先生と友人のK、、下宿先の奥さんと娘(静)、語り部の私、主なところは、そんな人たち。海水浴で先生と知り合った学生の私は、東京にもどって、先生の御宅に通うようになる。先生は夫人と2人暮らし。子どもはいない。仕事もしない、自ら寂しい人間というが、日々の暮らしは立っている。“高等遊民”とかいうのか。静夫人と仲はいいのだが、2人の結婚には、何かありそう。私の父の死で、田舎に帰省中の私に、先生から部厚い遺書が届く。「あんな長い遺書、書きますか、ね」 私の年若の友人が言っていたな。先生の遺書で、静との結婚をめぐり、自殺した先生の友人Kとのこと、わかってくる。
「こころ」とは別に、直前に出た伊集院静著「ノポさん・正岡子規と夏目漱石」(講談社刊)を読んでいた私は、若い子規と漱石、2人のつきあい、よくわかっていた。子規が丈夫でいたら、この2人、どうなったろう。興味はつきない。この本、書いている伊集院さん、連載中(小説現代)、楽しかったろうな。私たち、男と女の恋、こんなにつきつめて考えたこと、あるだろうか。加えて明治天皇の崩御。「その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったような気がしました」こんな述懐、死ぬしかないのかな、先生は。そんな明治の気風が感じられる一冊でした。
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2013年12月09日(月曜日)更新
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第90号
冬来る!吉川英治「黒田如水」を読む。TVはどうなる
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通算90号か、と思っている。越後は11月は冬である。いきなり一面の銀世界になる訳じゃない。太陽をほとんど見なくなる。連日、冷雨、霰、風、雷、と晴天がない。落葉が濡れて積もる、手のつけようもない。周りが汚なく寒い日々、白一色はその後である。
今月は吉川英治著「黒田如水」(新潮文庫)にした。新しい年のNHK大河ドラマが黒田如水(官兵衛)だし、どんな人か、知っていた方がよい、のと10月までの3ヶ月、難しかったから、というのもある。本を読む、たまには“楽しみ”が必要。吉川先生の本は、リズム感があり、読者をいい気持ちにノセてくれる。もう3冊目か。「NHKの大河ドラマが、どうなるか知らないが、皆んな見る楽しみが増えるでしょう」と私はいって、「この本は官兵衛36歳で終わっている。黒田官兵衛はその後が、面白いのだけれど」と続けた。秀吉の軍師として有名だが、秀吉死後の関ヵ原の決戦、官兵衛は如水と号し、引退。一人息子長政は東軍(家康)につく。戦勝後、家康は長政の右手を握り、「お前のおかげ」と感謝する。その話を聞いた如水は、「お前の左手は何をしていた。家康を刺せただろうに」と長政にいった、という。有名な話だ。
いかにものエピソードだが、史実にはないらしい。なかったから黒田家は、明治まで、大大名として残っている。戦国武将の中で、有名なのは、側室をもたなかったこと。息子は長政ひとり。吉川先生は、この本、昭和19年に書いている。翌年は、日本の無条件降伏である。書き続ける世相でもないし、吉川先生が、青梅に引きこもる寸前のこととなった。「女性が正妻ひとり。当時を想えば考えられない。英雄色を好む、っていうだろう。いたんだね、如水のような男も」と結んだ。その後の如水を知りたければ、司馬遼太郎著「播磨灘物語」(講談社文庫全4巻)が、「けやきぶんこ」にあるから、読んでみたら、とも。
結局、私がいた10日間、晴天は一日もなかった。今年も村上へ来るのはあと1回。たぶん、その時は、雪が降っているだろう、な。「けやきぶんこ」カレンダーもつくっている。
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2013年11月11日(月曜日)更新
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第89号
没後20年“安部公房”「砂の女」を読み、果林さんと語る
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稲刈りが終わり、国道7号から塾のある上中島への道は、一面刈田、刈田道である。例年のことながら、少し寂しい。秋は短い、すぐ冬隣り。朝夕の冷え込み、ストーブを出す、とか車のタイヤ交換とか気になる。今回(10月末)は安部公房「砂の女」(新潮文庫)を読む。この本は何年も前に購入し、タイミングを見ていた。「ピッタシになったな」私、そう想っている。女優・山口果林さん著の「安部公房とわたし」(講談社刊)が出て1ヶ月余、すでに6刷まで決まっている。“安部さんの彼女”だった果林さんの本、私、50冊余購入し、皆んなに「砂の女」と一緒に読んで来てね、といってある。果林さんも来塾するから、彼女と話す会(飲み会)もやるよ、と。ノーベル賞に一番近かった作家の代表作を読み、その作家と25年つきあった女性と話す、いい夜になりそう。
「砂の女」は、安部さんが果林さんと出遇う前の代表作。今年没後20年、世界20数カ国語に翻訳され、映画化も。主演は岸田今日子さん、息を呑んで画面を見ていた(勅使河原宏監督、岡田英次主演)のを、私、憶えている。安部さんを一挙に世界的な作家にした作品である。最近は出席する塾生、ほぼ完読してくる。「けやきぶんこ」もずいぶん変わった。皆んなの“読書力”がついたのである。調査も凄い。「砂の女」の舞台は、酒田、鶴岡あたりの海岸と、見当がついた。なら瀬波、笹川流と海の温泉と観光に恵まれた村上の人たち、イメージしやすい。最初の「札つき組」から意見は活発だった。26日、山口果林さん来塾。彼女が来るのは4年ぶりか。あの時は、広島、長崎を扱ったベテラン女優さんの朗読劇「夏の雲は忘れない」の村上・新発田公演を決めに来た。その時も皆んなに会っている。私はお気楽。土曜日2時「マドンナi組」の塾、終わって4時半、教室が宴会場に変わる、皆んな手慣れたもの。果林さんのお話と銀座のBAR「エテルナ」のマスター木村永君(村上出身)も参加、〆めは銀座「るぱ・たき」のカレー。テーブル三つを果林さん上手に廻っている。話したり写真撮ったり。ニギャカな会場、私は、今夜どうするかな、と迷っていた。
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2013年10月11日(金曜日)更新
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第88号
太平洋戦争の終わり、天皇の「詔書」全文を読む
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私は晴れ男かなあ、つくづくそう想う。不順な気候の秋、9月下旬の越後・村上、いい天気が続いた。三面川の鮎のヤナ場に、一夕、塾生のSさん一家と出かけたくらい。鮎も茗荷も美味だった。例年、鮎は終わりなのに。今回は、旧知の作家、亀井宏著「ドキュメント太平洋全史」の下巻である。すでに上巻でミッドウエー海戦、ガダルカナル島の死闘と、日本敗戦の兆しは読んでいる。敗け戦ばかりなのだ。気を引きしめてやらねばならない。太平洋の北の上、アッツ島、キスカから、南はオーストラリアすぐ側まで。なぜこんなに戦域を広げたのだろう。無理に決まっているじゃないか。いまなら誰もが、そう想う。この本には、ポツダム宣言と終戦の天皇の「詔書」全文が載っている。とくに昭和20年8月15日、国民が天皇の肉声を初めて聞いた無条件降伏の文書。これは全部の組で読んでもらおう、と思っていた。
作者の亀井宏氏は、いま和歌山県新宮市に住む。昭和9年生まれ。戦争を生涯のテーマとして書き続けた人である。私とは手紙のつきあいだが、「もう殆んど見えない」と書きながら、文章の乱れはない。「けやきぶんこ」には、昭和8年生まれのTさんがいる。小学生6年で、新発田の連隊に、学校の推挙で派遣されていた。この辺りの人たち、2〜3年歳の差は大きい。もちろん天皇の玉音放送は刻明に記憶している。Tさんの所属する札つき組では、Tさんに読んでもらった。「軍国少年は大泣きしましょ」といいながら、雰囲気は、よく出ていて、よどみがない。いまの若い人はとても読めない。4分間、大拍手で終わった。「ともかくこの2冊は、皆んなの本棚に置いて、息子より孫、何かのはずみで戦争のことを知りたい、といったら読ませてあげて下さい。と私は、各組の終わりに言った。いまは、どこも観光地かも知れない。
その間「けやきぶんこ」の敷地内にある秋茗荷を採った。ベテランのKさん、Sさんの手助けで。もう私、作業の体力、駄目。20軒余、東京の友人たちへ。クロネコの集配所、「大変ですね」とお姐さんに笑われた。
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2013年09月13日(金曜日)更新
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第87号
旧知の亀井宏さんの大作をこの塾で読むなんて
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「村上は、梅雨明けしたら、秋だね。夏がなかった」私の率直な感想。8月の塾も、教室で1度もエアコン使わなかった。8月が終わる9月1日には、1泊で7周年記念の修学旅行で、皆んな東京に出てくる。メインはホンモノを見よう、だ。劇団四季の「ライオンキング」を見て、四季会長の佐々木典夫氏に話を聴く。翌日は東京スカイツリーにのぼる、である。だから私は結構忙しい。8月末に帰京、すぐ彼らがやってくる、だもの。
今月は亀井宏著「ドキュメント太平洋戦争全史」上巻(講談社文庫)である。「私は長らく求めていた書物は、これだと思った。太平洋戦争を俯瞰できるのである」 浅田次郎氏の賛辞のあるこの本、どこまで皆んなが読むか、いささか不安もあった。上下巻1ヶ月で読むのは無理、2ヶ月かける。「なぜ、戦争の話を」評判悪いだろうな、と思っていた。何しろ司馬遼太郎「坂の上の雲」でもそうだったから。実際に塾を始めて驚いたね。出席の殆んどの塾生が完読している。本を読む、7年の実力だな。と思った。嬉しかったなあ。
上巻は、ハワイ真珠湾の奇襲から始めって、東南アジアへの進攻、勝ち戦さの連続である。冒頭に太平洋全域の戦線地図があるが、ほとんど全域で、日本は戦争している。あまりに無謀なのだが、当時わからなかったろうな。推測できる。上巻で早くもミッドウェー海戦、ガダルカナル島の争奪、と日本の敗け戦さのきっかけが出てくるが、国民はほとんど真相を知らなかった。
先月の「小さなおうち」で、真珠湾の勝利で、「世の中パット明るくなった」の記述があった。戦勝お祝いの提燈行列は、東京など、都会だけじゃなく、「村上でもお城山までやったそうです」と今回初めて聞いた。
戦争の原因は、無資源国日本のエネルギー問題(石油)。いまの原発と似ている、と思うね。しかもいまの日本の日常生活は、世界でもっとも豊かだと、私、思うもの。たまたま、この8月、パリとフィレンツェ、アッシジと旅したけど、ウオッシュレット、ゼロだったよ。これでいいのか、日本人は、と思う。
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