活字世界のこぼれ話し

 
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過分数 (頭でっかちの意味)
紀元2600年・1940年商人のまち大阪生まれ。
マスコミ出身者が多い某大学を卒業。
以来、活字の世界から離れることなく日本中どこでも飛び回るメモ魔。

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2013年01月31日(木曜日)更新

第313号
 金メダルを目標にすれば、多くのものが犠牲にされるのは当然

 しごき、ヤキを入れる、体罰といろいろな表現が飛び交っているが、この三つのカテゴリーはそれぞれ違っている。一緒にしてしまっては、今問題となっている、高校生を自殺にまで、追い込んだ悲劇の真相究明は出来ない。いずれにしても、この三つの表現、上方志向を目的とした、鍛錬、訓練を表現したものである。ところが、どの時点からか、常識的な限界を越えて、暴力的な様相を帯びてしまう。この限界を分からない人間は、指導的立場に立つべきではない。
 経験があるが、真の指導力のない指導者は、こちらから忌避したものである。そこから、指導を受ける側にも、ある種の責任が生まれる。ある人間の指導下に入った以上は、それに従うしかない。それだけに指導者を選ぶ責任が、指導を受ける側にも生まれる。考えてみれば、たかがスポーツではないか。そう考えれば、適当に付き合えばいいのだ。ただ、金メダル(優勝、勝つことの象徴的表現)を取るを目標に掲げ、それに進むのであれば、たかがスポーツではなくなるし、そこには当然「必死感覚」とでも言うべき感覚が、生まれるだろう。そこから別世界が展開する。目的を共有することによって、世界が変わる。これが分からない人間は、指導者にも、指導される側にも立ち位置を作らないことだ。
 

2013年01月24日(木曜日)更新

第312号
 大島渚の老境の思想、映画論を聞きたかったのだが。

 大島渚監督が亡くなった。京大を出て、松竹に入り、会社と対立して独立、世界規模で国際映画賞を取った。見事な風雲児振りを見せてくれた。激しいパフォーマンスは、大向こうを唸らせ、新しい映像美は、新境地を開いてくれた。それは否定しないが、大島映画はそれほど見ていないし、面白いと思わなかった。映画は面白くて、愉しくて、少し考えさせてくれる、そんな映画で良いと思っていたから、初期作品のぎらついた大島映画の画面を、長く見ていられなかった。これは見る方に罪があろう。
 しかし、映画界の革命的な彼の足跡は、決して消えるものではないだろう。時代に挑戦し、タブーに挑みかかった前衛的な映画作法は、大島の面目であった。また、それだけ、時代が生んだ映画士であったと思う。
 ただ、あれだけ自分以外の人間、更に全ての物に挑みかかっていては、疲れるであろうし、孤独にもなるだろう。そうした、重圧が命を縮めたのかも知れない。あれだけ挑みかかってこられたら、平凡な人間は、逃げ出すしかない。そんなことを考えながら、彼の葬儀の弔文を聞いているところだ。病に倒れることなく、老境を迎え変身したであろう大島渚を見てみたかった。この思いは筆者だけではないだろう。
 

2013年01月17日(木曜日)更新

第311号
 希望が持てるところから、出版物への需要が高まるのだ

 GDP(国民総生産)が増えないと、全ての消費が止まる。これはマクロ経済学の鉄則であるのだが、様々な手法が発見され、GDPが拡大しなくても、何とかなる状況も生み出されているが、それは、あくまでも例外の成果である。消費を拡大するには、何とかして、上手くGDP拡大路線を、探り出さなければならないのだ。出版物もGDP動向と、パラレルにしか売れない。買われないと言える。生活必需品でない出版物が、そんなに売れるものではない。小説ならばよほどの話題作、実用書なら新しい生活手法の発見、哲学書ならば確実性の高い未来志向書などと言える。強力なオーラーを吹き出すものでなければ、出版物に手を出さないものだ。もし、今年の年末年始に出版物が売れたのなら、それは明るい将来展望が、新内閣に期待する形で生まれそうだからだろう。
 人間は希望を持ち、それをどのように実現できるか、それを考えるときに、出版物に、その具体的手法の教えを求めていくからで、このように、あくまでも上方志向の感覚が、後押しをしないと出版物は売れないと思うべきだ。夢が持てる前途が設定できると、そこに何かを学びたい、参考にしたいという学問的欲求が起きる。そこから、出版物に手が伸びていく。新内閣が始動したが、少なくとも前政権より期待感が持てるのだろう、株価がそれを実証している。その点だけにおいて、夢があり、何かを学ぼうと活字に手を伸ばす、その蠢動だけは存在すると言えるだろう。前年よりは、良くなるだろうと。
 

2013年01月15日(火曜日)更新

第310号
 昔、インフレとは破滅へ向かう一里塚であったと思うが・・・。

 株価が上がり、円安が進み第二次安倍内閣誕生の作り出した経済状況を示す数値は、決して悪くはない。野党時代に自民党が公約していたインフレ率二%、いわゆる物価上昇も目的化、デフレ脱却の経済政策を具現化している。この点では、好感度で迎えられる新政権と言うことになろうか。最も新政権発足時は、ご祝儀相場というのか、新政権は毎度のように、高い支持率からスタートする。それ以降は、スタート時の支持率を上回ることはなく、人気を落としていく。議席数では大勝したが、得票率では圧勝とは言えず、小選選挙区制システムで救われた、脆弱さを隠し持った政権であること、これは誰も否定しないだろう。
 田中角栄政権が誕生したとき、今太閤などと持ち上げたマスコミも、金脈問題で躓くと手のひらを返して、足を引っ張ったものだ。マスコミのポピュリズム、大衆予測的迎合的判断を得意とするだけに、新政権も一つ躓きが現れると、勝ち馬にしか乗ろうとしない、マスコミの餌食になること請け合いだ。国民のレベルに合った政治しか持てない、と言う箴言があるが、まさしく日本はその通りで、国民のレベルに合ったマスコミしか持てないのだ。新内閣が前政権のアンチテーゼであるだけに、少しはマスコミも支持するが、ポピュリズムに生きるマスコミの支持はあてに出来ないだろう。
 若い頃の筆者の経験では、インフレという言葉は、国を滅ぼす方向に走る一里塚と教えられ、戦争に行き着く体験を強いられ、日本を滅ぼした端緒との認識が根付いている。総理大臣、閣僚がこぞってインフレ待望論を口にする。なんだか破滅に向い始めたのか、とよく眠れない夜が続く。
 

2012年12月27日(木曜日)更新

第309号
 つまらん議論は止めて、東北復興と原発縮小に手を付けようよ

 民主、自民の激しい対立も選挙で、こんなに簡単にカタが付いてしまうと、あっけにとられる感心だ。それにしても野田は、何故、解散をしてしてしまったのか、その理由が全く分からない。また、昔の自民の政治に戻るかと思うと、憂鬱な気分になってしまう。最も、小選挙区では圧倒したが、比例区の得票は拮抗している。それを考えると、自民も勝手なことは出来ないだろうが。
 イデオロギーは、世界からなくなったと言って良い。国民万民が幸福なら良いのだ。それなら考えも、政治手法も纏まりやすいのではないか。反対のための反対などは辞めて、また、自分が作った憲法ではないから、どうしても厭だから変えるという声もあるが、平和憲法だけはそのままで良いではないか。隣国がけたたましいからと言って、慌てることもあるまい。話せばわかり合えるだろう。もう二度と、戦争だけはやるべきではない。これだけははっきりしたい。マスコミも、もっと建設的になれと言いたい。何でもかんでも、批判ばかりでは不毛だ。政策をあげつらうのではなく、自分で政策を作ってみたらどうだ。
 東北を早く復興させよう。原発を縮小させよう。この二つの実現が肝要だ。ここからスタートだ。
 
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