活字世界のこぼれ話し

 
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過分数 (頭でっかちの意味)
紀元2600年・1940年商人のまち大阪生まれ。
マスコミ出身者が多い某大学を卒業。
以来、活字の世界から離れることなく日本中どこでも飛び回るメモ魔。

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2011年05月19日(木曜日)更新

第227号
   日中韓首脳は被災地で、三人四脚で何をする気なのか。

 東日本大震災の復興進行状況が、なかなか評判が悪いのは、ある面では仕方がない。それは余りにも被害状況の規模が大きすぎて、正確な実態が、把握出来ないからだと推測する。さらに、復興の実効が見えないからだ。そのため、回復状況成果がばらばらになって、纏められた俯瞰的な景色が見えないからではないか、と思うからだ。そうは言っても、もっと確実性を追求したやり方、現状の纏め方もあるだろう、と言われることも分かる。マスコミの報道も、トクダネ的な記事には力が入るが、全体を纏める力には、いまいちの感ふかしだ。これも、纏まりのない一理だろう。
 日中韓の首脳が、被災地に集合するという。中韓両国も日本支援に、多大な協力をしている。ありがたいことだが、被災地に集まる理由は何かが、余りよく見えてこない。まさか、パフォーマンス好きな、日本の首脳の仕掛けではないだろうとは思うが。天皇が被災地に行って励ますのと、日中韓首脳の“三人四脚”とは意味が違うだろう。日中韓で良いが、復興に忙しい被災者に迷惑にならないようにしてよ。
 

2011年05月12日(木曜日)更新

第226号
 エスカレーターを捨てて、階段を取り戻す蛮勇を持つ義務が人類に

 原発の必要性は、今後も正しいと思う。地球温暖化は、地球消滅へ向かって進んでいる。これも否定できない。原発は人間が考え出した英知だが、運用の徹底性が足りなかったのだ。人間が新しいエネルギーを、持たなければ生き延びれないところまで来ている。それほどまでに、高エネルギー生活環境を、作り出してしまったからだ。昔は、階段を一歩一歩登ったものだが、エスカレータになってしまった。階段の人力と、エスカレータの電力、この代表戦、このせめぎ合いが、これからの人間の新しい戦いになる。
 日本の現状は、原発が政治力、企業エゴ、地元活性化など複雑で不透明な形で進んだから、そのツケが貯まったのだ。電力会社は、企業であり利益追求に走る。そのために運営に、手抜きがあったのだ。この段階では人災だと言えるだろう。今後も原子力に依存しなければならない人類は、天災でもなく、人災でもなく、梅原猛の言う文明災を身近に感じながら、生きなければならない宿命下にあると言えるのだ。政党間の小宇宙の争いなんかではなく、もっと大きな世界観、文明観の戦いなのだ。
 

2011年04月28日(木曜日)更新

第225号
 東日本大震災には、静かにしてばかりいてはいけないと言うが鎮魂を優先させたい。

 東日本大震災をどの様に受け止めるのか、なかなか難しい問題がある。落ち込むな、もっと元気を出して、将来に夢を持って行こうと。一方では、こんな未曾有の天災、さらに原発の人災が加わり、日本から外国人が逃げ出している。こんな時は、静かに鎮魂する以外はないではないかと。この二極の対応、それなりに正当性があるはずだ。どちらも、言いたい気持ちは分かる。しかし、筆者は鎮魂姿勢に与したい。
 国難には、国民全体の一体感のある対応が不可欠だ。そのためには、現実を正確に直視しなければならない。現実を破壊された以前の現状復帰に持って行かないで、何を浮かれて良いのかと言いたい。とにかく、これまでの現状に復帰させることが肝要である。そのためには、鎮魂を旨とした対応がしばらくは不可欠であると言っておきたい。未だに死者のさえ特定できないのだから。
 

2011年04月21日(木曜日)更新

第224号
 消費税増率は不可欠なのだから、東日本大震災のためには不可

 国家予算並みの損害額が出ている東日本大震災、復興資金には二〇兆円はかかると試算されているが、消費税でそれを徴収するのは間違いだ。消費税増率は、巨額の国債を抱え込んだ、日本財政事情からは不可欠。いずれはやらなければ、日本そのものが破綻するのだから、有事のどさくさにまぎれて、無難に増率を図ろうとするのは姑息すぎる。
 東日本大震災復興資金は、特別会計で予算編成をするべきで、時限的な消費税増額という変形は、許されもしないのだから。どうして政治家は、こんな非常時にこそ身体を張って、政策を進めないのか分からない。
 東日本大震災という未曾有の国難、こんな時こそ政治家が手腕を発揮すべき良い時期だ、それなのになんの個性的な発言も行動もない。官僚の壁と戦う最良の現場は、こういう非常事態の現場ではないのか。千載一遇の好機を見過ごしているのは、何とももったいない。今は国難だ。信念のある正論はいつでも受け取りたいものだ。
 

2011年04月14日(木曜日)更新

第223号
 喪に服することは、日本人の共通認識、一方、日常への回帰も必要。

 岩手県の県都の盛岡駅に、青森空港からバスでJR弘前駅、さらに奥羽本線を乗り継いで、大館から花輪線を抜けて五時間をかけて、午後七時についた。新幹線が走っていないからだろうか、いかにも薄暗い。一寸驚いたが、沿岸部で東日本大震災の大きな被災地を抱えているだけに、哀悼の意を表し、節電のためを思うと、この闇も我慢が出来る。今暫く、この我慢は続くだろう。国を挙げての喪に服する気持ちだ。理解できる。
 何時までも喪に服して良いかというと、そういうわけでもないだろう。どこかで、この災難を乗り越えて行くべき力が、無くてはいけない。日常に早く回帰することで、活力を呼び込んで、積極的に原状回帰に力を入れなければ、光が見えない。普通の日常に回帰することで、新しい活力を生む、これも必要だ。そうだ、普通の日常回復こそ、活力の源泉でもあるのだから。 (盛岡駅前のホテルにて。岩手日報、東山堂の取材のため)
 
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