活字世界のこぼれ話し

 
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過分数 (頭でっかちの意味)
紀元2600年・1940年商人のまち大阪生まれ。
マスコミ出身者が多い某大学を卒業。
以来、活字の世界から離れることなく日本中どこでも飛び回るメモ魔。

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2009年08月11日(火曜日)更新

第137号 タレントに、麻薬は付きものなのである、と知るべきだ

 麻薬はどうしてはびこるのか。それは、ストレス解消のためである。タレントは、概ね自分を、別人に装うことを生業としている。このプレッシャーは、決して軽くはない。それをなくすためには、麻薬の力を借りるのが、最も簡単だ。それだけに、タレント、それに準ずる職業人は、麻薬周辺に簡単に近づく。言うならば、一種の職業病だ。 
 タレント、芸人が演技をするのは、自分以外の人間になりきるわけだから、一度、自分を捨てなければならない。その捨てるためには麻薬の力が、一番効果的なのだ。そうは言っても、全部のタレントが麻薬を使うわけではない。自分を鍛えたタレントはそんなことはしない。やはり中途半端なタレントが、麻薬の力を拝借するのだ。そういう意味では、タレントと麻薬の関係は、永遠に不滅であろう。
 

2009年08月04日(火曜日)更新

第136号マニフェストとは、マルクス・エンゲルスの
共産党宣言のタイトルの一部である

 マニフェストという言葉がもてはやされているが、日本の政党が選挙を控えて、投票者に向けてこういうことをやりたいと、投票者に媚びを売る文書をさすようだ。しかし、筆者が最初のマニフェストという言葉を知ったのは、ドイツ語でこう書かれていた。「Manifest der Kommunistischen Partei」。そうだ、これはマルクス、エンゲルスの共著、「共産党宣言」のドイツ語のタイトルである。
 マニフェストは、政党の公約と訳しても良いが、共産党宣言のタイトルに使われた栄光を考えると、日本の政党が小手先で、投票者の関心を引くために、かき集めた駄文とは、中身が違うことを知るべきであろう。日本のマスコミは、こうした歴史に全然触れていないのはどうしたことか。小手先の公約ではなく、命をかけた宣言なのである。 
 

2009年07月28日(火曜日)更新

第135号 ビール会社統合は迷惑ですね

 アルコールを手に付けた頃から、何故かビールはキリンだった。ホップがよく利いているからがその理由だった。それ以来、キリン党と言えるだろう。そうかと言って、他のビールとの違い、よりホップが効いているのが、分かるわけではない。結局、何でも良いのである。ただ、ビールを注文して銘柄はと聞かれるとキリンと答える。習慣の一つだ。缶ビールを少数買う場合は、何故かバドワイザーにする。缶のデザイナーが好きだからだ。いい加減なもんだ。
 キリンはビールで、ずっとトップを走っていたが、何時かその座をアサヒに譲っていた。昨年やっとその地位を取り戻した。そして、サントリーと企業統合準備に入った。この二社が一つになる。なんだか妙な気持ちだ。サントリーとキリンのビールが、ミックスされそうな気がするからだ。迷惑だ、飲んべえには、合同するなんて。
 

2009年07月22日(水曜日)更新

第134号 駅で声を掛けない人に投票

 やっと、衆議院議員の選挙が出来ることになった。市長、知事、市会議員、参議院議員は、複数回この四年間で投票に足を運んだが、今、マスコミ界の主人公を演じている代議士の選挙は久し振りだ。票の重さが、政権交代の動きをはらんでいるだけに、いつもより重い。真剣に選びたい。
 ただ、四〇日間、駅前で“いってらっしゃいませ”と内心、腹の内では舌ををだしながら声を掛けられる。この苦痛に耐えるのは疲れる。駅に並ぶ候補者、その運動員サイドには投票しないことにしている。政党に関係なく。
 与党が負けるのは投票日が好天で投票率が上がること、これだけは確かだ。ただ、自民、民主共にすねに傷を持つだけにどんな暴露が飛び出すか、これも注目したい。騒音の四○日間、夏休みでも取るか。
 

2009年07月14日(火曜日)更新

第133号  解散権は最大の武器だが

 解散権は首相の特権であり、権力維持には無くてはならないもの、これを上手く使えば、政権の延命もはかれる。かつて三木武夫政権が、反主流に追い込まれ解散をうとうとしたが、三木派以外の閣僚は解散に署名しない。全閣僚を解任し、三木首相がすべてを兼任して、解散手段を探ったが、実際には実現出来なかった。こんな場面が、解散にはつきまとうのである。
 今回の解散のごたごたも、落ち目の麻生政権あがきの一つ、力が落ちたときの政権は、同じような状況を生み出すものである。それにしても、落ち目の政権は滑り止めがない、滑り止めが聞かない、ダッチロールに陥るものである。考えようによっては、もっと早く解散に打って出ておれば、政権は弱体化しなかったはずだ。議会運営のベテランがいない証拠、漂流するしかない政界だ。
 
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