活字世界のこぼれ話し

 
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過分数 (頭でっかちの意味)
紀元2600年・1940年商人のまち大阪生まれ。
マスコミ出身者が多い某大学を卒業。
以来、活字の世界から離れることなく日本中どこでも飛び回るメモ魔。

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2009年07月07日(火曜日)更新

第132号 本当に怖いのは投票率である

 民主党が地方首長選挙で四連勝、さいたま、名古屋、千葉の三市長、静岡県知事と。特に静岡県知事は、民主党系が二人立候補の分裂選挙、それなのに勝ったのだから、負けた与党連合のショックは大きい。これで麻生退陣も決まりだ。都議選挙が追い打ちをかけるだろう。
 民主党が勝つと分かるのは、前回選挙よりも、投票率が上がった瞬間である。いままで投票に足を運ばなかった、浮動票が動くからだ。浮動票は現実を変えたいときに動く。公明、共産の支持者は一定の数が固定されており、天気の悪い投票日だと、この二党は喜ぶ。雨をついてまで、浮動票は動かないからだ。投票率が上がると、新しい選択と意志決定が生まれ、浮動票は確信犯となる。投票率がこれからも高くなると、確実に日本は変わっていく。
 

2009年06月30日(火曜日)更新

第131号 英雄には、若死にがよく似合うか

 英雄は早死にすべきと言うと、怒りを受けるだろうか。孫を抱いた裕次郎は想像したくないし、他にも、これに類する英雄は多いはずだ。早死にと若死には一緒に出来ないが、両方とも満開と一緒に落花する、瞬間的美学は完成しているだろう。マイケル・ジャクソン音楽及びパフォーマンスは、最後まで異和感があった。不健康なムードが、絶えず彼の周辺に渦巻いていたからだ。
 しかし、一世風靡の存在は否定できないが、それはショウビジネスの世界であって、筆者の音楽感覚とは相容れない。それにしてもJ・F・K、マリリン・モンロー、エルビス・プレスリーと一世風靡の傑物の死の周辺が、不確かで毎回騒ぎを起こしているのが、いかにもアメリカ的と言える。
 

2009年06月23日(火曜日)更新

第130号 神をも恐れぬ背信行為

 天下の一人勝ちのセブンイレブンが、公取委の指弾を受けた。高い利益率を確保するには、どこかに無理をした取引条件があるものである。以前から、オーナーの苦情は出ていたが、もっと早く表面化させるべきだった。どう考えても、生鮮食品のおにぎりを破棄せよとは、決して許されるものではない。
 三〇年前にあった近所のセブンイレブンが、最近、なくなり空き地になっていた。どうしてなくなったのか、本部側との戦いに負けたという風聞が流れてきた。
 セブンイレブンでもう一つ気になるのが、おでんの店頭販売だ。店内のゴミが、鍋に飛び込まないかである。生で食品を売るには、法律があるはず。クリアしているか。
 一人勝ちにはそれなりに戦術、戦略があるもので、どこかにしわ寄せがあることも、今回の公取委の指弾で分かった。それにしても「売れ残りは破棄せよ」とは、神をも冒涜する発想だ。
 

2009年06月16日(火曜日)更新

第129号 内閣支持率はわれわれの意識の反映と思うべし

 叩き上げと棚ぼた世襲、日本の国会議員は、この二種類に大別される。前者は選挙民と絶えず対話があり、後者にはそれがない。内閣支持率を無視するのも、ここから来ている。選挙民と対話の必要のない後者は、それだけ現世に疎くなる。
 そうはいっても、後者は選挙が怖いはずだ。薄々と、確実に支持率が減っていることが、本当に怖いのである。また、負けることも怖いのである。
 ただ、国民も鈍感である。内閣支持率を、他人事のように見ているからだ。確かに、世論調査の数は少ない。自分が回答していないから、他人事に感じる。それでは世論調査の効果はない。世論調査、内閣支持率に自分を当てはめなければいけないのである。
 

2009年06月09日(火曜日)更新

第128号 マスコミ同志の喧嘩には、何処かに喜ぶ人間がいる

 新聞と雑誌、特に週刊誌とは、永遠のライバル関係にあり、商売仇である。売上高を競うのもそうだが、ニュースの報道の仕方も、記者クラブで温室化され、黙っていてもニュースが流れて来る新聞に対して、独自の取材方法でしか、ニュースの真実に迫れない週刊誌、その週刊誌は新聞が書けないことを、逆に書きまくって行く。週刊誌ではないが「田中金脈事件」がその象徴であろう。新聞が書けないことを書く、そこに雑誌、週刊誌の存在意義があるとは、雑誌編集方針の要諦でもある。
 こうした背景を前提とすると、週刊誌が新聞の陰の部分に果敢に挑戦するのも分かる。この逆もある。ただ、今回の「週刊新潮」の新聞部数を偽ったパーセント数字は、一面的な気がする。何処かの一部の資料を丸呑みしたか。尤も、この発行部数絡みの問題は、未だに、いい加減さが付きまとっているものでもある。ただ、マスコミ同志が相手の弱点をあげつらいあっては、そこから漁夫の利を得るのは誰かを忘れないように。
 
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