活字世界のこぼれ話し

 
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過分数 (頭でっかちの意味)
紀元2600年・1940年商人のまち大阪生まれ。
マスコミ出身者が多い某大学を卒業。
以来、活字の世界から離れることなく日本中どこでも飛び回るメモ魔。

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2008年07月09日(水曜日)更新

第82号 地球温暖化と人口増

 洞爺湖サミットで、二〇五〇年までに温室効果ガスの排出量を、五〇%に削減する方向のコンセンサスを得たが、新興国との合意は不確かな状況である。それはそれとして、温暖化進展による北極の巨大な氷山が、崩れるように海中に消えていくのを、また、これまでなら真っ白な氷で覆われているはずの高山岩肌が、褐色として目に映る。この温暖化の具体的映像を見るにつけても、いかに「二〇五〇年までに五〇%削減」が焦眉の急であるかが理解できる。
 地球人は何時も、個別の戦いを国家という概念が生まれたときから続けている。しかし、二一世紀の地球温暖化は、地球人が自ら招いた、地球そのものの生存への挑戦である。ここで、地球防衛軍が生まれて、温室効果ガス退治に向かわなければならない。言うならば、温暖化対策から生まれた地球防衛概念が、ひとつの人類的哲学として、位置づけられる必要があると言うことだ。
 

2008年07月01日(火曜日)更新

第81号 たばこ一箱1000円時代!

 筆者がたばこを吸ったのは、満年齢二〇歳になったその日からである。妙な順法精神が身に付いていたから、高校生時代に似非英雄気取りで喫煙する周囲の人間を、腹の中では軽蔑していた。初めて吸ったのは両切りピースだった。一気に吸い込んだ初体験は、頭がくらくらして、アパートの共同便所に駆け込んで、吐き気を押さえ込んだものである。
 原稿を書くのが商売、消してはすぐあたらしいたばこに火をつける。そのリズムで升目を埋めていた。チェーンスモーカーで、最盛期は一日に六〇本は越えていた。ところが、原稿を書く道具としてパソコンを導入、くわえたばこでは灰がパソコンの中に落ち込む。それでたばこを止めた。健康上の理由ではない。一方では、たばこ一箱一〇〇〇円説が浮上しているが、高くなっても嗜好品はなくなるまい。
 

2008年06月24日(火曜日)更新

第80号 秋葉原事件に同調する若者たち

 「蟹工船」が読まれている。書かれている内容は、象徴的な過酷な労働条件、二一世紀の現在からは、はるか彼方の世界である。何故、それが今、読まれるのか。そして、ワーキングプアとよばれる若者層が、読者の中核を占めているという。現代の過酷な労働条件が、何処かで「蟹工船」と通底するところがあるからだと分析もする。ワーキングプアの中心をなすのは、生涯保証の全くない労働者、特に派遣社員、契約社員だという。バブル期に誕生したのが、こうした補完的立場の労働人間だと。
 この不安定な立場は、精神的にも肉体的にも、落ち着きのない気分を生んでしまう。その気分が壊れると、そのリアクションはとてつもなく大きい。「派遣社員、白昼の惨劇」などと大きな踊る活字を見ると、派遣社員、ワーキングプア、蟹工船の三単語が繋がってしまう。これで良いのか。
 

2008年06月17日(火曜日)更新

第79号 やっぱり来たか大地震

 幼少年期、高校までが台風銀座の南国・徳島育ち、台風は慣れたものだが、地震はそんなになかった。幼稚園の頃だったか昭和二〇年代、夜中に南海大震災があった。吃驚して、いつもなら飛び降りることはない、段差のある縁先から飛び降りた。近所の何かの受験生だろうと思うが、夜の勉強の暖を取るために、燃やしていた薪ストーブを持ち出していたので助かったのが鮮明な記憶だ。
 今回の岩手・宮城内陸地震は、TVに緊急予知通報が流れた。初めての経験だ。それにしても、グランドキャニオンを彷彿とさせる山崩れの姿には、非情に驚いた。何故、あのような形を生んだのかは、地盤が軟弱、植林をしていないし、山に手を入れていないと言う報道もあった。それが本当なのかどうかは分からないが、我が国土、国民がその実態を、つまびらかにしていないことは確かなようだ。宇宙を軽々と旅する時代、その科学力を使って、地震の正体も見つけて欲しいものだ。
 

2008年06月10日(火曜日)更新

第78号 無差別殺傷事件

「キレル」という言葉は、いつ頃から市民権を得たのだろうか。キレル症状は昔からあったが、それは別の表現だったのだろう。「頭に来た」なども、その類であろうと思う。頭に来た状況、それをどの様に処理するのかが問題で、外に向かってはけ口を求めると、意外な犠牲者が出てしまう。それはみじかな身内であったり、通りがかりの他人であったり。
 最近の人間はどうして我慢が出来ないのか、不思議だ。家庭でも、社会でも、すぐ「頭に来る」症状が出てしまう。我慢が出来ないから、すぐ何かにはけ口を求める。何処に原因があるのだろうか。それは食い物ではないか。日本食の良さは、四季毎の収穫に会わせた、様々な組み合わせ、それも旬の物が中心、今、全盛のファーストフーズは、全て火を通すだけ、油で揚げるだけ。これでは豊潤な食物にはならない。そうした食物が、肉体構造を変え、さらに、精神構造をおかしくしているのではないのか。
 
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