活字世界のこぼれ話し

 
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過分数 (頭でっかちの意味)
紀元2600年・1940年商人のまち大阪生まれ。
マスコミ出身者が多い某大学を卒業。
以来、活字の世界から離れることなく日本中どこでも飛び回るメモ魔。

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2008年06月03日(火曜日)更新

第77号 北朝鮮と日本

 若い頃は思いもしなかったことが、年令を重ねていくと実現する。年月の経過は、そうした力を持っている。ドイツの東西分裂も、ソ連邦の崩壊も、イギリスと北アイルランドの激しい内戦も、南アフリカのアパルトヘイトも、そうだ、アメリカの黒人問題も、数え上げると、もっとたくさんのどうしょうもないと予測された対立、分裂関係が解消されている。
 北朝鮮のやりたい放題に映る国策的行動も、何れは終止符が打たれ、常識溢れる国に変身するはずだ。そうしないと、人間が生きられないからでもある。時間がどれだけかかるのかは、当事者が保有する知恵の量によって決まる。学習の時間を与えてやれば良いのだ。心配することはない。対立、分裂状況はもともと無理な力のぶつかり合い、やがて消滅する。歴史が証明している。
 

2008年05月26日(月曜日)更新

第76号 高齢者運転標識(もみじマーク)は枯葉マーク

 シャンソンの名歌に「枯葉」がある。エディット・ピアフは本場の歌い手、日本では何となく本場に似せ、越路吹雪が歌っていた。パリの憂愁、けだるい人生の寸断図が何となく分かるような調べだ。パリにほんの少し滞在したとき、一心にこの「枯葉」のムードを探し求めたものである。一人旅、何処にもなかったし、捜し出せるものでもなかったが。
 枯葉とは落ち葉、やがて朽ちて行くもの。しかし、そこには、満足感を感じさせられるものがある。緑一杯の青葉を経て、秋、冬じっくりと紅葉し、落ち葉となって姿を消す。四季の時の流れを、具体的に教えてくれる象徴が枯葉だ。高齢者運転者に、この枯葉マークが考案された。不思議ではない。枯葉と高齢者。しかし、あまりにも直接的すぎる。ズバリ過ぎる。これも役人の発想だろうが、高齢者には不満だろう。還暦で赤いちゃんちゃんこが通例、それなら赤で良いのではないのか。枯葉を人に押しつけるのは無粋であろう。
 

2008年05月22日(木曜日)更新

第75号 五輪と地震!さて中国はどうする?

 国土が広いと自然災害も、スケールが大きいのに驚かされる。阪神淡路大震災の時も、久し振りの国内の大きな地震、五〇〇〇人を越える死者に驚いたが、今回の中国での地震による被害者は、死者が四万人を超え、負傷者も二四万七千人を超え、さらに三万人前後が行方不明という。関東大震災では死者が一四人を超えていたから、このスケールの大きさにも、今更ながら驚かされる。
 今回の中国・四川大地震は、八月に北京オリンピックを控えているだけに、中国政府がどう対処するか注目されるところだが、中止、延期を促したいところだ。自然災害は国境に関係なく襲ってくる。言い換えれば、地球への挑戦でもある。それなら、地球全体でその挑戦、被害を受け止めなければならない。復興のためにも。金メダルを讃える報道と同時に、地震の被害の後始末の詳細が報道される。なんか変ではないのか、という気がするからだ。
 

2008年05月13日(火曜日)更新

第26号  朝青龍負ける

 昔、横綱・栃錦は確か関脇時代ではなかったか、七連敗後の八連勝で勝ち越したことがあった。引退後は、協会の理事長として現在の国技館を作った。先代若の花との栃若時代は、人気沸騰の大相撲であった。それだけに、当時は横綱、いや、大関も負けることが少なかった。それだけ強かった。誇りを持って地位のために頑張った。
 高見山、曙ぐらいで外人力士が終わっていれば、よかったが、あまりにも現在は外人力士が多すぎる。その中から、弱い外人横綱が生まれても不思議ではない。朝青龍も弱くなるときもあるが、栃錦の例もある。一四勝一敗で、優勝するかも知れない。出稼ぎ横綱、まだ稼ぎたいはずだから。
 

2008年05月08日(木曜日)更新

第73号 パンダ外交

 何処でボタンの掛け違いが始まったのか全く理解できない。日本と中国との関係である。日本の本源的で文化的ななルーツが、中国にあるのは周知のことだと筆者は思っている。漢字一つ取ってみても、中国の存在を無視出来ないはずだ。何時から、日本が中国の上に位置することになったのか分からない。国内の政権の不安定につけ込んだ外国勢力が、第二次世界大戦前後に、中国を部分的に食い物にしたためであろう。日本も片棒を担いだからか。
 こんなややこしい近代史を、詳細にひもとくのは、後生の学者に任せておこう。現実は、パンダの存在に勝るコンセンサスは、日中間にはないと考える。それだけにパンダ至上主義を評価したい。音楽用語に休符というのがある。パンダがその役割を担う。その後から、現実的課題に挑戦しようではありませんか。パンダを国際緊張の緩和剤に使ったのは、素晴らしい叡知だ。ネールに貰った象も、どれだけ多くのことを教えたかである。パンダ主義、大好き。
 
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