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2014年06月05日(木曜日)更新
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第378号
ライバルがあって初めて強い勝者が生まれるものである。
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田中将大がNYで予定通り、高額年俸に見合った活躍、頼もしい限りだ。かつての長嶋茂雄が、王貞治が、金田正一が全盛時代に、MLBに参加していたら、どういう成果を上げただろうかは、楽しい推理だ。
松山英樹がゴルフ男子プロで、日本人四人目のツアー優勝を飾った。伝えられるところでは、マナーが悪いとの指摘が、海を越えて入って来るのが気になるが、今様若者には物怖じしない気風が強い。それが初優勝をもたらしたのだろう。日本を飛び出して、自分の実力を世界で試す。これこそグローバル化の極みだ。これからも海を越え、世界と戦う若者は増えること確実だ。
さて、田中、松山の陰に斎藤佑樹と石川遼がいた。デビュー時は後者の二人が、前者の二人より、評価されており、事実、甲子園では優勝し、デビュー僅かで賞金王にもなった。その後の期待も大きかった。マスコミ人気優先と言っても良かったのだろう、それに乗ったのだろうが、実績は伴わなかった。この二組のこれまでの去就は、あまりにもコントラストがはっきりしすぎる。後者二人の巻き返しも期待したいのだが、ここまで差が付いてしまえば、逆転の確率は低い。しかし、二組のライバル関係は、相手があってこそであり、今後も語り継がれるが、齋藤も石川もまだ若いし、それなりに秘めている素質を開花させて欲しいものである。しかし、マスコミ人気とは、いい加減とは言わないが、あまり当てにならないことは何時ものこと、冷めた目で見ていきたいものだ。若者の今後は。
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2014年05月29日(木曜日)更新
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第377号
アルパート層を大事しなければ生きられない企業体質とは。
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時代が変わった一つに、労働戦線の縮小がある。メーデーの賑やかな街頭デモもなくなったし、お祭ではあっても、この日は働く人間の一息入った休暇でもあった。そして、経営者と労働者とのゆるやかな対立はあるものの、そこはかとない信頼関係もあった。それらがなくなっていくと同時に、見捨てられたように、少額の最低賃金制度に、苦悩する若年労働者集団も生まれてきた。特に若年層の働く環境は、アルバイト・パート(筆者はここで新しい造語=アルパートを使いたい)に集約、決してよくはなっていない。このアルパート若年層労働者は、ある面では日本産業を下支えする、重要な労働集団でもあるのだが、その待遇があまりにも劣悪だ。この辺が気になる。
アベノミクス効果は、徐々にではあるが、成果を生み始める初期段階に、確実に入っていると言っても良いが、まだまだ、本格景気回復には時間がかかろう。こうした状況下、各企業は安い労働力としてアルパートに依存する。当然な企業戦略である。ただ、安かろうだけでは、企業の体質が劣化してしまうだろう。適正な賃金で、アルパートでありながらも、雇用しなければならない。かつて、賃上げを巡る春闘は、労使双方に考える時間を共有するものであったが、今や、形骸化してしまっている。不安定なアルパート層に、依存しなければならない企業体質は、決して正常ではないことを知るべきだろう。
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2014年05月22日(木曜日)更新
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第376号
「美味しんぼ」問題は、今後の日本の方向性を決めよう
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「美味しんぼ」は創刊時から読んでいたが、ここしばらくはマンネリが目立つこともあり、遠ざかっていた。主人公と父親が和解方向へ進行しているのも、内容をつまらなくしている、と感じるようになったからかもしれない。
被爆は日本に取って広島、長崎があり、第五福竜丸があり、世界的な課題を、未だに体験中であり、そこに福島原発が重なった。何よりも、ここに上げた放射線体験は、国が背負い込む事件であり、国のプロジェクト、それだけに万全でなければなるまい。東日本大震災の後遺症は、未だに本来的な復興、解決へ向かっていない。情報が公開されていないとか、次代の電力源をどこに据えるのか曖昧である。このように、将来展望にも確たるものが全体像として無い。こうした曖昧な状況を何とかしなければと「美味しんぼ」の作者も動いたのだろう。現地からの声を含めるという、新しい漫画制作の意欲が読める。
これは面白い試みとは理解できるが、被害の状況、その影響が未だに統一見解がないこと、曖昧さが残っており、さらに進まない除洗、こうした日常的な不満、被害者の立場に、万全の配慮は不可欠である。分かりやすく「鼻血」に代表される被害だけを追求しても、曖昧さは残るだろうと思う。東日本大震災の復興には、国の将来展望をかけたプロジェクトにも繋がる大規模なものだ。今後の日本が、日本人がどう生きるべきかの、大きな課題を抱えている。それだけに、「美味しんぼ」問題を媒介にして、徹底的な議論が展開し、真実の解決に向かう筋道が、発見されることに期待したい。
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2014年05月15日(木曜日)更新
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第375号
出稼ぎ外人に負けてばかりの大相撲は(日本の)国技とは言えない
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大相撲五月場所が始まったが、久しぶりの新横綱が生まれ、三人横綱、新しく雲竜型土俵入りも新鮮だ。ところが、すべてがモンゴル出身者ばかり、これは少なからず異常である。国技と見なされ、それなりの国家的な援助もあるのに、ここ何年間にわたり、日本人横綱が出ていない。時代はグローバル化が激しく進んでいる、国技といえども、最高位の横綱が外人であっても不思議ではない。しかし、ここまで日本人横綱が生まれないのは、国技と呼ばれる資格に、欠けるのではないのか。そして、何故日本人横綱が生まれない理由は何なのかを、考えなければならない。
外人相撲取りは出稼ぎとして、日本にやって来る。横綱の年収は相当な金額だし、自国では到底実現出来ない金額だ。そのためにがんばる意気込みは相当なものだ。このがんばりが、日本人相撲取りとの差を、生み出している。彼らにとっては出稼ぎで稼ぐことに集中できる。ここに、日本人横綱誕生がはじき飛ばされるのだ。偉大な横綱、大鵬後継者を任じようとする白鵬、ここにはもはや、日本人を寄せ付けない聖域を作りもしている。ここまでやられてしまって、抵抗できない形が続くのは、何とかしたいものだ。新人・遠藤が実力通りの力を見せているが、学生相撲出身の彼がこのまま進み、横綱までたどり着くか、これが最大の期待だ。相撲部屋後継問題で、よく分からない出来事が生まれるが、これもすっきりして欲しいものだ。胡散臭さがどうしても気になる。現役相撲人には、こうした出来事はやりきれないものではないのかと、同情もしたくなる。かつて無敵の双葉山に、対抗する連合軍を作って向かっていった故事があるが、モンゴル人横綱に、対抗する連合軍も必要ではないだろうか。
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2014年05月08日(木曜日)更新
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第374号
連敗を恥じなくて、対策も見あたらない東大野球部はどうする。
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東大野球部が70連敗を続けているが、未だに堂々と神宮球場で戦えるのは、東京六大学リーグ戦の古典的なリーグ戦方式の賜で、東都六大学は、既に入れ替え戦方式を実施しており、負け落ちればどんどん下がってしまい、見る影もない有様の大学もある。各地大学野球リーグにも、入れ替え戦方式が定着しており、東京六大学だけが未だにこの方式導入を避けている。七〇連敗しても、東大ブランドが大事というわけだ。京大はかつてアメリカン・フットボールで、大学、社会人を破って日本一に複数回ついているが、当時の監督が猛烈な指導者であったことにもよるだろうが、関西、あるいは京大の風土、感覚があると思う。どうも、東大野球部は、連戦連敗しても懲りないのは過保護であり、マゾヒズムを感じさせられる。
甲子園の高校野球は、各地区の私立の代表校は、そのほとんどが郷土代表ではなくなっている。校名の売名のために、中学の優秀な野球選手を、全国からかき集めてくるからである。ヤンキース入りで大稼ぎした投手も、関西出身の北海道選手だ。これが悪いとは言わないが、こうした現象が罷り通るところに、日本文化の限界を感じる。東大は入試が難しいからこうした手段は取れないが、東大戦で確実に勝ち点1を読める東京六大学野球リーグ戦、実質的には五大学である。
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