活字世界のこぼれ話し

 
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過分数 (頭でっかちの意味)
紀元2600年・1940年商人のまち大阪生まれ。
マスコミ出身者が多い某大学を卒業。
以来、活字の世界から離れることなく日本中どこでも飛び回るメモ魔。

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2007年08月15日(水曜日)更新

第37号 阿波踊り

 徳島育ちだが、阿波踊りを正確に教わったことはない。見よう見まねでなんとか踊れる。なんと言っても、あのリズム感が子どもの頃から、身体全身に染みついているから楽だ。リズム感が身に付いていれば、それに合わせて身振りをつければいい。初めての阿波踊り体験者に、阿波踊りを教えることの要諦は、あのリズムをまず口ずさんで教える。それが理解、身に付けば、その後は楽だ。リズムに足がついていく。手振りは適当で良い。
 阿波、蜂須賀藩は外様、幕府に刃向かうことはないかと、密偵を送り込む。密偵が上手くとけ込めるように、敢えて幕府は賑やかな阿波お踊りを奨励したと、古老の伝聞。今でもその伝聞を少し信じている。幕府に刃向かう、時の権威に刃向かう。それに繋がっているDNAを身に付けているから。
 

2007年08月08日(水曜日)更新

第36号 東北三大祭り

 東北三大祭りは、最初から繋がってはいなかった。観光資本が上手く演出したから、人気を呼んだ。折角、三つの祭りがあるのだから、連続開催は当然、これを最初に企画した人間は、殊勲功である。国鉄関係者か、旅行代理店か、まとめることは良いことだ、これはイベント開催の要諦、見事に花を咲かせている。
 お国柄という言葉があるが、昔は藩が国だった。食べ物、方言などがその証拠になると思うが、明治以降、日本は統一国家になり、それまでは藩単位で動いていたものが消えた。外国からの攻勢に対応するため、統一する必要があり、取られた政策でもあった。
 東北三大祭りを連続して観光してみると、日本のかつてのお国柄が見事に蘇っていることが分かる。どうしてこんな異なる祭りが、至近の間に生まれたのか。お国柄のなにものでもない。日本人は豊かな世界に生きていることを、再認識させてくれるのが東北三大祭りだ。
 

2007年08月03日(金曜日)更新

第35号 出処進退

 内閣構成員の大臣が、行動が違法、発言が不当だったりして、辞任させられたり、中には自殺したりする。こんな状況が次々と起こるのは、これまでの政界ではそんなにあることではない。如何に大臣任命権者が、すなわち首相の大臣選考基準が、甘かったかである。大臣の資格審査に、もっと厳しい基準を持たせていれば、ぼろぼろと崩れることもなかった。厳しい条件をクリアしてこそ、本物の大臣が誕生する。
 本物の大臣は、自分を熟知しているもの、出所進退は身に付いている。一方、曖昧な選考で選ばれた大臣は、自分が分かっていない。だから、出処進退を明確に出来ない。厳しい価値判断が、身に付いていなければ、出処進退が理解出来ない。出所進退は、しっかりした価値基準と比例するものだ。
 

2007年07月25日(水曜日)更新

第34号 政治家と失言

 政治家の失言は時代とともに、扱いが変わった。第二夫人の数を少なく言われて、憤慨してみせたり、自分勝手に新幹線の駅を一つぐらい作っても良いではないかと、平然として口にしたりしていたが、当時は大衆迎合的道徳観、いまで言うところの、ポピュリズムなんて言うものがなかったから、政治家の発言に大らかだった。特に、マスコミも寛容の精神というか、ゆるやかな叱責程度で終わっていた。 
 「貧乏人は麦を食え」も代表的な政治家の失言であろうが、真実の一面を突いてもいることも確かで、差別発言ではないと見える。失言が失言として成立するのは発言者の力量にもよる。確信犯的に失言するとそれほどの世間の叱責はない。取り繕ったあやふやな失言は、追究を受けやすい。政治は言葉が勝負、ボキャブラリーが無尽蔵にあれば失言は生まれない。それだけに多くの知恵を、身に付けなくてはならないのが現代の政治家である。
 

2007年07月18日(水曜日)更新

第33号 地震・雷・火事・親爺

 地震、雷、火事、親爺、口の中で繰り返しているうちに、この順序の意味がよく分かった。防ぎようのない天災、それも姿が見えない地震、雷は少なくとも稲光を発し予知させる。火事は自然発火もあるが、人間の不始末が大半の原因、親爺は人間そのもの。上手い順序に並んでいるものだと思う。
 親爺を知らない環境だったので、親爺の怖さは知らない。更に、親爺のお手本がなかったので、親爺になって、どのような振る舞い方が良いのか分からなかった。 だから、私にとっては、何者かが分からない親爺が、一番怖いことになってしまう。未だに親爺になりきれない親爺のぼやきだ。
 
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