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2007年03月05日(月曜日)更新
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第17号 上り下りも時代が生むものだ
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武蔵野線が常磐線(東京メトロ千代田線乗り入れ)と交差する新松戸駅近くに住んで、三〇年以上が過ぎた。JRが国鉄時代から使っているのが各路線の「上り」「下り」の呼称、府中本町駅から新松戸駅を経て東京駅に行くのが武蔵野線、と思っていたらそうではない。西船橋駅から府中本町駅までがその範囲。西船橋駅行きが「下り」、府中本町駅行きが「上り」となっているから。上り・下りは東京中心、それなら西船行きが上りで良いはずでは。もっとも、府中本町駅からが西船橋駅より東京駅に近いから、上りになった訳か。
「東下り」「上洛」などは東京遷都が終わる前までの言葉、京都を中心にしていたからできた日本語、新潟県高田が上越市になった。そこの出身者との会話。「新潟より上、北になるから寒いだろう」と言ったところ「上は下越、京都に近い方から上・中・下だ」としかられた。明治維新でがらりと変わった日本文化?。
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2007年02月27日(火曜日)更新
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第16号
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雨が降るとよく降りますねえ、というあいさつのやりとりがある。朝のテレビ、ラジオの天気予報は、きょうは雨ですと告げるアナウンサーの表情は、さも、困ったような表情に変わる。四国の農村育ちとすれば、雨が降るときに降らないと、まず、困ると考える。これは、農作物には不可欠な雨が降らなければ順調に育たない。都会のアスハルトに囲まれた、勤め人対象に天気予報を読むから、迷惑顔になるのだ。
きょうは暑い。それで良いのだ。稲穂がよく生育するのだ。きょうは寒い。それで良いのだ。根菜類はしっかりと育つ。大雪だ。それで良いのだ。山麓の水瓶はしっかりと夏の水をためてくれる。都会の勤め人だけに向かってだけ、天気予報を読むな。
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2007年02月19日(月曜日)更新
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第15号 へそくり場所の論理と非論理
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時々、へそくりの隠し所でペーソスを感じさせることがしばしば。妙な場所へへそくったために忘れてしまい、ゴミと一緒に捨てられて大騒ぎ、時たまゴミ集積所などで発見される小金(こがね)は、根性の悪いへそくり人の仕業。冷蔵庫、仏壇、位牌の後ろ、ぬかみその中、米びつなどよくも考えついた隠し場所と感心する。
本の中に挟み込むのも上手い隠し場所、しかし、その本を忘れると困ったことになる。蔵書全部の頁を繰らなければならなくなるから。ある日、同居人が本に挟まれたへそくりを発見、それを知ったもう一人の同居人がそれは私のものだと主張した。私は国鉄時代から金田正一投手のファン、彼の背番号の三四、それを記念して三頁と四頁の間に挟んで置いたんだ。
これは理屈に合いません。なぜか。
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2007年02月01日(木曜日)更新
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第14号
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「ひさこ」とよばれる女性には愛称がある。酒豪のエッセイスト佐々木久子、肉体女優とよばれた筑波久子、女子プロの樋口久子も同じ愛称で呼ばれていた。フランク永井が、この愛称を思い入れ多く歌い込んだ流行歌もあった。
最近は余り聞かれなくなったが大相撲開催の館内で、枡席を接待する人たちをこの愛称に「お」を付け最後に「さん」を付けていた。「大入り満員の館内、お茶子さんが忙しく行き交います」と。これを聞きながら祖母は「ラジオを消せ」と言った。少年の筆者も賛成した。愛称はこの地方の女性器の別称。ヒット歌手、フランク永井のこの流行歌レコードは、この地方では一枚も売れなかった。
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2007年01月24日(水曜日)更新
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第13号
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筆者は一九歳で上京、それ以来還暦を越えて数年を経るまで、ずっと東京中心に棲息しているが、大阪生まれ、徳島育ちを知る友人は、何かと関東、関西の文化・風習の違いの質問をする。最近こんなのがあったが、「関西人は麺類と一緒にご飯物も食べるのか」と。どうしてかというと、麺類がセット化されたメニューが関西圏には必ずあるからだ。例えばうどんセットがあるとすると「うどんプラスいなり寿司」と言ったように。
そう言えば、八二歳でなくなった母は「うどんと寿司物」を必ず外食時に取っていた。その風習を狙ってセット化するのがサービスの一つと言うことになる。
上京した母が、うどんを食べたいと言うので蕎麦屋へ入ったら、出てきたどんぶりをじーっと眺めて箸を付けない。真っ黒な汁。出てきた言葉は「気色悪い」だった。その夜、我が家で塩味仕立てのすまし汁のうどんを作った。美味そうに食べたが、その後、「ご飯はないの」の一言。家人は隣へ走った。マンション住まい、隣と親しくしていてよかった。ご飯を拝借したのだ。
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