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2013年07月19日(金曜日)更新
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第250号 〜「とりあえずビール」より「とりあえず水」〜
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暑さの本番はこれから、そして日本救急医療学会の調査によると、熱中症が年間で一番多くなるのもこれからの7月下旬だ。特に要注意はわれわれ高齢者とのことで、医療機関などが連日、予防法を広報している。
熱中症は私が子どもの頃は日射病といった。したがって私達には、お日様のカンカン照りにさらされたりしなければ、起こらない病気だろうという認識しかなかった。夜中や室内でも起こるなんて、それこそ理不尽な症例もあると知ったのは、ずっと後年のことだ。私は暑い台湾の台北で生まれ育ったが、中学一年生の引き揚げまで、日射病など身近で一度も見たことはない。私が覚えている台北の盛夏は、午後には必ずスコールが降って、道路や町並みが白い煙霧でおおわれ、見るからに涼しくなったという印象だ。市内は治安も良かったので、夜も雨戸を開け放し、子どもも大人も蚊帳の中で、涼しく寝ていたように思っている。
そいうことから考えると、近頃の年寄りは昔に比べて、体がヤワになっているんじゃないかと思う。医療が進歩し生活環境が整備されて、元々体に備わっている自力以上に、他力によって生かされている年寄りが増えてきたのだ。
例えば、室内で熱中症になった年寄りのうち、部屋にエアコンが設置してありながら、スイッチオンしていなかった者が半数を越えるそうだ。年寄りらしくケチったからではなく、体そのものが、熱さを感じにくくなっているのだ。末端の神経が疲弊した重症の糖尿病患者が、低温ヤケドになるのと似たようなものだろう。同じことは喉の渇きにも言える。私自身もそうだが、年老いてくると口渇を感じにくくなくなるのか、子どもの頃のように、蛇口に噛り付いてがぶ飲みなんてことは、殆どなくなった。エアコンにしろ水飲みにしろ、他人任せじゃなく、自分で意識して取り組まなければならないのである。
もっとも年老いてくれば、自分でどんなに意識しても、どうしようもないこともある。尿意がその代表だ。私の知り合いにこんな男性がいる。彼は私より10歳年下、やっと70に達したところだがが、勤めをリタイヤした頃から、就寝後トイレに起きる回数が急増してきたという。ベッドに入っても、いつ催してくるか気になって、なかなか寝付けない、さらにはちょっと眠ったかなと思うと、尿意を感じて目が覚める……といった有様で、慢性の睡眠不足になってしまった。ノコギリヤシをはじめ、効くといわれるものは片端から試してみたが、効果はまったくなかった。それで近年は神経内科にかかって、睡眠薬を処方してもらっているそうだ。
とはいえ、問題がなくなったわけではない。そのときの体調によって、睡眠薬が効き過ぎることがあるのだ。そのため、尿意と意識の目覚めがすぐには同調せず、ベッドから出るのに時間がかかって、途中で失禁したことも再三あったらしい。いま彼はベッドを2階から、トイレのある1階に移して寝ているそうだが、それでも失禁の不安は消えないようだ。「そのうちには俺もおしめパンツだな」と自嘲していた。私が「俺なんか昼間ゴルフやテニスをして、夜酒飲んで寝ると、朝までグッスリだよ」などと、それとなく運動をすすめても、昔から室内ゲームオンリーだった彼は、今更と言いたげに首を振るだけだ。
このような、刺激に対する体や脳の反応の鈍さは、年老いてくれば誰にも起こる。ならば何事によらず、鈍くなったことを十分以上に意識して、対応するのが年寄りの知恵だ。年寄りにとって大切なのは、「とりあえずビール」ではなく、「とりあえず水」という意識ではないか? |
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2013年07月12日(金曜日)更新
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第249号 〜老いを実感する体や脳の回復力低下〜
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行きつけのOゴルフ倶楽部とは別に、新しいコースを見つけて、先月下旬からもう3度も行った。去年気に入って、月イチのペースでプレーしていた県北リゾート地のYが、今年われわれシニアの優待会費を値上げしたので、じゃあやめようということになり、代わりを捜して見つけた「大崎ゴルフ倶楽部三本木コース」だ。オープンは昭和50年、以前は「ザ・仙台ゴルフ&カントリークラブ」といって、いかにもバブル期にできた接待用コースらしい名称だった。だから私も存在は知っていたが、プレーしてみようという気はまったくなかったのだ。
ところがその経営が変わり、サービス内容も一変したと聞いて調べたところ、月曜スーパーサービスデイを見つけたのである。何しろ利用税なしの私達なら、お昼を食べても9千円でお釣りがくる。Oよりちょっと遠いが、Yよりは可成り近い。早速行ってみた。そして、想像していたより随分いいじゃないかと、たちまち気に入ったのだった。クラブハウスはごく普通だし、打ちっ放しやアプローチの練習場もちゃんと整備されている。27ホールのコースも、設計に余裕があるし、私あたりには攻め甲斐十分といっていい。おまけにプレーした3度とも、コース内で野生のタヌキに出会ったのだ。フロントの女性が「キツネもいますよ」と言っていたが、要するに、周辺はまだ昔ながらの里山ということだ。「いいねえ」と私達は顔を見合わせた。
とはいえ、ちょっとしたネックもある。サービスデイが月曜ということだ。土日と私はテニスをする。ヒザ痛の家内は近頃は控え目だが、私は他用さえなければコートに行く。これで月曜ゴルフが入ると、さすがにきついのだ。スイングのキレは悪くなるし、何よりも集中力が疎かになってしまう。こういう状態でのゴルフは心理的によくない。私達はゴルフの際、お互い緊張感を失くさないためにニギっているから、負けるのもシャクだし、飲み代にもひびく。そんなわけで、これからは月曜ゴルフだったら、日曜のテニスは休もうと決めた。
いかに私が『体力老人』でもやっぱり年相応に、衰えるところは衰えている。しかし周囲からは、そうは見えないらしい。先日も家内が行きつけの美容院で、こんな話を聞いてきたものだ。あの三浦雄一郎さんの80歳エベレスト登頂が、店で話題になったとき、居合わせた皆で「仲達さんなら登れるな」と言い合ったというのである。家内は「まさか、第一うちに2億円なんてお金ありません」と、問題をすりかえて答えたそうだが……。
衰えをとりわけ実感するのが、回復力の低下である。とにかく時間がかかるようになった。かつては普段やりつけないハードな運動をすると、翌日にはあちこちに筋肉痛が出てきたものだが、近頃は何日か経って、それこそ運動の内容を忘れた頃に痛くなるし、痛みもなかなか退かない。
こうした回復力の低下は、もちろん脳にもあらわれる筈で、その象徴が集中力の低下だろう。ゴルフの最中ぐらいならまだしも、車の運転中なんかだとコトだ。年老いたら体以上に、脳を疲れさせない工夫が大切だと思う。。
以下は、これまでの話に関連した余談である。
脳の鍛錬には、地図を調べることも効果的ではないかと私は考えている。例えば今回初めて行った三本木コースを、私はつぎのようにして調べた。まず、自宅からコースまでの大まかなルートを、広域地図で見当をつける。次いで見る範囲を、ルートの半分から三分の一ぐらいにしぼって(つまり地図を拡大して)、主な道順をたどる。その際、右折左折や分岐などのポイントは、さらに拡大して細部まで見る。こうして、広域と詳細を行きつ戻りつしながら、平面のルートを立体的に、頭に入れていくのである。
いまはパソコンで、地図の拡大縮小も簡単にできるし、物事を多面的に考えるいい訓練になると思う。以前は食わず嫌いで、殆ど家内任せだったパソコンだが、やってみると結構面白いものだなと、わかってきたところである。 |
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2013年07月05日(金曜日)更新
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第248号 〜ポヤポヤ髪の毛と腎虚の密接な関係〜
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近年、新刊書を買うことは滅多にない。この年になれば、何をおいても読んでおかなければという本など殆どない。したがって、近頃はもっぱら“ブックオフ”の105円の棚を見て歩く。そこで刊行は古くても内容は決して古くない、面白いものを見つけるのが楽しいのだ。佐藤愛子の『古川柳ひとりよがり』もそんな一冊だった。奥付は30年近くも前の初版だが、川柳に託した世相批評はいまでも十分に通用する。その一項目『腎虚考』の書き出しはこうだ。
私が子供の頃、「ジンキョのおっさん」と陰口を利かれている人がいた。その風貌はといえば、頭の毛がポヤポヤと頼りなくまだらに生え、顔は黄色く萎びて目はショボショボ、着物の前をはだけてトボトボと歩く。
これをを読んで、私は思わずうなったのだった。
私は2ヵ月に一度、日赤眼科に通院している。数年前の手術の経過診察と、薬処方のためだ。その病院や薬局の中で、上記のような人物をたまに見かけるのだが、矢張り頭髪から受けるインパクトが一番強いのである。診察の順番を長椅子で待っている際など、前の列に、いかにもショボくれた年寄りがやってきて腰を下ろす。その後頭部を見ると、まさにポヤポヤと頼りない毛がまだらに生えている。私は思わず自分の頭に手をやって、生え具合を確かめたくなる。
このような生気(精気)の失せた髪の毛に、ポヤポヤの語感はぴったり、これ以上の表現は思いつかない。日本語は、世界中で最もオノマトぺ(擬声語)の豊富な言語だというが、さもありなんと納得させられる。
思えば、7年前に67歳で死んだ下の弟が、こんな髪の毛だった。長年人工透析を受けていた彼は、晩年は歩くのがやっと、小さなペットボトルのフタも開けられないほど体力減退して、入院したまま亡くなった。彼は私と違ってハゲてはいなかったものの、髪全体に精気がなく、血の気のないくすんだ地肌が透けて見えた。
そして話ついでにいっておくと、あまりランクの高くない老人ホームにも、こんなポヤポヤ頭の入所者が多い。精気あふれる年寄りは、そんな所に入るわけないから当然だが、おまけにこのての老人ホームは、洗髪の手間を省くためか、入所者の髪を短く刈っているらしいのだ。短いとポヤポヤがよくわかるのである。
ところで私は40代以降、散髪を家内に任せている。ご覧のとおり額からてっぺんにかけて、大分抜け上がってきているが、それでも耳や首筋にかかってくると鬱陶しくなる。だが短く切るように頼んでも、家内は「短くすると老人ホームになる」と称して切ろうとしない。私の髪は手触りでは頼りない感じはないのだが、それでも短くしすぎるのは避けた方がいいという判断だろう。
腎虚は、広辞苑などに「房事過度のために起る衰弱症を指す」とあるように、漢方の有名な病名である。要するに、やり過ぎ(荒淫)による体の弱り、生命力減退だ。かつては豊臣秀吉などもこれで死んだとされていたが、現代医学ではこんな病気はあり得ない。房事に限らず何事にも前向きな人は、気力体力とも年齢なりに充実している。心臓や血圧に不安をかかえながら、バイアグラなんか服用して頓死する、みっともない年寄りならともかく、衰弱症になるような老人は、房事にはまったくご無沙汰なのである。そういえば先頃、大手発行のサラリーマン向け週刊誌2誌が「死ぬまでセックス」「死ぬほどセックス」と競り合っていた。
ハゲるのはホルモンバランスのせいだが、髪がポヤポヤになったり、顔が黄色く萎びてくるのは、血の巡りが悪くなるからである。首から上に栄養が行き届かなくなるのだ。脚気とか糖尿病とか、昔「贅沢病」となかば羨望混じりにいわれた人が、大抵そうだった。腎虚は、それら贅沢病の成れの果てでしかない。血行不良の根本原因は歩かない、下半身の筋肉を使わないことにある。下肢の大きな筋肉は、重力のため下半身に滞留している血液を、心臓に押し上げるポンプとして働く。ポヤポヤの髪になりたくなかったら、つとめて歩くことだ。顔色も良くなるし、脳も若々しくなる。
最後に余談だが、漢方では髪を“血余”という。つまりポヤポヤの髪には、やっぱり血は巡っていないのである。 |
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2013年06月28日(金曜日)更新
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第247号 〜『百歳まで達者に生きるヒント100』〜
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私は町内会ゴルフ部の部長だが、そのほかテニス部にも入って、休日の練習には必ず参加している。さらにはマンション管理組合の理事でもあるので、同じ理事仲間や管理事務所の職員など、現役時代にはまるで無縁だった業界の人達や、若い世代と話す機会も随分多い。
また、私は病院に行くことはあまりない。歯医者に掃除のため3ヵ月に一度、右眼手術後の経過診察と薬処方に、眼科に2ヵ月に一度、内科診療所に日常健康診断と、わが家の常備薬の葛根湯(風邪薬として有名だが、筋肉のこりにもよく効く)をもらいに、同じく2ヵ月に一度、整形外科にロキソニンをもらいに4ヵ月に一度、合わせて年間20回足らずだ。
この年でこれだけ頭も体も達者なら、今までの経験を活かして何か出来るんじゃないかと、かねがね思っていたのだが、私の得意は矢張りものを書くことである。それしかないと言ってもいい。そこで思いついたのが、このタイトルだ。
以前、私は本項の前身『体力老人のすすめ』を、電子書籍にしたことがある。年老いても達者に人生を楽しむためには、足腰を衰えさせないことが肝要だというのが、私の生き方の基本であり、これは万人に共通するものだと思っている。その足腰達者を保つノウハウを、私なりにまとめたものだ。その頃、パソコンがまったく出来なかった私は、元原稿を原稿用紙に書いて、家内と息子に打ち込んでもらった。400字詰め約160枚を、1週間ほどで書き上げたが、そんな強行軍の原稿書きは長年無縁だったので、その後間もなく、頚椎から背中にかけて激痛に襲われ、ゴルフもテニスもしばらくできなかった。
この本は自分でも、うまくまとめたなと満足しているが、全然売れなかった。つまり世間にはまるで知られなかったわけだ。私自身まったくの無名人だったし、電子書籍もまだ一般化していなかったからだと思う。まぁそのうちには、何かの拍子に人々の目にとまる機会もあるだろう。
さて「百歳まで達者に生きる…」だが、これを私が思いついたのは、ある60代男性の一言からだ。リタイヤして2年足らずという彼が、「年を取ると一日が早く過ぎるようになりますね」と言ったのだ。成る程と合点した私は、ならば百歳も手が届くんじゃないかと、短絡反応したのである。
そして、この先20年も生きるためには、体力気力よりもっと大切な目標、20年後に何をしたいかを、しっかり決めておかなければいけないと思う。もちろん私にも目標はある。それは最後に書く。
ちなみに、私は体力気力は全然問題ない。12年前の大腸ガン手術以来、大きな病気はない。近頃はあのガンも、実はガンモドキだったんじゃないかと思っているくらいだ。頭もこの「観察ノート」が間もなく250回だから、よく働いている。ヒントの100やそこら、すぐにも列記してみせる。気力も、折あらば悪口を言ってやろうと、いつも身構えているほど十分にある。悪口は相手が何であれ、気力知力とも充実させなければ、しっかりしたことは言えないのである。
私の目標は、原発と共産党支配中国の20年後を見ることである。社会変化のスピードが、いまと昔では格段に違う。現代の20年は、歴史の一区切りといっていい。過去の長い歴史を見ると、自然の摂理に逆らったり人間性を無視したりして、つくりあげられたものは、科学的所産であれ社会制度であれ、当事者がどれほど人類発展に貢献する優れたものだと喧伝していても、決してわれわれ一般社会には定着しなかったことがわかる。原発もいまの中国の支配体制も、そんな事象の代表だと私は認識しているのだ。その成れの果てを、私は何をおいても見たいのである。 |
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2013年06月21日(金曜日)更新
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第246号 〜ものづくりの基本「耕シテ天ニ至ル」〜
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先頃、政府が発表した『2013年版土地白書』の、住居に関する日本人の意識調査の中に、多分に興味をひかれた個所があった。「土地・建物両方所有したい」いわゆる持ち家希望者が80%を割り込み、対して「借家でも構わない」は12,5%と、20年前の調査開始以来、最高の数字になったというものだ。また、質問「土地は預貯金や株式に比べて有利な資産か」の回答も「そう思う」が過去最低の32,9%で,「思わない」を4年連続下回ったという。要するに現代日本人にとって、土地付き一戸建ては、かつてのような資産としての意味は、大分薄れてきたのである。
私は、日本人の持ち家志向が強かったのは、われわれの世代をメインに、団塊の世代あたりまでではないかと思う。つまり高度成長の恩恵に浴した世代である。黙って勤めていれば給料は上がり、40代前後には誰でもローンを組んで、マイホームを持つことができた。私自身も40代なかばで東横線日吉に、土地付き分譲建売りのウサギ小屋を入手している。そのちっぽけな家を、社のゴルフ仲間の一人が「フロントで住所を、横浜市日吉って書けるのがいいな」と評したものだ。
この日吉の家に関してもうひとつ、強烈に記憶に残っていることがある。分譲地は市道から50メートルほど入った一画を、10戸に区分していたが、その進入道路の右側は、個人経営自動車整備屋さんの作業場と住居、左側は広々とした畑で、奥に持主のSさんの住居があった。Sさんは土地の小さな神社の神主でもある、いわば地元の実力者だった。
私達が住み始めてどれくらい経った頃か、ある日突然、進入道路(まだ舗装前の砂利道だった)の左側が50センチほど削られて、畑に変わったのである。道路の途中に立っていた電柱も、畑の中に移動していた。Sさんの仕業だった。説明によると、進入道路の反対側の境界線から厳密に測定したところ、道路がそれだけ畑に食い込んでいることがわかったので、広げたのだという。要するに、そう言っちゃあ悪いが、Sさんは鍬一本で、およそ25平米もの地所をせしめたわけである。日吉は高級住宅地だ。私達の住居は日吉もはずれの方だったが、それでもさっきのゴルフ仲間の言葉のように、一応ステータス的地名ではある。25平米は当時も相当な値段だったろう。これこそ本当の一所懸命だなと感心させられたのだった。
われわれ日本人は古来農耕民族である。司馬遼太郎さん風にいえば、大地の上っ面をわずかに引っ掻いて作物を育てることを、代々生業(なりわい)としてきた者だ。余力(隙?)さえあればSさんのように、畑の畝一本でも広げたい遺伝子を、遠い祖先から受け継いでいる。土地は生活の拠り所であるとともに、子々孫々へと伝えていく資産だった。「児孫ノ為ニ美田ヲ買ワズ」という西郷隆盛の言葉は、理想を言ったものだろうと私は思っている。
だが冒頭の『白書』によれば、そんな日本人古来の意識が、近年は変わりつつあるらしい。現代日本人は資産運用を土地より株、手っ取り早い目先の金儲けに、シフト変更しているのである。最近の株価乱高下のニュースに、一般大衆が一喜一憂する光景も随分見慣れてしまった。
そして私は、そうなった一番の原因は、人々がこの日本の国土に愛着を持てなくなってきたことだと思う。無理もない。放射能汚染、強引な原発再稼動、TPP,南海トラフ、軽すぎるリーダー達、難儀な近隣諸国…etc…etc、いまの日本を取り巻く状況は劣悪そのものである。しかも戦後70年近く、日本人は極端にいえば金儲けオンリー、農耕民族の本質たる“ものづくり”を疎かにしてきたのだ。いまさら国土に愛着を持てといっても、無理な話なのである。
とはいえ、われわれ日本人は金儲けでは、どう逆立ちしたって中国人には敵わないし、外交や駆け引きでは、欧米人の方がはるかに強かだろう。われわれにとって最適の生き方とは、大昔からやってきたように、営々と“ものづくり”に励むことなのである。日本人のものづくりの基本は、「耕シテ天ニ至ル」だと思うのである。 |
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