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2013年05月10日(金曜日)更新
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第240号 〜女性が生理的嫌悪を催す男性とは?
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女性から嫌われる男性には、どうも似たところがあるようだ。自己顕示、つまり自分を目立たせるやり方がスマートじゃない、下品、陰湿など、女性の顰蹙を大いに買ってしまうのである。
まず、私が週刊誌編集にいた頃の上司Sがそうだった。小男で年齢の割に髪が薄く、そのくせ当時プロ野球随一の人気者、長嶋選手ばりの濃い胸毛を見せびらかす。とにかく脂ぎった感じで、特に若い女性達は「生理的嫌悪を催す」といって、頭から毛嫌いしていた。その点われわれ男性の嫌い方は理屈っぽい。Sについていえば、生来ケチなのか、マスコミ人種につきものの碁将棋麻雀競馬など、ギャンブル仲間には一切入ろうとしない。上の者や自分の利益になる人には、臆面もなくすり寄る。外見のコンプレックスの裏返しで、雑学的知見をやたらひけらかす。どうも一緒には飲みたくない相手なのだ。男性がこのように理に偏するところを、女性は生理的な直感で嫌うのである。
もう一人、ワセダのクラスメートAも、女性からそんな嫌われ方をされていた。ひと口にいって、顔つき体つきとも薄っぺらな感じの男で、同様に言動も軽躁かつ品がない。他人の話にすぐ割り込んでくるし、女性達を前にエゲツない自慢話を始めたがる。また、学生時代から便利屋然と、いろんな幹事役をかって出ていたが、やり方がいい加減なので、あまり信用されなかった。何年か前から、クラスの記念文集をつくろうと、編集作業を引き受けているが、女性陣から総スカンを喰らっている。要は女性達からすぐ顰蹙を買う男なのだ。
この二人に共通するのは、運動音痴だ。一見して、体力も運動神経も平均以下、ただし頭は人並みより多少いい。こういう男性がどんな少年だったかは、何となく想像がつく。遊び仲間の中で、自分を目立たせようとしても、走ったり投げたりといった、子どもらしい能力では絶対無理だ。そこで一種ひねこびた目立ち方を、やって見せようとする。Sがこんな自慢話を開陳したことがある。
「俺は小学5,6年生の頃、蛇をよく半殺しにしたな。しっぽを掴んでビュンビュン振り回してから、地面に叩きつけるんだ。他の連中は誰も気味悪がってやらなかったから、俺がやって見せると、皆でえらいなーと感心してたな」
子どもの自己顕示としては、いささか異常だし悪趣味、陰湿でもある。このやり方を、いい大人になってからも得意然とやっていたのだから、女性が生理的嫌悪を催すのも当たり前だ。
ところが……である。いかにスポーツマン然としていても、年老いてくればあれこれ変わってくるものだなと、近頃だんだん気付いてきた。テニス部のKが仲間の女性達から「生理的にイヤ!」と、毛嫌いされ始めたのである。成る程なぁと、あらためて考えさせられた。
思い当たったのがサングラスである。Kは殆どいつもサングラスをかけている。室内の集会に出席するときも、夜の外出でもだ。テニスでは普通のメガネをかけているので、度つきの特殊な製品だろう。ものの本によると、ヒゲやサングラスで表情を隠す人間は、自分の内面(コンプレックス)を知られたくないからだという。Kはまさにそのタイプだ。例えば、プレー中に大声で場違いな野次を飛ばすなど、自分の存在感をことさら強調したがるところがある。
そういえば、さきのAも数年前からサングラスをかけている。元々強度の近視だったが、そのメガネを近頃流行の薄い色つきに変えたのだ。それが小さなキョロキョロ眼をより一層際立たせて、何やら場末のフーゾク店の支配人といった感じなのである。しかもその格好で、某クラスメートの葬儀に出席していたから、女性陣の顰蹙の的だった。
自分を目立たせるときは、やり方の場違いにも気をつけなければと思う。自分勝手な自己主張が強くなる、われわれ年よりは尚更だろう。 |
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2013年05月03日(金曜日)更新
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第239号 〜妙に気になるセックスデフレ化の背景〜
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『デフレ化するセックス』(中村敦彦・宝島社)という本が話題になっている。日本の売春市場は近年、売り手希望者が殺到して、もはや若くも美しくもない女性は買い叩かれるばかり、代価も安くなる一方だというのだ。そりゃそうだろう。例のJKリフレやガールズバーをはじめ、新聞には連日「女子中学生を相手に18歳未満と知りながら性行為…」という、青少年保護条例違反とやらで逮捕の記事が出てくる。さらには“ロリ撮影会”に、小学生の娘を売り込む母親も増加中だ。いまや性市場のデフレ化若年化は、歯止めがきかないのだ。
もっとも謡曲『敦盛』の「人間五十年……」ではないが、われわれ日本人の平均寿命が短かった昔は、女性のセックス年齢も若かった。15〜6歳になれば縁談は当たり前、20歳過ぎれば年増といわれ、嫁ぎ遅れ扱いされたものだ。極端な例には江戸城大奥がある。ここではいかなる美姫寵姫といえども、30歳で“お褥すべり”将軍様の夜伽を辞退させられたのだった。
とはいえ江戸市中に限っていえば、女性は年増大年増に至るまで引く手あまた、モテまくったという。何しろ当時の江戸は、大名屋敷と寺社と商家が大部分、住人の大方は出稼ぎの男だったから、男女比は5対1ぐらいだろう。その男達のための遊び相手は、ピンは吉原の花魁から、キリはたった24文の夜鷹まで、そこら中にいた。有名な落語の『時そば』が一杯16文だ。それから換算すると24文は、現代なら千円ぐらいか。簡単に言えば、男も女もこと性欲の処理に関しては、まったく不自由はなかったのである。
ついでに話はちょっと脱線する。先だって週刊P誌に、いま中国では「なんと1億人が童貞のまま悶絶死するという」記事があった。昔の江戸とは大違いだ。セコハン空母はとりあえず調達しても、庶民の下世話な部分までは、習近平以下の面々も気が回らないらしい。だから何かといえばすぐ発生する市民暴動も、男達の欲求不満の産物というしかない。やっぱり理解に苦しむ国だ。
このセックスのデフレ化は、戦後間もない頃の状況と似たところがある。私が台湾からここ仙台に引き揚げてきたのは、終戦の翌年3月だったが、街にはすでにパンパンガールが大勢いた。宵闇がせまってくると、かのX橋の上に当時は珍しいフレアースカート姿の、真っ赤な口紅の女達が立ち並んでいたものだ。後日知ったことだが、初めのうちそのパン嬢達の大半は、仙台以外の土地からやって来た戦争未亡人だったという。都会なら仕事もあるだろうとやって来て、周りには誰一人係累知人はいない、ならばと醜業に身を落としたのである。
ところがそれから何年も経たずに、今度は仙台出身の若い女達が、同じ進駐軍相手のショウバイに仲間入りをしてきたのだ。たださすがに地元とあって、殆どの女がいわゆる“オンリー”だった。彼女達なりにX橋の女とは違うのよ、というプライドがあったのかもしれない。とはいえ中身は五十歩百歩である。違いといっても、いまのデリヘル嬢とAV女優みたいなものだ。状況が似ているといったのは、そのあたりのことだ。
そして、そうした性道徳の変革は日本の社会全体に刺激を与え、ムラや家の崩壊から核家族化をもたらしたのだ。その再度の変革が、いま起こり始めているのである。そのきっかけと要因は、一昨年の大震災と原発事故だが、それに続く諸々がさらに拍車をかけた。原発再稼動問題、中国からの絶え間ない言いがかり、TPP参加やアベノミクス……と、どれをとっても、先の見えない不安要因にあふれている。
そこに私は何となく不気味なものを感じるのである。われわれ年寄りが多くの既得権にくるまって、のほほんと過ごしている間に、感性の鋭い若い世代だけが、いまの日本を取り巻いている奇妙な危機に、気付いているのではないかと、思ってしまうのだ。私一人の杞憂ならいいのだが……。 |
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2013年04月26日(金曜日)更新
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第238号 〜名作ハードボイルドとアメリカの実力〜
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「名作」といわれるものは、時代が変わっても輝きを失わない作品だと思う。それは何も高邁な芸術作品に限らない。大衆芸能や娯楽小説だって同じだ。先頃、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説を読みながら、つくづく感じたことだ。作品は村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』、おなじみの私立探偵フィリップ・マーロウものである。1953年に発表された作品で、昔『長いお別れ』(清水俊二訳)を読んだことがあるが、内容は殆ど忘れていた。この改めて読み直した60年前のペーパーバックが、古くないどころか、逆に新鮮な感じさえしたのだった。
作品中で特に強い印象を受けた個所がある。マーロウが失踪人を捜しに出向いた病院での、院長とのやりとりだ。目当ての人物がここにはいないとわかってから、マーロウが言う。(以下マーロウの言葉を主に引用する)
「……ここはなかなか素敵な死に場所ですね。ここに閉じこめられているのはどうやら、すでに抵抗の力を失った人々だけらしい。病んだ老人たち、孤独な老人たち、誰からも求められていない老人たちだ。手にしているのは金と、欲の深い親戚だけ。大半は裁判所で判断能力なしと認定されているのでしょう。軽い食事と、軽い鎮痛剤、手厚い扱い。日光浴をさせ、部屋に戻してベッドに入れる。まだ少しでも覇気が残っている連中のためには窓に鉄格子をはめておく。……」話しながらマーロウは、院長に吐き気を感じ始める。
院長が言う。「誰かがその哀れな老人たちの世話をしなくてはならないのだよ。私のやっている仕事は公明正大なものだ」
「ああ、それはわかっているよ」とマーロウはうんざりした眼で院長を見た。「ただ死人のにおいがするだけだ」
この個所の記憶が私にはまったくないのだ。本筋には関係ないと訳者がカットしたか、私が読み飛ばしてしまったかだろう。
作品が発表された'50年代は、日本も戦後の混乱からやっと立ち直り、復興へ歩み始めた頃だ。老人はほんの僅かしかいなかったから、ここにあるような偽善的終末期医療などあるはずもなかったが、しかしそれは別の言い方をすれば、半世紀を経ていま日本で起こっていることが、60年前のアメリカには普通にあったということなのだ。そこに私は、アメリカの途方もない豊かさを実感するのである。
アメリカの実力や豊かさは、矢張り底の知れないものがあると思う。ウォール街の“99パーセントデモ”ぐらいでは、この印象は全然変わらない。例えば原子力関連の技術者ひとつとっても、空母や原潜を底辺にした層の厚さや絶対数は、日本の何十倍だという。軍事はもちろん経済も、潜在的実力は依然として、桁外れに世界ナンバーワンなのである。このアメリカと張り合おうとしている中国など、いずれは“ソ連→ロシア”の二の舞だろうと予想しているほどだ。
最後に、いまの日本の終末期医療についてだが、私の考えはさきのフィリップ・マーロウの反応とまったく変わらない。胃ろうを施術された老人達が、ずらっと並んだベッドに寝かされている。全員うつろな表情で、白い天井を見上げていた、というレポートを以前読んだことがある。そこには、矢張り死人のにおいがしていたのではないだろうかと思うのだ。 |
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2013年04月19日(金曜日)更新
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第237号 〜シナ人は「ゴミ屋敷」でも平気らしい〜
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私が「シナ人」と言うと、家内は顔をしかめて「そんな言い方やめなさいよ」と文句をつける。私が言うのはこんな人を見たときだ。電車に乗るとき、降りる人をすり抜けて車内に入り、空席に坐ってしまう。そんな規律無視、恥知らずな行動に出会うと、つい「シナ人みたいな真似しやがって」と口走ってしまうのだ。
要するに、周囲の人達をだし抜いて、ちょっとでも得しようとするエゲツなさ、それを恥ずかしい行為だとは全然思わずに、だし抜かれる奴らがノロマ、自分は奴らより利口なんだと、内心自慢げな人間性の卑しさを、私は「シナ人」と言うのである。これが蔑称であることは、もちろん百も承知だ。
手元の辞典によると、「支那―中国に対する外国人の呼称。王朝名『秦』(しん)の名がサンスクリット語でチーナ、チンといわれ、のち逆輸入されたものの漢訳とされる。日本では江戸時代中期ごろに一般化し、以後次第に蔑称的な呼称となったため、第二次大戦後は使用されない」とある。あちらから「使ってくれるな」と言ってきたらしい。とはいえ、私に似た人はいまだに大勢いるようで、2チャンネルなんか「シナ」どころか、「チャン」「チャンコロ」なんかもボンボン出てくる。そのうち歌舞伎町あたりの流氓(リウマン)に青竜刀振り回されるぞ、と心配したくなるほどだ。
私は戦前の台湾で生まれ、昭和21年、13歳で本土に引き揚げてきた。終戦から間もない頃、蒋介石配下の軍隊が台北にやって来た。国府軍の先遣隊だ。私達も歓迎の行列に参加させられた。青い菜っ葉服に菅笠、天秤棒に鍋をぶらさげた兵隊が、ゾロゾロと無秩序に行進して来たのを見て、私達軍国少年は、わが大日本もえらい連中に負けたもんだなと、心底びっくりしたものだ。そこで刷り込まれたシナ人の印象は、この年になっても変わらない。変わらないどころか、近頃の中国のあれこれを見聞するほどに、蔑視の度合いも強まってくるのだ。
とにかく、中国に対する私の印象は“汚い”だ。それも念を入れて“穢い”と書きたくなるくらいだ。この汚穢(おわい)の代表が、近頃話題のPM2.5や鳥インフルエンザであり、豚と魚の死骸で悪臭紛々たる上海の河川なのだ。いまの中国は遠慮なく言って“全土ゴミ屋敷”である。オリンピックや万博を開催して、外見だけいかに取り繕っても、4千年だか5千年だか、われわれ日本人には気の遠くなるような、歴史と伝統に培われた民族性は変わりようがないのだ。13億国民が、とりあえず食うに困らなくなったのは、たかだか半世紀前あたりからだ。食えなければ綺麗も汚いもない。かつての中国人民には、清潔という観念は心にも体にも、全然なかったのではないかと思う。というわけでいまの中国人に言いたいのは、行列の脇からすり抜けるような、ちっぽけな誤魔化しばかりやっていないで、大きなゴミを自分達でさっさと始末して、近隣に迷惑をかけないようにしてくれということである。そうなれば私もシナ人という言い方はやめる。
ところで話はまったく変わるが、中国に関して書いておきたいことがある。新しい国家主席・習近平氏のことだ。私はずっと前から、何かに似ているなと考えていたのだが、このほどやっと思い当たった。平安後期の画僧・鳥羽僧正作といわれる有名な『鳥獣戯画』に出てくる蛙である。絵そのものには似てないかもしれないが、人間離れした雰囲気はぴったりではないかと、一人で悦に入っている。 |
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2013年04月12日(金曜日)更新
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第236号 〜80歳は体も節目、手入れも今以上に〜
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30年ほど前、日曜大工で手作りした文庫本専用の棚をまだ使っている。並んでいる200冊余りは、歴史に関するエッセイが殆どだ。その他の小説類は大抵読み捨ててしまったので、残っているのは後々読み返してみたいと思ったものばかりだ。例えば下母澤寛の幕末ものである。それらを気が向いたときに引っ張り出して、あちこち拾い読みする。J・ディーヴァーなど当代アメリカ人気作家の、部厚いジェットコースター・サスペンスを読み疲れた際の息抜きにいい。
ところが、近頃この文庫本の文字が、どうも読みづらくなってきた。まず本そのものが古い。試みに一冊取り出して奥付を見ると、30数年前の発行である。紙は日焼けしているし、字も薄くなってきた。おまけに文庫の活字は他の新書版などより小さいし、私自身眼に難がある。右眼中心部が眼底出血でまったく見えないのだ。左は以前と変わらず視力1.5を保持しているが、それでも読んだり書いたりする際の老眼鏡は欠かせない。したがって、これらの200冊余りも自作の棚と一緒に、そろそろ処分しなければならないかなと思っているところだ。
そんな折に気付いたことがある。新聞で時々見かける『養命酒』の広告にある文句だ。「男は8の倍数、女は7の倍数の年齢が体の変わり目」というものである。恐らく古くからある漢方の伝承だろう。いわゆる中国四千年の知恵だ。成る程、そういわれれば私も80歳、体も節目に差し掛かったところかなと感じないでもない。
眼以外にも、近頃気になるところが二、三ある。まず頭の回転がどうも鈍くなってきている。人名地名などの固有名詞がすぐ出てこない。ついさっきも知人と話の最中に、若い頃一時住んでいた、東急池上線の駅名が出てこなくて往生した。近所にかの淡谷のり子の家があったことまで思い出しても、肝心の駅名がパアなのだ。帰宅して地図を見て、ようやく“洗足池”だったとわかった始末である。
そのほか、ちょっとした拍子に食べ物や飲み物が気管に入ってひどくむせたり、かかとなど思いもよらない個所が急に痛み出したりする。肩や腰などゴルフやテニスで酷使する部位にプレー後、痛みや違和感が発生することはよくあるし、またそうしたところは、普段ストレッチを入念にやっているので、突然痛み出すことは滅多にない。つまりは年齢からくる体の節目のあらわれなのである。
先頃、石原慎太郎氏が脳梗塞で1ヵ月入院した。退院後の記者会見で「軽症だったので体には全然影響ない」といっていたが、氏も私と同じ80歳だ。半年ほど前、私は氏の歩き方が老人のすり足だと指摘している。いくら外見は若々しくても、やはり体は節目に差し掛かっているのだろう。
節目にはそれなりに、きちんと対処することが大切だと思う。読めなくなった文庫本は始末する。しゃべるときには決して焦らない。焦って話し始めるから、固有名詞に詰まってしまい、こんな筈じゃないと益々泥沼にはまるのだ。これは食べるとき飲むときも同じ、気管へ誤嚥の原因も焦りと、他のものに気をとられることにある。そして体の手入れに関しては、今まで以上に細部末端に注意する。そうすれば次の節目88歳も、余裕をもって迎えられるだろう。 |
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