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2013年03月01日(金曜日)更新
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第230号 〜定鎮両遠・長崎水兵事件と尖閣のこと〜
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明治19(1886)年8月、長崎港に定遠・鎮遠・成遠・濟遠の軍艦4隻が投錨した。艦名からわかるように、これらは清国北洋艦隊の主力艦だ。中でも定鎮両遠は当時東洋一と評された新鋭鐵甲艦である。長崎回航は日本への恫喝と示威だった。日本中がビビったのはいうまでもない。たった一人ビビらなかった人物がいたが、その話は後で書く。
停泊した4隻から、ぞろぞろと水兵達が上陸してきた。彼らは盛り場や遊郭に向かい、やがて方々で暴行や掠奪を始めた。そして、それを制止しようとした巡査達と乱闘になり、双方合わせて80余名の死傷者を出した。これが長崎水兵事件である。ただし私が書きたいのは、事件後のことだ。
清国政府が日本政府に、「事件をかくも拡大させた要因は、日本巡査が帯刀していたことにある。以後巡査の帯刀を禁ずべきである」と談じ込んできたのだ。西南戦争から10年足らずの頃だ。しかも巡査は大抵元サムライで、治安維持のために刀を差していた。チャンバラでは水兵達の中にも、どこぞで掠奪してきたらしい、日本刀を振り回す者が大勢いたという。清国の言い分は身勝手、内政干渉そのものである。だが明治政府は、この理不尽な強弁に屈したのだった。
このあたりが、いまの中国の尖閣諸島をめぐる、日本への言動とそっくりなのだ。恫喝、示威、挑発を重ねた上に、責任はすべてそちらにあるとまくしたてる。100年やそこらでは、シナ人の民族性は変わらないようだ。しかもタチが悪いことに、それら言動の主役は軍人なのである。
軍人は常に乱を待っている。この性(さが)は古今東西将来も決して変わらない。江戸時代「ありもしない戦(いくさ)を請け負ってメシ食ってるのがサムライ」と揶揄されたように、平時の軍人は何の役にも立たない存在だ。そのかわりサムライは「武士道とは死ぬことと見つけたり」と、廉潔な精神を磨いたのである。この点、いまの中国軍人はどうだろう。
しかも現代は武器が日進月歩だ。いつも新しいオモチャを手にしている軍人は、すぐにも試したくてウズウズしているワルガキみたいなものだ。
さらにまた軍人は、自分の実力を過大評価し、誇示したがる人種だ。2007年、アメリカ太平洋軍々司令官が訪中した際、中国海軍の一高官から、太平洋の東西分割管理を提案されたという話がある。当時の中国海軍はロシヤのスクラップ空母を買い入れ、大連で改装の真っ最中だ。それが数隻の原子力空母を擁する、アメリカ太平洋艦隊と、対等に張り合おうとしたのだから、身の程知らずもいいところ、自分達の遠いご先祖・漢代の故事「夜郎自大」そのままである。
軍人は政治家などよりヒーローになりやすい。仕事の結果が勝ち負けではっきりわかるので、子ども達を筆頭に、単細胞人間の喝采を浴びやすいからだ。逆に言えば、軍人は単細胞の目立ちたがりに向いた仕事なのである。
軍人は放っとけば必ず暴走を始める輩である。昭和初期の日本軍もベトナムのアメリカ軍もそうだった。いま尖閣周辺でウロウロしているのはそんな連中だ。相手にしている自衛艦や海上保安庁巡視船の乗組員は、かつての長崎の巡査以上に、神経をすり減らしていることだろうと察する。とにかく頑張っていただきたい。
さて、清国艦隊4隻にビビらなかった一人は、かの東郷平八郎、20年後に日本海でロシヤのバルチック艦隊を全滅させた、日本連合艦隊司令長官である。東郷は定鎮両遠の水兵連中が、艦の主砲に洗濯物を干し並べているのを見て、「綱紀のたるんだ軍隊、恐るるに足らず」といったという。一種のヒーロー伝説的エピソードだが、結果は歴史がはっきり証明している。
今後、東シナ海でどんな歴史の証明がなされることだろうか。 |
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2013年02月22日(金曜日)更新
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第229号 〜活断層の上に錆だらけの原発がある〜
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家内が「電気毛布が壊れた」と言ってきた。見ると、コントローラーのパイロットランプが点灯しなくなっている。試しにゆすったら、かすかな音とともに点いたり消えたりする。裏ブタのネジをはずして、内部をのぞいてみた。ランプのリード線は接点にしっかりハンダ付けされているので、ランプそのものの断線だ。ランプはバイパス配線なので、暖房機能には問題ない。その旨を説明して、そのまま使い続けるようにいっておいた。
電気毛布は、わが家では冬場の必需品だ。それぞれのベッドにセットしてあり、寝る前にスィッチオンしておくと、ベッドに入ったとき足元が暖かく、すぐ寝付けるので重宝している。私自身はいわゆるアブラ足なので、以前は冬でも足が冷たくて寝付けないなんてことは殆どなかったのだが、近頃は年とともに、そんな不具合も起こるようになってきた。だからこうしたアクシデントに遭うと、われわれの毎日が、電気によっていかに雁字搦めになっているか、痛感させられるのだ。
実をいうと、これは一昨年の大震災の際には、それほど感じなかったことだ。あのときの停電は2日間だけだったし、食べ物やガソリンの確保、津波被害のニュースなど、他のいろんな出来事に振り回されて、電気がないことを深刻に受け止める余裕もなかった。それでも、家内が夜中真っ暗闇の中でどこかに顔をぶつけて、お岩様になったりした。あの停電が1ヵ月も続いていたらと、ゾッとする。
とはいえ、そんな雁字搦めの電気依存の暮らしでも、原発はやっぱり要らないと私は思う。自民党政権になってから、産業界を筆頭にマスコミまで、ひそかに“原発必要悪”的雰囲気をつくり出そうとしているように見える。
その端的な例が、先頃地元紙に連載された『原子力・北欧の選択』という企画ものだ。内容は、フィンランドでは地下420メートルの強固な岩盤をくり抜いて、世界初の高レベル放射線廃棄物の最終処分場を建設したとか、政府や電力会社から完全独立した規制機関があるとか、安全な原発事業のモデルを紹介するものだ。まるで、この程度の作業ぐらい日本なら簡単だろう、といわんばかりなのだ。
ところが、そのページをめくった面では、敦賀原発の断層調査報告書漏えいにからんで、原子力規制庁の審議官が更迭された件を取り上げ、「原子力ムラの体質は何ら変わっていない」と嘆いている。いったい、あんたら軸足をどこに置いてるんだ、といいたくなる。
私が原発に反対する一番の理由は、ひとえに原子力ムラの連中が信用ならないからである。その代表が一人いる。福島の事故後、テレビでちょくちょく見たあの小男だ。政府の緊急会合では、菅総理とテーブルをはさんだ正面に、真っ赤なジャンパー姿があったし、NHKの特集番組にも出て、フランスではどうたらこうたら、理路整然と論議をすりかえていた。名前も肩書きも覚えていないが、「俺様は頭がいいだろう」と言わんばかりの、あの小利口顔といえば、ピンとくる人も多い筈だ。そして私は、あんな小理屈が原発安全神話をつくっていたのかと、愕然としたのだった。
私も家内もいまは電気毛布などなくても、一向にかまわない。それよりも恐ろしいのは、重要な配管があちこち錆付いた古い原発を、この活断層列島の上で稼動させることである。こんなシロウトでもわかる理屈を、政財界のお偉方はなぜわかろうとしないのだろうか。 |
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2013年02月15日(金曜日)更新
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第228号 〜小学校時代、体罰はしょっ中だったが〜
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体罰は私が小学生だった頃は日常茶飯事だった。教室ではいつも誰かが先生に叩かれていた。ただ1年生から2年生までは、私自身にはそんな記憶はまるでない。その頃の私はひょろひょろと背ばかり高い、おとなしい優等生で、50人以上もいる中では目立たなかったから、他に叩かれる腕白坊主がいたのかもしれない。
3年生の担任になったS先生は、若いほやほやの女教師だったが、皆ほっぺたに平手打ちをよく見舞われた。S先生とは後年、学校全体の同窓会で毎年お会いするようになったし、私達がリタイヤした後、同級生有志で先生の故郷・長崎へ旅行したこともある。そんな折に誰かが叩かれた話をすると、先生は「私も教師になったばっかりだったから、皆さんに負けるもんかと気負っていたんですよ」と、恥ずかしそうに言っていたものだ。
話が前後したが、私達の小学生時代は戦争最中の台湾台北である。3年生の12月に真珠湾奇襲が勃発し、6年生を修了した8月、敗戦になった。当時のことで生徒数も多く、それが男子と女子だけの学級にきちんと分れていた。しかも入学した1年から6年間クラス変えがなく、同じ顔ぶれだったのだ。若いS先生が50数人もの腕白坊主を前に、闘志満々になったのも無理ない。ところが、4年生の担任になった男のN先生は正反対だった。N先生もS先生と同じく、教師になりたてで若かったが、生徒をまったく叩かなかったのだ。体も小さく気弱そうな感じだったから、子ども達に手を上げるのが怖かったのかもしれない。
5年生担任のRと6年生担任のKはともに、叩くじゃなく殴るといったほうがいい暴力教師だった。二人とも先生をつけずに呼び捨てなのは、私がいまだに好印象を持てないからだ。Rなど級友の誰もが後年になっても、本名のHではなくシナ人風の音読み“R”でしか呼ばなかったほどだ。
Rは顔も体も骨ばっていて歩く骸骨のようなイメージ、Kにはずんぐりした下士官のイメージが残っている。またRは樫の棒で頭を殴り、Kは往復ビンタだった。当時の男子は皆坊主頭だったから、樫の棒は相当痛かった筈だが、RもKも子ども相手に少しは手加減していたのだろうか。
Rの折檻を殆ど一人で引き受けていたのがNだ。Nは勉強はできなかったが、明るくひょうきんな性格で、殴られてもいじいじしなかったから、Rも殴りたすかったようだ。こんなことがあった。
算数の時間にRが黒板に“5/2”(2分の5)を書いて、Nに「こういう分数を何と呼ぶか、言ってみろ」といった。立ち上がったNが「えーと、えーと」と口ごもる。「昨日教えたのをもう忘れたのか」「はい」「バカッ」とゴツン。「あ痛ッ」「分母より分子が大きいんだ。頭の方がデカいんだ。思い出せ」とまたゴツン。「あっそうだ、イチモジセセリ」「バカッ、それは理科の蝶々のことじゃないか」とまたゴツン。Nが思い出したのは“頭でっかちイチモジセセリ”という、調子のいい理科の読本の一節だったのである。
私達はそんなNを単純にバカだなと見ていたのだが、いま考えれば、あのちょっとズレたひょうきんさが、学級全体の空気をなごませていたのだなと思う。。
このRに対してKには、私は陰湿な印象しかない。級友の中でMなどは「いい先生だった」というが、私とは相性が悪かった。子どもも6年生ぐらいになれば、しっかりした自我が出来始める。それを暴力や権威で矯めようとされたら、反撥する子も出てくる。Kはいわゆる頭のいい子より、頑張って努力する子をヒイキにしていた。自分がそうだったからではないか。KはKなりに、御国の為になる小国民を育成しようと頑張っていたのだと思う。私よりもっと頭のいいCが、台北一中ではなく三中に入学したのを知ったとき、私はKのそんな意図を何となく感じたものだ。Cは台湾人の子どもだったからだ。
ところで、私が一中に入学すると、Kも教師として転入しており、朝礼のとき正面の壇上で号令をかけていたのにはビックリした。戦争がもう一年続いていたら、私もどうなっていたことやら……である。
体罰を受けると自我が歪むと私は思う。 |
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2013年02月08日(金曜日)更新
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第227号 〜正論へのヒステリック批判の危険さ〜
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先頃、麻生副総理兼財務相が、終末期医療について“不適切”な発言をしたと、与野党から総スカンを喰らったニュースがあった。その発言とは大略「近頃は死にたいと思っていても、チューブ人間になって生かされてしまう。しかも、それを政府のお金でやって貰うのだから寝覚めが悪い。私は、遺書に『その必要はない』と書いているから、さっさと死ねるが、そうでもしないとなかなか死ねない」というものだ。これを延命治療の否定だと、批判されているのだ。
私に言わせれば、これは真に『正論』である。批判の的になっている、副総理の公的発言としても正しい。いまの日本では、ただでさえ老人医療費が財政を圧迫しているというのに、胃ろうだの人工呼吸だの不必要な延命治療がはびこっている。それが減っただけでも、女性や子どもに回る分は少しは増える筈だ。私自身にしても、チューブ人間になってモルモットさながら生かさるのは御免だし、終末期には「一切の延命治療は拒否する」と、エンディングノートに記している。私はこの年になってもまだ、注射器を見るとゾッとする臆病人間なので、できれば点滴やモルヒネさえ拒否したいくらいだ。
とにかく、公的な発言にせよオフレコの雑談にせよ、正論を披瀝して批判されるのでは、麻生氏ならずともたまったものではない。百歩譲ってしかるべき立場にある者としてもだ。
麻生副総理の祖父・吉田茂さんなど、何度暴言的正論を吐いていることか。
戦後間もなく、総理大臣を引き受けるに当たって示した、三条件の最後の「辞めたくなったらいつでも辞める」を筆頭に、ゼネストを繰り返す労働組合を「不逞の輩」と呼び、東京大学総長を「曲学阿世の徒」と斬って捨てているのだ。いまならこの中のどれ一つでも、たちまち辞任ものだろう。
そういうことから考えると、近頃は上から下まで真の『正論』が言いにくくなった感がある。その揚句、誰もが口にするのは「いじめは悪い」「体罰はいけない」などの、付和雷同的常識論ばかりだ。それを全員異口同音に「やっぱり……は悪いんじゃないですか?」と、聞き手に責任を丸投げするような言い方でやるのである。それこそ気持ち悪いったらありゃしない。幼稚園児に交通ルールを教えるわけじゃあるまいし、日本中が皆良い子になってどうするんだ! と言いたくなる。
15年ほど前に刊行された本を読んでいて、ちょっと気がついた事柄があった。
1970年代の日本赤軍の一連の事件に関連して、全国100箇所以上で一般市民の自宅が、警察の公安関係から家宅捜索を受けたことがあり、それをきっかけに、一般市民があまりものを言わなくなったという指摘だ。公安とは“社会的に重大な影響のある事件の発生を未然に防ぐ”ために、いろんな非合法組織の動向を、常時監視している全警察の重要部局だ。監視の対象には右翼もいるし、後にオウム教団もリストに入った。そして彼らとほんの少しでも接点があれば、一般市民も対象に加えられるのだ。
警察小説によると、監視は張り込み尾行盗聴盗撮私信開封など、古い職人技と最新テクを駆使して、目をつけた人物を徹底マークするらしい。にもかかわらず警察庁長官が狙撃されたり、地下鉄サリン事件も発生した。どういうわけだ?
とにかくそのおかげで、われわれは正論暴論とりまぜて、発言が不自由になってきたというのである。日本もシナに似てきたか。
それにしても奇妙なのは、こうした発言に対する周りの反応、とりわけそこで使われる言葉の激越な調子だ。先の麻生氏の記事から引用すると「生活の党の森裕子代表は記者会見で『到底許されない』と批判……」とある。まったくヒステリックな物言いである。このほか、近頃の政治家は何かあると「断じて反対していく」「徹底抗議する」など、まことに仰々しい言葉を羅列する。これは批判対象がまともだと理解していて、文句をつける方が格好悪いかなと気付き、そんな後ろめたさを誤魔化すために、声を荒げるようなものだ。つまりはイチャモンをつける方が無理,例えば、北朝鮮がまるで筋の通らないことをまともに見せよう、あるいは空疎な内容を権威づけようとして、勇ましい物言いになるのとまったく同じなのだ。 われわれ年寄りだけは、遠慮気兼ねなく穏やかに『正論』を吐きたいものだ。 |
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2013年02月01日(金曜日)更新
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第226号 〜偽フカヒレから鳩山元総理の国賊的言動まで〜
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NHKのローカルニュースで、気仙沼のフカヒレ天日干しの光景を放映していた。切り取ったヒレを畳一枚ほどの金網に丁寧に並べて、日光と寒風にさらす。太陽の高さに合わせて干し網の傾斜を調整し、ヒレを一つずつ手でひっくり返したり、向きを変えたりする。TVではわからないが、周辺には独特のアンモニア臭が立ち込める。この季節の風物詩だというが、旅行者など初めての人は辟易するらしい。こうして手間暇かけて2〜3ヵ月後、ようやく出来上がるのが気仙沼のフカヒレである。中華料理の高級食材として、日本一の品質を誇る特産物だ。
このフカヒレの偽物がいま中国で横行している。当局が市場で摘発した商品の90%が、ただのゼラチンを固めたもので、中にはより本物らしく見せるため、発ガン性薬物で加工したものもあったという。その他、乾燥ワカメが黒いビニールだったり、シリコーン製のシラウオやゴム製のナマコなど、もしかして食堂のウィンドウに並べるディスプレーと、材料を間違えてるんじゃないのと思ってしまう。ただしこれらの偽物が、数年前の毒入りギョーザのように、日本に入ってくることはないようだ。
これらは中国人が、同じ中国人相手に売っている品物だ。つまり昨年話題になった、フランス産高級ワインの偽物と同じ系列の商品だ。売りつける相手が、ワインは中流以上の少数富裕層だったのに対して、フカヒレなどはもうちょっと下の層らしい。
このあたりは、かつてわれわれ日本人が辿った、豊かさへの過程と似た感じがある。私自身を例にあげれば、52年前の新婚当時は6畳一部屋、小さな炊事場はあったがトイレは共同、風呂はもちろん銭湯だった。そんなみすぼらしいほどの暮らしが、やがて二部屋のキッチンつきになり、ウサギ小屋まがいの一戸建てを購入し……と変わっていったのだが、それは現代中国人の暮らしぶりの変化と共通するところがあるように思うのだ。偽物の食品にしても、昭和20年代末には日本でも魚肉ソーセージが作られ、同40年代末には有名な“かに風味”が登場している。
ただし、当時の日本は右肩上がりの高度成長が続いていたし、ソーセージもかにも素材そのものは歴とした食品、スケトウダラのすり身だった。中国の経済成長はこのところ鈍化傾向、加えてディスプレーまがいのフカヒレだ。大きな違いである。
司馬遼太郎さんが「中国の歴代王朝の存続滅亡は、民衆を食わせられるかどうかにかかっていた」と書いている。その意味では、いまの共産党王朝は13億人をまがりなりにも食わせてはいる。だが食い物の中身となると、フカヒレが象徴するように偽物、しかもその偽物さえ口にできるのは、軍人や役人など一部の連中だけだという。 そして一番の違いは、当時の日本そのものが非常に幸運だったことである。周辺諸国は自分達のことだけで手いっぱいだったから、近年のように日本にちょっかいを出す余裕はなかったし、国家を引っ張る強力なリーダーもいた。極端にいえば、われわれはリーダーを先頭に、独立から所得倍増へ、ただ走っていればよかったのだ。
そんなかつての幸運を、われわれは忘れているのではないか。いまの年寄りはその幸運の余禄で、辛うじて面子を保っているのだと思う。そんなことを頭においていまの中国を見ると、絶好の反面教師である。いろんなことが、かつてのわれわれと重なってくるからだ。
ところでリーダーといえば、先頃この中国で国賊的言動をたれ流して、恥じる気配もない鳩山元総理である。私はこの軽くてパーな人物を筆頭に、民主党政権の諸悪の根源は小沢一郎だと認識している。いまの日本の滅茶苦茶な状況は、彼が政界にいたせいである。論法的には原発事故だって、彼が招いたものだといってもいい。危機管理能力ゼロのただのでしゃばりは、反小沢でさえなければ、総理の座に就くこともなかっただろ。岩手の人達は、あの人物についてどう考えているのだろう。 |
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