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2022年05月13日(金曜日)更新
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第700号 〜強運も残念ながら金運はゼロ〜
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先日、家内と一緒になじみのスーパーを出た途端、背後でドスンとちょっと大きな物音がした。振り返るとジャケットに替えズボン姿の老人が尻もちをついている。こうした元サラリーマン風の格好から判断して年齢は70歳前後か。スーパーにジャケット姿でやってくるのはまだサラリーマン気分が抜けないのだし、体つきも実年世代だ。
男性は右足を前方へ投げ出し右手をダラリと下げ、左ひざを立て左手を前方斜め上に伸ばしている。その左手の先には歩行補助機があり、傍に奥さんらしい小柄な老婦人が立って男性を見下ろしている。「あの小さな体じゃ介助がたいへんだな」と思っていると、店の制服姿のガードマンが駆けつけて男性を助け起こし始めた。そのとき見えた表情がまさに"呆然"といった感じで「これは脳梗塞の発作だな」とわかった。
ただし杖代わりの歩行補助機があったのを見ると発作は初めてじゃないだろう。ただそれが咄嗟の際に役に立たず、また左手でつかまるところがなかったのが不運だったのだろうと思った。
実は私も脳梗塞の発作に襲われたことが1度ある。
1年7ヵ月前おととし10月なかばだった。家内との待ち合わせ場所に向かって北環状線(この通りは市北部の主要道路で往復4車線、沿道にはスーパー、ファミレス、パチンコ屋、大型電気店、車のディーラー、病院などが建ち並んでおり、私たちの日々を支えている)を歩いている途中だった。尿意を催して通りすがりのスーパーへ入り用をすませて出てきたところで、突然左脚のひざから下の気配が消えたのだ。
このときの感じは実際、"気配が消えた"というしかない。咄嗟に左手で傍に立っていた柱を握り、見下ろすと左脚はちゃんと腰の下につながっているが、ひざから下の感覚がまるでない。後で考えれば発作の瞬間体重が右脚にあったのがラッキーだったわけで、左だったら転んでいた。その右脚をかかと爪先と体重をかける位置を交互にして体の下の安定できるポイントまで引き寄せ、家内に電話して迎えに来てもらったときには発作はまったく何事もなかったように消えていたのだった。
その後1週間ほどしてかかりつけ医にこの経過を話し、脳梗塞の発作だと知ったのだが、その際ふと頭をよぎったのは"だったらあの血液サラサラにする薬はいったい何だったのだろう"という思いだった。
いまあらためて考えると、この発作は私にとって非常に幸運だったと思う。第一に軽症ですんだこと、さらにその発作に対応する条件が揃っていたことだ。いくら軽症でも歩いている最中やトイレで用便中で、咄嗟につかまるものがなかったら、さきの尻もち老人ほどではなくとも転倒は免れなかっただろうし、後遺症だって残ったかもしれない。もっと運が悪ければいま頃は"寝たきり老人"になって……とも思うのだ。
それが「1万歩スイスイ歩く90歳」なんていばっていられるのだから、何たる強運か!である。ただし残念ながらこの強運はお金にはまるで縁がない。 |
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2022年05月06日(金曜日)更新
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第699号 〜新緑の恵みたっぷり いい季節〜
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暦は5月に入り季節は初夏、ほんとうにいい時季になった。
春分の頃はまだ南寄りにあった太陽もひと月半も経てば、かなり私たちの頭の上近くなってきたことが、ベランダに差し込む日射しでわかる。ひと月前は境のガラス戸の際まで日が届いていたのが、いまはせり出した屋根のひさしにさえぎられて、物干しがある広いところで半分ぐらいまでしか届いていない。
この中天高くなった日射しを浴びて日々輝きを増してくるのが、ベランダの正面ほぼ1キロ向こうに左右に大きく広がる青葉山の北側斜面だ。ここは県有地であるとともに斜面もけっこう急、交通の便も悪いので人家はゼロ、人工施設は見るからに安手な人工芝のゴルフ練習場と西端に私営の分譲墓地がチラッと見えるだけだ。
そしてこの私たちが眺望する青葉山の形状が実にユニークなのだ。私の目線よりほんの少し高い稜線がそのままの高さで、つまりほぼ水平に左右に、左(東)は角度にして80度ぐらい、右(西)は30度ほどに大きく拡がっているのだ。これは"山"というより"台地"といったほうがいい。
この大きな北側斜面の新緑がいま頃の季節は実にいいのだ。斜面にあるのはもちろん落葉樹だけではない。松や杉などの針葉樹もある。遠目だしきちんと確認したこともないので推測するだけだが、おそらくほとんどが松だろう。その黒々としたまとまりは斜面全体の5分の1ほどしかないし、かえって新芽を引き立てているようにさえ思える。
新芽は4月なかばあたりから吹き出し始めたようだ。全体に枯れ葉色だったところが明るい日差しを受けて、ところどころ小さな白っぽい斑点ができ、それらがつながって大きくなり薄緑に変わっていったのだ。このあたり私は多分に想像を混じえて書いているが、当たらずとも遠からずだと思う。いまのように眼が不自由になる前、私は毎年この季節は暇さえあれば双眼鏡で斜面を眺めていたのだ。その双眼鏡もこわれて捨ててしまった。
「あらたふと青葉若葉の日の光」は『奥の細道』を旅した芭蕉が日光で詠んだ句だ。一般には東照大権現・家康公を尊ぶ句といわれるが、私は日射しに輝く青葉若葉の素晴らしさをより強く感じる。芭蕉が日光に詣でたのは"卯月朔日"旧暦の4月1日で、現在の暦でいえば5月17日、ちょうどいま頃だ。当時より温暖化したことを考えればまさにいまだ。新緑もより一層鮮やかに感じたことだろう。
ところでこの新緑を楽しむ面白い方法を家内が思いついた。私が山歩きに出た後、家内が二人分の弁当を用意し、墓園の適当な場所で落ち合って昼食にするのだ。
墓園はかつて里山だったところだ。新緑はそれこそ"山ほど"あるし駐車する場所にもこと欠かない。早速実行した。フィトンチッドたっぷりの森林浴つきランチである。健康にもいい。 |
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2022年04月29日(金曜日)更新
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第698号 〜縁あればこそ 数字の摩訶不思議〜
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歩くときの楽しみはいくつもある。いま頃の季節なら日毎に暖かくなる日射しや風のそよぎ、新緑、花が散ったあとの小さな梅の実を見つけることなど数えあげるのもたいへんなほどだ。だがこれも毎日だと"もういいや"と飽きてしまう。そこで私がやっているのが数字遊びだ。
遊び方は簡単。アトランダムに提示(出題)された4つの数字を任意に加減乗除して答えを"10"にする、それだけだ。制約は数字は使えるのは1度だけで全部使うことだけで、2つ合わせて2桁にしてもかまわない。やってみよう。
設問「1,2,3,4」とする。答えは「1+2+3+4=10」「4×3‐2×1=10」「14÷2+3=10」などいくつもできる。この場合ひとつの数式の中に「+‐×÷」があるときは、まず「×÷」を計算し、それから「+‐」を計算するのが定めだ。
この脳トレを考案したのは地元東北大学理学部の学生だそうだ。私たちが転居してくるかなり前からあったようで、けっこう古い伝統あるゲームだ。単純だが奥深いので長続きしているのだ。私もすぐとりこになった。
家内の運転する車の助手席から前や横にいる車のナンバーを読み取り、頭の中で「=10」を計算するのだ。対象は無制限にある。どこへ行くのも私は道中これだけで退屈しなかった。
ところが20年ちょっと前、大腸ガンの手術後あたりから、この数字が何となく読み取りにくくなってきた。家内に話すと家内もそうだという。そこで二人で同じ日赤の眼科で診察してもらい白内障の手術を受けた。まさに夫唱婦随だ。
それ以降私が経年劣化による眼の不調に次々と襲われて、いまは右眼がやっと見えるだけ、前の車のナンバーもすぐ前に停車しているのがやっと読み取れるだけなのに対し、家内は新しい車もスイスイ運転し夜は文庫本を読みふけり、私の読みにくい原稿をパソコンに打ち込んで助けてくれている。60数年前知り合ったときは私は左右とも視力1.5あり、家内は近眼でメガネをかけていたのだから変われば変わるものだ。
本題に戻って、この「=10」の脳トレゲームを、私は山歩きのときも4つの数字が目に入り次第すぐやっているのだ。墓園にはそこかしこに駐車している車がいるので材料にはこと欠かない。それでも長年やっていると、こいつは前に見たことがあるなというのにしょっちゅう出会う。
先日もそんな車が続いたので、代わりに思い付いたのが家内の新しい車だ。家内は自分の誕生日1月7日「・107」をつけた(車のナンバーは頭に"0"はつけないきまりだ)が、これはどうひねっても"10"にはならない。ならばと私は自分の誕生日10月17日を考えた。だがこれもダメ。
その瞬間、あっと気付いた!
二人の誕生日を"月"は月だけ"日"は日だけで足し算するのだ。
答えは「11月24日」私たちの結婚記念日、見事な一致である。こんなことってあるんだなぁ!と二人の縁の深さに、それも60年以上経って初めて気付いたことにあらためてうれしくなった。
戻ってすぐ家内に話すと家内もうれしそうだった。 |
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2022年04月22日(金曜日)更新
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第697号 〜銘酒5本 ゆっくり愉しもう〜
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私はいま自分の机の足元奥にある小棚に、新潟県産の銘酒を5本も(4合瓶だが)並べて悦に入っている。
これは先日、東京の義兄や姪夫婦と会津東山温泉に1泊旅行を楽しんだ際頂戴してきたものだ。姪の夫が越後は新発田出身であちらに親戚が多く、こんなときには地元でしか入手できない逸品を取り寄せてくれるのである。
この旅行は姪が1年半も前から計画し、ホテルも予約していたものだ。それがコロナ禍でキャンセルを重ね、この程ようやく実現したのだった。もっともその間には昨年暮からこの新年にかけてコロナ感染のわずかな間際を狙って私たちが上京し、皆に会って来ている。
ただ今回は他の目的もあった。家内の新しい車のスポンサー・義兄へのお披露目である。以前ならさっさと東京まで走って行っただろうが近頃は無理、会津若松は手頃だったのである。
それにしても義兄の足の衰えぶりには私もびっくり、というよりいささか唖然とした。
車の乗り降りから始まって10メートルほど歩くにも姪の介添えが必要だし、ホテルでは玄関から車椅子に乗り、食事で別室に行くときも乗っていた。そして部屋の中ではトイレなどへの移動があちこちつかまりながらの伝い歩きなのだ。この正月に会ったときは住居の中ばかりだったので、私も気付かなかったのかもしれない。
とにかく一昨年の正月、同じく3人で松島へやって来たときには、義兄は誰の助けもなしに瑞巌寺見物など歩いていたのだから、やはり年齢相応(義兄は私と同い年だ)なのだろう。そしてこれからは私たちのほうから努めて上京しなければ……と思ったのだった。
さて頂戴したお酒である。5本の中には「〆張鶴・純」(越後村上)や「八海山・大吟醸」(南魚沼)「朝日山・純米大吟醸」(越後長岡)といった私も知っている銘酒もあれば、「越乃梅里・吟醸原酒」(新潟市)佐渡の純米原酒「北雪」なんて初めて目にするものもある。
これらを机の下、足元の棚に並べ、原稿書きの合い間などにのぞき込んでは「どれから開けようかな……」と悦に入っているのである。
「5本まとめて開けてひと口ずつ飲みくらべてみりゃいいじゃないか」という人もいるだろうが、それは酒飲みのやり方じゃない。日本酒は一旦開けたらさっさと飲みきってしまうのが常道。いい酒ほど味が早く落ちてしまうからだ。
おまけに近頃の私は酒量もだいぶ落ちている。気の置けない相手と、"置酒款語"するならともかく、日頃の晩酌は1合足らずで十分なのだ。
折角の銘酒である。ゆっくり愉しませてもらおう。 |
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2022年04月15日(金曜日)更新
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第696号 〜真逆(まさか)!爪切りに難儀するとは……〜
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眼が不自由になって難儀していることのひとつに"爪切り"がある。ひとつどころか代表といってもいい。
以前は毎週日曜、朝でも夕方でも空いた時間に切っていた。日曜にしたのはある財界人の話に刺激されたからだ。この人は毎週日曜日、明日から自分が履いていく靴を何足か自分で磨き上げるのだという。この人にとって日曜は遊び呆ける日ではなく、明日からの仕事に備えて体を休め、気持ちの準備をする日で、靴磨きはそのひとつなのだという。
だが現役時代の私は日曜のほうが遊びに忙しく、リタイヤ後もしばらくはそんな状態だった。それが当地へ転居してから徐々に人並みに戻り、私も昔の記憶を思い出して、"爪切りは日曜日"と決めたのだった。
それが一昨年秋、突然の左眼失明とともにままならなくなってしまった。たかが爪とはいえ、とにかく刃物で自分の体の一部を切り取るのだからたいへんだ。私の作業はけっこう"深爪"で、足の親指など家内が「そんなに深く切ったら靴なんか履けないでしょ!」というほど両脇を深く切っていた。細部が見えないとそうした深さ加減がわからないのだ。
それで作業もだんだん間遠になり、近頃は10日に1度ぐらいか、あるいはそれ以上かもしれない。そしてこれが髪なら自分でもあまり気にしないで済むのだが、爪だとそうはいかないところがつらいところなのである。
私は男性の身嗜みで一番気を付けたいのは手、特に指先の爪を含めた綺麗さだと思う。伸びて先に垢がたまった爪先などもってのほか、いくら天才だろうが偉人だろうがそれを煎じて飲む気にはなれない。また"爪噛み"の癖があって先がギザギザなのもダメ。マニキュアまでは不要だが指先からはみ出さないように切り揃えた清潔なのがいい。
どれほどまともな世渡りには縁遠い汚れ仕事をしていても、あるいはいくら年老いても爪をはじめ指や手はいつも綺麗にしておくのが"男の務め"だと私は思う。汚い爪や指は本物のロレックスもそうは見えないだろう。
私自身の爪はシロウト目でもなかなかいい。表面に縦じわはあるがどれも浅く年相応の現象だろうし、どの指も先端までしっかりと固く、反り返ってもいない。生えぎわにある白い"爪半月"は親指と人差指にちゃんと見える。
この爪を切り揃える楽しみが半減したのが実に口惜しい。
爪を使った諺や警句成句は多いが、人々にそれほど知られていないものに
"苦爪楽髪"がある。苦労すると爪が伸び、楽ばかりしていると髪が伸びるということだが、実際そのとおりかどうかはわからない。ただ近頃の私は爪を切る間隔も長くなったし、髪にいたっては2〜3ヵ月おきに家内に切ってもらうくらいだから、も早基準外ではある。
いずれにせよいまの私たちは"爪に火を点す"ほど切り詰めてもいなければ、周囲から"爪はじき"されるほど嫌われてもいない。コロナやウクライナを気遣いながら暮らしている老夫婦である。まあ幸せなほうだろう。 |
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