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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2021年07月30日(金曜日)更新

第660号 〜含蓄のある古い言葉を知る楽しさ〜

 本が読めなくなっていちばん残念なことは、それまで知らなかった言葉や言い方に出会えなくなったことだ。古くからある日本語で仮名だけ、漢字混じり、漢語だけなどさまざまある。
 その中でいちばん新しいのが「たくらだ猫の隣り歩き」だ。2〜3年前に見たもので本は『「吾輩は猫である」殺人事件』、作者は奥泉光、1996年新潮社刊の書き下ろし長編ミステリーだ。もちろん古本。私が行く本屋はブックオフだけ、それも100円〜200円の棚が主だ。そういう棚にこそ何年経っても評価の変わらない面白い本がある。

 さて、"たくらだ猫……"だが、意味は前後の文章からだいたいの見当はつく。だが私は読みかけのまますぐ辞書を引く。しかもこの"たくらだ"は辞書を引くことそのものもちょっと面白かった。
 まず当たったのは講談社の『日本語大辞典』1990年発行の第9版だ。A3版2300ページ余の大冊で箱入りハードカバー重さも相当あり、本棚の最上段に入れているので引くたびに腕が鍛えられるがこれには載ってなかった。"死語"扱いだったわけだ。そこでそれより25年前に刊行された新潮国語辞典を引いた。これは大きさは前者の半分以下と小ぶりだが厚さは2200ページ以上、項目も不足なく、現役の頃から重宝している。これには出ていた。「たくらだ ばかもの。愚人」とあり『御伽草子』(室町時代)の用例も付いており、古くからある言葉なのだ。これで「…猫の隣り歩き」の意味もわかった。

「ちょいちょい着」というのもある。10年以上前、山本夏彦さんの著書にあったもので"限りなく普段着に近いよそいき"のこと。東京の下町あたりでは戦後もしばらく使われていたが、都電が消え掘割が消えて使う人もだんだんいなくなった。夕食の後片付けをしていたおかみさんが翌朝のミソ汁に入れるダイコンがないのに気付く。そこで町内の八百屋までひと走り、そんなときかっぽう着を脱いで代わりに羽織っていくちょっとしたおしゃれ気分の一着だ。同じ東京でも目黒で生まれ育った家内は知らなかったから、まさに下町の雰囲気そのままの言葉だったのだろう。
 ところがそれを私はひと月ほど前、町内のOさんの口から聞いてびっくりした。彼は私のちょうど10歳下、理事会町内会ゴルフなどを通じてざっくばらんに付き合っている。あるとき「それいいじゃない」と着ていたシャツを褒めたら「ちょいちょい着ですよ」と思いがけない答えが返ってきたのだ。「おぬし、なかなかやるな」と思わず口に出そうになったほどだ。
 聞くところによるとOさんは地元出身、地元の老舗デパートに定年まで勤めていたという。それで見当がついた。「ちょいちょい着」は衣料品売場などで使われていたのだろう。いわゆる"業務用語"だ。後日確かめてみるとそうだったが、こういう言葉がそんな形ででも残っており、使う人がいるのはうれしいことだと思う。

「置酒款語」もひと昔前見つけて気に入り、折にふれて使っている言葉だ。山本夏彦さんと並ぶエッセイストだが、年のせいでボケたか名前が度忘れして出てこない。文字どおり"酒を酌み交わしながら気のおけない仲間と心ゆくまで語り合う"ことだ。
 だがコロナのせいでいまはできない。いつできるようになるか。こうして書いたり歩いたりしながら気力を維持していこう。
 

2021年07月23日(金曜日)更新

第659号 〜老化は"長寿の勲章"でもある〜

 胃の具合がなかなか元へ戻らない。具合とか調子などというと後に続く言葉は"良い""悪い"になり病人じみてくるから"活動力"とでも言い替えるか。とにかく今年1月なかば不整脈発症を機に食が細くなったのがなかなか回復しないのだ。ちょっとでも食べ過ぎると胃もたれを起こし、コロナワクチンの第2回目接種の翌日など朝昼晩3食とも副反応の胃もたれで、着の身着のままベッドに寝そべって治まるのをただ待っていたほどだ。

 その不整脈で5キロも減った体重も戻る気配はないし、これはひょっとすると何か悪い病気の前兆じゃないかと先月なかばには初体験の胃カメラ検査を受けた。だが心配するほどのことはなく単なる胃炎という診断。それと前後して足腰強化の墓園ウォーキングを復活させたし、医師にすすめられた腕立て伏せもしょっちゅうやっているのだが、それらを後方支援する栄養補給=胃袋の活動が戻ってこないのだ。
 何しろちょっとでも食べ過ぎたり時間がずれたりすると、次の食事にこたえるほどの胃もたれを起こすのだから閉口する。たとえば先週お馴染みのファミレスで好物のハンバーグランチを食べた際など、時間がちょっと遅かったことやスープからデザートまで平らげたこともあって、夕食になっても妙な満腹感プラス胃もたれが消えず結局食事をパスしてしまった。
 体が痩せ細ったままなのもやむを得ないと思う。

 こうした胃の活動力低下は義歯や老眼と同じ老化現象のひとつだろう。不整脈発症のとき寝ていると食べ物でふくらんだ胃が心臓を圧迫するような気がして、ひと月ほど夕食はオカユばかり食べていた。胃はそんな少食に順応しただけなのだ。
 そういえばかつて小学生世代など伸び盛りの子ども達と同居しているお爺さんお婆さんが老けやすいのは、食事のとき肉や魚などタンパク質の多いおかずを子ども達に分け与えて自分は食べないからだと聞いたことがある。逆にいえば年老いても肉や魚をよく食べることが体を老けさせず長生きにつながるのだ。オカユばかりでは胃が老化するのも当り前だ。ちなみに昔ラーメン屋のノレンを分けて出てきたサラリーマンが「ああ食った食った」と腹をなでさするマンガをよく見た覚えがある。私も若い頃は同じことを何度かやっているが、いまはとても無理だろう。

 あらためていうまでもなく胃以外の内臓も老化は避けられない。不整脈発症のきっかけになった激しい動悸と息切れは心臓と肺の機能低下が元にあったからだし、酒が弱くなったのは肝臓の老化だ。当年とって88歳9ヵ月、現代日本人男性の平均寿命よりほぼ7年半も長く生きているのだから当然の現象だろう。しかしそれでも私は1万歩休みなしで歩けるし、気のおけない仲間相手に"置酒款語"する気持ちはいつもある。
 老化は他人よりちょっとだけ長生きした者へのハンデ、あるいは"長寿の勲章"みたいなものだ。「寄る年波には勝てない」と思うのではなく寄る年波を楽しもうという前向きの気持ちでいこう。
 

2021年07月16日(金曜日)更新

第658号 〜コロナだけじゃないマスクの効用〜

 近頃はかなり少なくなったものの以前は外出の際マスクをよく忘れた。階段を下りきって歩き出してから気付き4階まで取りに戻ったこともしばしば。足腰にとってはいいトレーニングになったろう。家内もけっこう忘れていた。車で一緒に出かけて店に入る間際に気付き私が戻って取ってくることもよくあった。それに備えるわけじゃないがクローブボックスには予備の新品が袋入りのまま用意してある。

 マスクは"手洗い""うがい""不要不急の外出や県境をまたぐ移動の自粛""三蜜を避ける"などとともにコロナ感染予防には欠かせないものだ。そんなこと私は百も承知だし、マスク以外のあれこれはいつもちゃんとやっている。先頃2回目の接種が済んだワクチンと合わせて感染対策はとりあえず十分と思っているくらいだ。それでもマスクを忘れるのは年とともにボケてきたから?……ではなく、私自身これまでの長年月マスクをする習慣がまったくなかったからだ。
 家内に訊くと高校生の頃まで風邪をひいて咳やくしゃみが出るようになると必ずつけていたというが、私にはそんな経験はない。風邪はせいぜい微熱程度でたいていおさまっていた。

 私が"マスク"からまず連想するのは野球で捕手がかぶる面――キャッチャーマスクだ。スポーツには他にもアイスホッケー、フエンシング、剣道など顔面防御の面をつける競技が多い。
 マスクを辞書で引くと「面、覆面、仮面」とある。つまり相手にこちらの正体を知られないようにするため、あるいは真意を隠すため顔=表情を隠すツールだ。鞍馬天狗の頭巾、盗っ人の頬被り、10月31日のハロウィンに渋谷のスクランブル交差点に繰り出す若者達のようなものだ。さらにいえば表情を隠すのに重要な個所は眼だけではない。「目は口程に物を言う」で口元も大切なのだ。その意味ではいまわれわれが使って(いや使わされて……か?)いるマスクはなまじ目元だけ隠す仮面より余程役立つのではないか。
 アメリカのトランプ前大統領や隣国の文現大統領をニュース映像で見るたびにそう思う。トランプ氏の口角泡を飛ばすような顔の割に小さな口元、文氏の唇だけ動くこれまた貧相な口など、二人ともマスクをつけてしゃべったほうがもっと聞き手にアピールできただろう。

 マスクをかけた相手が誰かわからないことがよくある。見えないのだからしょうがない。先日こんなことがあった。
 昼食後いつもの山歩き(墓園のウォーキング)に出かけようと外に出ると、下りの電車が到着したところで駅舎から降車した数人が出てきた。その一人から声をかけられたような気がして立ち止まり、5メートルほど離れた人影を見たが誰だかわからない。無視して行くのも失礼なのでゆっくり近付き、1メートル近くなってやっとわかった。団地内で唯一人私と同年のW氏だ。ただし気の合う相手ではない。咄嗟に「ここまで近付かないと誰かわからない」というと返ってきたのがいかにも詮索好きなこの人らしい「そんなに悪いのかい?」私は自分の左眼を指差しながら「見えないようには見えないらしいけどね。それに近頃はマスクなんかしてるから尚更わからない」といったのだった。

 とにかくマスクはコロナの感染防止だけではなく、顔面の下半分を隠す絶好のツールなのだ。聞くところによると近頃その下半分を化粧しない女性が多いという。
イヤハヤ!
 

2021年07月09日(金曜日)更新

第657号 〜私たちの奇妙なワクチン副反応〜

 コロナワクチンの2回目接種を家内共々済ませた。場所は1回目と同じ仙台駅東口のヨドバシカメラ第2ビル、大規模集団接種会場だ。前回予約時刻より1時間も早く行って雨こそ降っていなかったものの時間を潰すのに戸外でウロウロするだけで閉口したので今回は30分以上遅い電車で行った。
 しかも接種するほうも4週間前にくらべて人捌きの練度が格別に上がっており、駅ビルからエスカレーターで地上に下りたところから案内係の「0時0分ご予約の方はそちらの列の後ろに……」といわれるまま人の流れに追尾していくだけ。そして体温測定され事前問診を受け順番に接種スペースに入りチクッと針を刺され絆創膏を貼られ「今日はお風呂はかまいませんけど激しい運動は避けるように」「毎日1万歩歩いていますけど」「今日明日は控え目にしたほうが……」などと会話を交わして待機所へ。家内と一緒に何も異常がないのを確かめて外に出たら、駅ビルを出たところで案内係の指示を受けてからざっと1時間後という手軽さだった。
 そしてお昼を接種会場に隣接する2階の魚料理専門店で食べて帰った。前回は駅ビルで店選びに迷った揚句牛タンの店へ入って大失敗。上下の親知らずまで32本中1本も虫歯のない家内には久しぶりの好物だったが、上下とも半分以上が義歯の私はたいへん手古摺ったのだ。今回の魚料理店も私たちはかつてはよく行った店だが前回はすぐに思いつかなかった。まったくコロナ自粛のおのぼりさんである。

 私たち二人に接種の副反応があらわれたのは、接種についてあれこれを説明したパンフレットどおり翌日だ。二人とも体の節々がちょっとだるくなり37度を1〜2度越える微熱が出て、これまた「副反応は1回目より2回目が出やすい」というパンフレットどおり。私たちも1回目は何もなかったのだからまったく律儀なことだ。
 おまけに私には朝メシを食べ過ぎたなんて覚えもないのに"胃の膨満感"というおまけまでついてきた。パンフレットの「全身症状」に「はき気・嘔吐」とあったとおりで、これがまた数か月前不整脈と診断されたときの胃が心臓を圧迫する感じや、先月はじめ胃カメラを呑むきっかけになった強力わかもと2粒で空腹がいきなり満腹になった感じに似ている。気分的にはイヤーな感じだがこの程度をわざわざ専門家に相談するまでもない、ゆっくり休んでいればおさまると着の身着のままベッドで寝そべっていたら1時間ほどで回復した。昼食後夕食後も同様で、さすがに夕食後は着の身着のままベッドに入るわけにもいかず、食休み後さっさとパジャマに着替えて寝た。
 そして翌日は朝昼夜の3食から約1万歩の山歩きまでいつもどおりの生活ができたのだから、前日はまったく奇妙な1日だった。

 奇妙といえば前回の家内の副反応だ。接種後1週間経ってから患部が痛みとともに赤く腫れ上がってきたのだ。痛みは車の運転にも影響するほどで、弱りきった家内は"信頼措く能わざる"かかりつけ医に電話相談し、冷たいタオルでせっせと冷やし始め数日後に回復した。今回はこの副反応はないようだ。
 こうした接種後1週間を経ってあらわれる副反応はモデルナワクチンにはまれにあるそうで、家内のような症例をアメリカでは"モデルナ・アーム"といっているそうだ。

 とにかくこれで一安心だが、この安心もパーセンテージにすればせいぜいひと桁それも5以下だろう。ワクチン接種ぐらいじゃまだまだ油断はできないのだ。
 

2021年07月02日(金曜日)更新

第656号 〜老人歩き方はよく物を拾う〜

「この頃年寄りっぽい歩き方になってきた」と家内が私にいう。同じことを数年前から聞いていたような気がするが近頃はより多くなってきたのだろう。
 つまりこういう歩き方だ。ひざ腰が折れたままで背を丸め、両腕は胸を抱えるように体の前へ来、頭も前へ突き出すようになる。歩幅も小さく後ろになった足が前になったほうを追いかける感じだ。間違っても腹を突き出し胸を張り、相手を見下ろすように顔を上に向けた歩き方にはならない。
 試しにそんな老人歩きで住居の中をうろついてみた。けっこうくたびれる。普段やりつけないことはやるもんじゃないと思いながら、あらためて日頃の訓練の大切さを認識した。またわかったこともある。

 ひとつは数年前とくらべてだいぶ"ずり足"になっている。勝手知ったるわが家の中なのでリビングから和室への敷居や廊下から洗面所への段差につまずくことはないが、キッチンから廊下への出入口枠の下わずか5ミリほどの高さにつまずいた。これでは墓園をウォーキングしていて歩道のそこかしこにある街路樹の浅い根張りが盛り上げているアスファルトによく靴底をこするのもしょうがない。もうひとつは歩行中視線がせいぜい5〜6メートル先の地面に落ちていることだ。首が肩より前に出て頭が重みで垂れるからだ。
 1年ほど前だったかテニスコートで、仲間のSさんから「Cさん、歩いているときに物をよく拾いませんか?」といわれたことがあつた。そういえばけっこうある。変わった物では電柱などの作業員が使うカラビナや体を支える締具一式、ちょっと大き目のクッション、計算尺――いま使う人がいるのだろうか?――などがある。
 革製二つ折りの札入れを歩道の側溝で拾ったこともある。中に紙幣はなく小銭ばかりだったが、病院の診察券数枚と同名の名刺が2〜3枚入っていた。名刺の主に電話をかけて1時間後墓園入口で渡すことにした。またひと回り歩いて待っていると車が2台やって来、前の車から降りた人物が落とし主だと見当がついたが、後ろの車から警察官が二人降りてきたのにはびっくりした。話によると札入れは飲み屋で壁にかけておいた上着から盗まれたもので、私が拾った場所、つまり中の札だけ抜いた犯人が捨てた場所を検証しておきたいのだとわかった。そこで一行を現場へ案内しちょっとしたお礼の品を受け取って別れたのだったが、その後犯人が掴まったかどうかは知らない。

 Sさんによると「年をとってくると誰でも歩くときうつ向き加減になって視線が近くに落ちるようになるから落ちている物に気付きやすくなるんですよ。Cさんもお年にしてはとてもお若いけど……」ということだった。家内が指摘したことを1年以上前に教えてくれたようなものだ。
 とはいえSさんの話を機に私は歩き方に気を付けようとはしなかった。老人歩きになったのは目が不自由になったせいも多分にあるが近頃は違う。胸を張り頭を上げ視線を先のほうへ向けている。そして気が付いたのだがこうした姿勢のほうが踏み出すときひざも高く上がってつまずきやスリ足も少なくなるのだ。

 年老いても若さや元気を生み出すのはやはり外見や行動なのだ。胃も安心したしこの分ならまだまだ"達者な年寄り"でいられるだろう。
 
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