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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2021年06月25日(金曜日)更新

第655号 〜胃が何でもなくてホッとした〜

 昨日、胃カメラによる診察を受けてやっと安心した。診断は「単なる胃炎、原因は食べ過ぎでしょう」という。1週間前「胃カメラで診ましょう」と日時を告げられてから、カメラを操作しながらモニター画面を見ていたセンセイが「胃炎ですね」といつもどうりのおだやか小声で洩らすまで、あれこれと自己診断しながら夜もよく眠れないほど悩んでいたのが奇麗さっぱりすっ飛んでしまった。
 カメラが終わりセンセイからくわしい話があるまで別室のベッドで休んでいるように告げられて寝そべっているとき、思わず鼻歌まじりに腹筋運動を始めてしまったほどだ。

 この胃カメラ診断を受けるようになったきっかけは前回書いたとおり、朝食と昼食の間に空腹を感じて市販の整腸剤を2粒服んだ途端たちまち満腹感に襲われ、これは病院でちゃんと診てもらうべきだとかかりつけの医院に飛び込んだのだ。そしてこの医院のセンセイが県随一と評判の胃カメラ診察の名医とあって、私も即予約させられたのだった。
 したがって私も当初は診察そのものを軽く考えていた。だいたい胃カメラを呑むこと自体私は初体験である。「そのお年になって初めてとは現代人には珍しいですね」と看護師さんもびっくりしていた。
 私は若い頃から胃腸など消化器系が人一倍丈夫だった。病気になったのは30代初め盲腸の手術をしたのと、2001年9月11日あの同時多発テロ同日に大腸ガン手術を受けただけだ。このとき痔のポリープもついでに切除したので若い頃からの悩みもなくなっていた。
  
 私の体型や体重が若い頃からまったく変わらなかったのも消化器系が丈夫だったおかげだろう。私は子どもの頃からいわゆる"やせの大食い"だったが、それらの食べ物を丈夫な胃腸が消化して効率よく体中に行き渡らせ、運動エネルギーにしていたので痩せたり太ったりの変化がなかったのだ。
 その自慢だった体がこの1月なかばの不整脈発症を機に、たった1ヵ月足らずで5キロも痩せてしまったのである。原因は心臓を気にする余り食が細くなったことだ。我ながら神経が細く脆くなったものだとイヤになるが、それには眼の不自由さや年齢、そして暗い季節なども要因の少なからぬ部分を占めていたと思う。
 だからこそ季節が変わり天地がどんどん明るくなるとともに私は休んでいたウォーキングを再スタートし、いまではかつてのように裏の墓園の坂道を1万歩近く休まず歩けるまで足腰の筋肉は回復しているのだが、少食は依然変わらないのである。

 その少食の原因が判明するなら……と飛びついた胃カメラだったが、1日2日と過ぎるにつれて次第に心配になってきた。すなわちその原因が軽いものだったらまだしも重篤なものだったらどうしようと心配になってきたのだ。ここでも先に述べた精神的な弱さが顔を出している。やっぱり私も年なのである。
 というわけで前夜は家内が持っていた睡眠薬"ハルシオン"の助けを借りてやっと眠りについたのだった。

 カメラの診察が終わって「ただの胃炎ですね」というセンセイの声を聞いたときは本当にうれしかった。処方された薬を上着の内ポケットに大切に納め、今夜は家内の姪が「おじちゃん頑張れ!」と送ってくれた"獺祭"を開けようとニンマリしたのだった。
 

2021年06月18日(金曜日)更新

第654号 〜不調原因がわかり前向き復活〜

 来週新型コロナワクチンの2回目の接種を家内と一緒に受ける。これでまずはひと安心だろう。といってあちこち出かける気は毛頭ない。だいたい日頃の生活が住居を中心に半径5キロ圏内でこと足りているのだ。たまに遠出をして松島あたりまで行っても15キロ圏内。"三蜜"だの"自粛"だのあらためていわれなくてもここからはみ出すことは余程のことでもない限りないだろう。

 ところで実をいうと私は"ワクチン"について、その内容とか仕組みなどをよく知らない。この際一応勉強しておこうと手持ちの辞典を引いてみた。
「感染症の予防・治療に用いられる抗体で、免疫状態をつくりだすために用いる免疫原。生ワクチン・死菌ワクチン・不活化毒素などがある。ワクチン接種により免疫が成立し、感染・伝播(ぱ)・流行などが阻止される。」(『日本語大辞典』講談社)
 ふむふむ成る程とわかったような気分になるのは最初読み終わったときだけだ。二度三度と読み返すにつれて、われわれシロウト――近頃よく聞く"医療従事者"以外の者――には薄ぼんやりとしか定義できない専門用語の羅列でなおわからなくなってしまうのだ。たとえば"抗体"、早速辞典を引っくり返す。「抗体が動物体内に侵入したとき、この抗体と特異的に反応するたんぱく質。血清のγ(ガンマー)グロブリン中に見いだされる。免疫グロブリン。免疫体。」
 おやおや今度は"ガンマーグロブリン"かよとまた辞典で、まったく先へ進まないのだ。ただ2300ページ、重さ2キロオーバーの辞典を何度も上げ下ろししたから少しは腕力強化になったかもしれない。

 そこで方針変更、家内にパソコンで「ワクチンの発明者」を検索してもらうと、エドワード・ジェンナーが出てきた。イギリスの内科医で1700年代末期、牛痘にかかった人が天然痘にかからないことにヒントを得て研究を始め、後に天然痘の種痘治療をおこなった人物だ。
 何だワクチンとは種痘だったのか……である。種痘なら私も子どもの頃"はしか"のそれを受けている。あんな簡単な方法で新型コロナのような面倒な感染症が予防できるとはいいことだなと、あらためて感心したのだった。

 ところで話はまったく変わるが、1月なかば以来私の食がかなり細くなっていた原因についてやっと見当がついた。
 先日朝食後3時間ほど経って空腹を感じたので買い置きの"強力わかもと"を2粒服んだところ、今度は胃がのど元までせり上がってくるような満腹感に襲われたのだ。家内に話すと「すぐ病院で診てもらったほうがいい」と昼食に行くのを変更して途中のかかりつけ医院に車を横付けされた。そして診察後に次の週胃カメラによる診察を告げられ胃潰瘍の薬を処方された。原因はこれだったのだ。
 そういえば不整脈になって間もない頃、体調不良に目の異常が加わって神経質になり、あれこれ考えて夜眠れないことが何度かあったが発症のきっかけはそれだ。小さな町工場の主が金繰りに悶々としたあげく発症するようなものだ。我ながら無気力かつ意欲に欠けていたなと思う。

 だがもう大丈夫だ。1日1万歩近く悠々と歩けるようになったし食欲も元に戻りつつある。もちろん気持ちも前向き。潰瘍もすぐ消えてしまうだろう。
 

2021年06月11日(金曜日)更新

第653号 〜上半身も筋肉回復の目途がついた〜

 去る1月なかば、我ながらつまらないヘマをやらかして不整脈になり、食が細くなってひと月足らずで5キロ痩せた。子どもの頃から肥満には無縁な体質で10代末からこれまで体重60キロ前後だったのがいきなり5キロも減ったんじゃ"事件"だ。元々大きな手の割には細くて私のコンプレックスの象徴だった手首など骨としわだらけの皮と太く青い血管が目立つばかり。折から長袖の季節だったのと、コロナ自粛で久しぶりに会う親しい人がいなかったことに胸なでおろしていた。

 そこでまずは下半身だと3月末から少しずつ歩き始め、近頃は裏の墓園のけっこうな坂を1回平均7〜8千歩、1時間半ほど歩いている。おかげで下半身の筋肉はだいぶ元に戻ってきた。これは私自身の目安でわかる。ひとつは太股表面全体をおおっていた縮緬皺がだんだん薄くなってきたこと。もうひとつは太股内側左右の筋肉が直立して"気を付け!"の姿勢をとった際くっつくようになってきたことだ。
 以下余談かつ自慢話になるが、私の脚は腰の付け根から足の先まで真っ直ぐである。だから立って"気を付け!"の姿勢をとり、両足のかかとをくっ付けて爪先を45度開くと、下から順にくるぶし、ふくらはぎ、ひざ、太股それぞれの内側がくっついていた。
 その太股が痩せて手のひらが入るほどのすき間ができていたのだったが、ほんのわずかくっつくように回復してきたのだ。うれしかった。

 しかしこの変化は下半身だけの現象で上半身は依然骨皮筋右衛門のまま、体重も全然増える気配さえないのだ。
 食が細くなったせいだ。不整脈になったとき、夕食後2時間ほど経ってからベッドに入ってもふくらんだ胃が心臓を圧迫するような感じがして動悸が激しくなりなかなか寝付けなかった。それでご飯をおかゆにしておかずも減らすなど全体量が次第に少なくなり、胃の容量も小さくなっていったのだろう。
 それを身に沁みて感じたのがおやつだ。不整脈が発症する前は欠かさず口にしていた3時のおやつが発症以後はまったく欲しくなくなったのだ。いや好物のチョコレート類をあえて食べたりすると食道あたりから詰まってしまい、夕食を前にしてもまったく箸が動かないのだ。私の体だけの特異なものかもしれないが、甘味に胃袋をふくらませる効果があることも初めて知った。
 
 それでも"歩くことが体には一番だろう"とせっせと歩いていたら、先述のように下半身の肉付きが少しずつ戻り始め空腹感もよく覚えるようになった。これで上半身の筋肉も戻ったら……と先日の診察でかかりつけ医に話すと、「腕立て伏せがいいですよ」という。
 帰宅して早速始めた。ただし初めから床面では無理なので両手を置く位置を高くした。それには私が使っている肘掛け椅子の肘が高さ60センチほどでまさにお誂え向きだった。以来こうして原稿の下書きを書く合間にやっているが効果は相当ありそうに感じる。

 骨皮筋右衛門殿とは薄着の季節より前にどうにかおさらばできそうだ。
 

2021年06月04日(金曜日)更新

第652号 〜行楽気分だったワクチン接種〜

 1週間前コロナウィルスワクチンの第1回接種を市が設けた大規模集団接種でやっと受けることができた。2回目は4週間後、これでひとまず安心である。

 この情報はその前の週、町内会老人会の世話人の集まりでOさんから聞いた。
「集団接種の75歳以上の予約が今日から始まり、私も早速予約しました。くわしいことは今朝の地元紙に出ています」という。
 わが家はかなり前から新聞を購読していない。まず目を通すのが地元社会面片隅の"クマ目撃情報"とあっちゃ新聞代もバカらしくなったのだ。だがそれで重要な情報を見逃してしまったことはない。近所付き合いさえちゃんとしていればたいていの情報は自然に見聞きできるものだ。

 というわけで管理センターでその記事をコピーしてもらい住居に戻って、家内に接種申し込みの電話をしてもらった。時刻は午後3時を過ぎていたが傍で聞いていると電話はスムーズにつながり、Oさんより2日遅れで2人同じ時間に予約できた。テレビニュースなどによると東京や大阪の大規模集団接種では電話がなかなかつながらないとか、子や孫に頼んでラインで申し込んだほうが簡単だとかいっていたが、そんなトラブルめいたこともなかったようで、家内の話では電話の応対も丁寧かつ至れり尽くせりだったそうだ。
 申込者がそれほど多くはなかったのだろう。

 実際その夕方テレビのローカルニュースでこの集団接種への申込者が3500人ほどだったといっておりこの数字を聞いた途端私は申込み初日にしては「随分少ないな」と感じた。
 仙台はいやしくも、いや"曲がりなりにも"百万都市である。現在日本人全体のほぼ4分の1が65歳以上の高齢者だから、当地は約25万人が65歳以上、その半数ぐらいが75歳以上と推定すれば約12万人。3500人ではその30分の1にも満たない。
 これは当市の集団接種開始が他の市町村に比べるとかなり遅かったせいもある。東京の私と同年の義兄は1回目の接種を5月上旬にやっているし、町内の家内の親しい友人はご主人の仕事の関係で住所が違うので同じく1回目の接種を早々と済ませている。
 私たちも予約はかかりつけ医院で早々としていた。だが、町の医院では接種も診察の合い間なので人数に限りがあり、予定では8月頃と聞いて、他に適当なところがあれば……と思っていたのだ。

 接種はその2〜3日前から楽しみだった。これは接種そのものではなく出かけて行くことが……だ。何しろ接種場所が仙台駅前のビルだ。コロナ自粛のためもう1年半以上も駅前や東一番町などの繁華街から遠ざかっており、電車に乗って行くのも何年ぶりかの私たちには、こんな外出でもまさに行楽気分なのである。すなわち当日の天気予報を見ながら着ていくものをコーディネートしたり、乗って行く電車の時刻を調べたり接種終了後何を食べるか話し合ったり……あれこれ楽しんだのだった。

 なお接種は一種のイベントのような流れに乗って何事もなく終了した。
 

2021年05月28日(金曜日)更新

第651号 〜予定がある楽しさ ない寂しさ〜

 私は定期的に通っている病院が4つある。眼科内科整形外科歯科だ。このうち総合病院は日赤眼科だけ、あとは町の単科医院だ。そして診療後次の日時を予約するのは眼科と歯科だけ、内科と整形外科は毎月下旬の適当な日にこちらから出向いて行く。
 その予約をカレンダーに書き込みながらふと気付いたことがある。「こうして先に何かしら予定があるってことは大方の年寄りにとって"いい"ことなんだろうな」ということだ。この"いい"を"うれしい"や"待ち遠しい"などに置き換えてみるとよくわかる。
 連休に遊びに来る孫の成長ぶりを見るのが楽しみ……なんてのがそうだ。私たちにしても暮から新年にかけては松島で、4月には会津東山温泉で家内の兄や姪夫婦と落ち合うのを楽しみにしていたのがオジャンになってしまった。みんなコロナのせいだ! 場違いとわかっていても八つ当たりしたくなる。

 現代の一般的な男性の予定が空白になるケースは勤め先をリタイヤしたときだ。今日から出勤しなくてもいいんだとわかっていても長年の習慣で時刻になると目がさめて「起きたけど寝るまで特にすることもなし」(投稿誌『川柳マガジン』"シルバー川柳"より)を実感するわけだ。その揚げ句が"わしも族"だ。
 これは40年ほど前ちょっと話題になった流行語で、リタイヤして毎日家にいるようになった無趣味な旦那が,奥さんが所用で出かけようとすると「わしも行く」とくっついて来るのをからかったものだ。40年前にリタイヤなら私たちのちょっと上、現役時代はエコノミック・アニマルで仕事一筋、家のことは奥さんまかせだったから、リタイヤした途端"ワシも族"になるのも無理なかっただろう。

 年老いて先の予定が空白になりやすいのは日頃の生活ぶりから考えても女性より男性だろう。またそのタイプもだいたい二つに分けられる。
 まず頑固で他人と協調性がまるでない人だ。私のすぐ下の弟がそうだった。仕事は人並み以上にできたので職場内でも外でもそれなりに評価されてはいたが、妥協を知らない性格とゴルフなどその他大勢がやる遊びをしないこともあって親しい友人はほとんどいなかった。趣味は囲碁だけ、それも相手をしてくれるのは碁会所の主人だけだったようだ。加えて家庭内のことは親戚付き合いまですべて奥さんまかせ。最後まで"我"を貫いて12年前亡くなった。
 もうひとつは親や教師、上司それによくできた奥さんなど、自分に指示できる実力者(妙ないい方だが適当な言葉がない)のいうとおり動くだけの、いわば自我や自主性がまるでないような人である。私が知っている人は年老いるにつれてボケていき、最後はまさに"絵に描いたような"好々爺だった。

 そしてかくいう私自身も近頃は先の予定に空白が多くなりつつある。目が不自由になったためできなくなったことが山ほどあるのだ。しかしそれでもこうして原稿は毎週何とか書けるし、明日は午前中に歯科、午後には町内老人会々長の仕事がある。
 先の楽しみも当人の意欲と気力があればこそなのである。
 
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