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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2020年07月31日(金曜日)更新

第610号 〜コロナ自粛で納得"経済の仕組み"〜

 今日で7月も終わる。1ヵ月余分だがこの半年をふり返ってみると、世間もわれわれも天下泰平でいられたのは1月だけ。2月以降はコロナのせいで毎日々々ひっそりと息をひそめて暮らしていた。

 実際日記を確かめてみると、我ながら"よくまあ厭きもせずに書いたものだ"と思うほど、何の変哲もない記述の連続だ。それで書くのを忘れてしまった日もあり、日付の順序が入れ替わっていたり、後から日付や曜日を訂正した個所も散見した。
 とにかくイベントとして予定どおりだったのが、たった一つだけだからしょうがない。大晦日の昼過ぎ、東京から家内の兄と姪夫婦が車でやって来て、私たちも一緒に松島の温泉ホテルに2泊。好天にも恵まれて初日の出や名所観光、飲んだり食べたりを楽しみ、二日に帰京したことだけなのだ。その後は季節的にゴルフはシーズンオフ、コロナの蔓延とともに町内会の各種イベントも中止が相次ぎ、日常生活そのものが不本意ながら(?)自粛ムードになってしまった。

 もっとも、ダイヤモンドプリンセスが横浜港にやって来て感染が連日ニュースになり始めた2月頃は、私などコロナぐらい……と思っていた。私みたいな戦前生まれの雑菌育ちは向こうが寄りつかないんだと、ゴタクを並べていたのだ。ところがイタリヤ北部やニューヨークの惨状を見たり、志村けんの訃報を聞いたり、さらには高齢者は重篤化しやすく、運よく回復しても脳に後遺症が残りやすい……なんてことを知るに及んで、こりゃ手ごわいぞと一応気合いを入れて自粛するようになったものだ。
 
 自粛といっても私たちの場合、単に"不要不急の外出"を控えただけで十分だ。具体的にいえば、月に1〜2度バスで市街地に出かけ、デパートなどウインドウショッピングしたり食事をしたりをやめる程度だから、毎日々々家の中でひっそりしているわけではない。二人とも月に1度通っている病院が二つあるし、家内は買物、私はテニスや理事の務めがある。またお昼を例の丸亀うどんをはじめ外で食べることも多い。それに二人ともできるだけ歩くことを心がけているので、並みの高齢者にくらべればかなり外出は多いだろう。
 それでも私たちの住居はかねがねいっているとおり"自然環境は最高だが生活環境は最低"のひなびたところだ。三蜜など「管理センターの和室で飲み会でもやりましょうか」なんてことにでもならない限りつくりようがない。だからこれまでと変わらない普段どおりの暮らしでも自粛になる。

 普段どおりとあって、外出の際気をつけなければならないことを私はよく忘れる。筆頭はマスクだ。
 先日は日赤眼科に行くときに忘れた。バスに乗り込んでから気付いたが、忘れたものはしょうがない。身と息をひそめて所定の停留所まで行き、そこから地下鉄の駅までの途中にあったコンビニで買い込んだら、3枚入りが500円近かったので唖然とした。しかもそのガーゼ製の品物がかつて送られてきたアベノマスクと同じぐらいのチッポケなシロモノだったのには再度の唖然だった。

 こうして自粛生活を続けてわかったことがある。
 生きるために最低限必要な衣食住以外の、身の回りにある"モノ"も"システム"も、われわれにとっては"不要不急"のムダな代物だということである。そして経済の成長発展とはひたすらそのムダを増やすことだったのだな、と納得できたことだ。
 いまの私にはこのコロナ禍も"天の啓示"のように思えてくる。
 

2020年07月24日(金曜日)更新

第609号 〜コロナで消えた「雑談の効用」〜

 新型コロナの影響で、職場に出勤しないで仕事をする在宅勤務=「テレワーク」が増えている。テレビでは、都内から地方の実家に戻って仕事をしている例を紹介していたが、この人、休日には実家の農作業なども手伝っており、父親が「やっぱり農家の子だね」と目を細めていた。

 だが近頃は、こうした会社の人たちと顔を合わせない、オンラインだけのリモートワークを危惧する声も起こっている。仲間と顔を合わせなくなることで"雑談"の機会も少なくなり、そこで触発される仕事上の新しいアイディアや面白いヒントもなくなるというのだ。
 役所でも会社でも組織の仕事で大切なことは"ホウレンソウ"、報告連絡相談だという。私など編集にいた頃はそんなこと考えもせず、嫌いな上司は無視して、自分のセンス第一で仕事をすすめていたが……。
 しかし人間が手がける仕事はコンピューターのそれとは違う。ホウレンソウにもプラス&が必要なのだ。そのひとつが雑談といってもいい。

 どんな仕事にも息抜きは必要だ。私たち編集の人間は集中する時間とだらける時間の差が大きく、息抜きも喫茶店どころか雀荘まで行ったものだ。いや当時のマスコミにはもっと上がいて、警視庁記者クラブの部屋にあった雀卓の上の高級象牙牌など、136枚すべて角が摩り減って丸みを帯びていた。
 こうした息抜きは、たとえば駅前の居酒屋から銀座のクラブまでピンからキリまである。そして昨今はそれらのほとんどが、コロナのため自粛の憂き目にあっているのだ。"テレワーク"なんて働き方も自粛の延長である。 
 となると"雑談のすすめ"というのは、息抜き復活を目指す現役世代の希望の一手かなとも思えてくる。

 雑談は相手にして楽しい人と、楽しくないどころか不愉快になる人がいる。私などわがままで人の好き嫌いもはっきりしているので、それがモロに出る。話して不愉快になる相手には挨拶からして型どおり、興味深い話題を持ち出されてもけっして乗らない。何も自分をおさえてまで嫌な相手に合わせなくてもいいだろうと、そんな自分流を通してきたおかげで、いま心身達者で生きているのだ。
 かの戦後の名宰相・吉田茂さんの名言じゃないが、「元気の秘訣? 人を食ってるからさ」である。

 不愉快になる相手は、周囲から一応一目置かれているような年寄りが多い。かつて管理組合や町内会の役員、それも会長なんて要職にいたような人だ。そういう御仁の話にはどうしても自慢と誇張が入るからウソが多くなるのだ。以前を知っている者は「またか……」とうんざりするわけだ。裏長屋住まいの傘張り浪人が「世が世なら……」というのと似ている。

 私はおしゃべりはあまり得意なほうじゃない。
 台湾で生まれ育ったのでアクセントやイントネーションに標準語と異なるところがあり、それを若い頃から誰かによく指摘された。いまでもしょっちゅう家内からいわれるので、だんだん口が重くなってきたのだ。したがってふだん家内との雑談もそれほど多くはない。それに近年は二人とも耳が遠くなり、大声でやりとりしても話が進まないことが多くなっている。このまま年を重ねて行ったら、たとえばファミレスなどで周りに聞こえるような大声で、こちらはお天気のこと、あちらは今夜のおかずのことと話がすれ違っていても、最後は「そうすればいいだろう」「うん、いいわね」と、お互い納得して終わり……なんてことになりかねない。
 
「雑談は人生の潤滑油」なんて誰か言ってなかったっけ?
 

2020年07月17日(金曜日)更新

第608号 〜老犬には新しい芸は仕込めない〜

 上のタイトルは、ひと月ほど前に読んだ本の中にあった一節だ。見た途端"老人はどうかな?"と思ってメモしておいた。

 本は10年前に出版された翻訳小説で、四六版ソフトカバー、本文530ページの大冊。例によってブックオフの100〜200円の棚で見つけてきた。原本「WORLD WAR Z」(日本版も同じタイトル)は、2006年アメリカでベストセラーになった"ゾンビ・ホラー"。世界中のさまざまな人物からの"聞き書き"というスタイルで「人類VS生きている死体」の世界戦争を描き上げた"パニックSF"だ。
 しかもその発端が、いま現に決壊が危惧されている中国三峡ダム付近とあって、新型コロナウィルスの出現とシチュエーションはそっくり。作家の想像力は未来が見えるのかなと思いながら読み終えた。

 老犬に新しい芸は仕込めない、というのはわかる。調教に使うのはアメとムチだ。うまくできたら好物を与え、できなければ痛い思いをさせる。これは猿回しのサルも水族館のイルカも、さらには子どもの教育も同じだろう。
 現代は体罰はご法度だが戦前は普通だった。面白い話を思い出したので、ちょっと脱線するけど書いておこう。
 6年生の算数の時間、担任のK先生(武闘派タイプ)が「分母より分子のほうが大きい分数を何というか? N、いってみろ」と劣等性のN君を名指す。「え〜と、わかりません」「わかりませんじゃない、昨日習ったばかりだろう」と持っていた樫の棒で坊主頭をゴツン。「え〜と、忘れました」「忘れましたじゃない」とゴツンして、「頭でっかちの分数のことだよ」「あ、そうだ、イチモジセセリ、です」「バカ」とゴツン、「それは理科で習った蝶だろうが」ととどめのゴツン……。こんなことがしょっちゅうあつた。
 ちなみに理科の読本(トクホン、教科書のこと)にあった「頭でっかちイチモジセセリ」という蝶は実物は知らなかったが、これをきっかけに言葉だけ子どもたちに大流行したものだ。またいまは"仮分数"と書くのも当時は"過分数"だった。

 ところで私は老犬はダメでも、老人には"新しい芸は仕込める"と思っている。厳密にいうなら"新しい芸に挑戦できる"だが……。実際私がテニスやパソコンを始めたのは70歳を過ぎてからだったし、いやもっと上がいる。理事仲間のSさんだ。
 彼は転勤の多かった大手SCをリタイヤ後、ここに奥さんと二人で定住したが、それを機にゴルフ、テニス、卓球、囲碁、そば打ちなどのサークルに入り、さらには専用庭で野菜づくりを始め、管理組合理事会にも引っ張り込まれてしまったのだ。そして「現役時代より忙しい」と喜んでいる。

 というわけで改めて説明するまでもなく、老人に新しい芸は当人のやる気=チャレンジする意欲によるのである。そしてその際いちばん気を付けたいのは、年齢やキャリアに関係なく、"自分は新参者"という意識を持つことだと思う。このあたりもSさんはなかなか見事だ。
 テニス部でSさんと私の腕前はどっこいどっこい、見ている人が思わず吹き出してしまうような"ご愛嬌もの"プレーを、二人でよくやらかしている。だがSさんは有能なマネージャーとして皆の頼りになっているし、私はボールボーイである。それぞれ幾分かは部の役に立っていると思う。

 人は老いても自分を新参者だと思えば、新しい好きなことにチャレンジできる。できないのは何事によらず参加する過程を他人にお膳立てさせて、自分は席につくだけの"長老"になってしまう老人である。
 私はこれから先も"長老"にはなりたくないと思っている。
 

2020年07月10日(金曜日)更新

第607号 〜飲めるが飲まないゲコノミスト!?〜

 酒は「飲める体質だがあえて飲まない」新しいタイプの下戸が近頃増えている、というニュースを2チャンネルで見た。ソースは全国紙"Y"、舞台は九州福岡だった。
 福岡といえばすぐ頭に浮かぶのが、「酒は呑め呑め呑むならば……」で有名な民謡『黒田節』だ。福岡藩の家臣・某が広島藩主・福島正則の元へ使いに行った際、酒乱の正則に強いられるまま1升の大杯を飲み干して、褒美に名槍"日本号"を分捕ってくるという故事を下敷きにした歌だ。郷土の大先輩にこんな人物がいるのに"あえて飲まない"はないだろうと思うのは古い人間、現代の飲み助はドライなのか?

 この新しいタイプの下戸は"ゲコノミスト"と自称している。そして飲まない理由として「二日酔いや食べ過ぎ(肥満につながる)を避けるため」「余計な金がかかり余計な時間をとられるのでメリットがない」など、私のような飲んべえから見れば"勘定一辺倒"なことを並べ、さらにそうやって飲まないことを「自分を制御できることがカッコいいと思っている」というから恐れ入る。
 実際厚労省の調査によると、近年は飲む習慣のない人が増えているとのことで、現代は人々の生き方やその元になる考え方が、われわれの時代とはだいぶ変わってきたのだろう。

 私は酒は強い、飲めるほうだ。父親は下戸、弟二人も飲めないほうだったから母方の遺伝だ。
 若い頃飲んだのは家でも外でも、焼酎やトリスなど安い強い酒が主だった。ビールは当時もいまもほとんど飲まない。飲むとすぐ胃がふくれる感じがするので、いわゆるビール腹を警戒したのと、アルコール度が低くて物足りなかったのだ。その気持ちはいまでもあり、「乾杯」の声に合わせてカップを上げるだけだ。

 リタイヤしてからは日本酒オンリーになったが、この年になるとさすがに量は少なくなってきた。当クラブの支配人氏がときどき「一言」で、ゴルフなどの後の飲みっぷりをご披露しているのを読むと、羨ましくなるくらいだ。
 いま家では夕食後、まず血圧を(アルコールが入ると数値が低くなるので)測ってから、1合弱しか入らないグラスで1杯、テレビニュースを見ながらゆっくりと、文字どおり"嗜んで"いる。ただし外で気のおけない相手と酌み交わしつつ、心おきなく語り合う"置酒款語"のときは別、これはことわるまでもないだろう。

 その家飲みの酒は、生協の宅配で見つけた「非売品の酒=蔵元鑑査極秘蔵原酒」という1本だ。1升ビン2千5百円ちょっとだったから、けっして高いものではないが、口に合ってたいへん旨い。1本だけじゃなく2本買っておけばよかったなと残念になる。こういう自分だけの幸せにめぐり合うのも飲む楽しみのひとつだ。
 そういえば、4号ビン1本1万6800円という酒がネット販売されているのを先頃見た。山形県酒田の蔵元がこの春から売り出した「上質を極めた、至高の1本」という触れ込みだが、私なんかこの先口にすることがあるかどうか。

 私は酒が飲めることは、知能や運動神経と同じ持って生まれた才能のひとつだと思っている。酒には心の緊張をゆるめる効能があるのだから、そういう才能はあったほうがいい。心に余裕ができれば人生経験も豊かになるし人間味も増す。
 人生には喜怒哀楽さまざまなことが起こる。自分を制御して"カッコいい"と思いたければ、たかが"酒"なんか対象にせず、もっと大事なものがあるだろうと私はいいたいのだ。
 

2020年07月03日(金曜日)更新

第606号 〜コロナ自粛が縮める年寄りの寿命〜

 コロナの影響で町内のいろんな集まり、行事も中止になっている。その筆頭が毎月1回老人会(一期会といい私が代表世話人)主催でやっているストレッチ体操だ。専門のインストラクターを招き、音楽入りのいろんな軽運動をするのだが、終了後のお茶会で出席者以外の人たちの近況も耳に入るので、私たち世話人にはけっこうプラスになる。
 このほかにも今年は8月末の夏祭り(管理組合・町内会共済の住民親睦飲み会)や9月の敬老会も中止予定だ。

 こうした集まりがなくなって、私はちょっと淋しい気分になっている。何やら取り残されたというか、つんぼ桟敷に置かれたような気分だ。それはさきのストレッチ体操以外にも、これまでは普段どこかで行き会ったり遠目に姿を見かけたり、あるいは他の人から噂を聞いたりして、何となく消息を把握していた町内の知人年配者の情報がまったく入らなくなってしまうからだ。
 たとえばTさんという女性がいる。家内と同年輩だが、なぜか独身。かつてはテニス部で一緒にプレーしたり、飲み会からカラオケに行ったりしていた。華やかな明るい感じの人だったが、大震災頃から筋肉が萎縮する難病にかかったとかで、あまり顔を見せなくなった。いまはほとんど家にこもりきりという噂をまた聞きのまた聞きするだけだ。
 また、この地域の福祉センターにボランティア・スタッフとして団地を代表して参加していたHさんも、このところほとんど姿を見なくなって、気がかりな方だ。私よりちょうどひと回り若いのだが肺に持病があり、去年暮頃から今期は活動をやめて静養したいようなことをいっていた。隣町に小さな山荘があり、自転車で行くのにちょうどいいところだと聞いたことがあるから、そちらのほうでのんびりしているのかもしれない。しかし管理組合や町内会の総会でも顔を見なかったのは、元々律儀な方だっただけに気になるのだ。
 そのほか、以前はよく管理センターにやって来て、職員相手に暇つぶしをしていた私と同年配の元役員氏の"ヒョコヒョコ歩き"もあまり見なくなったし、「好人物を絵に描いたような」Kさんご夫婦の姿もまったく見なくなった。

 このように周囲の同年輩の動向消息が気になるのは、やはり自分が年老いたせいでもある。若い頃なら仕事や趣味、どんな女性と付き合っているかなど、世間的な生臭いことを対象にしていたのが、年老いてくると"達者かな?"と、自分自身に引き比べてみるのである。
 これはけっして悪いことではない。他人の寿命を気にすることは、すなわち自分の寿命を気にすることでもあるからだ。

 日本が世界有数の長寿国になった要因は、医療の発達や人々の健康志向だけではない。日本独特の"ムラ社会"も大きな要因だと私は思っている。ムラの住人には相手に対する好き嫌いの感情とは無関係に、ムラ人を同じ地域に暮らす仲間として視野に入れておこうという意識がある。全村民が付き合いを絶つ"村八分"も葬式と火事の二分は除いて……というのと同じだ。そうした"見ている、見られている"日常的意識が老人の生きる意欲を高め、長寿社会をつくりあげたと思うのである。
 その意味では、子供や孫の顔を見る機会を大幅減少させた、今年の"コロナによる自粛"は、年寄りの寿命をだいぶ縮めるのではないか?
 
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