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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2020年05月22日(金曜日)更新

第600号 〜挨拶できないのは困ったもんだ〜

 近頃いささか気になることがある。日常的な何でもない挨拶がスムーズに言えなくなってきたのだ。たとえば初対面の人に「初めまして、仲達です、どうぞよろしく」とか「仲達です、本日は有難うございます」などだ。
 こういう挨拶は、その後の関係を無難かつ和やかにするために欠かせないものだが、それがどうも口に出なくなってきたのである。しかもその場ではまったく気付かずに、後で"しまった!"と思うのだから我ながら情けない。やはり年とともに頭の回転も鈍くなってきたかと気になる。
 以下に直近の体験例を3つあげる。

 まず先月はじめ義妹が急死したときのことだ。
 上の姪からの知らせで病院に行くと、控え室に下の姪夫婦と見知らぬ老人男性がいた。3人とも私たち同様ふだん着姿で、急を聞いて駆け付けた様子だった。老人は私よりひと回りほど年下に見えたが、ソファの背に体をあずけて身じろぎもせず、私たちを見ようともしなかった。義妹が倒れたのは前夜夕食時で、救急車でこの病院に搬送され、そのまま息を引き取ったそうだから、姪たちと一緒に前夜から付き合っていたのかもしれない。
 実はこのとき姪に「こちらどなた?」と声をかけて紹介してもらうなり、私のほうから先に「義兄ですが……」と挨拶なりしておけば、後の展開も変わったのかもしれないが……、と思うのは"のろまの後知恵"でしかない。
 とにかくその後は通夜・葬儀・斎場とお互い気まずい雰囲気が続いたのだ。だからコロナ自粛で通夜や骨あげ後の会食がなかったのは幸いだった。

 つぎは二週間ほど前。
 午後いつもの山歩きをしていると、墓園の中で対向車に出会った。狭い道で右側に寄ってやり過ごそうとすると、車はウィンカーを点滅させながら私の傍で停まり、助手席つまり私の側のウィンドウが開いて、中から声をかけられた。見ると助手席に知らない女性が乗っていたが、その向こうでハンドルを握っているのは、老人会で会計など事務方を担当しているSさんだった。
「家内です」と助手席の女性を紹介され「あ、どうも」と一応頭を下げたものの、その途端2〜3日前に他の人から聞いたSさんのゴルフのスコアが頭に浮かび、私の話はそっちへすっ飛んでしまった。そうなると「初めまして、仲達です。Sさんにはいつもお世話になっています」なんて奥さんへの挨拶はそっちのけ、Sさんとのやりとりだけで別れてしまったものだ。
 その後歩きながらやっと気付いて、"あの奥さん、俺のこと変な人だと思っただろうな。今度Sさんに会ったら、あのときは小便がつまって急いでいたのでロクな挨拶もできませんでした、といってもらうように話しておこう"なんて考えついたが、まったく間抜けな話である。

 もうひとつは、手づくりマスクをいただいたお礼を、ご本人に出会いながらいい忘れたことだ。マスクのことはてんから頭になく他の話に終始して、帰宅してから家内にいわれて「あ、そうだった」だから困ったもんだ。

 こういうことは以前からあったはずだが、いちいち覚えていない。第一覚えているくらいなら同じミスをこう何度も繰り返すわけない。要は年とともにだんだん地が出てきたのである。
 私は人の好き嫌いが人一倍激しい。実際この年になっても「あいつより先には死にたくないな」と思っている相手が片手はいる。つまり社交性はゼロに近いと自覚している。口先だけの社交辞令がうっとうしくなってきたのも、そういう性格によるところ大だろう。
 そんな私でも付き合って下さる方がいるから、人生は楽しいのである。
 

2020年05月15日(金曜日)更新

第599号 〜コロナから「生老病死」を再認識〜

 先日、中学校の先輩の訃報が来た。学校は終戦の年に私が入学した台北一中、先輩は1学年上だった。また学校は終戦とともに消滅したが、同窓会が終戦の翌年当地で発足し、以来延々と続いており、先輩と私が最後の世話役を仰せつかっていたのだった。ただしその会も出席できるメンバーがいなくなり去年終了した。ちなみに先輩の死因はガンだった。
 この先輩より半月ほど早く、私の義妹(弟の連れ合い)がくも膜下出血で急死している。そしてこうした身内や知人以外にもっと多くの死が、このところいやでも耳に入ってくるのだ。新型コロナウィルスの犠牲者である。

 コロナで亡くなる人は、4月に入って感染者が増え始めてから多くなったが、それに加えて異常な亡くなり方が報じられるようになった。たとえば軽症と診断されて自宅療養を始めた人が、朝家人が出かけるときは特に変わりなかったのに、夜帰宅したら冷たくなっていたとか、同じく軽症と診断された感染者が体に異常を感じて病院に向かう途中容体が急変して倒れ、路上で息を引き取った……などだ。
 事故や事件の犠牲者と違って、コロナによる死亡者は他人事とは思えない。いくら自分では気を付けていても、それこそ人跡稀な山奥や孤島にでも行かない限り絶対感染しないとはいえないからだ。

 とにかく近頃私は人の死に対して、かつてなかったほど敏感になっているように思う。
 これまでの私は人の死にかなり無頓着だった。実際私が誰かの臨終に接したのは50年前の母親のとき1度しかない。臨終後の遺体に対面したのも片手で数えるくらいだ。戦前生まれで真珠湾攻撃からポツダム宣言まで小学3年生〜中学1年生だった日本人としては稀有な存在だが、台湾にいたのだからしょうがない。
 おまけに私はいわゆる"死病"の経験もない。母親によると物心つく前はいろんな病気でよく入院していたらしいが、学校に上ってからは医者にかかることはほとんどなかった。入院経験も30代の盲腸の手術、69歳の大腸ガンの手術、そして80歳過ぎてから左眼の手術のときだけだ。自分では、年をとるほど体が丈夫になっていくような思いさえあり、それはいまも基本的には変わらないが、その一方で"死"について考えることも多くなってきたのである。志村けんや岡江久美子の感染死も拍車をかけたのだろう。

 あらためて考えてみれば、年齢からいっても私は相当な老人である。日本人男性の平均寿命を6歳以上オーバーしている。しかも頭も足腰もまだまだ働けるとあって、これまでは「来年は数えで90歳です」なんて余計なことをよくいっていたが、近頃はまったく口にしない。とにかく我にもなく自分自身も含めて"人の死"について、あれこれ考えることが多くなってきたのである。

 もっとも私の死生観など、そんな言葉を使えるほどご大層なものではない。50年ほど前に大ヒットしたフォークソング『帰って来たヨッパライ』の歌詞そのままなのだ。すなわち「天国よいとこ一度はおいで/酒はうまいしネェちゃんはキレイだ」である。つまり人生楽しく生きてさえいれば、死んだら死んだでまた楽しかろうということだ。

 仏教に「生老病死」という言葉がある。万人にふりかかる人生苦をいったもので、これに「愛別離苦」などを加えて四苦八苦なんていう。しかし現代人はそのうちの二つ"老"と"病"を科学の力でねじ伏せたと思っているのではないか。
 新型コロナウィルスはそんなわれわれの思い上がりに、冷水を浴びせているように見える。
 

2020年05月08日(金曜日)更新

第598号 〜目に新緑山ほととぎす青葉山〜

 5月も1週間を過ぎた。新型コロナウィルスは終息しそうになくとも、気持ちのいい季節になってきた。
 ベランダの正面左右いっぱいに広がる青葉山の北斜面も、日の出から日没まで陽光の照り返しが全面で見られるようになり、新緑が日毎に輝きを増していく。そんな枝葉の茂り具合がよくわかるのが稜線だ。寒い季節は幹と幹の間が透けて空が素通しだったのが、枝葉が茂って樹間を埋めると稜線が高くなる。つまり冬場と夏場では山の高さが違うのである。
 そこで気付いたことがある。こうした季節毎の自然の変化は、毎年同じでも「いいなあ」と思うが、樹木の伐採や建造物などの人工的な変化は、そのときは「何だ?ありやぁ!」と気になっても毎日眺めていると、やがて気にならなくなるということだ。人工的なものには季節の変化がないからだろう。

 私たちがここに転居してきてから20年以上、その間には青葉山の様相も方々で変わっている。稜線からニョキニョキ突き出ている携帯電話の中継電波塔も数が増えたし、ベランダ正面の斜面には人口芝の薄っぺらな緑色を張り付けた目障りなゴルフ練習場もできた。
 中でも一番大きな変化は、てっぺんの台地に広がっていた18ホールのゴルフ場がなくなったことだ。

 青葉山は奥羽山脈から張り出してきた尾根が仙台平野に臨む先端の台地で、先っぽ(東)と左側(北)は広瀬川に削られて急斜面や断崖が多い。そして市の中心部は川のすぐ東側、仙台駅まででも2キロほどしかない狭い区域にひしめいている。というわけでそのゴルフコースは、市街地から広瀬川を渡るとすぐ始まる急斜面を登りつめたとっつきの台地に広がっていた。
 コースは市内の実力者が集まって計画したものだといい、私がゴルフを始めた頃雨後の筍のように出来たチンケなコースとはまるで雰囲気が違っていた。クラブハウスの傍にイチョウの大木が3本並んで立っているのが、ベランダから遠望できたのも身近な感じがして、よくラウンドしたものだ。
 だが15年ほど前、コースは敷地を県に返還して別のところに移り、跡地に東北大学々部の建物が建ち始めた。しかしそれらの建物は稜線の樹々より上に見えるほど高くはなく、せいぜい夜も更けてから木々の合間に上階の窓明かりが見えるくらいだから、ほとんど気にならない。

 何とも目障りで場違いなのが、さきに書いたゴルフ練習場だ。
 青葉山トンネルで東北道のICと市中心部を直結させた、仙台西道路の上の斜面を切り開いて造成したもので、2階建て80打席、斜面奥に250ヤードの標識がある。けっこう大きいが、広大な北斜面のほんの一部でしかない。それでも私には目障りで不躾な存在なのである。いつ見ても薄っぺらな色が変わらない人工芝のせいだ。
 だいたいこの北斜面には人家は1軒もない。かつては麓の住民たちの入会地として人が通る道もあちこちにあったはずだが、車が生活の大部分を占めるようになった昨今は、そんな道も草に埋もれているだろう。暮らしが豊かになるにつれて逆に見離されていく……斜面からそんな皮肉な感じさえ受ける。

 そういえば「目には青葉山ほととぎす初かつお」の句のように、ほととぎすがあの独特な鳴き声をあげながら、青葉山からこちらに向かって飛んでくるのもこれからだ。鳴き声が聞こえるたびに私はすぐ双眼鏡を持ち出すのだが、いつもそれより早く一直線に私の頭を飛び越えて行ってしまう。
 見付けたら何かいいことがありそうな気がするので、今年こそと思っている。
 

2020年05月01日(金曜日)更新

第597号 〜ぜひ見たいコロナ収束後の世界〜

 先月末の祝日に予定していた町内ゴルフ部のコンペが中止になった。いうまでもなく新型コロナウィルスの影響だ。今年最初のコンペとあって残念だった。
 町内のイベントで中止になったのはゴルフだけじゃない。4月になってからざっとあげても、老人会のお花見会とストレッチ体操、管理組合の理事会(各員に書面を配布して意見を集め決議した)、そば打ちクラブ、習字教室、バドミントン部と卓球部の練習……などがある。続けているのはテニス部の練習だけだが、これも誰かが「この際やめといたほうが……」といい出すかもしれない。
 何しろ全国に緊急事態宣言である。こうなりゃ歩くしかないか。……と思うのは私だけじゃないらしく、近頃墓園を歩いていると初めて見る顔によく出会う。

 コロナウィルスに対する私の作戦は他の人たちとまったく変わりない。「触らぬ神に祟りなし」に徹底するだけである。
 何しろ敵はその正体も所在もまったくわからないのだから、神さまと同じだ。神さまはこちらからうやうやしく拝み奉ってさえいれば何も悪さをしないが、コロナは誰も彼も見境なく攻撃してくる。その弾がどこから飛んでくるかわからないから怖いのだ。
 たとえばこれが地震なら、どれほど大きかろうと揺れが一段落するまで身の安全を図り、一旦治まってから逃げればいい。だが正体も所在も不明の敵からは逃げようがない。その意味では、不要不急の外出をせずに正体不明の相手と会わないようにすることは、現時点では最善の方法だろう。

 そういえば私たちは今年になってから、駅前や一番町など市内の繁華街へ1度も出掛けていない。別にウィルス感染を警戒したわけではない。発生源の武漢やダイヤモンドプリンセスがニュースになり始めたのが2月初め頃だったから、時期的にも違う。だいたい私たちのいまの生活はたまの外出でも、不特定多数の人が集まるようなところとはあまり縁がないのだ。
 実をいうと私はこうした伝染病に対して無意識無頓着なほうだ。
 たとえばインフルエンザの予防注射をこれまで一度も受けたことがないし、それで羅患したこともない。自分では「子どもの頃から台湾の雑菌まみれで育ってきたから、たいていの病原菌は受け付けないんだ」とイバっているが根拠はない。いやひょっとすると引揚げてきた年、夏の暑い盛りにマラリヤを発症したことが何度もあり、それがいつの間にか治まったことで、体に免疫か抗体でもできたのかもしれない。加えて悪運も人一倍強いのだろう。

 そんな私が今回のコロナウィルスに対してはいささか用心深い。
 自分でも年のせいかなと思う。高齢者や基礎疾患のある人が感染すると重症化しやすいなんて話を聞くと、やっぱり気をつけたほうがいいなと思うのである。そして私はこのパンデミックが収束した後、世界がどんな有様になっているかこの目で見たいのである。
 トランプ氏が「私は戦時の大統領だ」といっていたように、私は今回のパンデミックは第3次世界大戦だと思っている。国と国、人と人が武器と武器で戦いはしないが、収束したときは間違いなく世界中どこも疲弊しているだろう。そこからどう復興し、どんな新しい秩序ができ、コロナウィルス発生源の真相究明がどのように行われるか、知りたいのである。
 ただし「歴史の真実は次代の征服者が暴く」という多くの前例を見れば、あと何年生きればいいのやら。
 

2020年04月24日(金曜日)更新

第596号 〜"無駄に美人"と"無駄に老人"の違い〜

 かなり以前の刊行だが、帯の宣伝文中にあった言葉に釣られて買い込んだ本がある。例によってブックオフの100円コーナーで見つけた。しかも3割引きのサービス券を使ったので税込77円だった。
 初めて読んだ若手の警察ミステリー。釣られた言葉は「無駄に美人」である。

 内容は、誰が見てもどんなにアラ捜しをしてもまったく非の打ちどころのない美人、もちろん女性の刑事が、その万人に秀でた利点に頼ることなく難事件を解決するものだ。家内によるとテレビドラマにもなったそうだから、ご存じの向きも多いだろう。そういえばストーリー展開もテレビ向き、作者は脚本家でもあった。
 こういう読者の意表をつく人物設定は作品の面白さを倍加する要素で、実際私も面白くよんだ。

 "無駄"とはもちろん"役に立たないこと"だ。無駄足、無駄食い、無駄口、無駄死に、無駄遣い、無駄骨……こう並べてみると、われわれは役に立たないことばかりやっているようで、さらに"に"をくっ付けると極め付きになる。"無駄に手間ばかりかけやがって"といえば、どんなに時間をかけて頑張っても出来上がったのはまるで役に立たない代物だし、"無駄に年老いた"はそんな中途半端な人生の成れの果てである。
 つまり"無駄に年老いた"ことと"無駄に美人"であることは意味内容が真逆なのだ。美人はそれだけでメリットが十分あるのに対して、人は年老いただけでは何の役にも立たないのだから。「老馬の智は用いるべきなり」なんて諺は老人の自画自賛でしかない。

 ところが世の中には"年を重ねるだけでキャリアになる"と思っている人が多い。勘違いもいいところだ。かつては"村役鳶役肝いりどん"の一員として集落内で一目置かれていた年寄りも、お役御免になればただの爺さんなのである。それをキャリアだと思って役付き当時同様に目線が高くなるのが勘違いだ。そしてそうした勘違い爺さんほど顧問などと自作自演したり、長老然と振舞ったりしたがるのである。

 もっともかくいう私自身にしても"無駄に年老いた"ことには変わりない。
 同世代の誰彼にくらべて少しは足腰や頭のはたらきは達者だが、世間さまのお役に立つようなことは何ひとつせずに、年齢だけ積み重ねているのだ。取り柄は世間さまに迷惑をかけなかったことぐらいしかない。
 そして、これから先もそれをいちばんの責務として、無駄な年齢を重ねていこうと思っているところである。
 
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