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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2020年04月17日(金曜日)更新

第595号 〜年寄りを現実に引き戻す不祝儀〜

 先日の朝9時前、市内に住む私の姪から家内のケータイに、突然電話がかかってきた。東京の家内の姪とはよく通話しているので驚かないが、こちらは珍しいので私も何事かと聞き耳を立てると、「えっ、お母さんが!」という家内の素っ頓狂な声で内容の見当がついた。
 姪の母親、つまり私のすぐ下の弟の連れ合い・義妹が亡くなったという知らせだ。すぐ仕度をして二人で病院に向かった。

 病院はその弟が13年前亡くなったのと同じところだ。仙台駅の東側、楽天球場の先にある。13年前の東側はまだ区画整理の途中で、かのX橋の先には二十人町や鉄砲町の古い町並みが残っていて道路も狭かったが、いまは広くなって車もスムーズに流れ、思ったより早く着いて遺体に対面できた。
 姪によると死因はくも膜下出血だったという。前夜一緒の食事中に突然倒れて意識がなくなったので救急車を呼び病院に搬送した。集中治療室で治療を受け一時小康状態になったが、回復には至らなかった。
 元々血圧は高目だったが前兆はまったくなかったようだ。ただ一年ほど前からやせ始め体重が10キロ近く減ったので、何が原因か気にはしていたが、脳にまでは気付かず特に検査は受けなかった。やせた以外には特に悪いところもなく、二人の娘や男ばかりの3人の孫も近くに住んでいて、日々大過なく過ごしていたという。年齢80歳で平均寿命には届かなかった。
 ちなみに通夜と葬式どちらかに、東京にいる息子が出席したいといってきたが、コロナ騒ぎが落ち着いてからお参りにくるようにと控えさせた。

 このように身内の誰かが亡くなったときに、何となく取り残されたような気持ちになるのが年寄りの普通の反応だろう。そのあたり私も同じだ。いくら達者なのが売り物でも体と心は別物、いっとき気分的にちょっと落ち込んだり寂しくなったりすることは確かだ。それは身内ばかりでなく日頃親しくしている友人知人や、たまにしか会えなくても気を許して付き合える仲間たちも同じだ。
 しかしその一方では、たとえ縁続きでも訃報だけ淡々と受け取る相手もいるし、中にはこの現世(うつしよ)で同じ空気を吸わなくなって清々した、と感じる相手もけっして少なくないのだ。

 たとえば、会合などで周囲の人を見る目付きがいつも胡散臭げなあの人物、配下にイジメなどをさせながら自分は優等生顔をしているかの人物、あるいは人一倍のセコさに学生時代から毛嫌いしたままいまは音信不通になったあいつ……などだ。もっとも私自身万人に好かれるタイプじゃないので、周囲の大勢から見れば同じ仲間に入るだろう。

 いずれにせよこうした不祝儀は突然やってくる。新型コロナウィルスのように事前に兆候が見えることはない。いろいろ予定スケジュールが狂うこちらもたいへんだが、もっとたいへんなのは財布を握っている家内だろう。こうしてわれわれ年寄りは時々否応なく現実に引き戻されるのである。
 

2020年04月10日(金曜日)更新

第594号 〜コロナ対応で体操会に中止勧告〜

 来週水曜日に予定していた町内老人クラブ"一期会"のストレッチ体操が、新型コロナウィルスの影響で中止になった。代表世話人の私をはじめスタッフの意向はやるつもりだったが、その3B体操のインストラクターを仲介している地域の市民支援センターに、市から中止の勧告が入ったのである。残念だが仕方がない。

 3B体操とはボール、ベル、ベルターという3種の特殊ゴム製道具を使って行なう遊び要素たっぷりの軽運動で、高齢者はもちろん足の悪い人でもできる。一期会では大震災直後から4月〜11月毎月1回の恒例行事にして、私も「物足りないでしょう」といわれながらずっと参加してきた。
 場所は団地内の体育館。バスケットボールのコートが余裕十分でとれ、天井も高く換気もよい施設だ。管理組合や町内会の総会では200人近い参加者も収容できる。しかもストレッチ体操の参加者は毎回男女合わせて20人ぐらい。世話人としてはこの倍ぐらい集まって欲しいのだが、皆さん今更体操なんて面映ゆいのかどうも集まりが鈍い。
 というわけで体操を行なう環境は、"換気が悪い狭い空間"に"人が密集して""近距離での会話や発声がある"といったコロナ感染が起こりやすいものとは程遠いのだ。だから先月下旬頃は支援センターでも「そちらさんは問題ありませんよ」といっていたし、私たちも今年初の開催を楽しみにしていたところだった。

 話はちょっと脱線する。
 体のあちこちを軽くほぐすことから始まるこの体操のプログラムの中で、私がいちばん楽しみにしているのが、最後にやる"歌に合わせて踊る"体操だ。その歌が戦後間もない頃大流行した、渡辺はま子の『桑港のチャイナタウン』だからこたえられない。
 踊りも両手を左右に大きく広げながら片足を爪先立ちしたり、後ろに半歩ずつさがりながら前になった足のひざを伸ばし、足裏を反り返らせてふくらはぎから太股後ろ側までの筋肉を緊張させる……など、体操の要素をふんだんにとり入れつつ、歌舞伎の"見得を切る"ような所作があったりして、たいへん面白いのだ。
 気に入っているのは私だけじゃない。世話人をまとめて幹事長役を務めてくれるOさんや会計のSさんも同様で、それを心得ているインストラクターのYさんもプログラムの〆くくりには必ず『桑港の……』をやってくれる。そして私をはじめOさんたちも「これをちゃんと覚えたいんだよなぁ」と頑張るのだが、なかなか身につかないのだ。私なんか「ネットに振り付けが出てるんじゃないか」と3B体操を検索したほどだ。
 私の分析では、こういう振り付けなどを覚えるには、単に真似する感覚プラス、いわゆる"流れをつかむ"感覚が必要な気がする。ただ運動神経がいいだけではダメだし、それも年老いるにつれてどんどん難しくなる。こうなると誰かに動画でも撮ってもらうか、踊りに加わらず傍でひたすらメモをとるしかなさそうだ。やれやれ……である。

 さて、対コロナウィルスは当地もいよいよ臨戦体制に入ったなと思う。何しろ東京まで2時間足らずなのだ。これまで感染者が少なかったのが不思議なくらいだ。体操中止も行政として当然の措置だろう。あとはわれわれが自分の身を自分で守ることに専念するだけだ。9年前の大震災大津波を教訓にすれば「釜石てんでんこ」現代人の好きな自己責任である。
 あの時のような不意打ちじゃないだけ、今回は楽なものだろう。
 

2020年04月03日(金曜日)更新

第593号 〜大切にしたい時代遅れの感覚〜

 私の携帯電話はガラケーである。いつ頃から持ち始めたかよく覚えていないが、9年前の大震災大津波より後なことは確かだ。
 あのとき大きな揺れがおさまってから戸外に出て行くと、隣人のSさんがケータイを見ながら「いま仙台空港が津波でやられていると北海道の友人が知らせてくれました」といったこと、ケータイって情報ツールとしてけっこう役に立つんだなと思ったことなどが記憶にある。

 持ったのは大震災の数年後だ。家内がそれまで持っていた機種を新しいスマホに替え、不要になったのを私に譲ってくれたのだ。私はケータイなんて今更と思ったがが、「歩行計もついてるわよ」といわれてその気になった。真紅のボディカラーは元の持ち主の趣味、その塗装もいまはあちこちはがれて白い地肌がムキ出しになっている。
 ところで私は当初ガラケーという呼び方を、なんてガサツなネーミングだと思っていた。だが改めて調べてみると、これは隔絶された環境で独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の生物のように、日本の社会や文化に合わせて特殊な進化をしたケータイだそうだ。例えていえば漢字を元にしたひらがな、明治の文明開化にともなって創作した和製漢語と同じ日本独自の文化であり、自慢そるに足るものらしい。だから現に近頃は、誰も使わない機能ばかり余分にくっついたスマホから元のガラケーに替えるユーザーが増えているという。
 いずれにしろ通話と歩数計だけで十分な私には異次元の話ではある。

 スマホについて私の印象は「呼び出し音がよく鳴るなあ」である。電話かメールかラインか、あるいはドコモからのPRか私には見当もつかないが、ピッとかウウとかポロロンとかのべつに鳴っている。それらのどれが大事な知らせかわからない私は、炊事か何かしていて聞こえない家内に「おい、鳴ってるぞ」と大声をあげるが、家内は「あとで見るからいい」などといってとり合わない。
 私のような前時代の人間は"電話急げ"と使い古されたシャレ(いまの若い人には通じないだろう)まじりに、鳴ったら取ると教えられたので気になるが、ケータイは鳴ってもすぐ出られないことが多い。運転中がその代表だし、重要な会議中、同じく重要な用談中などもあるし、ゴルフやテニスのプレー中なんてこともある。
 ちなみに私は外出中ケータイは必ず尻ポケットに入れている。ここが歩数計にとってベストポジションだと思っているからだが、そのかわり雑踏では着信音が聞こえにくく、それで家内と言い争いになることも時々ある。
 近年人々が"電話急げ"じゃなくなったのは、こうしたケータイのせいもある。

 ケータイのすぐ以前、車載電話があったことを覚えている人も多いだろう。
 私が編集から広告に異動して間もない頃、社に出入りしていた個人広告代理店のような男が自慢していた。車に電話を取り付けたら仕事が倍ぐらいに増えたらしい。広告営業はコネが命、どんな小さなコネでも他より早くつかめば仕事につながるのだから、車載電話はもってこいのツールだったわけだ。
 その車載電話は受話器以外の本体が大きく重く、車に積み込むのがやっとだったが、2〜3年後には"ショルダーフォン"という、本体と受話器を肩にかけて持ち運ぶ"携帯電話第一号機"が誕生している。1987年だった。
 それからわずか30年ちょっと経ったいま、スマホは日本人1人に1台を越えたという。原稿を書き終えたら、時代遅れのガラケーを尻ポケットに突っこんで800メートルほど離れた散髪屋に行こうかなと考えている私など、世間に取り残されるばかりかもしれないが……。
 

2020年03月27日(金曜日)更新

第592号 〜五輪より感染防止が第一だろう!〜

 先日、当地の赤十字病院から電話がかかってきた。日赤には眼科外科循環器内科で診療を受けている。電話は外科からで4月初めの水曜日の予約を、「このほど水曜日の外来診察をしないことになりましたので変更を……」というものだった。こういう措置も新型コロナ対策の一つかな納得した。
 その1週間後、眼科に行った。朝7時半頃家を出てバス、地下鉄と乗り継ぎ、終点から病院まで歩いて1時間ほどで着いた。いつもはもう20分ほどかかるが、学校が休みなのでバスも道路も空いていたせいだろう。

 玄関ロビーに入るとロープで道順が仕切ってあり守衛さんが待ち構えていて、歩いてくる間あごまで下ろしていたマスクを鼻まで上げるように指示された。そしてその先に女性看護師さんがおり「検温します」と目の前に計器をかざした。だがその計器ではうまく測れないらしく、院内で待機している二人組にバトンタッチ。そこでまた計器を顔の前にかざされ、やっと「33度しかないわね。きっと外の冷たい空気に当たっていたせいでしょう」とほっぺたを触られた。「ええ、駅から歩いてきたから……」「お元気ですね」「有難う、でも33度しかなくてよく生きてられるものだ」と最後は軽口をたたいて、診察受付に向かった。
 新型コロナに対する取組みは水曜日の外来だけでなく、病院全体で始まっていたのだった。

 こういうことに出会うと、ほんのひと月前には遠い世界の出来事だと思っていた脅威もずいぶん身近かになったような気になる。
 そういえばウィルス発生の火元・中国の武漢なんて、私たち昭和ひと桁世代は"武漢三鎮"という言葉が浮かんだぐらいで、そんなところにイオンまで進出して大勢の日本人が暮らしていたなんて想像もできなかった。
 ちなみに、半月ほど前にはアメリカでこの新型ウィルスを"武漢ウィルス"と呼ぶというニュースがあったが、その後トランプ大統領が"チャイニーズウィルス"と言い替えていた。

 しかし病院の入口でいきなり検温などされると、やはり他人事ではなくなる。出かける際はどんな近場でもマスクをつけるようにするし、帰宅したときは手洗いとうがいを一応するようになった。特に私に欠かせないのがのど飴だ。家の中ではすぐ手の届くところに置いているし、外出するときはそのままポケットに入れる。

 咳は私のいちばんの弱点だ。原因もわかっている。
 私は物心つかない頃、左耳の中耳炎を手術した。耳のつけ根の後ろ側にその傷跡が残っているが自分では見えない。そのためのどの奥にある咳の発生ポイントと左耳内側の皮膚表面の神経が直通になったらしく、耳かきなどがちょっと触っただけでも、のどの奥がイガイガして咳が止まらなくなるのだ。この発生ポイントはワサビなどの刺激物にもすぐ反応するので、こんな時期はほんとうに困ってしまう。

 とにかくこの新型コロナウィルスには現時点ではワクチンも薬もないので、社会全体で伝染を阻止し一人々々が感染しないようにするしか適切な対処法はない。ところが日本はいまオリンピック開催を控えており、政府などは両方とも成功させようと躍起になっている。世界中から「日本は感染者の数を意図して少なく発表している」といわれる所以だ。
 しかしわれわれ一般庶民にとっては、いまはそんな予定行事より自分の体を守ることが問題なのだ。オリンピックなど二の次、できるだけ感染を避けること、万が一感染しても軽症ですむように体の芯から丈夫になることが第一なのだ。
 こんな考え方、間違っていますか?
 

2020年03月20日(金曜日)更新

第591号 〜EVがない4階暮らしの効用〜

 私たちのマンション団地は4階建ての棟が9つある。その中でエレベーター(EV)があるのは5番館から9番館までの5棟だけ。私たちがいる1番館から4番館にはない。そこで住居が最上階の私たちはちょっと郵便をとりにいくだけでも、階段を上り下りしなければならない。

 なぜそんなきついところを選んだのかというと、仲介業者の営業マンの案内であちこち下見をした中で、ここがいちばん見晴らしがよかったのと、部屋の空間がかない広かったからだ。これは最上階なのでメインのリビングをはじめ洋室2つの天井が建物の屋根の裏面になっているせいだ。つまり3階以下よりかなり天井が高い屋根裏部屋なのである。一茶じゃないが「これがまあついの住処か屋根裏部屋」なんて駄句さえ考えついたほどだ。

 見晴らしがいいのは1番館が9棟の中で敷地内の最も高い場所に建っているからで、何しろベランダに出ると他の番館の屋根さえ見下ろせる。さらに8月になって七夕祭り前夜祭の打ち上げ花火まで見えたのには"いやはや"だった。花火会場は直線距離だと4キロほどだが、途中は曲がりくねった広瀬川の渓谷に両側から山が迫って、このあたりから見える場所はあまりないのだ。
 そんなわけで階段の上り下りは、引っ越してきたときから私も家内もほとんど苦にしなかった。神戸や横須賀などの坂の多い町に住んでいる人は、普段自然に足腰が鍛えられるので体の芯から丈夫になり長生きするというデータもある。転居前に住んでいた野田市は利根川と江戸川にはさまれた平地で、土地の人が「山」というのは林や森のことだったから、老後をこんな健康にいい環境で暮らせるなんて願ってもないことだと思ったほどだ。

 階段には7段毎に折り返しの踊り場があり、14段上った踊り場の両側に住居のドアがある。つまり住居も高さが14段分ということで、これは一般の建売り住宅の2階へ上る階段より1段多いだけだ。つまりこの1段分の隙間のどこかにキッチンや風呂場、トイレの配管が集中しているわけで、合理的だが余裕のあるつくりではない。これが法が定める規準なのだから、いわゆるタワーマンションなどの高級物件も中身はわれわれの住居と似たようなものだ。
 ちなみに都内のタワーマンションは、今年オリンピック(開催か中止かわからないが)終了後、大暴落に見舞われてオーナーは地獄を見る、なんてとんでもない予想がネット上で噂されている。クワバラクワバラ……。

 階段には転居してきた当初は手摺りがなかった。足元に不安がある人は7段毎に設けられた幅広の間仕切りを頼りに上り下りしていた。その間仕切りに太い頑丈な手摺りがついたのは10年ちょっと前だ。おかげで上り下りは随分楽になった。
 私たちもそうだ。家内が腰を痛めてから重いものが持てなくなったので、買物はほとんど私が持って上るのだが、片手が空いていると手摺りを掴んで腕力も使える。腰だけでなくひざにも難がある家内も同じだろう。大げさな言い方かもしれないが、この手摺りのおかげで私たちの4階生活も10年は延びたように思う。

 町内の知り合いは私たちの4階暮らしを「たいへんでしょう」と気遣ってくれるが、なあにこんなもの慣れと天井の高い広々として空間と、素晴らしい見晴らしとを相殺すれば、かえってお釣りがくるくらいだ。
 私は墓園正面の大階段も時々上り下りしている。「高いところへ上りたがるのはバカと煙」だけではない。頭も体も達者な年寄りも仲間に入るのである。
 
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