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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2020年03月13日(金曜日)更新

第590号 〜「云々」ぐらいちゃんと読んでくれ!〜

 私は本はけっこう読む。小説からエッセイ、ドキュメント、軽い評論から、ある分野の専門家が一般向けに書いた学術書まで様々だ。とにかく面白ければいい。中で特に興味をひかれるのが初めて出会う言葉や、その作者ならではのエスプリのきいた言い方だ。

 初めて出会った言葉ではつい先日「神采奕々」があった。ルビが振ってあり"しんさいえきえき"と読む。故山本夏彦さんの『愚図の大いそがし』にあった。私は氏の大ファンで著書は全部読んだつもりだったが忘れたか、それともこの一冊(1993年初版)は見逃していたか。リサイクルプラザからもらってきたものだ。
 意味は前後の文章からおおよそわかる。だが私はこういう言葉に出会うとうれしくなってすぐ辞典をひく。神采も奕々も私が持っている国語辞典にはなく、漢和辞典で見つけた。神采は「すぐれた姿」、采々は「美しいさま」「大きいさま」とある。要するにある人物の「すぐれたたたずまい」を表現する最高の言葉だ。ま、われわれが使うことは滅多にないだろうが知っていて悪いわけない。
 
 私たち高齢者も含めていまの日本人の大部分は見慣れない、つまり普段よく見る使うもの以外の漢字や漢語をほとんど読めなくなっている。その代表が安倍晋三総理大臣だ。かつて「云々」を「でんでん」と読み間違えたのは有名な話だし、近くは昨年、今上陛下の即位礼正殿の儀の際、参列者を代表して申し上げる言葉の中に読めない漢字があり、切羽つまったという噂も聞いた。何でも「已」(や)が読めなかったらしい。
 これは現在は「已むを得ず」ぐらいしか用例がなく、己(き)や巳(み)と混同されてわれわれ世代のごく一部しか読めなくなっているので無理もないだろう。ところがいまあらためて調べてみると、この発言はどこのニュースからも消え失せている。私がこれを見たのは2チャンネルだったが、そんな危なっかしいネタ元は無視されたのかもしれない。そしてその埋め合わせみたいに、儀式に参列していた安倍昭恵夫人の、場違いなひざ上まで丸出しのバンザイ姿は麗々しく残っていたのはご愛嬌とでもいえるか。

 同じ本の中に「人は多く年齢にこだわる。ことに並の老人はほかに自慢するものがないから年をとったことを自慢する。」という一節があった。
 まったくそのとおり耳に痛いというしかない。特に私など自慢できるものが沢山あるのに、気がつくと「来年は数えで90になります」と口走っているのだから始末に負えない。反省しきりだ。
 しかし年寄りが年のことをいうのは、自分がまだまだ達者なことの確認でもあると思う。ならば達者をアピールするほかの嫌味にならない方法を考えればいいわけだが、これがなかなか難しい。私もこれから頑張って工夫してみます。

 ところで漢字や漢語の原点は、古代より中国から伝来し続けてきた漢籍だ。その漢字を元にわれわれの祖先は、やまと言葉に合った仮名文字を工夫するなどして日本独特の文化をつくり、漢籍もその中にとけこませてきたのだ。
 明治の文明開化とともに一気に流れ込んできた西欧文明をとり入れ、日本の風土や文化にとけこませるために工夫創造した、"経済"など多くの和製漢語がその象徴だ。いわばわれわれ日本人は昭和20年の敗戦まで千数百年もの間、漢字文化を知識や教養の土台にしてきたのだ。しかもそれは知識階級から一般層まで幅広く広がっていた。そうした漢字文化をないがしろにすることは日本文化を捨てることにつながると私は思っている。
 だから「神采奕々」まではともかく、ガバナンスだのコンプライアンスだの近頃流行りのカタカナ語を得意げに口にしながら「云々」も読めない人を見ると、私は寒気がしてくるのである。
 

2020年03月06日(金曜日)更新

第589号 〜今年は梅も桜も花が早過ぎ〜

 3月もひな祭りを過ぎて、当地でも"花の便り"がチラホラと聞こえるようになってきた。しかしよくよく考えてみると、これは30年ほど前にくらべればいくらなんでも早過ぎる。どう見ても異常気象である。

 私は終戦の翌年・昭和21年3月に台湾から当地に引き揚げて来た。くわしい事情はあまり触れたくないが、私たち一家は他の多くの引揚者と違って当地に住む家があり、食べ物にも不自由しなかった。住居の場所は当時"駅裏"とよばれた仙台駅東側だったが歩いても10分足らず、近くに元陸軍第四連隊兵舎の前の榴岡(つつじがおか)公園や市内名所のひとつ榴岡天満宮などがあり、敷地100坪ほどの二階家で庭も広かった。
 私たちがその家に着いたのは3月18日の夜更けで、翌朝明るくなって外を見ると、雨戸を開けた縁側の向こうに、小さな白い花が細く伸びた枝のあちこちに咲いている古い梅の木があった。台湾で生まれ育った私が初めて見た花だったが、当時はこれが満開の時期だったのだろう。いまより随分遅い。

 桜も同じく初めて見た。榴岡公園に幹に大きなウロができた古木がずらりと並んでおり、満開のときは見事だったはずだがそれほど強い印象はなかったし、時期もしかとは覚えていない。私たち当時のいわゆる"軍国少年"は花よりだんごならぬ飛行機や戦車、軍艦が興味の主な対象だったのだからしょうがない。そういえば私が引き揚げ後に転入した中学校(新制○○高校併設中学校といった)も、敷地全体をぐるりと桜並木が取り囲んでいたらしいがとんと覚えがない。
 人々の間で花見が話題になり始めるのは、戦後も20数年後、さきの東京オリンピックや大阪万博がきっかけになってからだと思う。それまでわれわれ一般庶民は日々暮らすことに精一杯、「桜を見る会」なんて余裕などこれっぽっちもなかったのだ。

 いずれにせよ梅も桜も30年ほど前までは、開花も満開も昨今よりずっと遅かったように思う。すなわちアメリカの上院公聴会で「地球温暖化」という世界発の発言があり、4年後それをテーマに地球サミットが開催された頃である。

 私は花見にもあまり興味はない。花見酒ならともかく、いくら美しいからって同じ花を毎年眺めて何が風流だと首をひねる。有名な唐代の詩の一節「年々歳々花相似たり」で、それなら一度見れば十分「歳々年々人同じからず」でいいじゃないかと思う。それを当地なら、県南白石川沿いの"一目千本桜"が見頃だとテレビがいっていたと、毎年出かけていく気持ちがわからない。
 なおこの詩の末尾は「……紅顔の子/応(まさ)に憐れむべし/半死の白頭翁」である。身につまされて、うかうかと花見などしていられないではないか。

 花見で思い出した人物がいる。F社の数年後輩のN君だが、ありふれた苗字なので私たちは名前を音読みして「キンパク君」と呼んでいた。そのキンパク君が12年前の4月なかば、東京から奥さんと二人で私たちのところへ遊びに来たことがあった。
 いちばんの目的は私たちとテニスをすることだったが、やってき来た日の午後いっぱいテニス部のメンバーも一緒にプレーを楽しみ、四人で夕食歓談して彼らをホテルに送っていくと、翌日は「せっかく来たのだから、明日は途中あちこち花見をしながらゆっくり帰ります」という。そして後日の便りによると、仙台から在来線の鈍行に乗り、さきの"一目千本桜"をはじめ福島の"花見山公園"、三春の"滝桜"(樹齢千年超のベニシダレザクラ、国の天然記念物)などを堪能して帰ったそうで、便りは「一生分の花見をした思いです」と結んであった。
 こういう花見ならやってもいいなと思う。

 とにかく冬場暖かいのはわれわれ年寄りには有難いが、これが異常気象となるとちょっと考えものである。
 

2020年02月28日(金曜日)更新

第588号 〜寿命レースはマラソンと同じ〜

 金田正一(昨年10月)、野村克也(今年2月)と往年のプロ野球界超名選手が相次いで亡くなった。金やん86歳、ノムさん84歳、二人ともそれなりに天寿を全うしたといっていい。彼らのような有名人ではないが、昨年暮からこれまで私のまわりでも訃報が続いた。

 はじめは暮もだいぶ押し詰まってから、F社の後輩でゴルフが得意だったK君がガンで亡くなった。彼とは私のリタイヤ後はあまり縁がなかったが、昨年6月那須のリゾートホテルにスキー仲間たちと一泊したとき、朝の食堂でバッタリ出会ったのだ。そのときは気力体力ともしっかりしていて話もはずんだのだったが、わずか半年後の"まさか"で、享年69だった。
 次いで今月はじめ、F社の広告部宣伝で私と一緒に仕事をしたO君が亡くなったという話を聞いた。彼は私が辞めてから音信不通だったので、どんな亡くなり方をしたのか全然わからないが、年齢は76歳だったそうだ。

 さらに今月11日の朝、前夜来の雪が車や駐車場に5センチほど積もっていたので雪かきをしようと出ていくと、うちの車の2台おいた車の前で、先に作業をしていた中年の女性に「〇号室のYですが、父がゆうべ亡くなりまして、今日は車の出入りが多くなってご迷惑をおかけいたしますけど、よろしくお願いいたします」と挨拶され、私も「それはご愁傷さまです。どうぞお気遣いなく」とお返しした。かねて顔見知りの隣人Yさんが亡くなったのだった。そういえばその10日ほど前、団地に救急車が入ってきて、〇号室あたりから患者を搬送して行ったなと思い出した。
 Yさんは干支で私のひと回り下だった。10年前肝臓ガンの手術をしたが他に転移があり、抗ガン剤と緩和ケアでやっと生きているとのことだった。それでも表情は穏やかで明るく、晴れて気持ちのいい日などにはノルディックウォークの2本ストックを突いて裏の墓園を散歩しており、私もときどき行き会ってって他愛ない会話を交わした。いつも残された日々を楽しんでいるような印象だったが、こんなにあっけなく亡くなるとは思いもよらなかった。

 こうして周辺で年下の人が続けて亡くなっていくのをみると、われわれの寿命は一種の耐久レース、例えばマラソンみたいなものだなと思えてくる。生まれると同時に否応なくレースに参加させられ、成長期は大勢の仲間と一緒に楽しく走っているが、壮年から実年期になると一人また一人と落伍者が出始める。そして平均寿命(男性81.25歳、女性87.32歳)のゴールまで完走できない人が多いのだ。
 しかし平均寿命など私にいわせれば"とりあえずのゴール"でしかない。マラソンでいえば35キロ地点みたいなものだ。レースはそこからが正念場、力の見せどころになるのである。寿命(長生き)レースも同様、そこからモノをいうのが地力だ。そしてわれわれ年寄りの地力とは、まず自分の足で"歩けること"だと私は思っている。

 頭のテッペンから足の先まで、健康のためには歩くことがいちばんいい。どんどん歩いて下半身をよく使うと、体の大きな筋肉群をフルに働かせるので血行が良くなり、新鮮な血液が脳をはじめ体内臓器、指の先など全身に行きわたるようになる。頭のはたらきもよくなるし、体も芯から丈夫になる。
 この逆の現象が例の"エコノミークラス症候群"であることは、あらためていうまでもないだろう。

 とにかく私が女性の平均寿命を超えてなお達者でいろんなことができるのは、子どもの頃からよく歩いていたことと、ガンや不慮の災害や事故を避けてくれた悪運のおかげである。もちろんこれからも歩くことは続けるし、悪運もおいそれとは離れてくれないだろう。忙しいことだ!
 

2020年02月21日(金曜日)更新

第587号 〜再々開したパンツの仕立て直し〜

 2年前から中断していたパンツの仕立て直しをやっと再々開した。
 中断の原因は左眼々底静脈瘤(加齢黄斑変性)の再発だ。発症要因はよくわからないが一昨年春頃から毎月の診断で異常が見つかり、視力が急激に落ち始めた。もう一方の右眼は10年以上前、眼底出血(静脈瘤が2ヵ所)の手術を行ったので中心部分がほとんど見えない。つまりそれまで何とか働いていた左眼がダメになりかかったわけで、当時の日記を見ると日付や出来事が倍以上も大きな乱れた字で1行しか書いてない。またそのメチャクチャな字で原稿は書き上げたもののパソコンに打ち込む作業ができず、以来家内に代わってもらっている。

 治療は眼球への直接注射で、1本1万5千円(一割負担で)近いのを何本も打たれ、夏場を迎える頃にやっと回復した。ところが視力は一応発症前に戻ったものの、右眼と合わせた総合視力、両眼の連係プレーがどうもうまくいかなかったのだ。すなわち左眼が"対象をしっかりとらえる"ためには、視野が中心部だけの右眼にもサポーター的働きが必要だったということなのである。
 それに気付いたのは左眼が回復して間もなく、1度目の仕立て直し再会を始めたときだ。前後の身頃脇縫いの細かい柄合わせがうまくできないのだ。左眼の治療中サポーター役から離れていた右眼が、すぐには復帰できなかったせいだと思う。

 パンツは中厚のウールフラノ、くすんだベージュ地に緑赤緑3本のラインが約10センチ角のタータンチェックで織り込んである。文字にすると品のないド派手な感じだが、実物はなかなかしぶいいい柄だ。品物は裏の墓園に隣接する市営清掃工場内のリサイクルプラザから100円寄付して貰ってきたもの。ただし相当なオールドファッションで、裏地に縫い付けてあるタグも名のあるメーカーのものではなく、町のテーラーのものだから、個人のオーダーメイドだろう。物は上等だが型が古いのも納得できる。
 こういうものをいま風のフアッションに仕立て直して、目のある人に「ほほう!」と思わせるのが私の楽しみなのである。
 そして一昨年できなかった細かい柄合わせが、先頃まあまあできるようになったということだ。

 つまり左右両眼の連係機能がやっと元に戻ってきたのである。
 これはテニスを続けていたおかげだ。練習でもゲームでもプレー中のボールは常に動いている。そのボールを眼がしっかりとらえていなければ、どんなイージーボールでも打ち返すことはできない。しかも私は右眼中心部が見えないのだからボールとの距離感がつかみにくい。だから2年前左眼を治療中のときは、コートへ行っても初歩的な練習と観戦が主で、ひたすらボールの動きを目で追っていた。
 そのうちに飛んで来たボールを意識して両眼でとらえて正しく打ち返すことが、両眼の連係を強化する効果があり、不自由な両眼でも効率よく使えるようになるんじゃないかと気付いたのだった。

 こうしてみるとわれわれの体のいろんなパーツは、一部の機能が万全に作用しなくなっても、連係する別の機能がバックアップして不調部分をカバーし、幾分かは正常な働きに戻せるんじゃないかと思う。それを実現させるのは本人の"やる気"だろう。
 私の右眼は中心部が見えなくても、視線をずらして対象を視野の上下左右どこか隅に移せば見える。その右眼が回復した左眼を助けて、細かい柄合わせもできるようになったのである。これから余計な仕事を抱えて一段と忙しくなるが、楽しい忙しさである。
 

2020年02月14日(金曜日)更新

第586号 〜危機不感症=正常性バイヤス老人〜

 中国で発症した新型コロナウィルス肺炎は日本でも感染者が増えているが、それが原因でパニックが起こることはないだろう。日本では医療体制も充実しているし情報も速く広く人々に伝わるからだが、何よりも病気そのものがそれほど恐ろしいものではないからだ。だが大勢の中にはこんな人もいる。さきの東日本大震災のとき、福島第一原発の放射線漏れに過剰反応して家族もろとも沖縄まで避難移住してしまった女性だ。
 ところがその一方では、危険が切迫しているのにまるで反応しない人もいる。この程度なら自分は大丈夫と思っているのか、まだ危機的状況じゃないと高をくくっているのか、専門家が"正常性バイヤス"とよぶ心理反応だ。そして私の印象ではこの正常性バイヤスに陥りやすいのは女性より男性、若年層より高齢者だ。

 それに関してぜひとも書いておきたい事例がある。昨年11月だったか東日本大震災を再検証したNHKローカル局の番組で見た話だ。石巻市間脇(かどのわき)地区の住民達が、津波に際してどんな避難行動をとったか丹念に調査した中に、たいへん興味をひかれた事例があったのだ。
 地区は北上川河口右岸にある東西1キロ強、南北1キロ弱のほぼ住宅地で、すぐ北側に日和(ひより)山という標高53メートルの丘がある。丘は北上川の岸からいきなりせり上がるような感じで、てっぺんには神社や公園が設けられ、舗装道路も通っていてけっこう広く、その先には高台が続いているので、津波のときここまで避難できた人達は安全だった。

 余談だが藩祖伊達政宗は関ヶ原合戦後、所領62万石を治める拠点を県北山間部の岩出山から仙台平野に移そうとしたとき、この日和山を第一候補にしていたというが、それが幕府の意向で現在の青葉山に変えられたと伝えられるのだ。もし政宗の目論見どおりだったら、後に昭和も戦後になってから「目の前に太平の世が迫っているのに、こんな堅固な山城を築いた政宗は所詮田舎大名だ」なんて坂口安吾あたりに評されることもなかっただろう。

 とにかく地震の揺れが治まると、地域の人々はそれぞれこの日和山を目指して避難を始めたのだったが、中にこんなとんでもない年寄りがいたのだ。
 ある若い消防団員が逃げ遅れている人がいないか町内を見回ると、1軒に老人夫婦が残っており、爺さんが電話に向かって「おれら二人とも無事だ」などとしゃべっている。消防団員が「津波警報が出ているから早く逃げましょう」と急かしても、爺さんはアドレス帳をめくりながら「こいつにも知らせなきゃなんねぇ」と尻をあげようとはしない。それを何とか急かせて三人で日和山へ向かおうとしたところに、大津波が家々をなぎ倒しながら押し寄せ、三人を呑み込んでしまったのだ。そして消防団員だけは電柱か何かにしがみついて助かったが、老夫婦は後日別々に遺体で見つかったというものである。

 この爺さんなど正常性バイヤスの典型だ。まるで根拠もなく「津波はまだ来ない。自分は大丈夫だ」と思い込んでいる。しかも結果として自分一人だけ犠牲になったのなら「身から出た錆=自己責任」ですまされたものを、婆さんを巻き添えにし若い消防員まで危機一髪にさらしてしまったのだ。救いようがない。こんな身勝手な年寄りは見捨てるに限る。今回の新型ウィルス肺炎もこれから国内の感染者が増えていけば、そうした正常性バイヤスの身勝手な年寄りも出てくるだろう。
 ただしこの肺炎は感染しても重症化する人は少ないそうだから、体力さえ十分なら大事には至らない。私たちもマスク手洗いなど日々の予防を徹底して、人混みはなるべく避けるようにしよう。
 
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