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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2020年02月07日(金曜日)更新

第585号 〜特売に行列の有無は民度の差?〜

 住居から私の足で30分ほど車だと10分足らずのところに、T屋という食料品の中型スーパーがある。市内に5つあるチェーン店のひとつだ。ここで毎週水曜日にすしのパックが、"にぎり""ちらし"とも通常より20%安くなる。で私たちも夕食はそれにきめて毎週買いに行っていた。
 周辺はバブルの頃開発された新興住宅地とあって、この特売はなかなか人気があり、いつも10時の開店前に20人近い行列ができていた。いわゆる"行列ができる店"なんてのは好みじゃない私も、このT屋のすしだけは家内と一緒に並んだものだ。何しろ行列の中には5パックぐらいまとめ買いする人もいて、けっこう数ある品物もたちまち無くなってしまい、奥の厨房で職人さんが次の品揃えをするまで待たなくてはならないし、昼前にはそれも全部売り切れていたのだ。

 ところが同じT屋チェーンでも車で30分ほどかかる店は、昼頃行っても品物が選り取り見取りで並んでいる。
 この店は、50年ほど前市最北部の丘陵地を大手デベロッパーのM地所が大規模開発を始めた、Iパークタウン内のショッピングモールの一角にある。タウン内は住宅地が主だがそれに付随して他にも、ちょっと高級なホテルやアウトレットモール、ファミレス、郵便局、私立の女子中高校、県立図書館、ゴルフ場まであり、県立大学や工業団地も隣接している。そして住宅地は各戸の敷地も広く3階建てなどハイクラスな家が目につく。ちなみに人気作家のI氏もここの住人だ。

 以前私はここの住人が、タウンを"山の手"と自慢しているという話を聞いたことがある。それでこのT屋の特売がわが家の近くの店のような引っ張り凧にならないのは、住民に見栄っ張りが多いからだなと思っていた。よくいわれる"民度の差"である。だが何度も行くうちに"ちょっと違うな"と気付いた。 
 というのは同じショッピングモールの中にある例の丸亀うどんが、時分どきになると子連れの若いママたちでけっこう混んでいるからだ。近頃の若い主婦は"見栄より実益"なのかもしれないが、それにしてもここで特売すしを買っていくのはみんな私たちと同じ年寄りだから、いずれは年寄りたちが開店前に行列をつくるようになるかもしれない。

 仙台は"魚の町"だ。県内には太平洋に面して北から主なところだけでも気仙沼、石巻、塩釜、閖上(ゆりあげ、昔は伊達藩の漁場=いさば=だった)亘理など遠洋近海の漁港があり、牡蠣や海苔の養殖も盛んで、町には新鮮な魚介類があふれている。名物の笹かまぼこなど昨今は三つの大きな店が自前の工場で大量生産するようになったが、私が高校生の頃は駅裏(いまの東口側、当時は改札口も切符売場も繁華街に面した西口にしかなかった)二十人町通りの魚屋が店先で炭火で焼き上げて小売りしていたものだ。
 だから当地には旨いすし屋も多い。塩釜のSなどグルメの間では有名な店で、東京からやってきたスキー仲間が帰りにわざわざ寄り道して食べていくし、仙台駅ビルにはそんな店を何軒か出店させた"すし通り"もある。T屋のすしも特売品とはいえイオンあたりの大型SCに並んでいる商品より中身は上等だ。

 こうなるとIパークタウンのT屋の特売すしが、わが家の近くの店にくらべると随分と人気薄なのは、民度の差というより周辺住民の好みが違うからだとしか思えない。そういえばこのT屋はワインの品揃えが近くの店よりはるかに充実している。だから私も、池袋の暴走上級国民じゃないが、ワインでフレンチなんて人種が多いのだろうなんてひがんでしまう。
 いずれにしろ私たち高齢者は食費は1円でも安いほうがいい。このT屋の特売も周辺住民の高齢化を考えると、いつ行列ができるようになるかわからないのだから、それまでは有難く利用させてもらうつもりだ。
 

2020年01月31日(金曜日)更新

第584号 〜酔って肋骨にヒビが入った話〜

 この冬は例年より雪が少なく暖かいので有難い。私自身寒さに強いほうだが、今年はちょっと事情があって、異常気象も個人的には助かっているのだ。

 実はいままで書かなかったことがある。暮12月のなかば私はちょっと体を痛めて1ヵ月ほど養生していた。理事会の忘年会で例によってすすめられるまま杯を重ね、帰宅してパジャマに着替えようとした際、ズボンの片方に両足を突っ込んで転倒し、ファンヒーターに胸をしたたかぶつけてしまったのだ。痛みは相当なものだったが酔いも手伝ってロキソニンテープを貼ってそのまま寝てしまい、朝になってひどい痛みに、「これは肋骨をやられたかな」と急に心配になって行きつけの整形外科へかけつけたのだった。
 レントゲン撮影の結果、幸い「肋骨の11番にかすかなひびが見えますが肺には影響ありません。痛みが治まるまでひと月ぐらいかかるでしょう。それまで患部に負担がかかるようなことはしないように……」と診断され、看護師さんにサポーターをきっちり巻き付けられて帰ってきた。
 帰宅してあらためてファンヒーターを見ると、後ろ側の上部が3センチほどペコリと凹んでいる。材質は鉄板だが厚さはそれほどでもないようだ。個所は内部にファンがある空洞部分。これがもうちょっとズレて機器の角や灯油ケースの収納部のような固い部分だったら、肋骨もかすかなひびどころじゃなかったなとヒヤリとした。
 昨年末の原稿に書いたとおり、私はやっぱり悪運に憑かれている。

 ところでさきの診断の際、私はセンセイに胸に影響しない下半身の運動はかまわないことを抜け目なく確認しておいた。ちょっとぐらいの故障なら、患部に影響しないように体を動かすことが完治を早めるというのが私の考え方なのだ。それで毎朝の体操も腰から下、首筋より上の運動は翌日から始め、歩くことも再開した。テニスもラケットを持たずにコートに出かけ、練習ボールを拾い集めたり、仲間のプレーを観戦したりした。
 こうした戸外運動には今冬のような季節はずれの暖かさがたいへん有難い。また雪がなければゴルフ場も格安な料金設定でオープンしているから、私たちも近く二人でラウンドしようと予定しているところなのである。

 かねていっているように、私は足腰達者が健全な体の基本だと認識している。年老いてくれば尚更だ。足腰の状態は歩いている姿勢ですぐわかる。衰えてくると歩幅が小さくなり上体に足がついていけなくなるので、まず頭を突き出すようになり、次いで腰が折れて前傾姿勢になり、遂には前傾した上体を支えるために杖まで必要になるのだ。
 にもかかわらず年老いてくると、みんな足腰の鍛錬がおろそかになる。いや現代人はそれが若い頃からといってもいい。かつては胸や腕の筋肉をみせびらかしていたのが、中年過ぎて腹がダブつき、太股の後ろ側やふくらはぎが見すぼらしくなっても平気な顔をしている。おそらく湯上りに鏡に映った姿を見た途端、諦めてしまうのだろう。
 私は頭のはたらきも健全な体のはたらきの延長だと思っている。足腰が弱ってくれば知的好奇心も薄れるはずで、ボケやすくなる。日がないちにち家にこもってぼけーっとテレビしか見ないのでは、本を読む気など起きるわけない。

 そんな風に考えると、今冬の異常気象も少しはプラスになっていると思う。
 

2020年01月24日(金曜日)更新

第583号 〜"こどおじ"現象を心配する〜

 昨年話題になった言葉のひとつに"こどおじ"がある。"子供部屋おじさん"を略したものだ。40〜50代になっても実家から離れられず、幼い頃あてがわれた子供部屋を生活の拠点にしている男性をいう。結婚もせず、食事掃除洗濯など身の回りのあれこれを親まかせの気ままな独り者だ。1990年代後半の流行語"パラサイト(寄生)シングル"の後の姿ともいえそうだが、彼らはたいていきちんとした仕事をしている社会人だから、その点"ニート"や"ひきこもり"とは違う。また女性版"こどおば"ももちろんいる。
 
 彼らは戦後日本の高度経済成長が生んだ特異な現象だと思う。
 まず戦前の一般家庭には子供部屋などほとんどなかった。自分用の机でもあればいいほう、たいていの子どもはメシ時に家族全員で囲む折り畳み式のチャブ台で勉強や宿題などやったものだ。それが戦後核家族化が進むとともに敗戦からわずか20年後の1960年代後半にはマイホームブームが起こり、サラリーマンなら誰もが"ウサギ小屋"を構えられるようになった。またそうした親たちは共働きで子供も少なかったから、子どもを"鍵っ子"にする代わりに子供部屋を設けたのだ。実際私のような二流出版社の半グレ社員でさえ東横線日吉に子供部屋つきの一戸建てを持てたのだから、いい時代だったというしかない。

 ついでにいっておくと、この一人息子が"ニート"や"こどおじ"などとまったく無縁だったのは、私も家内も学校の勉強や成績に無関心だったせいだ。当時の子どものほとんどが通っていた進学塾へも一度も通わせなかったし、本人も行きたいとは一言もいわなかった。これはおそらく小中学校で教わることを、本人が授業だけで十分理解していたからだと思う。
 そのかわり幼稚園の頃から、スキーをはじめ私たちの遊びには必ず附きあわせた。それで高校ではスキー部、大学では同好会に入って冬場はほとんど家にいず、卒業するとさっさと親元から離れてしまった。
 要するに私たちは結果として子どもの自立心をうまく煽ったといえる。

 それにしても、たとえ血を分けたわが子とはいえ"こどおじ"も"こどおば"も大のおとなだ。同居させるには住居も相応の広さが必要だろう。いま私たちが住んでいるマンションの3LDKではいささか息苦しい。それに彼ら自身の仕事も関わってくる。つまり通勤の利便性だ。当地の郊外に多いニュータウンのような、市中心部への足がバスしかないところでは、いくら余裕たっぷりの住居でも本人が住みたがらないだろう。となると親は私などより裕福さではひとつかふたつランクが上、現役の頃も私みたいなちゃらんぽらんではなく、いろんな面で相当頑張ってきた人達だろうなと思うと何となく気の毒になる。
 しかし見方を変えれば、こうした現象はわれわれ高齢者世代が現役世代の面倒を見ているということで、現代日本の世相の一端かもしれないなと皮肉っぽく考えたりするのだ。
 
 それに実は"こどおじ"にしろ"こどおば"にしろ、"部屋住み"や"小姑"という形で昔からあったものだ。だがそれらは必要とあればいつでも動員できる余剰人口だったわけで、年々人口減少が進む現代とは社会の中で占める位置が真逆に違うと思う。近年この日本が異常になっていくのは気象ばかりではないようだ。
 こういうことが年寄りの余計な心配ですめばいいのだが……。
 

2020年01月17日(金曜日)更新

第582号 〜見ると"虫酸が走る"顔さまざま〜

 このところ、トランプ大統領の顔をテレビで見るたびに"虫酸が走る"。シワの奥の光のない小さな目、細い鼻、口角から泡でも飛ばすように、意味なく開け閉めしている小さな口。それらの小ぶりな造作が、分厚くドーランを塗り重ねたとしか見えない表情の薄い顔面にチマチマと貼りついて、その一部の口だけが見るからに卑猥な感じでしゃべり散らすのだ。見ていて不快感がつのる。
 あれは一言でいって知性とはまるで無縁の顔だ。小じんまりした造作の上部はせまい額、その上に平べったい金髪の頭、脳はどこにあるのだろうかと思う。誰だったか元政府高官が「彼の頭は12歳のガキと同程度」といったのもうなずける。
 もちろんそんな顔と、地球の運命を左右する大国のリーダーシップが相反するとは限らない。ひょっとして"America First"がいつか地球の平和発展をもたらすかもしれないのである。だが私個人としては、あのチマチマした造作の"したり顔"や幼稚なパフォーマンスはできれば見たくない。

 もう一人こちらは同じ"したり顔"でも、一見常識ある大人風なのが韓国の文在寅大統領で、これまた見るたびに虫酸が走る。文氏はトランプ氏とは対照的に、一見真面目な村役場の係長といった印象で、毒にも薬にもならない感じだが、動作も表情も乏しい口先だけの話しっぷりに、常に相手の隙をうかがっているような気配があり油断できない。そして話の合い間に見せる"したり顔"と、体つきに似合わない尊大な歩き方から、私は嫌な奴だなと思うようになった。
 
 "したり顔"とは辞書によると、"得意そうな顔つき"だが、私のイメージは以下のようなものだ。
 F社の7〜8年後輩にTという男がいた。ワセダ卒を鼻にかけた、金払いに細かい臆面もないオベッカ使いだった。当時のF社は創業者一族がまだいた頃で、その下の部長クラスは長野県(信州)出身者が多かった。ある酒の席でその話題になったとき、Tが自慢げに「長州連合ですね」と発言したものだ。その半可通ぶりに私たちは苦笑いで応じただけだったが、そのときのTの顔が私のいいたい"したり顔"なのである。
 "したり顔"も尊大な歩き方も、小者が精いっぱい大物ぶって背伸びする手頃な方法である。だが文氏がいくら背伸びしても、お隣りの三代目とは"出身成分"が違うのだ。無理すんなよといいたくなる。

 日本の政治家で嫌いな顔も沢山いる。
 その筆頭はちょっと古いが鳩山由紀夫だ。いま思い出してもあの緊張感に欠けたシラジラしい"麻呂顔"にはこれまた虫酸が走る。私は、いまの野党が軒並み衰退して自民党一党独裁になり、ミス連発の安倍総理でも首相在任記録を日々更新している最大原因は、この鳩山、菅、野田の民主党三代の政権担当者にあると思っている。彼らはわれわれ国民が政治に寄せるかすかな期待や信頼を、根こそぎ失わせてしまった元凶だ。
 そういえば世界中どこの国のリーダーも好き嫌いは別にして、顔はひと癖もふた癖もありげだ。一国のリーダーにはそうしたしたたかさが必要なのだ。なくてもつとまるのは日本だけかもしれないし、それがまた世界各国から日本がアメリカの属国扱いされる要因になっているのだろう。

 かつて、かの三島由紀夫が太宰治を評して「僕は彼の文学を認めない。第一に顔が嫌いだ」といったことがあった。いやしくも文学論の冒頭に"顔が嫌い"もないと思うが、いわんとするところはわかる。生理的に嫌なものは嫌なのだ。私のトランプ大統領以下に対する感覚も似たところが多分にある。しかし、それが一般市民のごく普通の感覚じゃないだろうか。
 

2020年01月10日(金曜日)更新

第581号 〜今年の目標は年相応に終活だ!〜

 新年最初の原稿ということで、まずはご挨拶。
「新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 さて新年になるとたいていの人が今年の目標や抱負、あるいは夢などを口にする。これは別に悪いことじゃない。将来のことを考えられるのは地球上のあらゆる生物中われわれ人間だけだし、そのおかげで人類は地球的にはほんのわずかな時間で支配者にのし上がることができたからだ。
 もっとも目標や抱負にしろ夢にしろそれが持てるのは、当人に気力知力体力さらには生活力(ふところ)に余裕があってのことだろう。その意味では私ほどの年になれば内容もささやかなものだ。せいぜい"毎日を大過なく楽しく暮らそう"ぐらいである。

 考えてみれば私など他の同世代にくらべて"ふところ"はともかく、気力以下はかなり優位にあると思っている。
 もちろん年相応に体中あちこちにガタはきている。右眼中心部は見えないし左眼の視力はいいときでやっと0.7だ。1万歩休みなく歩くことはできるが走ること、特に咄嗟のダッシュができなくなった。自前の歯より入れ歯の数が多くなり、時々それがこわれて要修理になる。耳も少し遠くなった。内臓機能はまあまあだが酒は弱くなった……。だがこれらの老化現象を越えて、こうして原稿は書けるし本も読める。好奇心も相変わらず旺盛だから脳も行動力も人並み以上だろうと自負しており、ついつい自分をひけらかしてしまうのも以前と変わらない。
 だからこそ逆に今年の抱負などテキトーにしておきたいのである。

 とはいえ私には今年の目標、それも自分にとってはけっこう大事なことがひとつある。身辺にあふれている"モノ"の整理片付け、いわば"終活"だ。
 モノの代表は衣類だ。調べてみると、去年1年間一度も袖を通さなかったスーツやジャケットが、冬物夏物合わせて10着以上はあるし、パンツも10本近くある。もっともパンツは春秋肌寒い季節のゴルフ用が多く、これは家内のケガでプレー回数がガタ減りしたせいでしょうがない。

 着ないモノが増えたいちばんの原因は、私の体型が若い頃からほとんど変わらないことだ。身長こそ3センチほど低くなり足もいくらか短くなったものの、ウェストは変わらないし、上半身の肉付きや腕の長さなど体型の基本部分は変わらないのだ。ゴルフは少なくなったがよく歩いており、毎日の自己流体操やテニスのおかげである。だから私の現役の頃のような肩をパッドで張り出させた見るからに古いジャケットはともかく、20年ぐらい前の製品ならいまでも体にフィットしてサマになるし、上から下までちゃんとコーディネートすれば自分でもなかなかじゃないかと胸を張れるのだ。
 原因はもうひとつある。さきほどちょっと触れた家内のケガだ。それがゴルフばかりでなく一番丁など市の繁華街へ出かける回数も激変させたのだ。"青い背広で心も軽く街へあの娘と……"行こうとしなくなって、せっかくのおしゃれ着もそれとコーディネートするシャツやパンツともども"タンスの肥やし"状態になってしまったのだ。それらを整理し片付けたいのである。
 ちなみに"タンスの肥やし"には、着なくなった衣類だけでなく証券類もなりやすいそうだが、私たちはそういうものにはまったく縁がない。強いてあげれば20個近いスナップ写真のアルバムケースだが、これらもいずれは整理処分しなければと考えており、やはり"終活"の対象なのである。

 すなわち、頭も体も自分ではまだまだ年には程遠いと思っていても、身辺にはやはり年相応に"終活"が増えてきたということだろう。
 
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