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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2019年05月31日(金曜日)更新

第550号 〜寝小便はしないが物忘れはする〜

 このところ自分でも老いを実感することが多くなった。以下それらを列記する。

 まずこれは2〜3年前から始まったと思うが、就寝中の小用が多くなった。寒い季節が特にそうで、いつだったか数えてみると、夜8時にベッドに入ってから朝5時に起き出すまで3回行っている。ただ新聞でよく見る民間薬「ノコギリヤシ」の大きな広告にあるような、尿意に気付いて起き出してもトイレまで間に合わないマンガチックな有様にはならない。私が夜中に目が覚めるのは尿意のせいばかりではなく、老人特有の浅い眠りのせいも多分にあり、ついでにトイレも行っておこうという程度なのだ。その証拠に私はふだんより酒を多目に飲んで寝ると、小用には一度も起きずに朝までぐっすりということがよくあるのだ。

 本題から外れるが、あまたいる世間の飲ん兵衛の中には泥酔して寝込んだあげく、小便どころかウンコまでたれ流してしまう豪の者もいる。奇想天外な忍法小説で名を馳せた山田風太郎さんがエッセイに書いていた。ちなみに私たち編集者は氏を「ヤマフウさん」と呼んでいた。
 とある夏休み、山風さんの蓼科の山荘に3歳から7歳まで5人の小さな孫たちが遊びに来た。ふだん静かな山荘もたちまちアビキョーカンのチマタと化し、その中で晩酌を始めた山風さんは、まるで体育館の底で飲んでいるような気分になり、飲み方も荒っぽくなった。
 ……夜半ふと気がついてみればベッドが冷たくなって、その中で私も冷たくなっていた。/だいたい睡眠中に尿意をもよおせば目がさめるのが常態である。また万一不覚のことがあったとしても、数秒後にははっと気づいてはね起きるのがふつうである。/それが、ありったけ排出して、自分が冷たくなるまで気がつかないとは……小便の出どころどころか、肛門もひらいた状態で寝ていたにちがいない。(朝、家内がその惨状をひとかかえにして風呂場に持ち運んでいったが、しばらくすると5人の小悪魔が喜悦のきわみといった顔でやって来て、「ヤーイ、ネションベンタレ!」とはやしたてた。
 このとき山風さんは65歳、いまの私からみればずいぶん若い。山風さんの晩酌はウィスキー専門で、ボトルを3日に1本空けていたそうだから相当な量だ。逆に考えれば、私程度の酒なら酔って寝込んでも尿意には気付いて起きる、と思うのである。すなわち私の夜中の小用は尿意が先ではなく、他の原因で目が覚めたのが先なのだ。

 そういえばひと月ほど前まで、私は山歩きの最中など戸外でよく尿意をもよおした。
 だいたい私は体脂肪率が17しかない。内臓が外気の影響を受けやすく、おそらく膀胱なんかしょっちゅう寒さに縮みあがっていただろうと思う。実際日当たりのいいテニスコートでは2時間ぐらい全然尿意をもよおさないのに、ゴルフ場では晴れた日でもカートに乗って風を受けると小便したくなった。つまり小用が近くなったのは年老いて前立腺が肥大気味になったせいもあるが、体型や季節のせいもけっこうあるんじゃないかと思っているのである。

 ついで、近頃特に年だなと実感するのは物忘れだ。話していて人や物の名前が出てこないのはザラだし、たとえば原稿など書いている最中に「そうだ、あれしなきゃ」と思いついたその"あれ"を数分後には「何だったかな?」と思い出せないことも多くなった。
 ひと月ほど前一泊旅行に出かけたときは、自分では確かに持って出たはずのサイフが失くなり、あちこち探しても見つからず、結局家で留守番をさせていたこともあった。
 古い記憶はなかなか消えないが新しい記憶は頭の中を素通りしてしまう老人特有の現象が、どうやら私にも起こってきたらしい。というわけで近頃は頭に浮かんだことをできるだけその場でメモするようにしている。書きつけることによって素通りしかかった事柄が脳に少しは逗留してくれるだろうと思う。

 最後にいまいちばん気にしている老化現象をあげる。走れなくなったことだ。去年はテニスでもゴルフでもけっこう走っていたのだが、この春左ひざを痛めてから患部をかばってあまり走れなくなった。痛めた原因はよくわからないが、いまは毎日患部にロキソニンテープを貼り痛みが消えるのを待っているところだ。時間はかかるかもしれないが、筋力さえ衰えさせなければそのうち走れるようになるだろう。

 老化現象は万人に起こる。そこでは「昔こうだった」は通じない。通じると勘違いするから、87歳でブレーキとアクセルを踏み間違えるのだ。私も気を付けよう。
 

2019年05月24日(金曜日)更新

第549号 〜年寄りは隠れ脳梗塞に注意〜

 先日、団地の老人会(一期会)仲間のSさん(女性)が亡くなった。私と同じ昭和ひと桁生まれの申年だが早生まれなので学年は上、年も87歳だ。10年ほど前ちょっとした会合で顔見知りになったときはすでにご主人を亡くして一人暮らしだった。「息子一家が近くにいるからまさかの時は安心」と"おひとりさまの老後"を楽しんでいた。
 とにかく明るく元気な女性だった。一期会月例のストレッチ体操には毎回参加していたし、車の運転が得意だった。会で催し物を行うときはいつも買物を手伝ってくれ、「わたしは死ぬ前の日まで運転するつもりよ」といっていた。これが少しも自慢に聞こえず、家内も「Sさんならやりかねないわね」と認めていた。

 そんな人がポックリ逝ったのだから私たちもびっくりした。しかもその原因が脳梗塞と聞いたときはもっと驚いた。話によると息子さんの家で倒れ、救急搬送された病院で亡くなったらしい。
 私の認識では脳梗塞、心筋梗塞は高血圧や動脈硬化、糖尿病が元凶の疾患だ。そしてそれらの元凶=危険因子をつくり出す原因は日常習慣にある。すなわち食べ過ぎにともなう塩分糖分脂肪のとり過ぎと酒の飲み過ぎ、タバコ、そして運動不足だ。つまり長年不摂生を重ねてきたメタボの病気だ。しかしSさんは体もそれほど大きくはなかったし、もちろんメタボ体型でもなかった。
 私は何となく釈然としないまま2〜3日経ってから、ふと「年老いると脳梗塞も起こりやすくなるのだろうか?」と疑問が浮かんだ。日数的にはずいぶん間抜けな反応だが、これも私自身に年寄り意識が薄く身につまされることがないのだからしょうがない。ともかくネットで検索してみるとあった。
 
 年寄りは"無症候性脳梗塞"別名"隠れ脳梗塞"があるというのだ。
 脳梗塞にはほとんどのケースで前兆(前ぶれ)の発作があるという。めまいや手足の脱力感、しびれ、言葉がスムーズに出なくなる…などだ。ただこれらの発作はたいてい数分でおさまってしまう軽症なので、当人も「何か変だな」ぐらいで忘れてしまう。だがMRIなどで精密検査すると脳の該当箇所には痕跡が残っている。つまり前ぶれとは「今後いつか本番が来るぞ!」という警告なのである。
 ところが年老いてくるとこれらの前ぶれに気付かないことが多くなるのだ。体の反応が老化で鈍くなって気付かないのか、他の老化現象と一緒くたにしてしまうのか、とにかく無防備状態でドカンと本番に襲われてしまうのだという。その意味では"無症候性"という表現は年寄りにはそぐわない。"隠れ"のほうがいい。

 隠れ脳梗塞は女性より男性に多い。当り前だ。
 男は外で付き合い酒も飲まなければならないし、飲んだ後"〆のラーメン"(これがうまいんだな、実際!)まで付き合う。要は女性より不摂生の度合いが高く、おまけにそうした不摂生男ほど、仕事にかこつけてひまな時間はグータラ、運動不足になりやすい。私にいわせれば男性の脳梗塞は"身から出た錆"である。
 もっとも、かくいう私自身も危険因子はゼロではない。むしろ最も危険なバクダンの高血圧を長年気付かずに抱え込んでいたほどで、運動に精を出していたおかげで足元の大きな落とし穴を見過ごしていたらしいのである。

 現役の頃、毎年の集団検診で私はいつも「血圧がちょっと高目ですが、それ以外は特に注意するところはありません」といわれていた。この診断を私は健康には問題なしと解釈して、血圧にもまるで無頓着だった。当時を思い返してみると、健診の際われわれがとりわけ気にしていた数値は肝機能だった。仕事柄アルコールや夜ふかしと縁が深いので肝臓をやられる者がけっこう多く、みんな自分の数値だけでなく他人の数値も話のタネにしていたのだ。ちょっと血圧が高目など問題外だったのである。
 それに当時の高血圧の規準数値が、WHC(世界保健機関)で定めてものか、日本の学会のものか、われわれシロウトには信用できなかったこともある。しかもこの数値が私がリタイヤした頃からだんだん低く設定されていき、週刊誌が「製薬業界の差し金じゃないか」といい出して、益々信用おけなくなったのだから世話ない。というわけで私なんかいまでも「少しぐらい高いほうが体の機能も活発になる」と思っているし、「低血圧だと朝の目ざめは悪いし体がしゃんとするまで時間がかかる」とも思っているほどだ。

 そんな私が血圧降下剤の服用を始めて6年目になるのだから、年をとると何が起こるかわからない。
 きっかけは左眼が突然ホワイトアウトし始め、下手すると失明しかねなかったことだ。幸い東北大学病院で急遽入院手術を受けて回復したが、その病気=網膜静脈閉塞症の原因が高血圧ということで、以来近場の内科医院から薬を処方してもらって服用するようになり、毎日朝と夜家庭用血圧計で測った数値を血圧手帳に記入して自己管理するようになったのである。
 そして数値は6年前よりだいぶ低くなって安定しているし、特に悪い兆候は出てこないようだから「結果オーライ!」といっていい。
 同世代の知人が亡くなると、いろんなことを考えてしまう。
 

2019年05月17日(金曜日)更新

第548号 〜仙台の若い男たちがお洒落?〜

 ブックオフの100円〜200円の棚で見つけた浅田次郎さんのエッセイ集を読んでいると、「仙台はすばらしくおしゃれである」という一節にぶつかり、ありゃまあ!とびっくりしながら読みすすめた。内容は大略以下のとおりである。

 浅田さんは40年ほど前、アパレル業界で全国の百貨店に納品する仕事を担当していた。当時、東京から発信されたファッションに最も早く反応する地方都市が仙台だった。どんな自信作でも仙台ではずれればまずダメで、量産する前に少量を仙台に出荷し、その反応によって全国展開を考えるメーカーもあった。売れ筋の正確な予測が立つのは東京都内ではなく、仙台市内なのだ。
 仙台は独眼竜伊達政宗が開いた城下町だ。正宗はダンディな武将として知られる。殿様がそうなら家来たちも右へならえで、仙台藩士のおしゃれぶりは江戸っ子の注目の的だった。「仙台平の袴」(かの羽生結弦クンが天皇陛下にお会いした園遊会ではいていた)などその代表であり、ひいてはおしゃれな男を「伊達男」と呼ぶようになった。仙台人はその伝統を受けついでいる。
 メンズ・ファッションのレベルは普段着でわかる。仙台の町なかで見かける若い男どもの洒落っぷりは日本一どころか世界一だろうと思った。

 10年ちょっと前に書かれたものだが、たいへんな褒めっぷりである。中で浅田さんも「たぶんご当地のみなさんは意識されていないだろうが……」といっているとおり、私もいまのいままでそんなことこれっぽっちも気付かなかった。いやむしろ当地の男たちのファッションセンスはダサいんじゃないかと思っていたほどだ。もっとも私が観察するのは中高年が主で、浅田さんのように"若い男ども"に目をこれすことはほとんどない。だがそれら中高年だって昔は若かったのだからセンスは変わらないだろう。とにかくダサいのである。
 たとえばこのあたりのスーパーやファミレス、あるいは電車やバスの中で見かける中高年男性に多いのが、ポロなどスポーツ系の色物柄物シャツに、元は上下揃いのスーツだったなと一目でわかる上衣を羽織っているスタイルだ。かつてはしっかりアイロンをきかせたYシャツにお気に入りのネクタイを締めて着用に及んだスーツだろう。そのズボンはひざが抜け裾もすり切れサイズも合わなくなってお払い箱にしたものの、上衣はちょっとした"よそいき"のジャケットとしてとって置いたのだ。何やらいじましい感じで私にはお洒落だとはとても思えない。
 ゴルフ場でも昔のファッションの中高年をよく見る。ジャンボ尾崎が活躍していた頃の派手なダブダブズボンなどだ。はいているご本人があまり気にしていない様子を見るとやっぱりセンスがないなと思う。

 ただしそうしたお洒落センスに欠ける中高年男性が、みんな仙台の生まれ育ちとは限らない。
 仙台は東北ではいちばん大きな都会だし、企業の支社も多い。また戦前から学都として知られ、公立私立の大学も周辺市を合わせるとすぐには数えられないほどある。それだけ各地から人が集まってくるのだ。しかも立地が太平洋岸とあって冬場もそれほど寒くない。食べ物の生産性も高く特に魚介類は美味い。要するにたいへん暮らしやすいところなのだ。というわけで当地へ仕事で赴任してきた人が退職後もそのまま"終の住処"として居着いてしまう例も多いのである。
 実際私たちのマンション団地の住人も北海道から関西各地まで出身地は多彩、仙台出身は半分もいるかどうか。この団地のような旧市街地から離れた郊外の新しい住宅地はたいてい同じだ。スーパーなどにお洒落な中高年男性がいないのもそのせいかもしれない。
 そういえば団地のゴルフメンバーになかなかのお洒落さんが数人いるが、みんなご当地出身者だ。Sさんなどプレー後のパーティにはかならずきちんとプレスしたカッターシャツに着替え、ボトムもそれに合わせた綿パンやジーンズでやってくる。私などコースの風呂場で下着と靴下だけ替えて帰宅し、パンツだけ替えてかけつけることが多いので恥ずかしくなる。

 ところで浅田さんが褒めている当地の「若い男どもの洒落っぷり」に関しては、私はあまりモノを言うことはできない。なぜかというと私は彼らの顔を見た途端、まず「何だ、こいつらは!」とバカらしくなって、ファッションなどそれ以上の観察をしなくなるからだ。とにかく、ポカンと口を開けたしまりのない顔がほとんどなのだ。
 さきに書いたように仙台は学都だ。戦前は国立の帝国大学、旧制第二高等学校のほかキリスト教系私立大学もあり、戦後は県立大学や同教育大学、さらに私立大学も数校新設された。野球やゴルフで全国的に名をあげた大学高校もありそれこそ日本中から生徒が集まってくる。団地傍を通っているJR仙山線にはその大学名を冠した新駅もできたほどだ。町なかには若い男どもがあふれているのである。

 ところがいま電車の中でもコーヒーショップなどでも、本を開いている若い男はほとんど見ない。たいていはスマホ相手に指をせわしなく動かしているか、仲間たちと私などには意味不明な言葉をやりとりしている。
 本を読まなければごく普通の教養や常識も身につかない。あるとき電車の中で数人の若者グループの中から「タケウマのトモって何だ?」と素っ頓狂な声があがるのを聞いた。見ると一人がスマホを目の前にかざして仲間に見せている。やがて別の一人が「それチクバのトモっていうんじゃないか」といい、全員「ふうん」とうなずいていた。私はイヤハヤと思いながら横を向いていた。
 本を読むのは自分一人の作業だから、わからない言葉にぶつかったら自分で調べようという気になる。スマホやパソコンで次々と変転する情報を相手にするだけではそうはならないから、知識も身につかないのだ。

 私が彼らのファッションを無視するのも、年のせいばかりじゃないのである。
 

2019年05月10日(金曜日)更新

第547号 〜油断と過信は年寄りの大敵〜

 気候がよくなってくると、山歩き(墓園のウォーキング)で出会う人も多くなってくる。
 この墓園は市が50年以上も前に開発を始めたもので、広瀬川左岸(右岸は青葉山が連なる)の里山の上部3分の2ほどを占めている。旧市街地から多くの寺院の墓地を移転させたり、市民へ区画分譲したり、市街地の古い火葬場を2つ取り壊してここに最新設備の斎場を設けたりして、いわゆる公園墓地にしつらえた。敷地も相当広く、地図を見ると直線距離で3キロ足らずの、コンクリート製大観音下にある27ホールのゴルフ場と同じくらいだ。山歩きはこの墓園の中をジグザグに気の向くまま、1万歩前後ほっつき歩く。
 歩くのは3日に2日ぐらい、時刻はほとんど午後だ。日暮れが早かった頃は昼食後だったが、近頃はおやつの後になった。いずれにしろおよそきまった時間帯に歩いているわけで、当然出会う相手もだいたい同じ顔ぶれということだ。

 面白いのはそうやって何度か顔を合わせても、せいぜい無言で会釈を交わすぐらいの挨拶しかしないことだ。中にはこちらを全然見ようともせずにすれ違う人もいるし、遠くからうさん臭げな表情でこちらをうかがい見ながら、私が視線を向けると「ふん」といったようにそっぽを向いてしまうのもいる。あるときなど、階段で休んでいた人の前を通りかかって目があったので、つい「こんにちは」と声をかけたら、プイと横を向いて「何をえらそうに」と吐き捨てたヤツにも出会った。そういうのはたいてい男性の年寄りで、同じ団地の住人でもない。
 私は学生時代ほんの少し登山の経験がある。山では出会った相手に一言挨拶するのが慣例だったが、これは今も変わらないはずだ。墓園歩きは登山とは違うが、人が普段行かないところで見知らぬ者同士が出会うという点では同じだろう。だから私は敵意がないことを示す意味でも挨拶ぐらい交わすほうがいいと思うのだが、相手は反対にここも町中の延長と考えているらしい。雑踏の中で行き会う見知らぬ相手にいちいち挨拶するかというわけだ。
 女性に声をかけることは滅多にない。だいたい墓園をウォーキングしようなどという女性は、体型維持や健康志向などちゃんとした目標があり、時間や歩数もきめてやってくる。誰かに声なんかかけられてせっかくのトレーニング時間を無駄にしたくない、なんて真剣な形相で歩いているのがほとんどだ。テッペンまで134段ある正面の大階段を1段おきの大股開きで上っている女性もいるし、大きな犬を用心棒替わりに引き連れている女性もいる。挨拶などしたら「邪魔しないでよ!」と白い目で睨み返されるのがオチだ。

 私たちと同じ団地の住人で出会うのは数人しかいない。知り合いではOさんの奥さん(ちなみにOさんは歩くのは大嫌いだそうだ)、老人会で会計など細かい仕事をお願いしているSさん、名前は存じ上げないが私より二回りぐらい若い長身の旦那さんと小柄な奥さんのカップルぐらいだ。あと私とは時間帯が違う朝方、ノルディックウォークに精を出しているSさん、私が朝ベランダで体操を始める頃に走って出かけ、終わる頃に走って帰ってくる夜間高校の先生がいる。
 それから、私たちと同じ1番館のYさんは私よりひと回りほど若いが、天気のいい暖かい日だけノルディックのストックを突いてゆっくり歩いている。Yさんは5年ほど前肝臓ガンの手術をしたそうで、ほかにも体のあちこちに病巣があるという。それでも歩いているときは「こんな日は外で体を動かすほうが気持ちいいね」と楽しそうだ。

 そういえば団地の住人で、ひと月ほど前「ボクも今年は歩こうと思っているから……」といった人がいた。私と同世代のWさんだ。彼は公的にも私的にも団地内では有名人だが、近頃はゴルフコンペにも顔を見せず、車の運転もやめてマイカーも処分してしまったそうで、いい方は悪いがちょっと覇気がなくなった感じがしていた。聞くところによるとゴルフに行っても、後半のハーフはくたびれてプレーもおろそかになるらしい。
 そこで一念発起したのかどうか、私も山歩きの途中で1度出会ったことがある。私はいつものとおり下からジグザグに墓園中段あたりまで上って行ったところ、彼はそこから下りかけたところだったようだ。「相変わらず元気ですね」といわれたので「まだ半分ですよ。残り半分一緒に歩きませんか」といったら、「とんでもない」と首を振り振りゆっくり下りて行った。その後まったく見かけないところをみると、歩く時間帯を変えたか三日坊主で終わったか事情はよく知らない。
 
 とはいえ、かくいう私自身も"体は万全"なわけではない。
 先月中頃からひざに違和感があり、それを押して山歩きやテニスを続けていたところ、痛みがひどくなってしまったのだ。そして10連休の初め頃はしゃがむことはおろか、椅子から立ち上がるときにも左足には負担をかけられず、階段など手すりを頼りにピョコタンピョコタンと下りていたものだ。自業自得である。
 したがってこの10連休も、ゴルフ部のコンペにだけ参加し、歩くことと打つことは何とかこなしたが、テニスは観戦するだけ、山歩きも控えて回復に専念した。いまはようやく痛みも治まりつつある。10日や半月歩かなくても、これまで蓄積したパワーが衰えるわけないし、気持ちさえ前向きならすぐ取り返せるだろう。
 
 それにしても去年の眼といい、今年はひざといい、やっぱり"寄る年波"にはいかにスーパー爺といえども足元をすくわれることがあるのである。やはり油断と過信は年寄りの大敵だなとあらためて納得した。
 

2019年04月26日(金曜日)更新

第546号 〜この連休、私はこう思う〜

 明日から10連休だが、リタイヤ後4半世紀を越えた私などには別世界の話だ。
 この時期、10日もまとめて休めるのはどんな人たちだろう? いや、これはどんな仕事をしている人たちが休めないかを考えたほうが早い。
 まず、われわれの日常生活の根元を支えている仕事だ。国の防衛を筆頭に防災、治安がある。次いでエネルギーや運輸、通信、道路、港湾など。食料の生産、加工、流通も待ったなしだ。また医療介護は防災とあわせて救急に対応できる態勢が必要だろう。
 となると、のうのうと休めるのはこれらの逆の仕事だと簡単にわかる。すなわち、われわれの日常生活にはほとんど関係ない、なくなっても当面はそれほど支障のない仕事、われわれ国民に番号を振って整理しているに過ぎない役所のお仕事である。これは誰にも異存はないはずだ。

 なくても日常生活に影響がない点では娯楽もそうで、その代表はテレビだ。草創期のテレビを「電気紙芝居」と喝破したのは誰だったか、そんな紙芝居が進歩して茶の間(いまはリビング)に大きな顔で居座るようになり、われわれは紙芝居の合間にニュースを見ているのだ。
 テレビはニュースだけで十分、あとは労働力(人手)と電力の無駄遣いだ。この10連休のうち1日ぐらい、ニュース以外は何も放映しない日を、スポンサーのいないNHKなんか実験的に設けてもいいんじゃないか。
 同じことは新聞や週刊誌にもいえる。週刊誌はもちろん新聞にも新しいニュースを期待する人はいない。新聞などのニュースは後追いと解説と論評であり、一種の娯楽といっていい。週刊誌も同様、いくらでも"作りおき"できる。このように考えてみると、現代はたいていのものが"作りおき"できるようになったので、10連休なんてご大層なことも人々は臆面もなく受け入れるようになったのかもしれない。
 とはいえ一方ではこの10連休が仕事のピーク、"かき入れどき"という人たちもいる。観光行楽地やレジャー関連の施設で働く人たちだ。原始時代そういうサービス業があったとは考えられないから、これもわれわれの暮らしが発展してきたあらわれといえる。「駕籠に乗る人かつぐ人……」がいて社会は成り立つのだ。

 ところで、10連休の私の予定は1件、町内会ゴルフ部のコンペしかない。
 リタイヤしてから私たちは年末年始やお盆など、一般の人たちが出掛ける時期に積極的に出掛けることはほとんどなくなった。私自身かなり見えっぱりなので、大勢の中に混じって"物欲しげ"に歩いたり行列に並んだりするのがイヤなのだ。したがって明日から10日間、コンペ以外の日は雨天でさえなければ午前2時間ほどテニスコート、残りの時間はいつもどおりあちこち片付けたり原稿を書いたり本を読んだり山歩きをしたり……で過ごす。ひょっとして「たまの休みにどこかへの飲みに行きませんか」とお誘いがあるかもしれないが、基本的には1年365連休の一部分でしかない。

 実はゴルフはコンペが今年3度目だ。去年の4月なかば家内が腰を痛めてプレーできなくなったため、同伴プレーヤーがいなくなった私もラウンドがめっきり減って、それがいまだに続いているのだ。
 2回ともゴルフ部々長Nさんのお誘いだったが、コースはもう10年以上前に1度だけラウンドしたところだった。バブルの頃できた、クラブハウスは豪華だが打ちっぱなしの練習場はない、各ホールも狭くて距離がなく、1度だけで2度と行く気がしなかったコースだ。全ホールほとんど記憶になかったが、ひとつだけカート道からフェァウェーに下りていく階段に蛇がのたくっていたことを思い出した。それでも久しぶりのラウンドで、コンペを控えていい練習にはなった。

 セルフデーで格安料金、従業員も少なかったが、意外だったのはプレーヤーも少なかったことだ。前述のようにコースそのものは歯ごたえがないが、市街地からのアクセスはまあまあいいし、プレー代も安く、当日は晴れて風もなく季節的にはなかなかのゴルフ日和だったのに…である。コースに到着早々Nさんと顔見知りの従業員が「いつでもスタートできますよ」と話かけてき、ラウンド中も前の組をあおったり、後ろからあおられることもなく悠々とプレーできたのだ。それが2回ともだったのである。
 アベソウリ以下お偉方が口を揃えて「景気は上向き」といっているが、こうしたゴルフ場の有様から受け取るわれわれ庶民の実感は「下向き」である。ゴルフ人口は10年ほど前から明らかに減少し始めている。関東でも首都圏から遠い栃木などで閉鎖したり規模を縮小する(27ホールを18ホールにする)コースが出始め、東日本大震災以降はこのあたりでもそれがあちこちに現われてきたのだ。若年層の新規参入がガタ減りし、引退する老人が増えているから当り前だ。現にわが家も去年から2分の1だし、プレー回数なら5分の1に満たない。
 その少なくなったゴルファーを何とかして呼び込もうと、ゴルフ場も必死なのだと思った。

 大手デパートあたりではこの10連休をチャンスと見て「前年同期比20%増の売り上げを目指す」などと強気だが、経済専門家の中には「この10連休が景気を押し上げることはない」と冷めた見方もある。そしてたいていの場合、先のことを楽観的にしか考えない私でさえ、この10連休だけでなくこれからも、不要不急の出費は控えたほうがよさそうだなと思っているところなのである。
 
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