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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2017年05月12日(金曜日)更新

第445号 〜上司風を吹かせる年寄りの思い込み〜

 先日のゴルフ部コンペ、昼食の席でこんな話がでた。同伴プレーヤーのSさんが言い出したものだ。「年寄りの男性に“上司風を吹かせる人”って、よくいるじゃないですか。現役時代どれほどエラかったか知らないけど、会社辞めて10年も20年も経ってるのに、それも元の会社の人たちとは全然関係のない人たちばかりの、ゴルフ場とか町内の集まりとかそんなところで、吹かせるんだよね。俺たちの周りにも、あの人ってすぐ名前でてくるけど、あ、(ここで私を見て)仲達さんは違いますよ……ああいう年寄りって、なんかイヤだよね」
 このSさんをはじめ私以外の3人は、それぞれ仕事は異なるがみんな50代の働き盛りだ。食事がテーブルに並ぶまでのいっとき、その話題で座ははずんだ。私も話しに加わりながら、これもいまの現役世代の、私たち高齢者に対する認識のひとつなんだろうな、次の原稿のテーマにいいんじゃないかと思ったのだった。

 私たちの世代は戦後の新しいサラリーマンの、いわばハシリといってもいい。学校を出て入った会社が国の経済成長とともに曲がりなりにも大きくなっていき、本人も余程の規格はずれでさえなければ黙っていても地位は上がり、部下も増え、けっこうな退職金を手にリタイヤした……そんな世代だ。
 この団地の同世代には、集団就職の夜行列車で上京してそのまま会社の寮に入り、一から仕事を覚え、結婚し子どもができマイホームを建て、その家を子ども世帯に譲って、生まれ故郷に近いここに戻ってきたという御仁(上司風を吹かせる人ではない)もいる。

 それに当地は企業の支社や出張所が多いところなので、そのトップで定年を迎える人も多い。さらには、冬はそれほど寒くなく物価が安く東京にも近く暮らしやすいとあって、そのまま当地を“終の棲家”に定める人もけっこういる。どうやらそうした人たちに上司風を吹かせる傾向が強いようだ。

 こうした上司風老人は、自分より年下や目下の者を自分と対等の存在として考慮できないのではないか。そういう人は社会人になって以降、年下や目下の者と一緒に酒を飲んだり麻雀をしたり、あるいは野球やハイキング、スキーなどみんなでワイワイと無礼講で楽しんだ経験なんてほとんどないんじゃないか? 要するに日々生活の基準は階級がすべて、自分より年下や目下の者が自分より強かったり上手だったり、自分より上位にいることを認めたくないのだ。
 そしてこのテの年寄りがコトあるごとに、自分が上位だということをアピールしようとして相手を“クン付け”で呼んだり、場の話題をすり替えて“大所高所的発言”をするなど上司風を吹かせるのだ。

 いつだったか雑談の場で、私が「若い頃会社で“FBI”という野球チームをつくって漫画家のチーム相手によく試合をした」と話したところ、某氏がすかさず「ボクは高校時代セカンドで2番だったよ」といったことがある。
 私はチーム名が"双葉社ベースボール愛好会"のシャレであることを自慢したかったのだが、某氏は球歴自慢にすり替えたのだ。

 年寄りの自慢話はえてしてクダラナイ説教やお節介(当人はアドバイスのつもり)につながり、そのまま上司風的言い方に発展する。だが当人にはまったくその意識はなく、かつての実力者として自分の言説には誰もが耳を傾けるはずだと、単純に思い込んでいるところがある。その無神経さがイヤだとSさんはいったのである。
 
 だが、私も年相応にときどき自慢話をしている。話の発展には気をつけよう。
 

2017年05月02日(火曜日)更新

第444号 〜昔から広告は嘘八百=ペテンだった〜

 前回「効かないサプリ」の広告について書きながら思い出したことがある。
 明治から大正にかけて“猖獗(しょうけつ)を極めた”――ここは古い言い方がピッタリだろう――“有田ドラッグ”のことだ。有田音松というペテン師が効き目のない性病や結核の薬を、ド派手なキャッチコピー「妙薬百発百中」と「これを飲んだら全快した」というインチキ体験談を並べて、日本中はおろか台湾朝鮮ハワイの新聞にまで全面広告を打ち、原価の百倍以上でインチキな薬を売りまくり、大儲けをした話だ。やり方はペテンそのものだったが、売りつけた品物は成分的には薬と解釈できた――たとえばブタの血を煮詰めて丸薬にした――ので、有田の手が後ろに手が回ることはなかった。要するに、バカを見たのは広告を自分に都合よく解釈して大枚をはたいた者というわけだ。

 広告評論家の天野祐吉(故人)がつくった『嘘八百!』という文庫本がある。内容は明治から大正昭和初期にかけて新聞雑誌に載った珍妙な広告を並べ、揶揄的コメントをつけたものだ。四半世紀も前の発行だが面白いので、ときどき引っぱり出してめくっている。
 中で圧倒的に多いのが薬と体に関連したものだ。いつの世もそれらは人々の一大関心事だったのである。以下特にオモシロいものを並べてみよう。(註・時代的に使用されている文字は旧漢字旧かなだが、本稿では新漢字新かなに直した)

 まず“類人猿の生殖腺で人体が若返る”というキャッチコピーと『ネオネオギー』という商品名には、誰もが「なんだこりゃ」と目をむくはずだ。これが新聞全5段、さらに全6段には“細胞覚醒力を究む/冬眠した動物も甦る/疲憊老衰細胞が再生/病体衰弱体が革(あらたま)って/精気横溢の体に……”のコピーが並び、双方に帝大を出て永らく海外に留学した‘ドクトル・オブ・サイエンス’なる篤学者の解説兼推薦文(400字6枚と8枚)がついている。つまり、こうしたモットモらしい文章や体験談に読み手はつい乗せられるのだ。
 これは昭和11年のものだが、それ以前の類似品では“滋養大関人体肥料”『次亜燐』(大正2年)、“佛国の碩学ポステルナック博士の創製せる”『鉄フィチン』(大正6年)なんてのもあった。
 そういえば戦前台湾にいたとき、家の中に『神功』『壮精』という薬めいたものがあったのを覚えている。ともに台湾毒蛇を素材にしたと称する滋養強壮剤で、前者はカプセル入りの肝油のようなもの後者は粉剤だった。当時このテのクスリは一般家庭の常備品だつたのだろうか。私は飲まされた覚えはない。
 それにしても“ネオネオギー”というネーミングはムチャクチャだ。次亜燐、鉄フィチン、神功壮精のほうがわかりやすいし、売れたんじゃないかな。

 痔の薬や治療器具もけっこう多い。“深海の奇魚と動物性エキスから発見せる”『奇効的薬物』やら、“全快の絶賛又々絶賛/七日間根治確実"の『特製イーヂー』やら、“特許治療器『ヂイル』出でて患者の狂喜、諸博士実験御推奨”やら、あれこれあるが治ったという話は聞いたことがない。
 昔から痔が日本人に多いのは用便の際しゃがんでいきむ姿勢、つまり和式トイレのせいだといわれてきたが、それだけじゃないだろう。私も高校生の頃、ちょっとした重量物を持ち運ぶアルバイトをしていたとき、いきむたびに肛門に力が入って脱肛になり、それから約50年ほど痔主として苦労した。そのポリープを16年前、大腸ガンの手術をした際ついでに切除して以来、これまで3ヵ月に一度のペースで病院に行って薬だけ処方してもらっている。この薬がなかなかのスグレモノで、いまはまったく気病むことはなくなった。病気や体の不具合は自己診断せず専門家に診てもらうのが、矢張り最善の方法なのである。

 短小や包茎の悩みを解消したい、背を高くしたい、金儲けしたい、長生きしたいなどの願望は昔の人も変わらないようで、それにつけこむ広告も現代同様にある。

 “若者よナゼ泣く?/極度の哀愁より無上の幸福へ”というのも“頭脳明晰も体力優秀も成功するも凡てが性の力”というのもペニスの『真空治療器』だ。メカニズムは現在も同じだし、ついでに“包茎治療”を合わせて広告しているのも同じだった。
 “小男も大男となる”特許出願中の器具は"骨と骨との間軟骨を伸長せしめる”ちょっと物騒なシロモノらしいが、なにやら科学的根拠のありそうな感じがミソ。こういうところにシロートはコロリと騙されるのである。私などそんなものより映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードや元スマップの誰かさんのように、シークレットブーツを履いたほうが手っ取り早いし楽だと思うのだが。
 “壱萬円利殖秘法”も“千円位は儲る秘訣”も“金が生む金/積富に成功するには”も、『利殖問答』や『債券虎の巻』『富の解決』といった小冊子を売りつけるのが狙いの広告だ。せっかく金儲けのウマイ方法を見つけた人が、その秘伝を小冊子1冊ぐらいのカネで他人に教えるわけないだろうとは、申し込む前に考えないのだろうか。利殖や積富にあまり縁のなかった私にはどうもよくわからない。
 “古来の謎は解かれたり”という本『不老長生法』の広告は大正13年、“喜びに沸く不死薬が発明さる”という支離滅裂な内容の広告は昭和4年。どちらも関東大震災と昭和恐慌の合い間、世の中が束の間平穏無事だった時期だ。人々の長生き志向がそんな時期に強まるのだとしたら……東日本大震災/熊本地震と北朝鮮のミサイルにはさまれたいま平穏な束の間は、日本人の長寿のピークかもしれないではないか。

 私たちもせいぜい頑張って長生きを楽しもう。
 

2017年04月28日(金曜日)更新

第443号 〜効かないサプリに頼る老人の頭の中〜

 先頃、ある週刊誌の広告に『誇大広告!効かないサプリ実名リスト』というのがあった。肩に「今や50代以上の3割が毎日飲んでいるが、健康になるどころか、飲み続けると病気になることも」とあり、脇には「グルコサミン コンドロイチン マルチビタミン プラセンタ DHA ウコン クロレラ ローヤルゼリー ベータカロチン マカ アガリクス ほか」と品名が列記してあった。読むまでもなく記事の内容はこれでほとんど見当がついた。
 ヒマがあって小金もそこそこあり長生き欲も人一倍強いが、自主的積極的に運動する気はあまりない。そんなグータラ老人目当てに、あの手この手で売り込むマガイもの――ニセものとまではいわない――サプリメントをヤリ玉にあげた記事だ。

 実はこうしたサプリに関して私はかなりくわしい。勤めをリタイヤする10年ちょっと前から当地へ転居した数年後まで、20数年にわたって私はほぼ3ヵ月に2本のペースで、"T"という薬品通販会社のPR原稿を書いていたからだ。
 きっかけは以前ある芸能関係者を介して名刺交換したT社のオーナーから、新商品として売り出す"早漏防止剤"の週刊誌用広告原稿を頼まれたことだ。『薬事法』に抵蝕しないように工夫して書いたその原稿がえらく気に入られて、以来同社のダイレクトメール紙(A4版8ページ)にさまざまな商品のPR原稿を書くようになった。早漏防止剤から察せられるとおり同社の商品はいわゆる"成人向け"だ。おかげで私は精力剤などそちらのほうには相当くわしくなり、またかつては"成人病"といった生活習慣病、中でも糖尿病についてはずいぶん勉強させられた。
 オーナーが早漏防止剤に次いで、『雲南蕃柘榴(ばんざくろ)』という降糖効果をうたったお茶に目をつけたせいである。蕃柘榴は沖縄にも自生するバンジロウと同じ木の実だから、いわれてみればナァーンダとなるが、頭に"雲南"といういかにも漢方薬の本場らしい名称をくっつけたところがミソで、そのへんがオーナーのセンスといっていい。また狙いも悪くなかったようで、後年某大手飲料メーカーが"蕃爽麗茶"と名付けた製品を売り出している。

 余談だが、糖尿病の治療は一にも二にも食事のコントロールと運動が主だ。つまり本人の自主性と積極性が基本で、それをいい加減にしては治るわけない。74歳で亡くなった私の3歳下の知人は、アンコものが大好物で和菓子がいつも枕元に置いてあり、目が覚めると夜中でも食べていた。そして糖尿が元で頻尿になり、2階の寝床から下のトイレまでこらえきれず階段で漏らすことが多くなって、階下で寝るようになったという。彼が雲南蕃柘榴を飲んでいたかどうかは知らないが、運動らしきものはまったくしていなかった。

 ところで、さきの『薬事法』のシバリは近年以前より厳しくなったと聞く。したがって各種サプリの広告もサントリーの"セサミン"のようなムード調が主流になり、週刊誌がいうほど誇大ではないのではないか。ただし「効かない」ということについては異存はない。
 こうしたサプリに依存する老人は何を考えているんだろうと思う。

 白内障をいわゆる点眼薬で治療している人物を知っている。インターネットで見つけたそうで、ロシヤの医師が発見した有効成分が入っているらしい。1セット2週間分の価格1万円オーバーがこの人にとって、手術にかかる諸費用(時間も含めて)より割安なのか、それとも別の理由によるものか。そのへんはよくわからない。

私はサプリやネット販売など手近な医薬品に頼りたがる人は、自分の体調や健康の管理について自主性も積極性もない人だと思っている。
 たいていの親は子どもの具合が悪くなったとき、大急ぎで病院に連れて行って医師に診てもらい、その診断と治療に従う。つまり大切な子どもの体の管理を自主的積極的に専門家に任せているということである。ところがそんな親たちがいざ自分のこととなると、忙しさや遊びにかまけてか過去の経験に照らしてタカをくくるのか、専門家をさしおいて、手近でイージーな方法を選んでしまうのだから世話ない。私も30代なかば頃いわゆる"盲腸"を休日をはさんで2日間、買い置きの腹痛の薬だけで治そうとして腹膜炎になりかけたことがあった。こうした都合のいい自己診断が自主性積極性の欠如なのだ。
 しかもサプリの広告などは、読む側がいくらでも自分に都合よく解釈できるようにできている。たとえば"セサミン"の広告で、三浦雄一郎さんが重装備で雪山にチャレンジしている写真があり、そこに「70代でも80代でも年齢をあきらめない」というキャプションがくっついていると、自分だってセサミンを飲めば三浦さんぐらい元気になれるんじゃないかという気になる……そんな勘違いを起こさせるのである。
 
 だがそんな都合のいい解釈は所詮"楽な道選び"でしかない。体力や健康づくりは自主的積極的に日々積み重ねていくものである。サプリは体操やウォーキングの後押しなんかけっしてしない。
 

2017年04月21日(金曜日)更新

第442号 〜半島有事、難民コロニーを杞憂する〜

 先日、リサイクルプラザから面白そうな本をもらってきて読んでいたら、こんな記述があった。ざっと紹介する。「……ニューヨークのハーレム(スラム街)はかつてはふつうの居住区だった。ここに住む多くの老人たちはここで育ち、家族を養い、女は夫を戦場に送り出し、子どもが独立して離れて行った後も、同じ家やアパートに住み続け、暮らしてきた人たちだ。そして、この気楽な町に失職者や小悪党など社会の落伍者が集まり始め、ならず者が増え、治安が悪化し、都市犯罪の巣窟になっていっても、それら年老いた住民たちは他に行き場もなく、古い住居のドアに3つも4つも鍵をかけて、日々おびえながら囚人のように閉じこもっているのだ。……」
 本は、広告会社のリサーチをしている26歳の女性が、ニューヨークで生活している老人たちの実態を身をもって体験しようと、腕利きのメーキャップアーチストに依頼して85歳の老婆に“変装”(これが本のタイトル)し、1980年から3年間にわたって方々をルポした記録だ。日本で翻訳出版されたのが88年だったから古いものだが、内容的にはいまの日本の状況や、これから起こりうる状況に共通するところがあるのではないかと気付いた。

 “限界マンション”という言葉が出てきたのは数年前だったか。築45年を越えて建物が老朽化し、住民も若い世代がどんどん出て行って移住するあてのない老人ばかりになり、空き家が増え、取り壊しも建て替えも決められずに宙ぶらりん状態のマンションのことだ。博多のそんな建物が週刊誌に大きく取り上げられたこともあったし、近頃ではあの多摩ニュータウンがそうなりつつあると話題になっている。
 こうした現象は戸建ての住宅団地でももちろん起こっている。大都市郊外のニュータウンで空き家が目立つようになり、当地のような北国では冬場雪が降っても雪かきする人がいなくなり、町内会が老人会になっている……などだ。

 日本の場合、限界マンションや老人タウンが発生した一番の原因は、日本人特有の“横並び志向”だろう。アメリカの核の傘の下で右も左もエコノミックアニマルに徹していたおかけで、たいていの日本人はウサギ小屋とはいえ“一国一城の主”になれた。そして、そのウサギ小屋がわれわれを核家族化させたからだ。
 たとえば、私たちの住居はいわゆる“3LDK”で老夫婦二人には十分余裕がある。ただしここで子どもを育てるなら、どう頑張っても高校生と中学生1人ずつ2人がせいぜいだろう。また子どもだって思春期になれば、親の目のとどかないところで暮らしたくなる。かくて築25年を越えたばかりの私たちのマンション団地も、老人世帯は増加の一途をたどっているのである。

 マンションにしろ住宅団地にしろ空き家率が30%を越えると、人の正常な居住地ではなくなるという。行政をはじめ公的半公的サービスが行き届かなくなり周辺から商業地が撤退して、日々の生活に不便が生じてくる。早く言えば過疎地と似た状態になってしまうのである。

 ただし、それがそのまま冒頭にあげたニューヨークのハーレムのようになるかといえば、日本ではけっしてそうならないだろうと思う。単一民族単一言語のわれわれ日本人はどこへ行っても結局“ムラ社会”の一員でしかないからだ。われわれは無意識のうちに部外者を遠ざけ、自分たちのコミュニティを守る“相互監視”の目を光らせているのだ。日本の警察官が世界でもっとも人口比率が低い、つまり数が少ないにもかかわらず犯罪発生率が低く、すぐれた治安を保っていられるのもこのムラ社会のせいだと思う。日本ではたとえ空き家が増えても、そこにならず者が根を下ろし周辺住民をおびやかすような事態は、まず起こりえないのだ。

 万が一それが起こるとしたら朝鮮半島や中国で大事件が発生し、大量の難民が海を渡って押し寄せて来たときだろう。方々に彼らだけのコロニーができ、警察も自衛隊もコントロールできなくなったらわからない。
 こういうことを昔の人は「杞憂」と笑っていたが……。
 

2017年04月14日(金曜日)更新

第441号 〜忍び寄る“老い”と久々のゴルフ〜

 今年はまだ一度もゴルフをしていない。もともと練習場には行かない現場第一主義とあってクラブも握ってない。去年最後にプレーしたのが12月19日、もはや4ヵ月ものご無沙汰になる。思い返してみるとゴルフを始めて45年、私たちが冬場スキーをびのメインにしていた頃でも、これほどのブランクはなかった。ちなみに両者が重なっていた期間は25年ほどだ。
 その重複期間にはこんなこともあった。会社を辞めて数年後、まだ当地へ転居する前だ。3月なかばの某日、出版健保日光保養所の親しい職員さんから電話で「こちらに新しくオープンしたゴルフ場の優待プレー券を入手したんですけど、ご一緒しませんか?」とお誘いがあった。日付を聞くと、私たちが裏磐梯の猫魔スキー場――ここのホテルも出版健保の契約施設だった――に出かける予定の前々日だ。願ってもない
タイミングだと早速OKした。
 当日早朝、二人分のゴルフとスキー用具一式を積み込んだ車――ディーゼルエンジン冬タイヤのパジェロロング、しかも車内最後列の折畳み補助椅子を私が取っ払って荷物スペースに直してある――で、前面総ガラス張りのいかにもバブリーなクラブハウス玄関に乗りり付けたが、屋根に積んであるスキー(当時の長い板は屋根置きが普通だった)を見た係りの人はどう思ったことか。
 
 当地に来る前はこのように、冬場でもゴルフによく行っていたのだ。寒さで尻込みするのは“柔弱の徒”だなんて思っていた。ゴルフ発祥の地スコットランドは、北海からの風が冷たいだけで雪は少ない。コースがクローズすることはあまりないのだと、そんな表層的知識を夏坂健の書くものから得ていたから強気だ。冬のゴルファーは寒風の中を鼻先を真っ赤にして白い息を吐きながらラウンドするのが常識。そんな本場にくらべれば関東の南部はハワイみたいなもの、群馬栃木茨城だってたいしたことない……なんていっていたものだ。
 そしてここ仙台も北国だが雪はそれほど降らないし、冬場でもクローズしないコースはけっこうある。お気に入りのOだって今冬は一日もなかったんじゃないか。それが4ヵ月もご無沙汰とはいったいどうしたんだと、我ながら怪訝だったが。

 直接原因らしいものは大方見当がついた。
 
 だいたい私たちの行動予定は主に家内が立てている。ことゴルフに限らず彼岸や盆の墓参り、評判の絵画展を観に行く、バスで町に出て"強力わかもと"を買い、○○でランチしてくる……など、たいていのことは家内が決め、私は「いいよ」というだけだ。わが家は結婚当初から財務は家内の担当だったし、加えて家内がすぐ運転免許を取って運輸も管轄下に置いたので、成るべくして成った当然の結果だ。
 それに私自身も家内の守備範囲には手を出さないようにしている。私たちは世間サマとは逆に「婦唱夫随」なのである。

 原因の第一は、その常日頃の“言い出しっぺ”が、昨年あたりから右手親指や耳、膝――これは前々からずっと――など体のあちこちに故障を訴えるようになり、気分的な部分でちょっと慎重になったこと。ついで私が新年早々風邪で2〜3日寝込み、その後インフルエンザに罹患したり眼の不調を指摘されたりして落ち着かず、さらには車検などで想定外の出費もあり、要はいろんな意味で、「二人とも“バタバタ状態”が続いていた」のだ。

 ただそれら直接原因はともかく、そうしたバタバタ状態を引き起こした元は、私たちの心身の“老化”――忍び寄る“老い”である。これを「しょうがない」と受け取るか、それともその経験を踏まえて「なんとかしてやろう」と考えるかで、先々の老い方も違ってくるんじゃないか。
 もちろん私が選ぶのは後者、どうせ老いるならできる限り前向きにやってみよう、である。そのほうが4ヵ月ぶりのゴルフだって、不安より楽しみのほうが大きくなろうというものである。
 
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