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2016年12月16日(金曜日)更新
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第425号 〜住居暖房についてへそ曲がりな疑問〜
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わが家は冬場の暖房に灯油を使う。器具は2台、ファンヒーターと昔ながらのストーブだ。日中は2台一緒に使うことはあまりないが、夕方から寝るまでの間は使う。その2台に灯油を切らさないことが私の役目だ。夕方点火する前にタンクを確認して満タンにしておく。私が長年の経験から、満タンでなくてもこれなら翌朝の分まで十分間に合うといっても、家内は満タンでなければ納得しない。そういえば、家内は車の燃料計が半分以下になると不安で走れないというし、出かけるときサイフがスカスカだと安心できない。小銭だけでも平気な私とは正反対だ。
灯油は1週間に18?入り3〜4缶使う。買い物ついでにGSやホームセンターで買ってくるのと、週イチで団地まで巡回販売にくる業者から買うのと半々ぐらいだ。業者から買うと1缶100円ほど高くなるが、前もって外に出しておいた缶を玄関まで運んでくれる。私たちのようなエレベーターなしの4階住まいや、エレベーターがあっても体力のない高齢者や女性にとってこれは大助かりだろう。
ただ私はGSなどで買ってきた1缶を持って上がる。100円をケチっているわけではない。年老いてもできることを億劫がってやらなくなることが、老化につながると思っているからだ。私の考えでは、われわれの体や頭はいつも精一杯使ってやることが衰えを遅らせるベストな方法なのである。
団地にやってくる業者は以前から変わらない。埼玉に本社がある、けっこう手広く事業展開している業者だ。タンクを積んだ巡回販売車(灯油ローリー)にスピーカーを設置し、音楽と女性の声を流しながら回ってくる。土地によってはそれを騒音だというクレームも多いようだが、ここではない。
販売車に乗ってくるのは"売り子"の男性一人だけ、これも2年前と変わらないので顔なじみだ。両手に缶を提げて4階まで上がってくるほどだからいかにも頑丈な、それでいて愛想のいい青年だ。昨冬彼からこんな話を聞いた。
この団地のある棟で満タンの缶を運んで行く途中、突然缶が壊れて廊下が灯油浸しになってしまった。缶が劣化していたのだ。こぼれた灯油を車に積んであるモップで拭き取るなど後始末がたいへんだったようだが、彼は「壊れたのが廊下でよかったすよ。エレベーターの中だったら、機械を停めてもらって、穴の底まで掃除しなきゃならなかったから……」と笑っていた。
ネットの無責任な書き込みによると、彼ら売り子は日給1万5千円〜2万円だという。その金額が仕事の内容に見合うかどうか私には何ともいえない。ただ彼らのおかげで助かっている人たちがいることは書いておきたいし、またこちらの不注意から彼らに迷惑をかけないように、紫外線にことのほかヨワイ缶の劣化にも気をつけたい。
こうしたまことに庶民的な灯油暖房を、近年は使用禁止にする集合住宅が増えている。息子たちのマンション(話題の豊洲にある)がそうで、室内は床暖房だ。灯油暖房は水蒸気を発生するため、密閉性の高い住宅では壁やサッシにカビが生えやすく、木材部分がシロアリやキノコで脆くなってしまうからだという。
しかし考えてみれば、高温多湿の日本の住居は古くから通気性を最優先に建造されてきたはずで、いまさら密閉性を云々するのはいささか筋違いではないか。戦後70年余を経てわれわれの生活はあらゆる点で便利になった。綿入れを着込んで練炭コタツにもぐり込んでいたことを思うと、いまこうして原稿を書いている室内の暖かさはまさに別天地だ。だが、このコンクリートとアルミサッシで囲まれた空間が、はたして日本の四季や風土に即した住居だといっていいものかどうか、へそ曲がりな疑問もわいてくるのである。 |
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2016年12月09日(金曜日)更新
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第424号 〜老いとともに衰えるユーモア感覚〜
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「ユーモアとは、にもかかわらず笑ってしまうことである」
というドイツの諺があるそうだ。本を読んでいてこういう言葉に出会うと、ホントうれしくなる。その本が『「死の医学」への日記』(柳田邦夫・新潮社)というたいへんシリアスな内容だっただけに、言葉の印象は尚更深かった。「にもかかわらず」の前に“悲しい”“可哀そう”“ゾッとした”……などの言葉を置いてみるといい。
なるほど!と、思わず膝なんか叩きたくなるだろう。
そんなユーモアを話したり書いたり、自在に操る才能は私にはない。みんなとワイワイやっている席で何かオモシロイことを言おうとすると、私の場合たいてい落語でいう“考えオチ”になって座をシラケさせてしまうのだ。
蛇足ながら考えオチとは、よく考えないと意味やオカシミがわからないオチで、代表的なものに「……蕎麦が着物を着て座っていた」とオトす『蕎麦清』がある。
要するに私は当意即妙の受け答えが下手くそなのである。
その点ではいつも家内や息子に置いてかれる。私たちと息子夫婦が4人一緒にいると、家内と息子がのべつ掛け合いめいたやりとりをしており、私と嫁はきまって呆れ顔を見合わせている。二人とも相手の言葉を頭の中で反芻するより早く口が反応するらしく、当意即妙は“生来のおしゃべり+才能”だなと感心する。
私など近頃はいくら頭で反芻しても、適切な言葉がなかなか出てこなくなった。たとえば理事会終了後、帰宅して夕食をすませ2〜3時間本なんか読んでベッドに入ってからやっと、「そうか! あそこではこう言っとけばよかった!」と気付くのだから、“のろまの後知恵”も年とともに進むのろうと諦めている。
もっとも、二人の掛け合いが「ばか!」「なによ!」といった売り言葉に買い言葉では、偏差値低レベル高校生の口喧嘩でオカシくも何ともないわけで、そこは家内も息子も頭はまあまあですよとフォローしておこう。
この当意即妙の名手が長年のスキー仲間・Y君だ。
息子が中学1年生の春休み、一緒にニセコアンヌプリで滑ったときのことだ。晴れた日にリフトの終点から頂上へスキーをかついで登り、見下ろすと倶知安のイナカ町が広がっていた。私が思わず「へえ〜、クッチャンて意外と大きいんだな」というと、Y君がすかさず「クッチャンも大きいけどイッちゃんも大きい」といい、家内と息子が「イッちゃんは足も大きい」「30センチのスキー靴」とつづけて、4人で大笑いしたのだった。
“イッちゃん”とは一郎という家内の遠縁の子で息子の一学年上、スキーにも時々連れて行ったのでY君も顔なじみだった。体だけヌーっと大きくなった、都会的にスレた感じのない子でその頃すでに私より大きく、特に足が大きかった。30センチはオーバーだが、合うスキー靴を探すのに苦労した覚えがある。
このような打てば響く言葉の三次元的反射が、残念ながら私にはないのだ。私は自分が思っている以上に頭が固いらしい。
そのせいだろうか、私は読んでいる本の中で使い古された陳腐な常套句にぶつかると、途端にシラケた気分になり先を読む気をなくしてしまう。たとえば「……戦争の火蓋が切って落とされた」なんて言い方だ。せっかく最新ルポとうたった作品に、こんな手垢のついた表現使うことないだろ、なんで「戦争が始まった」と素直に書けないのかねと文句たらたら、著者が若手だったりすると編集者のセンスまで疑ってしまうのだ。
しかし考えてみれば、これは冒頭にあげた“うれしくなる”のとは裏返しの反応であり、やはりひとつの読む楽しみなのだ。落語なら『小言幸兵衛』、レッキとした年寄り的読書術である。
私は“ユーモア”にはどうも縁がなさそうだ。 |
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2016年12月02日(金曜日)更新
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第423号 〜医療費高騰の元凶・見栄っ張り年寄り〜
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3ヵ月に一度「あなたの医療費をお知らせします」ハガキが舞い込む。“舞い込む”と書いたのは、こちらは希望してもいないのに送ってくるからだ。
送り主は県の後期高齢者医療広域連合と区役所の保険年金課。ハガキは二つ折りの中面がノリ付けされ、下段に白抜き文字で「ここからゆっくりはがしてご覧下さい」とある。広げると見開き両面にわたって過去3ヵ月間に使った医療費と薬代が下のように箇条書きされている。薬代は医師の処方箋によるものだ。「5月/○○整形外科/医科外来/1/1,990/つづく食事療養費の項目は省略」「5月/○○薬局/調剤/1/4,620/同上」
末尾の数字が総額(円)、その左の“1”は日数、計算すると3ヵ月合計7万7千円ほど、毎月さして変わらないので1年では30万円前後(私個人の負担は1割)か。この数字は精査したわけではないが、同世代の中だけでなく後期高齢者全体の中でも低いほうだろう。言い方を変えれば、近頃国の財政を圧迫しつつある社会保障費にあまり負担をかけていないほう、国にとっては有難い高齢者だ。
私は月平均3回病院に行っている。日赤の眼科(2ヵ月おき)と外科(3ヵ月おき)、一般病院では内科がひと月半おき、整形外科と健診施設的な診療所に毎月、歯のメンテナンスに3ヵ月に一度などだ。これらのうち眼科と外科は以前受けた手術の予後ケア、他の一般病院は薬を処方してもらうのが主目的だ。血圧の薬、鎮痛剤、睡眠薬、風邪薬などだが、たいていの薬は市販薬より病院の薬のほうがよく効く。
中でも家内(外科以外同じところに通院している)ともども“お気に入り”が診療所で処方してくれる葛根湯だ。これは代表的な漢方薬で市販品も多いが、私たちがもらっているのは歴とした日本薬局方の純正品だ。葛根湯は一般に知られている風邪への効能だけでなく、肩こりなどの筋肉痛にもたいへん効果があるので、私たちは格好の常備薬として重宝している。
いうなれば私の病院通いは“転ばぬ先の杖”なのである。
私の観察では、多額の医療費を使っている年寄りには“見栄っ張り”が多い。見栄を張るからには当然それなりの金銭的裏づけがあるわけだが、それは長者番付に名を連ねるようなご大層なものではない。せいぜいちょっとした職場でちょっとした地位に達し、貯金や年金もそこそこといったクラスだ。とにかく自己負担は1割だから私たちの倍や3倍使ってもたいしたことない。
そんな“病院道楽”の年寄りたちのうち何にもましてイヤラシイのが、自分はセレブな患者だと自慢げな連中だ。
私が左眼の手術で大学病院に入院していたとき、白内障の手術で同室になった60代末の男性がそうだった。50代から発症した糖尿病で内科に通い始め、主治医とジッコンになったとかで「今回もそのセンセイの口利きで優先的に入院した」と自慢たらたらだったのだ。
糖尿病――それも50代で発症したものなど日頃の食事と運動で、それこそ自己責任で十分コントロールできる。医師とジッコンになるほど足しげく通院する必要なんかコレッポッチもない。おそらくこの人は、大学病院で診てもらっているという箔付け目当てに、何やかや自覚症状を訴えては顔を出したのだろう。相当な見栄っ張りだなとあきれたものだった。
政府は2017年度予算編成で医療費を1千億円程度圧縮する目標を示している。対策として、高齢者の受診頻度が高い外来医療費の上限を引き上げる案などを検討しているようだが、ついでに、こんな見栄っ張り高齢患者をフルイにかける方策も検討の価値ありと思うのだがいかがですか。 |
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2016年11月25日(金曜日)更新
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第422号 〜再認識「そんなに急いでどこへ行く」〜
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先日東京立川市の病院駐車場で、83歳女性が運転する乗用車が暴走し、女性二人を死亡させた事故があった。先月末には87歳男性の軽トラックが登校途中の小学生を死なせている。あるいは高速道の逆走など、このところ高齢者の運転事故が多い。
立川の83歳女性は30年以上前に免許取得後、ほとんどペーパードライバーだったといい(よって優良運転者だ)、暴走原因はアクセルとブレーキの踏み間違いだ。30年も前なら運転講習はマニュアル車だ。それで免許を取っても以後ハンドルを握ることなく、いきなりオートマチック車に乗ったら初心者同然、おまけに年も年だ。咄嗟の場合頭も足もパニクってしまうのも無理ない。
私は無免許なので厳密にはゴルフ場のカートも運転できないのだが、家内とツーサムのときは時々ハンドルを握る。あの程度なら遊園地のゴーカート同様慣れれば無難に走行できるが、それでも急な下りでは運転を家内に代わる。実は25年ほど前、コースで道路傍の石垣にカートをぶつけたことがある。下り坂でスタートしたら急に加速がつき動転して足がブレーキの方に動かず、ハンドル操作で何とかしようとアセリまくったあげくだった。幸い人間もカートもたいしたことなかったが、かなり冷や汗ものだった。
運転歴50数年の家内は「運転中はいつでも反射的に足がブレーキの方に動く」というが、基本を練習していない者にはそういう動作は身についていない。
団地内に「オートマ車は怖くて運転できない」という家内の友だちがいる。50代の秋田美人でこれまでマニュアル車にしか乗ってこなかったかららしいが、運転を続けていたのだったら、咄嗟の場合足は反射的にブレーキを踏むだろう。このへんが25年前の私や立川の83歳女性とは違う。
とにかく、いまはオートマ車全盛である。乗用車販売台数の99%がオートマ車、また1991年オートマ車限定免許が制定されたことで、免許保有者免許取得者ともオートマ車限定が過半数になった。早い話18歳になったら誰でも手軽に免許が取れるようにして、ケータイ並みに車を売りつけようというコンタンなのである。いうなれば秋田美人は時代遅れ、私にいたってはいまや原始人だ。
車であちこち出かけると道路工事の現場によく出会う。国道などの幹線道路なら片側1車線を2車線に広げる工事、抜け道的な町道なら曲がりくねった箇所を車が走りやすいように真っすぐに直している。私たちがよく行くOゴルフ場へのルートには、そのため道傍に迫っていた尾根をわざわざ、高さ約5メートル長さ約50メートルも掘削して切通しを造成したところもある。
そうした箇所を通るたびに私は「これはトヨタのための工事だからな」と胸中でつぶやく。要するに“車のための工事”だ。世間一般では、人里離れた僻地に橋を架けたり場違いな道路をつくったりする公共工事は、国や地方の議員連中の票集めが狙いだといわれているが、もっと根深い部分には日本の“自動車産業育成”という国策が潜んでいるのである。
日本がマイカー時代に入ったのは大阪万博(1970年)の後だ。わが家でも軽を購入した。そして、このマイカーブームとともに死亡事故が急増して安全運転が叫ばれるようになり、全国交通安全運動で総理大臣賞に輝いた標語「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」が流行語になった。ちなみにその総理大臣とは、日本列島改造をぶち上げて全国くまなく道路網を張りめぐらせようとした田中角栄さんである。
私には、あの頃といまの“車をめぐる環境”は何やら似通っているように見える。国策という巨大な推進力によってどんどん進化する“車文化”を、あたふたと追いかけている一般庶民という図式がそっくりなのだ。高齢者が起こす事故は追いかけて息切れした結果なのである。
いま「そんなに急いでどこへ行く」を昔の流行語として、ただしまっておくのはもったいないのではないか。 |
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2016年11月18日(金曜日)更新
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第421号 〜ベルトの穴とコムラガエリに「要反省!」〜
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11月になるとゴルフもあまり行かなくなる。風のない晴れた日が少なくなるし、日暮れも早くなるせいだ。毎日が日曜日の私たちでもつぶれる日はある。行ける日といい天気がドンピシャリ合うとは限らないし、夕日がつるべ落としのこの時期は遅いスタートだと暗い帰路がイヤなのだ。“日暮れて道遠し”という感じが年寄りを滅入らせるのである。
ゴルフが少なくなって歩くのも減ってきた。私は1ラウンドでたいてい2万歩前後歩く。だからゴルフに行かないときも、気分が体をせっついて階段上りや墓園めぐりに出かけるのだが、ゴルフから遠ざかると気分まで尻込みしてしまうのだ。
実はこの秋口から、私はベルトの穴がひとつ広がって気になっている。冬物のパンツをはくと一層感じる。夏物はシャツも薄手だったのであまり気にならなかったが、地厚な冬物だと以前のベルト穴では相当きつい。デザインによってはベルトをしないほうがかえってスッキリ見える。若い頃から60年以上変わらなかった76センチのウェストに、余分な肉がくっ付き始めたようだ。
とはいえ風呂あがり鏡に写った体型は以前と同じだし、体重にも変化はない。
そうなると考えられるのは体のどこか、他のちょっと見にはわかりにくい箇所の筋肉が落ちて、腹部に回ってきたということだ。そういえば今年はゴルフも例年より少なかった。つまりは歩くのも少なかったわけで腰から下、尻やふとももの筋肉が落ちてきたのかもしれない。
これまで私は、何をおいても“歩くこと”を生活の原点においてきた。年老いても心身達者でいるためには、歩くのが一番だと思い実行してきた。この年まで致命的な病気もせず、周りから“スーパー爺”とよばれているのも運が3分の1、あとの3分の2はよく歩いたからだと確信しているのだ。
それがこの秋口から突如ウェストサイズの変化である。私にとってはタダゴトではない。そこで今年の日記を調べてみた。やっぱりゴルフの回数が減り、歩くための外出も少なくなっている。気候が昨年末から急に寒くなり2月いっぱい雪が多く、私たちがコースに出たのがようやく3月なかばだ。スタートがこれではシーズン中も興が乗らなかったわけだ。
ここまで書いて、はた!と気づいたことがある。
この夏あたりからゴルフの後、夜寝ている最中に何度か“コムラガエリ”が起きたのだ。激痛で目がさめ、真っ暗なベッドであぶら汗をかきながら爪先を引っぱったり、ふくらはぎをもみほぐしたりした。特に筋肉学(?)的根拠はないが、このところ鍛えるのをサボっていた筋肉が、コースでいきなり2万歩も歩かされたからアタマにきて、抗議のケイレンを起こしたのだ……。
われわれ人間の体はこれほど正直かつ微妙なのだ。いい加減に扱っているとすぐシッぺ返しがきて、ひどい目にあうから気をつけたほうがいい。
とにかく今年の私の足は例年よりかなり運動不足である。このままでは尻やふともも裏側の筋肉が落ちて、ジーンズやローライズのゴルフパンツなんかとても格好よくはけなくなるし、内臓脂肪がたまってベルト穴のズレもひとつではすまなくなってしまう。あらためて「要反省!」だ。
この年になって心身達者でありつづけるには、“賽の河原の石積み”のような努力が必要だと思う。積み上げる傍から鬼がやってきて蹴散らされ、また積み上げる……同じ作業の繰り返しなのだ。河原で石を積んでいるのは親より先に死んだ幼い子どもだが、この言葉はわれわれ老人にもいえるはずだ。ベルトの穴や夜中のこむらがえりは私にとっての鬼だ。早く出会えてよかったのである。
大階段上りや墓園めぐりを早速始めよう。 |
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