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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2016年10月07日(金曜日)更新

第415号 〜体力脳力を充実させ楽しみの多い秋〜

 10月になって季節はまさに「スポーツの秋」である。明々後日・体育の日には町内ゴルフ部のコンペもある。あちこちの小中学校では運動会もたけなわだろう。
 運動会といえば、かつて子どもがいる家では、ゴザや弁当を用意して朝から総出で繰り出したものだが――年頃の娘はなぜか用があって参加しなかった――近頃はそん
な家族もあまり見なくなった。そのかわりこんな奇妙な光景に出会う。

 数年前、町内会がらみでよんどころなく参観したときのことだ。
 トラックを4分の3周する高学年男子の徒競走で、スタートラインに並んだときからダラダラとフテクサれてまるでやる気のない子がいた。「ヨーイ、ドン!」と他の子
どもたちが一斉に走り出しても、そいつはデレデレと歩くだけ、次の組がスタートしたところでコース外へ消えてしまった。
 体格は他の子どもたちよりひと回り大きかったが、知恵遅れという感じはなく、身につけていた体操着も他の子と同じ。一見ごく普通の子どもだっただけに、より一層
奇妙な異分子感が残った。
 おまけに、その子に先生が誰一人声をかけなかったのも奇妙なことで、やっぱり何か問題のある子だったのかもしれない。学校の規律の中でそうした異分子――親もひ
っくるめて――をどう扱うか、先生もたいへんだなと思ったものだ。

 いろんな「○○の秋」のうち、私に一番不向きなのは芸術、特に絵画だ。絵そのものはジャンルを問わず見るのは好きだし、この小さな住居の中にも20点もの作品が種
類大小とりまぜてあっちこっちに飾ってある。ただそれらの値段を判断する"眼"が私にはないのだ。
 いまの絵画の価値は一言でいえば「ナンボで売れるか」だろう。時代的価値がどうの芸術性がどうのといっても中身は"なんでも鑑定団"と同じ、それに得体の知れない
人気がプラスされてべらぼうな値段がつけられるのだから、われわれシロートは目を回すしかない。
 いい例が現代日本画だ。ある画廊の女性マスターによると、"三山"と称される大家を筆頭に国内と世界では評価額の桁が違うという。去年だったか私も"芸術家三兄妹"
として有名なSの作品展示即売会を市内のデパートで見たとき、シロート目には同じような絵が並んでいるとしか見えないそのどれにも、1千万円ぐらいの値札がついて
いて、異次元空間に迷い込んだような気持ちになってしまった。

 もう60年も前のF社に入ったばかりの頃、私は月刊クラブ雑誌の編集部に配属されて挿絵の原稿取りによく行かされた。そこで私はそれらの画家のほとんどが、ちょっ
とした住宅地(たとえば代官山)のけっこうな家に住んでいることにビックリした。私のような地方出身の社会人一年生は"○○方"という間借りが普通、"○○荘"のアパー
ト住まいに出世するのはやっと2〜3年後という時代だ。いまふうにいえばカルチャーショックだ。しかもそれらの画家が初めて聞く名前ばかりだったので尚更だ。私は
ただただ「へえ〜、挿絵ってボロい仕事なんだな」と感心するばかりだった。

 目の前にある絵が職人の仕事なのか芸術家の作品なのか、私には判断がつきかねるのは、そんな60年前のイメージが気持ちの奥底にあるせいだ。すなわち芸術家と称さ
れる人たちのべらぼうに高額な作品がボロい仕事に見えてしまうのである。したがって私が絵を見る基準は好ましいかどうかしかない。値段は関係ないのだから"芸術"に
は不向きなのである。

 私にとって秋につける冠詞は何といってもスポーツであり、次いで食欲や読書なのである。そうだ!"秋あがり"とか"ひやおろし"などと呼ばれる美味い日本酒を忘れて
はいけない。春先に仕込んだ新酒を夏場低温でじっくり熟成させて秋口に出荷する、日本酒党にはこたえられない酒だ。年とともに人並みに酒量は落ちてきたが、この季
節は頑張って楽しみたいと思っている。
 秋は体力脳力を充実させるとともに楽しみの多い季節なのである。
 

2016年09月30日(金曜日)更新

第414号 〜年寄りには言葉を大切にする義務がある〜

  このほど文化庁の国民世論調査で「ら抜き言葉」のうち「見れる」「出れる」という言い方を普段する人が「見られる」「出られる」という人よりわずかに上回ったことがわかった。一方「食べられる」「来られる」「考えられる」は“ら抜き派”の方が少なく、また調査対象者の78,5%が「日本語を大切にしたい」と答えており、文化庁では「言葉の乱れが進んでいるわけではない」と安心している。

 そういえばもう60年以上前のことだが、千葉県北部の年寄りが「來(き)ない」といっていたのを覚えている。いまは都内への通勤圏として開けているが当時はまったくの田舎町で、同じ言い方をする年寄りも多かった。
 またここ東北地方では“イ”と“エ”がよく混同される。人の名前など殊にそうだ。私の縁戚の“ミツイ”さんは事あるごとに「本当は“ミツエ”なのよ。届けたとき親も役所の人もなまって書いちゃったの」といっている。自宅への道順案内に“スカエラーク”と書いた奥会津出の男もいた。
 これら地方独特の言葉やなまりはテレビの普及につれて次第に消え去ったのだが、それは「ら抜き言葉」の氾濫と関連づけられるわけではない。

 私は「ら抜き言葉」は若者のタメ口や女子高生のオレオマエ、メールやネットのスラングなどと同じ一種の流行語だと思う。どこでどんな連中が言い出したものかルーツ不明なだけだ。文化庁の楽観に与するわけではないが「日本語を大切にしたい」人が80%近くいれば、聞き苦しい言葉が広まることはけっしてないのだ。

 誤用が生まれるのは“言葉の宿命”だからしょうがない。
 今回の調査では「確信犯」があった。本来の意味は「道徳的宗教的または政治的信念を動機とし、正当であるという確信をもってなされる犯罪、または行なう人」をいうのだが、これを「悪いことであるとわかっていながらなされる行為、または行なう人」という答えが69,4%もあって、正答の17,0%をはるかに上回っていた。だがこれは真の誤用(ヘンな言い方)ではなく、いわゆる百姓読み的誤用だ。

 確信犯は1920年代、ドイツの刑法学者が言い出したものだ。日本で一般的に使われるようになったのは70年も後の1990年代になってからで、軽薄短小やアカウンタビリティなどと同じ頃なのである。しかも当初は誰もが字面からの解釈、つまり百姓読みで「悪いことだと知りながら……」と思っていたのだから、いまさらこれが本来の意味だといわれても「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」なのだ。
 ちなみに私の手元にある国語辞典では、1960年発行版には載っていないが1990年発行版には載っている。

 百姓読みとは「消耗」を「ショウモウ」――本来は「ショウコウ」――というように、ツクリの“毛”に引っぱられて間違えて読んでしまうようなことだ。だが間違いも長年使われて人々に認知されると、正しい読み方として定着してしまう。そうした例は多く、堪能(タンノウ――本来はカンノウ)や稟議(リンギ――本来はヒンギ)などあげればキリがない。なお余談だが、近頃は百姓は差別用語だとして慣用音、あるいは慣用読みと言い換えている。

 したがって逆にいえば、百姓読み(私は言い換えません)=誤用が生まれるのはそれを類推する漢字の基礎的知識があるわけで、確信犯にしてもわれわれ日本人の知的水準の高さを示しているということなのだ。これは“自称四千年”もの伝統ある漢字を、数字ともアルファベットともつかぬ簡体字にしてしまう中国人には、けっして真似できないことだと思う。戦後ヘンな知識人が当用漢字だの常用漢字だのつくって、せっかくの漢字文化を一部メチャクチャにしたのは残念だが、それでもこうして大部分が残っているのは幸せなことなのだ。

 日本語は世界一難しい言語だという。ただしわれわれは単一民族が四つの島にひしめき合って暮らしているおかげで、この難しい日本語も外からの影響や干渉を気にすることなく、しっかり身につけて守っていくことができる。
 小学生から英語教育を始めるのもいいが、かわりにこうした由緒ある日本語教育がおろそかになったのでは本末転倒なのだ。その意味では、われわれ年寄りには正しい日本語やきちんとした漢字を使う義務があるはずだ。
 

2016年09月23日(金曜日)更新

第413号 〜もう手が届きそうな100歳だが……〜

 全国の100歳以上の高齢者は過去最高の6万5692人に上ることが13日、敬老の日を前にした厚生労働省の調査で分かった。昨年より4124人多く、46年連続の増加。女性が87,6%を占めた。厚労省は「医療の進歩などが増加の大きな要因とみられ、今後も同様の傾向は続く」との見方を示している。
 以上は先週地元紙にあった記事だ。以下ズラズラとお役所発表の数字が並び、末尾に「これまで100歳を迎える人に首相が純銀製の『銀杯』を贈っていたが、厚労省は経費節減のため今年から銀メッキに変えた」とあるのまで、全国紙や他の地方紙も似たような内容だろう。

 記事には人口10万人当たりの数字も出ている。全国では51,68人、本県では40,32人だ。これではピンとこないので何人中一人になるか計算してみた。全国では約2000人に一人、本県では約2500人に一人だ。へ〜え、けっこう多いじゃないかと、百歳がずいぶん身近になった。
 ついでにいっておくと、百歳は100歳と数字で書くより漢字のほうがいい。昔からある長寿の祝い(賀寿)には99歳の白寿はあるが100歳はなく、その上は108歳の茶寿だけだった。白寿より百寿を祝うようになったのは昭和の終わり頃からだ。経済成長がピークを迎え、100歳以上が1000人を超え、首相の銀杯もあってお祝い気分が高まったのだ。
 ちなみに茶の字を分解すると上のクサカンムリが“十”が2個で二十、下のツクリが“八が2個と十が1個”で八十八、合わせて“百八”になる。年齢を満で数えるようになったおかげでこうした由緒あるもの、たとえば「としは二八か憎からず」といったシャレた言い回しなどもだんだん消えていく。残念なことだ。

 2500人に一人というのは、ひょっとするとこのあたりにもいそうだなと思わせる数字だ。私たちの団地内だけでは足りないが、近隣を合わせると軽く超える。そういえば以前、墓園の大階段でよく出会った元気なお爺さんは98歳だといっていた。大震災の頃から見なくなったのは大往生したのだろうが、あんな年寄りは他にもいるはずだ。身近になったというのはそういうことであり、私にも可能性があるのである。

 子どもの頃は100歳以上なんて神話伝説の中にしかいなかった。私が小学2年生の昭和15年はかの「金鵄(きんし)輝く日本の……紀元は二千六百年」である。当時私たちが習った大日本帝国の歴史は、初代神武天皇から第124代昭和天皇まで万世一系、世界に比類なき神国であり、神武天皇137歳以下第16代仁徳天皇あたりまで古代天皇はみんな異常に寿命が長かった。私などその歴代天皇を、ジンム以下スイゼイアンネイイトクコウショウコウアンコウレイコウゲンカイカ……とヤミクモに覚えたものだ。
 ただし神話伝説の人物が異常に長寿なのは、日本に限ったことではない。旧約聖書の創世記に登場するアダムは930歳だ。
 ついでにもうひとつ、さきの“金鵄”は同じく神武東征に出てくる“八咫(やた)烏”――サッカー日本代表のエンブレム・三本足のカラス――とよく混同されるが金鵄は金色のトビ、別物である。

 さて、こうして身近になった百歳もボケたり寝たきりになったりして、他人様のお世話になってでは意味ない。私なら、ゴルフまではともかく自分の足で歩き、話題の本に興味を持ち、たまには気の置けない若い仲間たちとチビリチビリ飲(や)りながら話をする……そんな百歳である。
 もちろんそのためには、いままで以上に脳力体力の維持が大事だろう。私はこれまで年寄りには「歩くことが一番だ」と繰り返しいってきたが、その上でもうひとつ強調したいことがある。「いつも若く見られること」だ。それは姿勢や動作、ファッションといった外見だけではなく、考え方や頭の回転など内面もみんなひっくるめて、全人格的に若く見られるのである。
 そんな年寄りがどんどん増えてこそ、まともな高齢化社会だと思う。
 

2016年09月16日(金曜日)更新

第412号 〜歯科医や弁護士が下流化する時代〜

 作り直した入れ歯が合わなくて苦労している。歯は子どもの頃からムシ歯が多く、よく医者にかかっていた。戦前のわれわれは歯磨きもいい加減だったし、私が育った台湾は砂糖の本場だ。ムシ歯のない子どもなんていなかった。
 ところが私と七つしか離れていない家内はムシ歯が1本もない。東京の生まれ育ちだが、物心ついた頃から菓子よりメザシなど干魚が好物だったからだという。私など干魚はダシジャコしか知らなかったのだから「ヘンな子」だったのだろう。

 そんな私たちの子ども時代にくらべると、いまの子どもたちはみんなキレイな歯をしている。これは私たちの息子世代あたりからだ。高度経済成長とともに子どもに手をかけられるようになり、朝晩の歯磨きを習慣づけ、ちょっとでも気になる箇所があれば医者に診せるようになって、出っ歯や乱杭歯、八重歯、歯っ欠けといった口元に愛嬌のある子どもを見なくなったのだ。

 だから歯科医はエリート職業だったし、羽振りもよかった。
 40数年前のゴルフを始めたばかりの頃だ。ウィークデーにコースに行くと働き盛りの中年男性がけっこういる。私たち編集者のような半自由業じゃなさそうだし、その筋系にも見えない。何を仕事をしている人なのとキャディに聞くと「歯医者だよ」といった。土曜を診療日にしてウィークデーに休日を設けているのだ。「土曜日なんか子どもたちで満員だってさ」と付け加えた口元でタバコがぶらぶらゆれている。抜け落ちた犬歯の隙間にフィルター部分をはさみこんでおり、さらに「あたしゃこれを治してもらう気はないけどね」といったのには笑ってしまった。

 この歯科医が近年は患者減少で、新人医師は食うのも大変らしい。少子高齢化のせいだ。私が通っている医院で先日こんな場面に出会った。治療が終わった60代後半の男性患者が受付で支払いの際、医師から処方された痛み止めの薬を「不要だからその代金を引いてくれ」と言っていたのだ。年齢的に1割負担じゃないようで、少しでも安くしたかったのだろう。
 歯の治療は痛みさえなければ“不要不急”のものだ。下流老人だの子どもの貧困だのが社会問題化している昨今、患者も増えるわけないのである。

 同じくいま落ち目なのが弁護士だ。
 大卒後さらに法科大学院で学び、厳しい研修を受け判例を山ほど頭に叩き込み、国家試験に合格して念願の“ひまわりバッジ”を手にしても、どこぞの弁護士事務所に入れるのはほんの一部。その年収も300万円以下が普通、100万円以下も20%はいて、合コンに行っても女のコからは見向きもされず、日々のメシもコンビニのおにぎり……そんなミジメさだと何かで読んだ。
 もう20年ほど前のアメリカのベストセラー小説に、仕事のない弁護士が訴訟のネタを拾おうと警察署内をうろつく描写があったが、いまの何でもかんでも訴訟に持ち込もうとする風潮を見ると、日本にもそうしたハゲタカ弁護士が増えつつあるのかなと思ってしまう。

 昔『大学は出たけれど』という映画があった。昭和2年、松竹キネマ制作の無声フィルムで、監督小津安二郎、主演が高田稔と田中絹代のコメディだ。当時世の中は不況のどん底、大卒の就職率30%というのがこの自嘲的タイトルのゆえんなのだが、現代の「資格はあっても仕事がない状況」にも当てはまる。しかもその数年前には関東大震災があり、これまたさきの東日本大震災と符合しているのである。
 昭和日本がその後どう変わっていったか、皆さんご存知だろう。しかしいまの日本は北朝鮮や中国と違って、あらゆる情報がオープンなのだ。同じ轍を踏むことはよもやあるまいと思いつつ、これからは体だけではなく知性や良識もさらに磨かなければと考えている。
 
 

2016年09月09日(金曜日)更新

第411号 〜本日は“男色の日”とはケッタイな〜

 原稿のヒントにしようと、ネットで“今日は何の日”を時々調べている。大抵は26日が“風呂の日”といったクダラない語呂合わせだが、中には11月11日が“立ち飲みの日”なんてシャレたのもある。
 なぜかって? 1111と並べると酒屋の店先で4人飲んでいるように見えませんか?仕事帰り手軽にきゅっと一杯ひっかけるのだ。私ら駆け出しの頃はよくやったものだが、近頃はあまり見ないか。

 さて今日は9月9日、何かないかと調べると出てきた。“男色の日”である。“重陽”と“菊”にかけたのだ。ちょっと説明しよう。
 陽は陰に対して日の当たる表側、性別では男――女陰に対して陽根という言葉もある。数では奇数で、そのうちもっとも目出度いのが9=カブ。それが重なるこの日を“重陽の節句”といい、昔は宮中で“菊花の宴”が催された。その菊が陰間(かげま,男色少年)のあそこ―“菊座”に通じるわけだ。それにしても誰がこんなケッタイな日を思い付いたのか、聞いてみたいものだ。

 菊座といえば痔だ。昔の坊さんは女犯禁制だったので小坊主を相手にした。痔になる小坊主も多かっただろう。痔が“ヤマイダレ+寺”と書くのはそこからきたといい、あるいは寺に入る(死ぬ)まで治らないからだという。だが、寺が坊主がいる仏教道場になったのは漢の時代以降で、それ以前は法務省のような役所だったのだから、それは当たらない。要は“師が忙しく走り回るから師走という”のと同じ、田舎の物知り的コジツケでしかない。

 痔は伊藤博文、夏目漱石、芥川龍之介、近衛文麿、金田正一……など、知名人も多く悩んでいる。芥川の自殺は痔も一因だったと松本清張が『昭和史発掘』に書いているし、金田は「痔がなかったら500勝できた」と豪語していた。日本人に多いのは、あのしゃがんでいきむ便所のせいだといわれていたが、近年はどうなのだろう。
 欧米の小説に痔の話は出たことがないと、数年前何かで読んだことがあり、そういわれればないなと思っていたら、2ヶ月ほど前出てきた。FBIかCIAか,そんな連中がミーティングしている場面で、もぞもぞと尻を動かて落ち着かないやつを、別の者が「痔が痛いようだな」と同情するのだ。作品も作者も忘れてしまったが、アメリカ人にも痔主はいるんだと何やら安心した覚えがある。

 男色に戻る。先週オカマのOさんのことをちょっと書いたが、今週また書こうとは
予想もしなかった。
 彼は私より首ひとつ高い身長とともに、整形した胸もかなり大きかった。顔は女性的というより宝塚の男役っぽい感じだったが、それなりによく目立つ人だった。団地からいなくなった後でも、元気でやっているという噂は時々聞いた。団地には市内の役所や企業に勤めている人も多く、夜の繁華街で出会うのだ。

 オカマに関して私は乏しい知識しかないが、サービス精神旺盛な芸達者揃いという印象がある。自分が陽の当たる表に出られない分、裏方に徹するのだろう。だがOさんはちょっと違っていた。なかなか弁も立つし相手の間違いを鋭く突き、理事会のメンバーだったときは年配の役員もしょっちゅうやりこめられていた。頭も切れるし、普段の行動もけっこう男性的だった。
 変身して夜の仕事に変わる前、Oさんは市役所の吏員だったという。どんなきっかけが彼の人生を一変させたのか聞いておきたかったなと思っている。
 
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