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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2016年02月05日(金曜日)更新

第380号 〜二人仲良く“鬼の霍乱”とは冗談じゃない〜

 先週土曜日のことだ。夕食後20分ほどしてから、突然ひどい下痢に襲われた。出きったなと思っても数分後にはまたもよおして、合計何回行ったことか、最後は水様便になり腸が空っぽになった感じで、ようやく治まった。お昼かおやつで変なもの食べたかな考えてみたが、何も思い当たらないし、前夜も酒は飲んでない。
 ただ当日朝から風邪っぽかったので、さては!とネットで調べることにした。インフルエンザである。

「初期症状は?」「症状と種類、予防まで」「風邪とはここが違う」「5つの対処法」等々、目についた項目をチェックしていくと、案の定「主な症状は下痢」ときた。中には“下痢”を赤く大きく目立つようにしたのもあり、その他の症状はかえって頭を素通りしてしまった。
 トイレ通いでくたびれたし、土曜の夜急患で飛び込むまでもなかろうと、早く寝ることにした。家内が「下痢なら“お百草丸”でも服んどいたら」という。木曾御嶽山に昔から伝わるオナカノクスリで、わが家の常備薬だ。20粒服んでベッドにもぐりこんだ。後でわかったことだが、本当にインフルエンザだったらこれは服まないほうがよかったという。下痢は体がウィルスを追い出そうとしている自衛反応なので、下痢止めは逆効果なのだ。

 ベッドで「いったいどこで感染したんだろう?」と考えた。外出したのは3日前、日赤病院の眼科と外科に行ったときだけ、それ以降は雪と寒さで一歩も外へ出ていない。日赤では私だけ院内へ入った。玄関まで車で送ってくれた家内はそのまま別用で他所へ回り、後で薬局で落ち合ったのだ。しかも具合が悪くなったのは私だけで、家内はまだピンピンしている。どう考えても感染源は日赤しかない。
 これはエラいことになったなと思った。病院内のウィルスはさまざまな薬品にもまれて、毒性が強いという話を聞いていたのだ。
 この年でインフルエンザ初体験の私が、そんなウィルスにやられたらひとたまりもあるまい。いずれは私から感染する家内も同様だ。来週は二人仲良く“鬼の霍乱”か、冗談じゃないぞ……と苦笑いしながら、寝入ったのだった。

 日曜日の朝は、普段どおり目が覚めた。のどの奥が腫れて、唾液を飲み込むのも辛かったが、食欲は普通にあったし、熱っぽい感じもしなかったので、朝食を用意して食べていると(わが家は朝は別)、起きてきた家内が「熱を測ってみて」と体温計を差し出した。そういえばいきなり下痢から始まったので、昨夜から熱は一度も測っていない。38度だった。前夜ネットで、症状は“38度〜40度の高熱が続いて……”とあったのを思い出し、これは違うようだなと安心した。こんなときは何もせず頭も体も休ませたほうがいいだろうと、軽い小説本を1冊読み終え、夕方食事抜きで睡眠薬だけ服んでベッドに入り、そのまま眠ってしまった。
 そして月曜日、午後から行きつけの診療所に行き、鼻に綿棒を突っ込まれる検査を受けた。結果は普通の風邪、のどの炎症をやわらげる薬などを処方してもらって、帰ってきた。いまようやく落ち着いてきたところだ。

 この体験から気づいたことがある。いまはインターネットで、あらゆることがすぐ調べられるから便利になったが、その裏には落とし穴があるということだ。
 われわれは何か調べるとき、その対象を表わす多様な要素の中から、まず自分に身近な関係の深いものを見つけ出そうとする。そして、それを切り口に対象を捉えようとするから、他の大事な要素を見逃してしまう。その揚句“シロウト判断”という落とし穴に転げ落ちてしまうのだ。
 このとき、調べるのが自分一人ではなく別人の目も一緒なら、見つけ出す要素も複数になり、幅広い判断もできるわけだが、パソコンの前にいるのは大抵一人だけだ。落とし穴にはまる確率も高いのだ。
 私もインフルエンザの多くの症状の中に“下痢”を目にした途端、他の症状はほとんど頭を素通りするだけになってしまった。転落を免れたのは、翌朝になって体温計を手にしたことだ。本来なら百草丸を服む前に測るべきところを、一晩経ってから測ったことで、ちょっとは冷静に考えることができ、これは違うぞと気づいたのである。

 それにしても、あの突然の猛烈な下痢は何だったのだろう。私などひょっとして、例の名古屋の廃棄物処理業者が横流ししたカツでも食ったかなと、一瞬頭をよぎったほどだ。年老いると、ただの風邪だと思っても何が起こるかわからない。年初めまでの暖冬から急に冷え込んだことだし、気をつけよう。
 

2016年01月29日(金曜日)更新

第379号 〜“ちょいちょい着”が本当のオシャレ〜

 この季節、家の中では上着は古いくたびれたフリース、パンツは裏フリース付きのトレーナーだが、外へ出るときにはほんの小用以外、上下とも必ず着替えることにしている。小用とは1階のメールボックスを見に行くなどで、たとえ住居から直線距離では20メートル足らずの管理センターに行くときでも着替える。
 ただし着替えるのは上のフリースとトレーナーだけだ。中のシャツと靴下は朝から色柄を合わせて、まずまずのものを身につけているので、上着とパンツをそれに合わせて替えればいい。こうしたコーディネートは靴も含めて、いつも前日からきめており、何かあって急に呼び出されても戸惑うことはない。要するに、私は日頃の服装に人一倍気を使っているのだが、それはいくら年老いても上下スウェットで町内をうろつくような、ダラシナイ真似はしたくないからである。

 こうしたちょっとした外出に備えて着ているシャツが、私の“ちょいちょい着”だ。この言葉は東京に古くからあった庶民の用語で「限りなくふだん着に近いよそいき」のことだが、いまは使う人もいなくなった。和服の“洗い張り”や“仕立て直し”、あるいは兄姉から弟妹への“お下がり”などと同じく、いわば「モノを使い切る手立て」を人々が心得ていた頃の言葉である。
 そういえば“お下がり”で思い出した。
 一昨年、町内の親しい知人・Mさんの息子さんが結婚式で着ていたモーニングが、Mさんの“お下がり”で、そのサイズ直しをしてくれたのが、同じく町内で親しいAさんだったという。そしてMさん夫妻と「また大事にとっておいて、今度はSクン(娘さん夫婦に生まれたばかりの孫)に使ってもらわなきゃ」「そのときは、Aさんにサイズ直しは頼めないわね」などと、明るい話題で盛り上がったのだった。
 
 しかしいまは、成人式で茶髪のアンちゃんが赤やオレンジの羽織袴――こんな突拍子もない色は当然貸衣装――でピースサインをする時代である。“ちょいちょい着”などもはや死語なのだが、われわれ年寄りはこういうものを生かしてこそ、年期の入ったオシャレができるのである。

 さっき「限りなく……」と説明したとおり、ちょいちょい着の元は歴としたよそいきだ。それが傷んだり形が古くなったりして次第にランクが下がり、ふだん着寸前になったものだ。去年のベストセラー『フランス人は服を10着しか持たない』流にいえば、かつてはそんな選び抜いた10着の中の1着だった品物なのである。私のシャツだってそうだ。アルマーニなんてご大層なものではないが、まあそこそこの製品といっていい。私に「オシャレですね」と言ってくれるのは、そういうところもちゃんと見ている人なのだ。

 この“ちょいちょい着”のような趣きのある言葉が消えたのは、思うに“ジーパン”と“ユニクロ”のせいだ。ジーパンのおかげで仕事着も晴れ着も一緒くたになり、ユニクロはあらゆる服を価格面でふだん着にしてしまった。
 ジーパンはそもそもがアメリカの野良着である。それをかのチャールズ・ブロンソンがタキシードのボトムに着るハッタリ満点のファッションを披露して、人々にドレスコードなんか無視してもいい万能アイテムだと勘違いさせてしまったのだし、一方ユニクロは、革命的低価格をウリに人々に余分な1着を買わせはしたが、その結果いまだに本物のよそいきとは認められていないのだ。

 もっとも私自身はジーパンもユニクロも嫌いではない。TPOを心得て着れば十分楽しめる服だと思う。ただ人生経験の長い年寄りが、オシャレ着として身につけるものではない。年寄りのオシャレは、古いけれどいいものをさりげなく……がいい。
 

2016年01月22日(金曜日)更新

第378号 〜貧乏性の冬眠では芯から休めない〜

 年明け10日頃まで暖かだった当地も、やっと冬らしくなってきた。寒い期間はどうしても運動不足になる。ゴルフに遠ざかるだけではなく、ウォーキングや階段上りも北風が強いと尻込みしてしまう。これで毎朝1時間ほどの筋トレを何かあって数日抜かしてしまうと、取り返すのがたいへんだ。
 先週がそうだった。1日目―朝から掃除(週に一回家内と手分けしてやっている)をして、2日目―かねて予約していた病院に行き、3日目―浴室の排気ファン取替え工事の業者が朝から来宅、4日目―町内会の相談事で呼ばれ……といった次第で4日も抜けてしまった。こうなると元へ戻すのは容易ではない。若い頃ならいきなり、普段の倍ぐらいのハードなメニューに変えてもいいが、この年では無理、同じメニューをゆっくりと体になじませていくしかない。
 もっとも私自身は、体力筋力とも実年齢以上だと思っているので、いまさらアセることもない。こうした運動不足も、一種の冬眠だと解釈すればいいのだ。春になって暖かくなれば体のほうで勝手に動き出す。

 そんなわけで、このところ私は肩の凝らない軽い小説をよく読んでいる。若手Kの警察ものや別の若手Sの市井ミステリーなどだ。これらの作品はページのどこを開いても、文字がぎっしり詰まってないのがいい。本を開いて立て、紙を揃えるように机の上でトントンすると、ほとんどの文字が下に落っこちて、ページの上半分以上が真っ白になってしまったという、昭和30年代末の超売れっ子作家ほどではないが、余分な思い入れのない地の文とテンポのいい会話で、ストーリーがどんどん展開していくから、とにかく読みやすいのだ。
 この年になれば、もはやブンガクやサヨクで口角泡を飛ばすガラではない。

 こうした小説本はすべて図書館から借りてくるのだが、その汚さにはいつも閉口させられる。
 まず本そのものが潰れている。例えばハードカバー450ページ前後だと、厚さは普通3,5センチほどになるが、それが小口(背以外の3面)の上面や下面から見ると菱形になって、3ミリは薄くなっている。図書館側の扱い方のせいだ。戻ってきた本を次の人に貸し出すまで、他の本を上へ上へと積み上げていくので、下になった本がひしゃげてしまうのだ。その証拠にブックオフなどの本は、発行が10年前の古いものでも潰れていない。持ち主が“積ん読”ではなく、本棚に立て並べておいたからで、図書館にはそういう保管スペースがないのだろうと思う。

 汚れの最たるものは食べ物のカスだ。本のノドの奥に黒や褐色の小さな固形物がこびりついて、ちょっとやそっとでは取れやしない。借り手がチョコやアンコ類を食べながら、タダの時間潰しに読んでいるのがミエミエで、たとえ中身は軽いエンターテインメントだろうと、かつて本作りにかかわった一人としては多分に腹が立つ。だから私はこれをペーパーナイフで丁寧にこそげ取っている。

 また時には、破れたページをセロテープで雑に繕った本に出会うこともあり、こういうのを見ると、現代は読書文化も昔とは随分様変わりしたなと思う。週刊誌からコミック、映像……と人々の好みが変わってくれば、本も変わらざるを得ないのである。われわれには図書館やブックオフがあるだけ、まだマシなのかもしれない。

 いずれにしろ、気持ちは冬眠でも私自身は、体も頭もやりたいことが次々とあってちっとも落ち着かない。われながら根っからの貧乏性だなと思っている。
 

2016年01月15日(金曜日)更新

第377号 〜正しくても控え目に…が年寄りのワザ〜

 今冬は例年になく暖かいそうで有難い。以前は冬はスキーと決めていたので、12月なかば過ぎにはスキー場の積雪が気になっていたのだが、当地へ引っ越してからかえってスキーから遠ざかってしまい、暖冬で雪もないほうがよくなった。もっとも私などいまだに、降れば降ったで喜々として雪かきを始めるほうだから、降ってもたいして苦にならない。

 冬でも暖かいのを有難いと思うようになったのは、多分に年のせいだ。
 私は年老いるにつれて、ノドの粘膜が気温の変化に敏感に反応して、すぐセキが出るようになってきた。例えば、車に乗り込んでエアコンの風(暖冷は関係ない)に当たった途端、セキ込んでしまうのだ。それも家内にいわせれば「耳の鼓膜にひびく金属的な音」で、周りに誰かいると気になるほどだという。
 私は幼い頃、自分ではまったく記憶にないが、中耳炎で左の耳を手術している。このためそちらに耳掻きを使うと、たちまちノドがイガイガしてセキが止まらなくなる。その反応具合は、なんでこんな個所の神経がつながっているんだ!と腹立たしくなるぐらいだ。右耳では全然起こらない不思議な現象で、ひょっとするとノドの過敏な反応は、この左耳の手術のせいかもしれない。
 そういうわけで、私はこの季節の冷たい風がだんだん苦手になってきたのだ。

 私は毎朝筋トレをしている。年末まではベランダに出てやっていたが、これも家内にいわれて、年明けから室内でしている。ただベランダだろうが室内だろうが、いまの季節は筋肉も関節も固くてなかなかほぐれてこない。ゆっくりと曲げたり伸ばしたりを繰り返して、やっと体のあちこちがいつもの可動域に達するといった感じだ。そういう体の固さを自覚し始めたのは70代後半あたりだろうか、以来私はゴルフに行ったとき、スタート前の練習を工夫するようになった。
 まず筋肉のストレッチと各関節の曲げ伸ばしで、可動域を確かめる。次にドライバーをグリップぎりぎりまで短く握り、ティアップしたボールを打つ。このときスイングの大きさは半分、力の入れ方も半分ぐらいにして、ジャストミートだけ心掛ける。そして、グリップの位置を少しずつ長く、スイングも少しずつ大きくしてゆき、フルショットでジャストミートが1発でも出ればOKだ。ほかのクラブは余裕があれば打っておけばいい。大抵のレッスンでは「ラウンド前の練習は短いクラブから始めるのが正しい」といっているが、私のやり方はまったく反対だ。しかし私的には正しいかどうかはさておき、スタート前にはこれがもっとも理に適った練習法ではないかと思っている。

 先日、従来の腹筋運動は腰を痛めるという考え方がニュースになっていた。アメリカの研究者がまとめたもので、これまでのような、仰向けに寝て上体を起こす伝統的なトレーニングは、いつか腰椎に損傷をきたし、腰痛をひき起こすというのである。アメリカの軍隊では陸海空すべて、2分間で47回が体力の標準だそうだが、今後は変わるだろうということだった。そういえば、古典的な下半身強化の“ウサギ跳び”運動が、百害あって一利なしと撤廃されたのはずいぶん昔のことだ。
 ことほど左様に、われわれ人間がつくるシステムには何かしら欠陥があり、絶対的なものはありえないのである。コミュニズムや原発を見ればわかる。

 結局われわれは一人々々が自身の経験に照らして、自分に適したシステムを見つけるのが一番いいのだ。老いを重ねていけば、その見つけ方も若い頃より少しはうまくできるようになる。ただし、格好のシステムを見つけたからといって、そればかり漫然と繰り返していてはダメだ。それが自分に合っているか常に確かめることが必要だし、そのためには相反するシステムはもちろん、まったく別の要素や見方の角度を変えるなど、頭を使うことも必要なのだ。
 これは単に自分の体に関してだけではなく、その他もろもろについてもいえることだ。自分は正しいと信じている人間ほど、世の中に厄介な者はない。個人なら周りがいくらか迷惑するだけですむが、国や企業など大きな組織のトップともなると物騒この上ない。

 その意味でわれわれ年寄りは、自分では正しいと思った言動も“?マーク”つきの控え目にして、あまりムキにならないほうがいいのである。そのほうがイザというときの危機管理もウロタエズにできる。なにしろ今年はかつてない異常気象で、この先何が起こるかわからないのだから……。
 

2016年01月08日(金曜日)更新

第376号 〜今年は160歳のカップルゴルフです〜

 昨日1月7日は昭和が終わった日だ。あの日の午後テレビで、後に“平成おじさん”と呼ばれるようになった小渕恵三内閣官房長官が「明日から年号は“平成”になります」と発表していた。その平成も28年目に入るわけだが、私みたいな昭和ひと桁生まれにはいまだになじめない。
 なにしろ敗戦から引揚げ、マッカーサー元帥、所得倍増高度成長、バブル崩壊……と、いわゆる“激動の昭和”にどっぷり漬かってきた世代だ。『史記』だか『書経』だかの由緒を並べられても「はい左様(さい)ですか」とはいかなかったのである。そんなわけで私は昭和64年から後、万やむをえないケース以外の私的なものは、本項左側の"著者プロフィール"のように西暦を使うことにして、いまではこの方がよっぽどわかりやすい。

 さて、実は昨日は家内の誕生日でもあり、しかも今年は特別“喜寿”である。これまで「ハッピーバースディ」など滅多にしなかったのだが、喜寿ともなれば……といろいろ考えた末、やっとひとつ思いついた。中華料理のドンブリなんかにある、タテ長の“喜”の字を二つ並べた縁起物の紋章、あれを型押しした月餅ならプレゼントにピッタリだろうと捜したのだが、見つけられなかった。残念!

 オマケに家内の喜寿で私達はちょうど160歳、これまたなんとなくメデタイ気分になるのだ。とにかく、この年で元気にラウンドしているカップルなどまず見ないだろうから、これは自慢できると思つてしまうのである。
 ただし、いまの季節は気温も低いし風も強く、ゴルフもなかなか予定は立てられない。またわれわれ自身、この先どんなアクシデントに見舞われるかわからない……とあって、160歳の初ラウンドがいつになるか明言はできないが、今年は暖冬ということなので、あまり待つこともないだろう。

 私達のゴルフはこれまで43年間、ほとんど二人一緒だった。私が運転できないのだからしょうがない。私の初ラウンドの際コースまで送ってもらったとき、家内が「運転するだけじゃバカみたい」と言い出し、すすんで練習を始めて以来の“腐れ縁”だ。もっとも、それまでスキーもボウリングも一緒にやっていたから、それは当然の成り行き。ただこの年まで続けてこられたのは、二人揃って“アウトドア志向”だったからで、要するに“似た者夫婦”なのである。
 
 今年、家内宛てにきた年賀状にこんなのがあった。
「……バレーボールで鍛えた○子さんだからこそ、まだまだ旦那様と一緒に遊べるんだわ! うちは夫がスポーツ嫌いで、近頃は足にきて要介護寸前の有様。ヨチヨチ、ノロノロ、モタモタして、呆けもきているみたい。毎日きたない声を出したり、眉間にシワ寄せてコワイ顔したり、人相悪いこの頃です。今年は少しは穏やかな人相になるように努力しようと思っています。それでも留守番はできるので、オカズを種々作っておいて、わたしは外出するようにしています……」
 書き手は高校時代のチームメート、長年スキューバダイビングをやっていて、オーストラリアまで遠征したアウトドア派だという。私は会ったことはないが、きっと明るくユーモアたっぷり、いつも前向きの女性だろう。夫婦の縁とはつくづく不思議なものだと思う。

 とにかく、ここまでなるには、私達もそれなりに頑張ってきた。特に運動を続けるために欠かせない気力体力の維持には、人一倍努力したし、それはいまでも日々続けている。その意味では、私達が真に自慢できるのは、160歳で元気にゴルフができるという結果ではなく、できるように努めてきた経過の方かもしれない。
 老いもそんな風に考えれば、日々楽しくなるはずだ。
 
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