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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2015年09月11日(金曜日)更新

第360号 〜1千万円ウィスキーから中国が見える〜

 日本の年代物ウィスキーが香港のオークションで、1本1千万円超で落札されたというニュースがあった。桐箱に『軽井沢』と墨書された52年物だ。会場はコンダクター(進行役・オークショニアともいう)だけ白人男性で客は殆ど中国人、もちろん落札者も中国人だった。目的は投資だ。関係者みたいな人物が「20%は値上がりする」と、わけしり顔でしゃべっていた。

 成る程、株やマンションが投資対象として不安になったので、日本のウィスキーに目をつけたのかと思ったが、よくよく考えてみると狙いは別らしい。
 いくら値上がりが見込めるからって、タカがウィスキー1本だろ。買い手を2〜3人回って究極の高値になった途端、ババ抜きのババだ。最後につかまされた者は、骨董品として再評価されるまで子々孫々伝えていくか、ヤケを起こして飲んでしまうかしかない。だが人一倍メハシのきく中国人がそんなことするか?

 そこで思い出したのが、昨年1〜3月に起きたワイン騒ぎ。中国のオークションで競売されたフランス産銘柄ワインの80%が、ニューヨークで密造された偽物だったというあれだ。相前後して偽フカヒレも話題になったが、こちらは実際に口に入れたものだしスケールも小粒、舞台的にも違う。
 要するにフランスの高級ワインにしろ日本の年代物ウィスキーにしろ、小金持ち中国人がリビングボードなどにこれ見よがしに並べておく、一種のステータスシンボル扱いなのである。封を切って飲むわけじゃないから、中身は偽物でもかまわない。そのうちには偽『軽井沢』も出てくるだろう。1千万円超という値段はタダゴトじゃないが、それだけ作り甲斐もあるというわけだ。

 3ヵ月ほど前だったか、中国人の偽物観がよくわかる事件があり、新聞の切抜きをとっておいたので紹介しよう。
「純金と偽り亜鉛などの金属塊を売り付けようとしたとして、大阪府警国際捜査課は○日、詐欺未遂の疑いで中国籍の男2人を現行犯逮捕した。金属塊の重さを純金に近づける“工作”をしていたが、値下げしすぎてうそが発覚した。府警によると、2人は大阪市浪速区の不動産会社社長の女性(43)に“建設現場で金のような物を見つけた”と持ち掛け、信用させるため一度は本物の純金のかけらを渡していた。当初1800万円としたが、交渉すると半額になったのを不審に思った女性が警察に相談した。容疑者は“中国にいる親分に頼まれた”と供述している。」というものだ。
 
 外見が本物なら中身は何でもいいという考え方、いわゆる中国的面子(メンツ,体面や面目のこと)である。
 現役の頃、広告部のOが業界仲間と韓国に行って、ヴィトンの偽物財布を買ってきた。Oは「自分が偽物だとわかって使うのだからかまわないだろ」といっていたが、それは考え違いだ。「そんなものチャラチャラ見せびらかしていると、中身まで疑われるぞ」「中のカネは本物ですよ」「バーカ、おまえ自身の中身のことだよ」と同じことなのである。

 私は経済オンチだ。株や金融など全然わからないし、知りたいとも思わない。偏見といってもいい。私が商売だと認識しているのは、モノを作って売ることや、売れそうなモノを買い入れて欲しい人に売ることで、実体のない紙切れ(証券)を売り買いして、サヤを稼ぐことではない。
 その意味で、実体のあるワインや金、ブランド品でさえ偽物が作れるなら、実体のない紙切れならもっと簡単だろうと思うのである。7年前のリーマンショックは、サブプライムローンという実体のない債券が発端だった。いま中国経済の鈍化から第二のリーマンショックが取沙汰されているが、そんなこと中国と中国人を考えれば誰でも予想できるだろう。

 とはいえ、最近の“東京オリンピックエンブレム”のゴタゴタを見れば、日本だって偉そうなことは言えない。
 

2015年09月04日(金曜日)更新

第359号 〜老いとは当事者から傍観者になること〜

 このところ私達の周りは、ちょっとしたベビーブームだ。
 去年、町内で親しくしているMさん夫妻(二人とも私達より20歳も若い)に、外孫と内孫が相次いで誕生し、今年暖かくなった頃、ゴルフ部一番の若手が乳母車を照れくさそうに押し始め、夏の初め頃からお隣の娘さんが、生まれたばかりの赤ん坊と一緒にひと月ほど滞在し(泣き声が響くでしょうと、わざわざ挨拶にみえた)、つい先日、管理センターのHさん(結婚披露宴で私もスピーチした)に大きな男の子が生まれ、私達のテニスの師匠・Yさん宅では、広島にいる娘さんにやがて二人目が生まれる予定……といった賑やかさだ。
 私達にとっては“ひ孫”といってもいい赤ちゃん達である。

 幼い子どもは皆、見ているだけで楽しくなる。人相の良し悪しはさておき、私はそれほど愛嬌のある方じゃないから、幼い子どもにはあまりモテない。SCのエレベーターなどで出会うと、まばたきもせず真剣に見つめられるので、私も何となく見返してしまい、睨めっこをしているような具合になる。それでも泣き出さないところを見ると、ただ不思議なだけで、怖いわけではなさそうだなと安心している。

 その点、家内なんか慣れたものだ。笑顔で声をかけたりして、相手もニコニコし始める。私にはちょっと真似できないワザだ。
 この家内がいま一番関心を持って、会うのを楽しみにしている相手が、はじめに書いたMさん夫妻の外孫・Sクンだ。娘さんがSクンを連れて実家にやってくる日は、奥さんのN子さんから家内のケータイに知らせが入り、いそいそと会いに行き、帰ってくるとその成長ぶりを、身振り手振り入りで嬉しそうに報告してくれる。もちろん私も、一緒に面白がっている。

 とはいえ世の中、目出度いこと楽しいことばかりじゃない。一方では、気が滅入るような事柄も周辺では次々と起こっているのだ。

 先頃、お盆の墓参りがてら本家に寄った際、私と同年の主人(又従兄弟になる)が、「今年は俺んとこは厄年だ」とつくづくボヤいていた。春の彼岸に寄ったときは何もなかったのだが、その後、自分はガンで胃を3分の2ほど切除され、奥さんが両手に大火傷を負い、長男(当地では家督という)が前立腺を手術したのだそうだ。本人の胃ガンは腹腔鏡を5本差し込まれ、医師5人で5時間かかったといい、春に会ったときから見ると、顔も体もゲッソリしていた。胃が小さくなると食が細くなるので、10キロ近く痩せたらしい。

 本家の又従兄弟は、気力も頭もまだ十分しっかりしていて一安心だったが、そのとき話題になった、これも私と同年の父方の従兄弟は、2年前から認知症が進み、いまは右も左もわからない状態だという。三人同じサル年とあって、若い頃は親戚間で何かと比較されたものだったが、この年になるとそんなこともうどうでもいい。自分のことだけで精一杯になってしまった。

 このはか、お盆の直前に義妹が家の中で転んで左上腕を骨折、3ヶ所もボルトで固定する手術を受けたり、関東在住の40代なかばのこちらは母方の姪が、20年近い結婚生活を解消して一人になったり……など、けっこういろいろ起こっているのだ。
 こうなると、私達だけ台風の目の中にいるような気になってくる。

 だが考えてみると、赤ん坊の誕生にしろ病気やケガにしろ、長い人生にはよくある出来事だ。私達も当事者として何度も出会っている。それらが年老いたいま、ようやく一段落したところなのである。この先、私達が当事者として出会う大きな出来事といったら多分ひとつだけ、自分自身の最期だろう。その最終局面への備えさえしっかりしておけば、その他のことには傍観者で十分ではないか。
 ただし、野次馬ではなく“心のこもった”傍観者になることだ。周りのいろんな出来事に対して、心底から喜んだり同情したり悼んだり、できればいいのである。
 

2015年08月28日(金曜日)更新

第358号 〜老体のヘンテコメンテナンス2例〜

 この年になると、若い頃には想像すらしなかった、体のメンテナンスや養生があれこれ必要になってくる。メンテナンスは整備、これはもちろんご存知だろう。養生は一般には日頃の摂生や病後の保養などだが、私の場合はそうした本筋とはいささか異なる。例えば左官屋が室内の壁を塗り替える際、床や畳を汚さないように板やシートで覆っておくことを"養生する"というあれだ。要するに、先々起こりそうな不都合不首尾を前もってカバーしておく、まあ“尿漏れ防止パンツ”である。

 老いるにつれて出てくる不都合不首尾は、老眼や物忘れが代表だが、そういう一般的なものは後で書く。
 まず、妙に切実だったのが残尿感だった。50代なかば頃から用を足した後、どうも出きったという感じがなく、何かの拍子に洩れてきそうな気がし始めた。そんなとき某財界人が、小用後にハンカチで残っている雫を拭き取る、というエピソードを読んで、「これはいい、早速応用しよう」と決めた。ただハンカチだと人目につきやすいしもったいない。そこで目をつけたのが、レストランなどで出される使い捨ておしぼりだ。あれを乾して5〜6センチ角に折り畳み、先っぽにあてがっておく。いわば小さなオシメである。

 問題はパンツ、下穿きだ。いかに長時間歩いてもちょっと激しい運動をしても、オシメがズレたり落っこちたりしないもの。それには腰や太股にぴったりフィットしているのがいい。つまりトランクスよりプリーフ、それも前開きじゃダメだ。前開きは何度も穿いて繰り返し洗濯すると、重なり部分が伸びてナニとオシメの納まり具合が悪くなる。よって私はビキニを穿くようになった。用足しには多少不便でもこれがベストだったのだ。

「トシを考えろよな!」なんていわれかねないが、ビキニは私にとって機能的な面ばかりでなく、ファッション的にもいいのだ。メタボはもちろん尻や太股の筋肉が衰えた老いぼれ体型でも、ビキニは穿けまい。逆に、ビキニを平気で穿ける体型を維持していれば、心身とも老いには程遠いだろう。下着一枚でも衣裳は身に着ける人に、何かしら作用するのだ。
 ただし私も、デパートに“勝負インナー”と銘打って陳列してある、ド派手な柄物ビキニは穿く気になれない。AV男優じゃあるまいし、下着で勝負なんてそれこそ年寄りがやるこっちゃない。

 つぎに、いま私がちょっと手こずっているのが皮膚だ。筋肉は日頃の鍛錬によってそれなりに“見てくれ”は保てるが、皮膚のケアは特に男には難しい。気懸かりな個所はいわゆる尻ぺた、椅子でも地面でも坐ったとき尻が床面に接するところ、臀部左右の尾てい骨の先端部分の皮膚だ。ここが長年の酷使で硬くなり、ゴワゴワになってきた。元々体脂肪が少ない体質のせいか、それともこれも老いの一現象か。人に見せるような個所じゃないから放っといてもいいのだが、万が一ということもある。老いてもダンディを気取りたい私には、やっぱり気懸かりなのである。

 そこでこの春先から、家内の肌荒れ防止クリームを時々塗り込んでいるが、こういう部位の手当てはすぐには座れないので、結構厄介なところがある。塗った後しばらく立ったまま、ベランダに出てあちこち眺め回したり、本を読みながら室内をうろついたり、カカト上げ下げ爪先立ち体操をしたり……いろいろ工夫している。
 こんな尻ぺたのゴワゴワを手入れしようなんて、考えれてみれば見栄でしかない。だがそういう見栄をなくしたら、老いは止めどがなくなるのだ。

 老眼と物忘れについては、一言だけ書いておこう。
 老眼鏡をヒモや鎖で胸に吊るすのは、どうもミミっちくて私は嫌いだ。おまけに何かロゴ入りの野球帽なんか頭にのせていたら、どこから見てもご老体、洒落っ気も何もあったものじゃない。いまは老眼鏡も100円ショップの品物で十分事足りる。私を失明の危機から救ってくれた大学病院の先生もそうおっしゃっていた。中年過ぎまで視力1,5だった私なんか、かけ慣れない老眼鏡を何度忘れたことか。
 余分なことを忘れるのも、老人の知恵なのである。
 

2015年08月21日(金曜日)更新

第357号 〜これがまあ終の住処か屋根裏部屋〜

 私達のマンション団地は5万平米弱、約1万5千坪の敷地に、4階建ての低層住宅9棟と、体育館や集会室を併設した管理センター1棟が納まっている。住宅棟は全て同じタイプの切妻屋根で、鉄骨コンクリートのブロック造り、1〜4番館は部屋数32〜40戸の小ぶり、5〜9番館はそれぞれ大きさが異なるが、52戸から80戸までと大ぶりだ。まあ有り態(てい)にいえば、四層の大きな棟割り長屋である。
 ただし各棟の間には、幅5メートル程の道路をはじめ駐車場、時計塔つきの花壇、モニュメント広場、テニスコートなどがあり、全体の空間的印象はたいへんゆったりしている。

 その中で私達の住居は、JRの駅に近い1番館の最上階だ。1番館は敷地の最も高い部分を切り土した個所に建っているので、住居は9棟中一番高い位置になる。したがって、ベランダに出ると他の8棟や体育館を見下ろす形になり、気分はすこぶるいい。どうやら私も"バカと煙は高い所へ上りたがる"類らしい。

 切妻屋根の低層マンション最上階は、和室やキッチン浴室などを除き、傾斜した屋根裏がそのまま天井になるので、住居の真ん中に行くほど天井が高くなる。南側のリビングなど部屋奥の壁面が高さ3メートルちょっとあるし、北側の洋室2つもけっこうな天井高だ。頭の上にこれほどゆとりがあると全体が広々と感じる。息子が初めて来たとき「ペントハウスみたいだね」といったが、まさにそれだ。下見の際、私も家内もまず気に入ったのがそこ、二番目が眺望のよさ、三番目は駅の近さだった。
 ところが、引っ越してきて2〜3年後、この天井の高さにケチがついた。夏の熱気や冬の寒気を、屋根一枚では十分に遮断できないのだ。3階以下に比べると暑さ寒さが厳しい。転居後にできた知人が、したり顔で「こういうマンションは3階が一番暮らし易いんですよ」と言い、成る程これは屋根裏部屋だなと納得した。
 もっとも当地の気候はさして暑くも寒くもなく、東北地方ではとりわけ過ごしやすいところだ。格別暑かったこの夏も、お盆を過ぎた頃から秋風が立ち、これからは厳しい残暑なんて滅多にない。億単位の超高級マンションじゃあるまいし、屋根裏部屋でも熱中症や凍死さえしなければオンの字なのである。“住めば都”とはよくいったものだ。

 9棟のうち1〜4番館にはエレベーターがない。4階まで42段あるが、私も家内もゴルフから帰ったときでも、バッグなどを持って上りきる。これぐらい上れなければゴルフもやめた方がいい。エレベーター付き5〜9番館の同年代は信じられないというが、要は気合だ。
 ちなみに、かつての集合住宅は5階でもエレベーターなしが普通だったと思う。息子達が結婚後住んだJR高崎線K駅前の、5階建て公団住宅にもなかった。最上階の住居はしばらく空室だったようで、人の気配が少ない北側ベランダの隅にハトが巣を作り、子育ての真っ最中だった。

 4階まで42段ということは、3階以下の各階は上下幅14段になる。いま主な住宅メーカーの分譲プレハブ一戸建ては、2階まで13段が標準規格だ。したがって14段はおそらく役所が定めたマンション規格の下限だろう。この上下幅に電気配線や給排水の配管、キッチンダクトなどを組み込む隙間をつくっているわけだ。だが、3階以下の部屋にお邪魔したときの感じは、天井の高さは殆ど気にならなかった。

 このあたり、折から盛んな各メディアの戦時中の回想と連動して、軍隊の支給品につながる。軍帽軍服軍靴、頭のテッペンから足の爪先までのお仕着せだ。新兵が靴が合わないなんて言い出すと、「馬鹿野郎!自分の足を合わせるんだ!」と怒鳴られたそうだが、戦後の豊かさは人々に、大袈裟にいえば住居を支給できるほどになったのだ。仕様が規格ぎりぎりのマンションでも、足を無理矢理靴に合わせなければならないよりはマシではないか。
 考えてみれば、私達にしてもこれまで住んだところは、アパートや借家にしろ一戸建てにしろ、その時々の身の丈に相応したもので、豪邸などまるで無縁だった。われわれ庶民は“起きて半畳,寝て一畳”、雨風さえしのげれば十分なのだ。

 このマンション団地はいろんな付属施設があり、自然環境にも恵まれて、竣工当初はなかなかの人気物件だったという。その後バブルの崩壊とともに値下がりしたが、あの東日本大震災でもビクともしなかった頑丈さが評判になり、近頃はまた人気回復したらしい。

 私達はここに引っ越してきて18年を越え、これまでの住居では一番長く暮らしている。私も家内も親しい知人も増えて、この先よっぽどの幸運か不運にでも見舞われない限り、他所へ移り住むことはないだろう。“終の住処”である。
 というわけで、タイトルは小林一茶の有名な一句「是がまあつひの栖か雪五尺」のメチャクチャもじりだ。
 

2015年08月14日(金曜日)更新

第356号 〜戦後70年は“Occupied Japan”だと思う〜

 戦後70年の節目とやらで、世間では回想,反省,総括などが盛んだ。言っちゃぁ何だが、ちょっと見にはお祭り気分のような感じさえする。結婚記念日じゃあるまいし、国がボコボコにされた日をイベント化してどうするんだと思う。それともこの裏には、何かとんでもない狙いでもあるのか? ひょっとすると案外そうかもしれない。

 この8月1日、宮内庁が『玉音放送』の原盤ファイルを初公開した。「堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ……」と、昭和天皇のお声がテレビから何度も流れてきた。それを聞くたびに、いま起こりつつあるいろんな事柄が、何となくキナ臭く感じてきたのだ。その事柄とは、本日発表された総理大臣談話であり、なかなか決着がつかないTPP交渉であり、国会でスッタモンダしている安保法案であり、これ以上コジれようがない沖縄問題であり、竹島や尖閣諸島とあわせて中国の新たな海洋進出であり……といった具合で、さらには建設やり直しになった新国立競技場、5年後の東京オリンピックまでからんでくるんじゃないかと思うのだ。

 私はかねがね、国家運営の基本である三本柱――防衛,外交,経済活動の二本まで他国に任せて(頼って)金儲けだけに邁進する日本は、真の独立国ではないと繰り返してきた。歴代の総理大臣はワシントンのお代官様であり、中には“ロン-ヤス”や“ブッシュJr-小泉”のようなペットまがいの人物さえいた。アメリカにとって日本は"属州"は言い過ぎだとしても、せいぜい非常に業績のいい子会社だったのだ。天皇陛下は人々に古くから崇められている鎮守さまだ。
 戦後70年間、日本は“Occupied Japan”(被占領国)だったのである。

 この“Occupied Japan”は厳密には、'45年8月の無条件降伏から'52年4月、サンフランシスコ講和条約発効までの7年足らずでしかない。条約は前年9月、アメリカ以下の連合国(ソ連と中国は不参加)と日本が調印承認した。このとき日本の首席全権・総理大臣吉田茂は、ブレーン白洲次郎のアドバイスをうけ、紋付羽織袴姿で巻紙の原稿片手に堂々と日本語で演説している。外国人メディアにトイレットペーパースピーチと語り草になったものだ。
 しかし、これら戦後日本の独立記念日に関して、高校生だった私にはたいして記憶がないのだ。ときまさに朝鮮戦争の真っ只中、日本中いたるところ米軍兵士があふれていたのだからしょうがない。当時のことで覚えているのは、戦死した米兵の亡骸を綺麗に洗うアルバイトが破格の時給だった、という噂話ぐらいしかない。朝鮮特需の一つだったわけだ。
 話ついでにもう一つ。その頃輸出された日本製品には"Made in Occupied Japan"の刻印があり、近年それらの製品がマニアックなコレクターの間で引っ張りだこだという。ノリタケの陶磁器などがあるらしいから、古い家なら物置の隅なんか探してみたらいかが?

 そうした70年にわたる“Occupied Japan”も今年のはしゃぎっぷりを見ると、文字通り節目にさしかかっているように感じるのだ。一言でいえば、アメリカ本社には日本を子会社にしておくメリットが薄れてきたのである。理由は二つある。

 第一に、いまは大国vs大国が本気で殴り合いをする時代ではない。全世界を破滅させるような核兵器のボタンなど、誰だって押したくはない。不沈空母日本は不要になったのである。第二はいまの日本の超高齢化だ。若い活力は減る一方なのに、わがまま甘ったれ老人ばかり増えていては先の見込みはない。業績減退・人件費高騰の子会社はそろそろ見切り時なのである。

 先にあげたキナ臭い事柄はそんな目で見ると、アメリカが日本に[真の独立]を促しているように感じる。集団的自衛権とか抑止力とかウヤムヤなことばかり言ってないで、この国は自分達で守る、中国もロシヤも日本独自の方針で対処する……70年の節目はその覚悟をすべきときではないかと示唆しているように感じるのである。

 人間と同じく国も、いつまでも甘やかされていたら疲弊するばかりだろう。時には厳しい試練や思い切った改革も必要なのである。そろそろチャンスだと思っていいのではないか。
 
 
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