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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2015年07月03日(金曜日)更新

第350号 〜目が治りゴルフも復活、怖いものなし〜

 先週、あのJUNとロペで泊りがけのプレーを2日連チャン楽しんできた。私の後発性白内障がレーザー手術で治った快気祝いだ。

 今年の春先あたりから左眼が白くかすんで、ちょっと見えにくくなり始めた。この左眼は一昨年、加齢黄斑変性のため一時は完全にホワイトアウト状態だったのを、手術で回復したものだ。術後は定期的に主治医の診察を受けており、今回かすみ始めたときも「眼底は安定しています」という診断だったので、タカをくくっていたのだったが、ゴルフに行くとボールがどうもよく見えない。そのためヘッドアップがひどくミスショット連発。さらに夜電灯の下で本が読めなくなってきた。そこで改めて主治医の診断を受け、レーザー手術を受けたのだ。
 結果は上々、ボールもよく見えてヘッドアップもなく、2日ともいいプレーができた。ホント「目は人間のマナコなり」である。

 それにしても、私達二人はよくよくお天気男同女である。予約する際、降りそうな日は一応避けてはいたが、梅雨時の空模様はどう転ぶかわからない。現にJUNに向かった日は昼過ぎから降り始めて夜中まで降っていた。それが明け方には止んで、ラウンド中は日差しさえあり、翌日ロペでプレーして帰途につくまで、薄曇り時々晴れ間といういいコンディションだった。
 ところがコースにサヨナラした途端、空一面真っ黒になって、雷鳴と稲妻と土砂降りに襲われたのだ。車はワイパーフル稼働のノロノロ運転、那須から白河にかけての国道4号線では渋滞も始まった。後でこの渋滞は対向車線の事故が原因だとわかったが、その事故も突然の雷雨のせいだったようだ。もちろん私達よりちょっと遅いスタートの組はビショ濡れになっただろう。
 先週、これからの季節はゴルフ場では雷に気をつけようと書いたばかりだ。だが私達二人は雷神の方がよけてくれるらしい。成る程、これが巡り合わせだなとつくづく感じた。
 なお私達はゴルフに行くとき、高速道路は殆ど使わない。この年になれば時間に急かされることはないし、ハンドル歴50年以上の超ベテランドライバー(家内)は、長距離や夜の運転も苦にしない。倹約の意味もある。かつて二人でゴルフを始めた頃、家内がキッチンの壁に「おかずをケチってゴルフに行こう」と書いた紙を貼って、私も酒は安い焼酎を飲んでいたものだが、その再現である。そのかわり出先ではケチケチせずに遊ぶのだ。

 JUNもロペも相変わらず人気コースだ。首都圏からやって来る客や女性客もけっこう多い。その女性客がカタギの奥様お嬢様かそれともオミズ系か、近頃はすぐには見当がつかないので困る。
 私も家内や息子夫婦、姪夫婦とよく一緒にプレーするが、3人とも都会的なちょっと見はさておき、かもし出す気配や品性は、タテヨコナナメどうひっくり返してもカタギだ。服装化粧は一見カタギ風なのに、そんな気配品性を感じない女が多いのである。現代女性はシロートがプロの真似をしたがり、プロがシロートらしく見せようとするのか、年寄りにはどうもよくわからん。
 JUNではロッジの談話室で、こうした男女10人ほどが飲み食いしていたが、翌朝見るとテーブルの上は杯盤狼籍のまま、前夜トイレで吐いていた女もいた。

 JUN('75年開場)もロペ('90年開場)も、私達はオープンした頃からプレーしている。当時JUNのキャディさんはもんぺスタイルで、とてもオシャレな感じだった。その頃、17番ショートホールだったか、バーディーを取るとコースから銀杯のプレゼントがあって、後輩のT君が見事獲得したことがある。
 このT君が現在とある難病のため、歩行も会話も覚束ない状態だという。そして他のA君,O君,もう一人のT君,S君など、かつては腕を競った私より若い仲間達も大方はプレーから遠ざかり、いまでも元気一杯続けているのは、当クラブの支配人氏と私ぐらいらしい。まさに"人生いろいろ"だが、やっぱり淋しいことは淋しい。

 ところで、今回コースで忘れてきたことがある。ひと月ほど前おなじみのOゴルフ場に入れ歯を忘れてきたときは、あきれられたり笑われたりしたが、今回は"もの"ではなく"こと"だ。
 去年、姪から「おじちゃんなら似合うと思うよ」とプレゼントされた、ニューファッションのローライズパンツをロペで初めて穿いたので、写真を撮って送ろうと家内と話し合っていたのを、ケロッと忘れていた。プレーに熱中していたせいもあるが、ひょっとすると二人とも物忘れが始まったかもしれない。ボケの前兆か?

 とはいえ心身達者なら少しぐらいボケても、日々の楽しみは山ほどある。ケータイの歩数計を見ると、JUNでは1万9千歩強、ロペでは1万8千歩弱歩いている。左眼がよくなったことと合わせて、またまた自信が湧いてきたところである。
 

2015年06月26日(金曜日)更新

第349号 〜本日は露天風呂で雷雨を楽しむ日〜

 本日、6月26日は"雷記念日"だという。平安時代の初期、930年(延長8年)のこの日、都は内裏清涼殿(天皇が日中政務を執る御座所)に落雷があり、大納言藤原清貴が直撃を受けて即死した。世に言う"昌泰の変"である。これがその30年ほど前、左大臣藤原時平の讒言によって九州大宰府に左遷されて亡くなった、元右大臣菅原道真の祟りとされ、時の帝をはじめ藤原一門こぞって道真公の怨霊を鎮めようと、天神としてお祭りした。学問の神様・天満宮の始まりだ。
 ただし私は、そんな千年以上も昔の故事を元に記念日を設けたのが、いつ誰だったのか、またその意図がどこにあったのか、どうもよくわからない。しかもこの延長8年6月26日は旧暦の日付で、落雷が多くなる時期はもっと先、記念日としても見当はずれなのだ。
 事情をご存知の方、是非ご教示をお願いします。

 私が雷と聞いて、すぐ頭に思い浮かべるのは、"地震,雷,火事,親父"、"雷親父"である。戦前、私達が子どもの頃は、そんな怖い親父がどこの町内にも必ずいて、地域の犯罪見張り役や若者の風紀係を兼ねた存在だったのだが、いまの親父達は軽薄なオヤジギャグ的存在でしかない。誰も彼も自分と関わりのあることだけに忙しく、他人を顧みようとしなくなっている。例えばファミレスで、店内を子どもがうるさく駆け回っていても、誰も注意しようとはしない。せいぜい店員にいうか、親に冷ややかな蔑視を送るぐらいだ。他人へのお節介は努めて避けるのが現代人の生き方だと、思い定めているらしいのである。
 そんな風潮が出てきたのは、東京オリンピック('64年)から大阪万博('70年)にかけての高度成長期だ。日本人全員エコノミック・アニマルと揶揄されながら、モーレツに働いていた時代だ。他人に関わる余裕など誰にもなかった。当時テレビで大人気だった『木枯し紋次郎』('72年)が言っていたではないか。「あっしには関わりのないことでござんす」。その結果がいまの孤立老人や名古屋の殺人趣味女子大生、北海道の飲酒暴走若者なのである。
 責任の一半は、当然だが私達にもある。

 小学3年生の12月に真珠湾攻撃、中学1年生の夏に敗戦を迎えた私達にとって、雷のつく言葉は殆どすべて戦争に関連している。地雷,機雷,蝕雷,魚雷,爆雷,雷管,雷撃機……等々、言葉はもちろんそれがどんな機能を備えているかもよく知っていた。
 先頃、フィリピンのシブヤン海で見つかった不沈戦艦武蔵や姉妹艦大和は、米軍の雷撃機による魚雷攻撃によって沈められたのだ。
 "雷電"という戦闘機もあった。名機ゼロ戦の生みの親・堀越二郎氏が、米軍の長距離爆撃機B29迎撃用に設計した局地戦闘機だったが、戦争末期とあって資材も不足、製造設備も不十分、500機足らずしか生産できなかった幻の戦闘機だった。
 ただし戦艦武蔵以下のあれこれは、戦後もだいぶ経ってから知ったもので、戦時中は一般人はつんぼ桟敷、ましてやわれわれ子どもの耳に入るわけない。
 
 江戸時代、雷電為右エ門という相撲取りがいたことを知ったのも、多分戦後だ。子どもの頃の私は手足ばかりヒョロリと長く、相撲は嫌いだった。4年生の時、横綱双葉山が学校に来たらしいが、まったく記憶にないほどだ。
 といって勉強に明け暮れていたという記憶もない。できるできないは単純に頭の良し悪しによるもので、塾だの偏差値だのなかったおおらかな時代だ。校門から一歩外に出れば本人次第、思う存分遊び呆けていられた。

 ところで、"雷族"はもはや廃語といってもいいだろう。昭和30年代なかば、半世紀以上も前に社会問題化した若者の風俗だったが、近年は暴走族という言葉や集団さえ殆ど聞かない見かけない。以前はあちこちのコンクリート壁面にあった、例のスプレー落書きも少なくなっている。別の刺激的なものを見つけたのか、若者達が総じて無気力化したのか。私は後者のような気がする。

 これからの季節は雷雨が多くなる。昔の紙芝居の文句「一天俄に掻き曇り雷鳴轟く黄金バット……」じゃないが、ゴルフコースでは気をつけよう。この年になって誰かの怨霊に祟られたんじゃ周りから何を言われるか、たまったもんじゃない。

 さて、6月26日は雷以外にも変わった記念日がある。"露天風呂の日"だ。岡山県のある温泉地がつくったもので、6・26をもじった他愛ない発想だが、現代はこうした単純なオヤジギャグが、故事なんか勿体ぶって持ち出すよりウケるのである。
 またひとつ勉強になった。
 

2015年06月19日(金曜日)更新

第348号 〜年老いたら楽しんでこそいいシゴト〜

 テレビ東京で1994年から始まった『開運なんでも鑑定団』は、当地でも曜日時間を変えて放映されている。20年以上も続く人気番組なのだ。
 先日、出先の大型家電店で通りすがりに目に入り、思わず立ち止まった。例の和服のレギュラー鑑定士・Nさんが、壷をこねるおなじみの仕草で「いいシゴトしていますねえ」といっていた。その場を離れながら、この‘シゴト’という言い方は、いったいどんな人がいつ頃から言い出したものだろうかと気になった。

 ナイター終了後、決勝打を放った選手がお立ち台で「4番のシゴトをしただけ」と得意気にいう。いま流行りの警察小説には「刑事のシゴトはホシをアゲてナンボだからな」なんて一節が出てくる。マスコミ関係では‘オイシイシゴト’がある。とにかく、いまはあらゆるギョウカイで言われまくっているのだ。

 このシゴトが、私はどうも好きになれない。Nさんのシゴトは正しく言うなら、細工とか出来栄えだろう。同様に4番バッターのそれは働き、刑事のは任務だ。それをシゴトと言うと、何やらその道の達人・プロの発言という感じになる。皆が飛びついたのはそんな語感のせいだ。だが、呼び方を変えても中身が変わらなければ詐欺だ。エラそうな言い方するな。

 私の頭にあるシゴト―仕事は、古い言葉なら身過ぎ世過ぎ、日々の暮らしを立てる手段、カネを稼ぐことだ。エラそうに言うほどご大層なもんじゃない。
 私達の若い頃は高度成長の始まりとあって、仕事はいくらでもあった。『あゝ上野駅』の集団就職をはじめ農閑期の出稼ぎオドウ、東京山谷・大阪釜ヶ崎の日雇い、ニコヨン、ヨイトマケなど、働き手は引く手あまただった。余談だが、私自身も東大に落ちて翌年ワセダに入るまでの10ヵ月間、川崎の某特殊合金工具メーカーで工員として働いたことがある。余談ついでに、その10ヵ月間の年金納入記録をかの年金機構が見付け出して、去年突然知らせてくれたときは、彼らも‘休まず遅れず働かず’を返上したなと見直したのだったが、ダメな連中はやっぱりダメだったようだ。

 そんな恵まれた労働環境がいつの間にか、派遣だの能力給だのブラック企業だの、シビアなものに変わってしまったのだ。先頃読んだ小説で、ドイツ人が「われわれが欲しかったのは労働力だったが、やって来たのはムスリムだった」と言っていた。近隣諸国の先行きを考えたら、周りが海に囲まれた日本でも安閑とはしていられないと思う。

 仕事には直接カネに結び付かないものも山ほどあるし、実際はそちらの方が多いだろう。一番の代表が家事、主婦の仕事だ。近年は主夫も次第に増えてきて、家のことは一切ノータッチという男性は少数派になったが、私達の年代はリタイヤ後にようやく、これはたいへんな仕事だなと気付く亭主が多かったのだ。それら主婦の働きをカネに換算したらどれほどになるか、落語『芝濱』のようなできた女房だと、亭主よりはるかに高い数字になって、唖然呆然かもしれない。
 
 もっとも大勢の中には、家事より社交というトンデモ主婦もいる。先日こんな話を聞いた。マンション団地内に、旦那の急死後ふた月足らずで、部屋がゴミ屋敷になってしまったお宅があるというのだ。ともに70代後半の二人暮しだったが、奥さんはコーラスだの英会話だのとしょっちゅう出歩き、家の中のことは殆ど旦那任せだった。そのゴミを、遠くへ嫁いでいる娘さんが来て片付けた際、所定のゴミ置き場だけだと隣り近所が捨てられなくなるほど多かったので、他の何ヵ所かに分けたという。それでも一ヵ月後にはゴミ屋敷が再現したらしいから恐れ入る。
 女性が男性より長生きなのは、家事で頭や体をよく使うせいだ。その定説どおりなら、この旦那はもっと長生きしてもいい筈だが、定説には例外も多い。例外も運命のうちなのである。

 とにかく、年老いてからも何か仕事があるのは幸せだと思う。何もなければ、掃除でも皿洗いでも家事を手伝えばいい。ただし老人の仕事は‘身過ぎ世過ぎ’とは別もの、自分でも楽しむためのものだ。時間はたっぷりある。頭も体もフルに使って、納得できるまで仕上げればいい。「いいシゴトしてますねえ」と言われれば最高じゃないか。
 

2015年06月12日(金曜日)更新

第347号 〜若さのエネルギーは意地と見栄

「自分と同年代の中年男性が、引き締まった腹をしているとつい嫉視する」
 
 以前、こんな一節を何かで読んだ記憶がある。これからの季節は皆薄着になる。メタボにしろ骨皮筋右衛門にしろ、自分の体型は否応なく人目にさらされるし、他人のも目に入る。知らない相手ならともかく、なまじ顔見知りだと劣等感優越感ないまぜて、嫉視やら蔑視やら心穏やかではいられないだろう。

 落語のマクラで有名な文句に「悋気(りんき)は女の慎むところ、疝気(せんき)は男の苦しむところ」というのがある。悋気はヤキモチ、疝気は腰や大小腸が痛む病気のことだ。ヤキモチ・嫉妬は昔から女の専売特許とされてきた。嫉はそねむ、妬はねたむという意味だ。つまり、自分にない要素を持っている他人を羨み恨み、果ては憎しみにさえ至る心理だ。羨む対象は外見が一番手っ取り早い。即ち、美人だのナイスバディだのファッションだの……いわば女の専門分野だ。そんなところから嫉妬の主役は女になってしまったのだろう。
 しかし実際には、嫉妬は男の方が凄まじいという。そりゃそうだ。原始時代から男の仕事は外へ出ることだし、出れば七人の敵が手具脛引いて待っている。仕事でも遊びでも、男は常に他人との競り合いがある。競合と嫉妬は表裏一体、男の嫉妬が激しいのは当然なのだ。いくら女性の社会進出が盛んになり主夫が増えてきたとはいえ、ヒトの生態は原初の昔からそう変わったわけではない。
 年老いてもそれは同じ筈だ。

 老人が何にもまして羨ましいのは若さだ。カネは死後残った者に、一応迷惑をかけないぐらいはある。地位も周囲からそれなりに扱われており、まあ不満はない。そんな自分に足りないもの、ノドから手が出るほど欲しいものは? 若さしかないのだ。冒頭にあげた中年男の嫉視は、そのハシリといってもいい。したがって逆に、年老いてなお若さをアピールしたかったら、中年の入口から老化に気をつけることだ。もちろん知力体力ともにである。

 いまの日本で真の年寄りは、75歳以上だと私は規定している。制度発足以来、依然として評判の悪い後期高齢者だが、この区切りは、現代日本人の老化度を測るのにいい目安になるのだ。私自身の体験的実感から言って、75歳を過ぎてもなお50代60代と渡り合える知力体力があれば、若さはそれほど羨ましくはないと思う。

 近頃よく見るトクホの広告で、男女の半裸後ろ姿を並べて、コピーが「60代、あなたは走れますか?」というのがあった。60代で走れなければ死んだ方がマシだと、私は思うのだが、このCMの製作者は思わないらしい。そして、そういう認識がいまの老人達をヤワにしているのだ。

 私はゴルフコースでも町中でもけっこう走る。コースでは第2打後に乗用カートに向かって、町中では赤信号間際の横断歩道を……などだ。先々週ここで自慢したように、私のゴルフファッションは可成り若づくりだ。老人臭い動作なんかしていたら、後続組にブーイング&蔑視を絶対浴びせられる。そんなコッパズカシイ真似をするくらいなら、それこそ死んだ方がマシだ。
 なじみのOゴルフ場のカートに「上手いより早いがカッコいい」と印刷したマナーキャンペーンが貼ってある。コースではテキパキした行動をしている方が、変にベテランぶっているより、他のプレーヤーへの印象はずっと好ましいのだ。

 ベテランとは"老練な人"だ。私はベテランと言われるのは嫌いだし、同じ感覚で長老とも呼ばれたくない。長老とおだてられ、「俺が……俺が……」と古い経験ばかりしゃべっていると進歩も止まる。相手が「また同じ話か……」と聞くフリだけしているのに気付かなければ、ボケにも気付くわけない。
 年寄りは若さを羨むより羨まれる、憎まれる、嫉視されるくらいの方がいい。

 年老いても若さを保つエネルギーは意地と見栄だ。意地は反骨を養い、見栄はオシャレに通じる。両方とも若いうちは誰でも持っているが、年老いるにつれて失っていく。持ち続けるには、知力体力とも人一倍の鍛錬が必要なのである。
 

2015年06月05日(金曜日)更新

第346号 〜わがまま甘ったれの“成れの果て”〜

 いまの高齢者はわがままで甘ったれだと、曽野綾子さんが著書『老いの才覚』で指摘したのは5年前だったが、近頃はそれが一段とエスカレートしているように思う。団塊の世代が大勢仲間入りして、益々怖い者なしになってきたか? 私が見聞きしたケースを二つあげる。

 まず、行きつけのOゴルフ場で出会ったものだ。
 午後のハーフで二つめのショートホールに行くと、ティグランドに前の組が待機している。先の方にスロープレーの組がいて、午前中からのんびりムードだったが、いつもはあまりつっかえないホールだ。前の人が「先でトラブってるんですよ」と言うので見ると、グリーン横にカートが2台接近して停まり、傍で双方のパーティが睨み合っている感じだ。そして両者の間に、私達も顔見知りのコースマネージャーSさんが入って、何か話している。そのうちに私達の後ろの組も追いついてきて、ティグランドに3台のカートが溜まると、トラブっていた両者も憤懣やる方なしといった様子で別れ、それぞれのプレーに戻っていった。

 前の組やSさんから聞いたところによると、トラブルの経緯はこうだ。
 私達の3組前は高齢者男性4人、うち2人はシルバーティからで、午前中のスロープレーもこの組が元らしい。2組前は男性2人女性1人のスリーサム、3人ともこれまた初老以上、リーダー格の男性はコースの常連で、私も何度か見たことがある、いわゆるウルサ型だ。この常連氏が前のもたもたプレーに、仲間2人や後続組相手に悪態の吐き通しだったという。
 それが件のショートホールでとうとうキレたのだ。

 一部始終を目撃していた前の組によると――。
 きっかけは、4人組がホールアウト後グリーン上で、スコアの確認を始めたことだという。それを見てアタマにきた常連氏が、4人ともグリーンから離れたかどうか、際どいタイミングで打ったのがミスショット。ボールは右に飛び出し、カート道で弾んで4人組のカートをかすめ、OBゾーンへ飛び込んでしまった。
 打ち込まれた4人組が怒るのは当然だが、打ち込んだ方も、相手のスロープレーと自分のドジなプレーで二重にカッとしている。謝り方もぞんざいになっただろうし、言わずもがなの発言もあっただろう。話し合いはモメて、Sさんまで呼びつけられてしまった。つまりは、双方のわがままが嵩じた末のトラブルである。

 もう一例は市内在住の知人女性から聞いた話だ。
 近所に度を越した傍若無人な老人(男性)がいるが、特にバスに乗るときの行動が目に余るという。停留所にバスが止まり、乗り口が開くと、持っている杖を中に放り込む。ちなみに当地のバスは東京とは逆に後方乗車前方下車である。杖は足や目が悪いからではなく、年寄りをアピールする小道具らしい。その杖を中で誰かが拾ってやろうとすると「余計なことするな」と怒鳴る。
 乗り込むと空いている席には目もくれず、シルバーシートの前へ行き、自分より若そうな女性でも坐っていようものなら「ここは俺達の席だ、どけ」と言う。以前、バスの運転手が見かねて「お客さん、空いてる席に坐ったらいいじゃないですか」と注意したら、「俺はマナーを教えているんだ」と言い返したそうだ。

 知人によると老人は70歳前後、数年前奥さんに先立たれてからは独り暮らしだ。元々扱いにくい人物だったので、その後は近所の誰も近付かなくなったという。子ども達も遠くへ離れ、顔を見せることは殆どない。いってみれば、世の中の不平不満を一身に背負ったように暮らしているのだ。もっとも、こういう老人ほど「憎まれっ子、世にははかる」で、しぶとく長生きするのかもしれない。

 いまの日本の生活環境は、年寄りにとって至れり尽くせりの天国だと思う。にもかかわらず、欲の皮の突っ張った連中は「もっと寄越せ!」「もっとサービスしろ!」「もっと大事にしろ!」と合唱するるばかりだ。近頃問題の介護漬けや延命治療による寝たきり老人は、そんなわがまま達が福祉看板の金儲けに適当に利用された“成れの果て”なのである。
 こんなこと、もっと多くの年寄りが気付いてもいいんじゃないか?
 
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