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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2014年11月28日(金曜日)更新

第320号 〜これからの最優先課題・祝!結婚記念日〜

 今週初め、私達は結婚満54年になった。家内はどこで聞いてきたか「55年目をエメラルド婚というのよ」と言っていたが、いま世間一般に流布しているイギリス式の金銀婚記念日には、そんなものはない。まして54年目など中途半端な年では、何もあるわけない。とはいえ、自分達で勝手に祝う分には別に差し支えはない。自分達が目出度いと思えばOKなのだ。いまの子ども達の「お誕生会」と同じだ。

 私達が育った時代は、誕生日など誰も気に留めなかった。私自身にしてもリタイヤするまでは、知らずに一日過ぎていたことが多かった。夜遅く帰宅してから、家内に「O歳お目出度う」とビールなんか注がれて気付くこともよくあった。だが10数年前から考え方も変わってきたようで、近頃は「この年までよく達者で生きてきたな」と、ちょっとした感慨がある。
 したがって結婚記念日にしても、20年目30年目といった節目はともかく、間の半端な年はさして意味なく過ごしていたのだが、これも50年近くなると別だ。しかも私達の場合は2001年9月11日,あの同時多発テロの当日、私が大腸ガンの手術をしたこともあって、これからは何があるかわからないし、二人とも心身達者でいるうちは、ささやかでもお祝いしようと決めたのだ。そういえば今年の初め、私の親友から「60年間の相棒が消えてしまいました」というハガキを受け取っている。家内ともども親しかった奥さんが、心筋梗塞で突然亡くなったのである。ホントわれわれの年になると、人生何が起こるかわからない。

 というわけで、今年は「前泊ゴルフ前泊ゴルフ後泊」して、翌日ゆっくり帰る3泊2プレーを、JUNとロペで楽しんできた。私達はどんな記念日も、大抵ゴルフがらみになる。自慢じゃないが、二人揃って達者かつ行動的ということだ。

 実は、今回のゴルフは家内がやる気満々だった。クラブがセットで新しくなったからだ。今月初め、東京にいる家内の姪夫婦と、福島県南部のコースで一泊プレーをしたとき、姪が前に使っていたセットを「よかったら使わない?」と、プレゼントしてくれたもので、ウッド5本アイアン5本のセットである。家内のクラブより年度も新しく、グレードも可成り上の製品だったが、当日早速使ってみて、「打ち易いし、よく飛ぶ!」と大喜びしていた。

 姪達はちょっとした自営の仕事をしている。子どもがいないので、二人で精一杯働き、精一杯楽しんでいる。年に一度、当地と東京の中間あたりで落ち合ってプレーしているが、いつも何かしら貰う。先月ここに書いた、私の折れて直したスプーンもそうだ。以前は息子夫婦も参加して6人で楽しんでいたのだが、近頃は息子達に余裕がなくなった。そのうちには復活するだろう。ちなみに、姪達の媒酌人は私達だった。

 これはゴルフに限らないが、年老いてからも何かをやり続けるには、常に進歩しようという意欲を忘れないことが大切だ。ただし、やり続けようとする何かも、年寄りには無理なものもある。最近、錦織圭が人気の火をつけたテニスなど、走るのが覚束なくなった世代は、他のプレーヤーの邪魔になるだけだろう。足腰とよく相談しなさいである。

 その点、ゴルフはホント!年寄り向きだ。今回の家内のように、道具が体力をカバーしてくれる部分も大きいし、私にしても小技やパターでまだまだ頑張れる。姪の夫は、私よりひと回りデカく腕力もあり、ドライバーショットはいつも私の50ヤード以上先にあったが、私の方がバーディーを(チップインで)ものにした。家内の運転実力は依然衰えを見せないし、ゴルフはこの先もしばらくは楽しめそうだ。

 JUNもロペも人気コースなので、やってくる人達もなかなか華やかだ。女性はアダバットやカステルバジャックといった、デパートにしか置いていない、小ぶりでオシャレなキャスターバッグを引き、男性はいかにもギョウカイ人種が多い。夜更けのレストランでは、テーブルにワイングラスが並ぶ。衆議院解散もよその世界の出来事である。私達もそんな空気の中で存分に、羽を伸ばしてきたのだった。
 

2014年11月21日(金曜日)更新

第319号 〜日常生活からの脱走を考えよう〜

「スウェーデン発! 世界的ベストセラー 全世界で800万部突破!」という、いま話題の本が『窓から逃げた100歳老人』だ。著者ヨナス・ヨナソンは,もちろん日本初登場。10年ほど前には『ミレニアム』があり、スウェーデンは時々世界的ベストセラーを生み出すが、そういう文化的土壌でもあるのだろうか。

 この『……100歳老人』の日本語初版が書店に並んだのは7月初旬だったと思うが、私はその時から“面白そうだな”と目をつけていた。まず、タイトルが私にピッタリだし、カバーのイラストも楽しい。いつものとおり立ち読みで「訳者あとがき」をチェックすると、内容もひと癖もふた癖もあって私好みだ。ただし四六版416ページを、立ち読みだけでやっつけるのは無理だ。こういうエンターテインメント系の本は、近年殆ど買わなくなったし、図書館から借りることにして数日後申し込んだら、もう50人ほど待ちだという。週刊誌か何かで紹介されたらしい。順番が回ってきたのは10月下旬だった。

 期待に違わぬ面白さだったが、内容はひと口でいえば出鱈目、スーパー爺さんのハチャメチャな活躍ぶりは読んでもらうしかない。もっとも、このテの小説にはアレルギーを起こす人もけっこう多いと思う。冗談が通じない、勤め先では出世、家では子どもの成績しか頭にない……そんなタイプだ。そういう人にすすめでもしたら、10ページぐらいで「バカにするな!」と突っ返してくるから要注意だ。

 著者が「あとがき」で、ちょっと考えさせられることを言っている。「多くの人が普通の日常生活からの脱走を、真剣に考えた方がいいんじゃないかと思う」というものだ。経歴によると、この著者は大卒後地方紙の記者を経て、メディアコンサルティングやテレビ番組制作の会社を立ち上げ、20年ほど事業活動した後、それらを手放して家族でスイスに移住し、小説執筆に専念して、48歳で出版に漕ぎ着けたという。
 成る程なあと思う。つまり、著者は脱走に成功した代表例なのである。

 私はかねがね、大抵の人は日常生活からの脱走を考えて(夢見て)いる、と思っている。もっとも簡単な脱走は空想だ。空想の達人は幼児だろう。それが成長するにつれて薄れていくが、それでも若いうちは「自分探し」などと何とか脱走を試みる。だが仕事や家庭を持って、日々現実に直面するようになると、空想ばかりしていられない。そして年老いて現実の負担が軽くなり、また夢が復活するのだ。
 私の5歳下の古い知人で、地方公務員を定年まで勤めた男性が、現役の頃「退職したらホームレスになってみたいと思っている」と言ったことがある。結局はその夢を実現することなく亡くなったが、こうした別人生、日常生活からの脱走願望は誰にもあるのだ。

 さらにいえば、われわれは小さな脱走はしょっちゅうやっている。私なら年齢不相応のファッションでゴルフに行くのがそうだし、家内などハンドルを握った途端、これまた年齢不相応、しかも女性の範疇に入らない運転をし始めて、アメリア・サックス(現代アメリカ小説界の人気シリーズに登場するカーレーサーまがいの婦人警官)に変身する。カルチャースクールに入ったり、極端なところでは“女装クラブ”なんてのもその類いだ。

 こうして考えてみると、認知症の徘徊老人も「自分探し」といえなくはない。周りから見れば、意味もなくうろついているだけだが、本人にしてみれば、ちゃんとした目的を持った行動であり、その目的を認識していないだけかもしれないのだ。

 近頃、この徘徊を別の言い方に変えようという動きがあるらしい。徘徊には獲物をあちこち捜しまわる(それだって重要な目的だろう?)、クマやイノシシのような印象があり、本人にも家族にも感じが悪いからだという。代わりに「ひとり歩き」「お出かけ」「単独外出」などどうかということだが、これだけでは老人の問題行動だとはわかるまい。結局は徘徊老人と同じように、前や後に認知症とか老人がくっついてくることになるのだ。
 ボケが認知症に変わったといって、語感から憐情蔑視がまったく消え去ったわけではない。いくら言葉を変えようが、本質が変わらなければムダというものだ。

 さて『窓から逃げた100歳老人』は,世界を股にかけた徘徊老人である。その意味では荒唐無稽なフィクションとわかっていても、私にはたいへん羨ましい人物だった。年老いて、平穏無事な日常生活からの脱走はなかなか難しいのだ。ボケには程遠い私など、せいぜい小さな脱走を楽しんでよしとすべきだろう。
 

2014年11月14日(金曜日)更新

第318号 〜「三人で一人魚食う秋の暮れ」とは?〜

 当地は、東は海に向かって平野が開けているが、西は蔵王を主に山々が連なり、それから張り出した尾根が、市街地のすぐ傍まで迫っている。そんな尾根の突端に政宗は青葉城を築き、その尾根を広瀬川越しに望む私達のマンションは、昔はクマやカモシカの縄張りだった一帯だ。したがってこの季節は、西に日が傾き始めるとまさに釣瓶落としだ。
 こういう暮れっぷりは、西側が海や大きな平野の土地とは、ちょっと違う感じがする。当地に引っ越してくる前にいた江戸川沿いは、西は東京神奈川を越えて富士山が見えたほどで、同じ秋の釣瓶落としでも、いくらか余裕があったように思う。日暮れ時に気分が急かされうろたえるのも、何も年のせいばかりじゃない。土地柄による部分もけっこうあるのだ。私のような即物的かつ非ロマンチックな人間は、どう足掻いても、秋の暮れの風情を楽しむ風流な気分には程遠い。

 そんな風情を詠み込んだ有名な歌が、『新古今集・巻四』の「三夕」である。その歌と作者は以下のとおり。
「寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ」 寂蓮法師
「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」 西行法師
「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」 藤原定家

 現代人の和歌についての知識は、『百人一首』がせいぜいだろう。プラス新春恒例の「皇居歌会初め」ぐらいか。私にしても「三夕」は改めて調べ直したもので、きちんと記憶していたわけではない。ついでだが、この三首は『百人一首』には入っていない。百人…の秋の夕暮れは二首あるが、歌そのものはもっとわかりやすい。二首とも初字が一字札「むすめふさほせ」にある、いわば初心者向きの歌だ。

 ガラにもなくこんな話題を持ち出したのは、最近「三人で一人魚食う秋の暮れ」という古川柳を知ったからだ。このナゾかけめいた句を初めて見て、すぐに意味内容がわかる人は、相当な日本文学通だ。一も二もなく恐れ入る。私なんかチンプンカンプン、ワセダの国文出身なんていえたもんじゃない。

 ナゾ解きのヒントはさきの「三夕の歌」と、百人一首を使った子どもの遊び「坊主めくり」だ。三人寄り集まって秋の夕暮れの風情を愛でながら、一人だけ魚を食べているのは殺生戒のない俗人、あとの二人は僧侶というわけで、寂蓮、西行、藤原定家と、それぞれの歌がわかるのである。解説を聞けば成る程だが、これが川柳だからいやはやなのだ。

 川柳は連歌や俳諧の前句づけから独立したもので、俳句の面倒な約束事にとらわれず、滑稽や風刺を旨とした、要するに庶民的な肩の凝らない文藝遊びだ。それが、こんな古典知識を踏まえてナゾをかけ、相手もあっさり解いてしまうのだから、江戸時代の一般庶民、八つぁん熊さんの教養知識がいかなるものだったか想像がつく。
 ただし、それに比して現代人は……というつもりはないし、筋違いだと思う。現代は、勉強しなければならないことは次々とでてくるし、やってみたいことも山程ある。勉強で気を抜けば落ちこぼれ、トレンドを知らなければ仲間外れだ。それこそ古川柳など時代遅れ、ぺダンチックな独りよがりでしかない。だが私は年寄りの好奇心は、そんな古いぺダンチックなものに対するほど、より満足感が高いと思うのだ。われわれはトレンドものは、必要最低限だけ知っていればいいのである。心身に自信があれば、下の世代におもねることはないではないか。

 先頃、カンボジアの高校卒業試験で合格者が26%しかなく、追試ではさらに17%に低下したというニュースがあった。全体の60%強が落第したわけで、これは、前年までまったく野放し状態だったカンニングを、厳しくチェックしたためだという。そういえば韓国でも先年、大学入試でカンニングが横行して、話題になった。ルールを破ってでも他人を出し抜こうとするのは、人々のモラルが未成熟な社会ではよくあることだ。シナ人の傍若無人ぶりは、いまに始まった話ではない。

 幕末から明治初めにかけて来日した西洋人が誰しも、日本人のモラルの高さに驚いたというのも、江戸期の長い平和に培われた優れた知的文化が、一般庶民の土台にあったからだ。その意味で、年老いてからも優れた古典に親しむのは、心の健康にはいいことだと思う。
 

2014年11月07日(金曜日)更新

第317号 〜「老いては天才に従え」という生き方〜

 以前「いま世界で真に天才といえる人物が3人いる」と書いたことがある。イチローが10年連続200安打を達成した年だった。3人とはそのイチローを筆頭に,ゴルフのタイガー・ウッズと将棋の羽生善治さんだ。3人とも若い頃から、尋常ならざる活躍ぶりでマスコミの話題になり、一時はそれぞれの分野を越えて、一種の社会現象にまでなったほどだ。私ごときが何か書くのも僭越だったが、一ファンとして一言「すごい!」と言いたかったのである。

 その後、タイガーが前年の不倫スキャンダルを機に、ズッコケて以来鳴かず飛ばず、イチローは今シーズン限りで引退だという。いまもってその分野のトッププレーヤーとして活躍しているのは羽生さんだけだ。10月下旬には王座戦で、勢い盛んな若手挑戦者をフルセットの末退けた。

 もちろん、筋肉主体のゴルフや野球と頭脳ゲームの将棋では、使われる体の機能も違うので単純な比較はできないが、勝負の世界であることに変わりはない。その中で数多くのライバルをしのいで、長年トップの座に居続けるのは並大抵の才能じゃないだろう。
 かつて、アメリカゴルフ界の人気を二分したスーパースターの片方、A・パーマーが、長年のライバル、J・ニクラウスについて「あいつさえいなければと何度思ったか……」と言ったことがある。
 トップの座とは同じ世界の誰からも、そういう思いで見られることだ。サル山のボスではないが、いつも周りからスキあらばと狙われている存在なのである。

 3人とも生年は同じ1970年代、若い順にタイガーが75年、イチローが73年、羽生さんが70年で一番年上だ。これは改めて言うまでもなく、肉体労働より頭脳労働の方がピークの期間は長いということでもある。私のような楽天的前向き年寄りには、その辺はたいへん励みになる。

 ヒトの脳細胞は血液や皮膚などの細胞と違って、古いものが失われると、新しいものが再生してくるようなものではない。だが全体で40億個もあり、一生で使われるのは凡人ではせいぜい3%、IQ200超の大天才でもその倍ぐらいだという。浪費に浪費を重ねても未使用部分は限りなく残っており、新しい知識や情報を受け入れる余地は、いかに年をとろうがたっぷりあるのだ。
 10年ほど前、70歳過ぎても脳細胞は分裂増殖して新しいものができる、と発表したアメリカの研究者がいたが、それはまた別問題。
 ついでに、新しく受け入れた内容をきちんと整理し、時に応じてちゃんと使えるかどうかも年齢には関係ない。それは頭の良し悪しによるもので、これまた受け入れる余地とは別問題だ。つまり、頭の良し悪し以前に学習意欲が問われるわけで、して見ると、脳はわれわれ年寄りには、たいへん心強い器官なのだなとわかる。何たって、使っても使っても使い減りしないのだ。時間だけは山ほどある年寄りにとって、こんなウレシイ話はない。

 頭の良し悪しと学習意欲は別物ということについては、羽生さんがこんなことを言っていた。
「20代の若い頃(将棋界の7タイトルを全部独り占めしたのは26歳)は、記憶の限界を感じないで、自分が指した将棋はもちろん、他人の棋譜もどんどん覚えることができたけど、いま(30代なかば)は自分の対局ですらあやしくなって、以前ほどクリアに思い出せなくなりました」
 しかしその一方では、「昔の将棋は王道,正統派,本筋といわれる手が主流で、そこから外れた異質,異端,邪道な手はのけ者にされていましたが、いまはそういう従来の常識では考えられなかった手が、次々と出てきています。私もそんな手にアレルギーを持たないように心がけて、変な手が出てきたなと感じても、一応は考えてみようと思って対応しています」とも言っている。

 私が見習いたいと思っているのはそういうところだ。トップの地位にあり続けるためには、持って生まれた天才以上に、いつも新しいものを学習しようという意欲が大切なのだ。

 年老いてくるとともすれば、それまでに身についた経験と知識だけで、ものを言いことに対処しようとする。話の内容はいつも同じ、考え方に新しい発想や視点はまったくない。私は、そんな年寄りにだけはなりたくないのである。

 この年になれば、もちろん学習したことの全部が全部、頭に入るものではない。入ってくる片っ端からどんどん忘れてしまい、残るのはほんの1〜2%ぐらいか。それでも、脳を使っているという感覚は常にあるし、同じ話を繰り返す愚は犯さないですんでいる。口幅ったい言い方だが、平均寿命を越えてからも心身達者で生きていることは、やっぱり凡人より抜きんでた才能だと思う。その意味で羽生さん達には、これからも教わることが多い筈だ。
 

2014年10月31日(金曜日)更新

第316号 〜国策や国益の裏にはマヤカシがある〜

 私達がよく行くOゴルフ場への途中に、太陽光発電のパネルを敷き詰めた一画がある。仙台市北東に隣接する利府町の新興住宅地から、県道をちょっと北上し、ゴルフ場方面へ右折したT字路交叉点左の角地、以前は様々な植木を育成していた場所だ。右の角地はゴルフ練習場、さらに交叉点手前の県道左側に、地元野菜の産直売り場みたいなバラック小屋が並んでいるところを見ると、どうやらそれらの経営者は一人、そのあたりの地主だろう。

 一帯は丘陵地だ。Oゴルフ場は交叉点から約5キロ先だが、途中で田んぼが見える地点は2箇所しかない。数年前、友人のアメリカ人・Dさんを初めて連れていったとき「オー! 山の中のコースね!」と感想を述べたほどで、早く言えば、昔は雑木林におおわれた里山だった一帯だ。付近にはクマの目撃情報も時々ある。

 これは私の勝手な想像だが、さきの地主経営者は相当ヤマっ気の多い人物ではないかと思う。
 
 利府町には戦後間もない頃まで、東北本線の駅があった。だが、ここから松島までの路線(山線といった)が可成りの急勾配で、終戦直後の粗悪な石炭を使っていた蒸気機関車では、立ち往生することがしばしばだった。そこで、一駅手前の岩切駅から塩釜経由の海線に路線変更され山線も廃止されて、利府はいわゆる盲腸線の終点になった。町も一時はさびれたというが、その後、近くに新幹線の車両基地が作られ、松島石巻方面への道路も整備されるとともに、百万都市仙台の新しいベッドタウンとして発展してきたのだ。

 ゴルフ練習場や植木屋、野菜の産直販売所などは、その新興住宅地の需要を当てにして、ヤマっ気たっぷりの里山地主が始めたものだろう。だが練習場はともかく、植木屋など新しい客がどんどん増えていくものじゃない。産直野菜にしても、近頃はスーパーの中にそのての出店がいくらもある。だから県道左側のバラック小屋は、営業している気配が全然ない。そこで経営者は「これからは太陽光発電だ!」と思ったのだろう。こも目論見は決して悪くはない。かのソフトバンクの孫正義だって、いち早くその事業計画を発表しているのだ。

 それがここへ来て、まさかの電力各社の買取制限である。
 植木屋の敷地は野球場2面ぐらいあった。それがこの夏初め頃から見る間に姿を変え、いまはビッシリと敷き詰められたパネルが陽光をキラキラ反射している。ここをはじめ、津波の跡地など方々に完成した太陽光発電施設は、せっかく登ってきた梯子を外された気持ちだろう。地主経営者ならずとも「人をバカにするのもいい加減にしろ!」といいたくなる。

 だいたい国などが立てる施策は殆どがこのように、先の見通しもいい加減な御座なりなものだ。そして、そうした国の施策を左右するのが産業界からの示唆だ。今回の太陽光発電問題に関しても、裏に是が非でも原発を再稼動させたい産業界の思惑がある、と考えれば筋が通る。結局バカを見るのは、かの地主経営者みたいな、ヤマっ気が多くてちょっと先の見える人達なのである。

 ある研究者によると、福島第一原発の土地にはかつて、磐城陸軍飛行場があったという。戦後、それが食糧増産と失業者対策のため、農地や塩田として開拓され、さらに産業立国の象徴として、原発が建設されたのだという。これらの事業はすべて国策、国の方針に即して行われたものだ。ただし私はここで、その国策のおかげで一般庶民はいつも生活を滅茶苦茶にされてきた、と短絡反応するつもりは毛頭ない。おかげでいい思いをした、生活が豊かになったという人も大勢いるからだ。私が言いたいのは、国策を鵜呑みにして、うまく便乗しようと考えるのはやめた方がいいですよ、ということだけだ。

 40年ほど前、ゴルフを始めた頃のあることを思い出す。福島磐城の海辺に新しいゴルフ場をつくるというプランを耳にしたのだ。太平洋を見下ろして……という宣伝を聞いて楽しみにしていたが、いつの間にか話は消えてしまった。ゴルフ場に代わって福島第二原発が建設されたことは後で知った。その後、いわき周辺がゴルフ場銀座になり、私達も何度か行ったが、原発のことはまったく思い出さなかった。

 しかしいまは違う。見聞きしたことは何でも、まず国策や原発と関連づけて考えるようにしている。
 例えば、このところOゴルフ場への道路のあちこちが、工事で次々と整備されている。その現場を通る度に、私は性懲りなく「あれはトヨタのためにやってるんだ」とつぶやく。道路が良くなれば、車が売れるという論法である。快適に走れるようになってわれわれが感じるお得感など、トヨタの儲けに比べれば微々たるものなのだ。

 国策や国益など、国を前面に押し立てた言葉の裏には、われわれ庶民が気付きにくいマヤカシが必ずある。私は近頃そう考えるようにしている。
 
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