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仲達 広
1932年生まれ
早大卒。 娯楽系出版社で30年余週刊誌、マンガ誌、書籍等で編集に従事する。
現在は仙台で妻と二人暮らし、日々ゴルフ、テニスなどの屋外スポーツと、フィットネス。少々の読書に明け暮れている。

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2014年10月24日(金曜日)更新

第315号 〜知識を頭の中で「通り抜け不能」にする〜

 家内が買物などに出かけて、一人で昼食をとることが時々ある。以前は一緒に出かけることもあったのだが、近頃は原稿を書いたり、それをパソコン打ち込んだりすることが多くなって、あまり付き合わなくなってきたのだ。
 そういえば、10年以上も前になるか“ワシも族”という言葉があった。リタイヤして家にゴロゴロしている無趣味な亭主がヒマを持て余して、女房の買物に「ワシも行く」とくっついてくるのだ。払っても払ってもくっついてくるので“濡れ落ち葉”と蔑称されたこともあった。年老いてくると男はどうも分が悪い。もっとも「踏まれても踏まれてもくっついて行く」ことから“下駄の雪”といわれている公明党よりはまだマシか。

 ついでにいっておくと、家内の買物について歩くのは、けっこうたいへんなのだ。魚,肉,野菜、あっちの棚こっちの棚、中身を吟味し値段を確かめ、行きつ戻りつ……歩くペースが全然違うのでくたびれる。結婚して50数年、潤沢とはいえない家計を遣り繰りして身に付いた習性には、文句は言えない。

 食べた後の器は自分で洗う。世間には食事の仕度は奥さんだが、後片付けは自分の役目という、奇特なご亭主も増えているらしいが、私はそこまではしない。一人で食べたときだけだ。それでつい先日、洗った小鉢を水切りカゴに伏せて置いたとき、底に印字された変わった文句に気付いた。はじめは作った窯元の名かなと思ったのだが、よく見ると「家運長久」と書いてあったのだ。

 私達の世代は「武運長久」はイヤというほど見聞きしたが、家運長久は初めてだ。いまはそういう風に変わったのかなと、ネットで調べると、和歌山県内にこの銘柄の日本酒を造っている蔵元があり。宗教家みたいな人物がこういう本を書いている(自費出版?)くらいで、あまり一般的な言葉ではなさそうだ。そこで思い付いたアイデアが、“家”を他の適当な文字と入れ換えれば、好みの文句が作れるじゃないかということである。
 例えば、ゲンかつぎの経営者なら「社運長久」、お前百までわしゃ九十九まで……を願うなら「亭主運長久」、麻雀で勝ち組を目指すなら「牌運長久」、他にも、女、仕事、球(ゴルフでもパチンコでも)、票(永田町の面々に)、……といった具合で何でもできる。ケータイストラップなんか作ったら、売れるかもしれない。

 こういう文字の入れ換えや慣用句の言い換え、聞き間違いなどをうまく使って楽しむことは、なかなか知的な遊びだと思う。オヤジギャグとバカにされはがらも駄洒落はうけているし、『笑点』は間もなく50年になる。掛け言葉やもじりは文藝として定着している。言葉をツールにした遊びは、われわれの脳を刺激するのだ。

 市内の環状道路沿いに『髪切り虫』という床屋がある。店構えといい、理髪店とかヘアーサロンと名付けなかったところからも、店主の風貌はなんとなく想像がつく。車で通った際に見るだけだが、私達が当市へ来た頃からあったし、昨年あたり店も新しく改築したようなので、この駄洒落店名も客うけはいいのだろう。

 聞き間違い見間違いで、恐らく日本人なら皆知っているのが、向田邦子のエッセイ『夜中の薔薇』だ。こうした間違ったままの思い込みは誰にもある。
 20年ほど前、志摩半島へドライブ旅行したときのことだ。志摩湾を見下ろす有名なリゾートホテル(出版健保の契約保養施設として安く利用できた)に泊り、伊勢神宮に出かけた。その途中、左の方に新しい道が伸びていて、先の方に「通り抜け不能」と書いた看板が立っていた。走行中チラッと見た私は、それを「通り抜け不動」と読んでしまい、てっきり長野の善光寺にある“胎内くぐり”と似たようなものだろうと、思い込んでしまった。「面白そうだから帰りに寄ってみようよ」と家内にいうと、怪訝な顔をしている。説明すると、「あれ通り抜け不能と書いてあったのよ」と大笑いされた。運転しながら助手席より正しく読み取っていたのだった。

 人間は自分が知っている範囲内でしか、何事も考えることはできないのだ。知る範囲を広げるには、新しいものを沢山見聞きすることだ。昔はその手段は読書が一番だったが、いまはパソコンという便利なものがある。だが、いくら山ほど見聞きしても頭の中を通り過ぎるだけでは何にもならない。それを「通り抜け不能」にするためには、自分でもう一度整理し直して発表することだ。

 その意味で、こうして毎週ここに書かせてもらうことは、私には非常なプラスになっている。自分でブログを立ち上げたのでは、どうせ怠けてしまうからだ。気に入ったものが書けようが書けまいが、毎週1本必ずまとめようと思っているのがいいのだ。いまの私は以前より考えるようになったし、本もよく読むようになった。そして、もちろんゴルフや筋トレも続けたいし、気の合う仲間とは付き合いたい。年老いて逆に欲張りになってきたのだろうか。
 

2014年10月17日(金曜日)更新

第314号 〜遊び相手が壁でも楽しめる人々〜

 私は1週間に2〜3度、雨さえ降らなければ墓園の大階段上りをしている。この夏頃からそこで見かけるようになった男性二人を、当初は妙な連中だなと思って見ていたのだが、近頃その思いが変わってきた。

 その一人は、大階段一番下にある模造石の壁面に向かって、ピッチング練習をしている野球オタクだ。年恰好は60代だが、やって来るのが休日だけなので、見た目よりは若く、まだ現役世代かもしれない。小柄で体つきも貧弱、白くなった薄い頭に楽天のキャップをかぶり、着ているものはユニクロのトレーナーやTシャツ……。というわけで,ひと口で言えばサエない初老のオッさんなのだが、乗ってくるマイカーが真っ白のレクサスSUVなので、その落差にちょっとびっくりする。そして、車のトランクからスーパーのレジ袋に入れたグローブとミット、ボールなどを取り出し、おもむろに準備体操を始めるのである。
 
 野球レベルは、せいぜい小学3〜4年生ぐらいだ。軟式のボールを壁から10歩ほど離れて投げているが、フォームはぎごちないしスピードもない。いわゆるお辞儀ボールが、ポコーンと頼りない音とともに戻ってくるのを、左手のグローブ、あるいはミットで受けてはまた投げる……。そんな練習を時々休みながら1時間以上、思いつめたようにやっているのだ。どう贔屓目に見たって、格好いい高級車を乗り回している、まともな初老男性の所業ではない。

 もう一人は同じく壁を相手に、サッカーボールを蹴っている中年男だ。背丈は私よりちょっと低く、メタボ体型はスポーツマンには程遠い。こちらはオフロードの自転車に乗ってくるが、これまたボールをスーパーのレジ袋に入れている。
 こういうところから二人とも、女っ気のない男やもめだなと見当がつく。大抵の女房は亭主が外へ出る際、身なりや持ち物に口うるさい。おまけに昨今は何のスポーツでも、プレー用具にはそれなりにシャレた専用の入れ物がある。レジ袋なんかぶら下げて出ようものなら、絶対「みっともない」と止められるからだ。
 このメタボ中年のサッカーも、あまり上手じゃない。殆ど無経験の私が見ても、団地で遊んでいる子ども達の方がマシなくらいだ。

 そんなわけで、二人について想像できるのは独り者ということぐらいで、それ以外はまったく正体不明。だから私は当初「何が目的で下手なボール遊びに熱中しているんだろう、ひょっとして要注意人物か?」などと思ったりしていたのだ。そこでふと気付いたのが、われわれは、ともすれば既成観念にとらわれるということだ。特に年寄りほどそうなる。頭が固くなり思考が狭くなってしまうのだ。

 野球にしろサッカーにしろ、一人でやるスポーツではない。何人もの仲間とチームをつくり、手頃な対戦相手を選んで、勝った負けたと楽しむのが普通のやり方だ。それを一人でやるのは、あくまでレベルアップのためだ。これは、体力技術とも伸び盛りの基礎作りに効果的だが……こういうのが既成観念である。したがって、それにとらわれると続く文章は当然こうなる。……貧弱な年寄りやメタボ中年がやっても効果も意味もない。
 
 この言い方は二人に対して失礼だと思う。いやそれ以上に、私自身をも貶めている。一人黙々と階段を上り下りする行為も、傍目には同じだからである。

 私もあの二人も、端的にいえば“遊び”を楽しんでいるのだ。幼い子どもが一人で、ママゴトや積み木に熱中するのと変わりない。まさにかの『梁塵秘抄』の一節「遊びをせんとやうまれけん……」である。多くの人にとって楽しく充実した時間とは、お気に入りの遊びに吾を忘れているときだろう。その意味で、年老いてもお気に入りの遊びを持っている人は、生き方の達人といえる。さらにいえば、生き方の達人は楽しく生きて見せることによって、イヤなヤツ、キライなヤツに「負けた!」と、実感させることができるのである。

 さて、本日私は82歳になった。この原稿を書きながら思ったのだが、このところちょっと理屈っぽくなってきたようで、どうも気になる。決して年のせいだけではない。元々あった性格が、だんだん表面に現われるようになったのだ。理屈っぽいのは女性に嫌われる。何かうまい変身方法はないか、いま試行錯誤しているところだ。
 

2014年10月10日(金曜日)更新

第313号 〜折れたスプーンを修理して思うこと〜

 夏の初め頃、コースでスプーン(3番ウッド)を折ってしまった。ラウンド中、カートから降りようとした際、どこかに引っ掛けてぽきんとなったのだ。去年、東京にいる家内の姪夫婦に貰ったT社の“RBZ”というモデルだ。打ち易いしよく飛ぶ。たちまち気に入り、すぐに同じモデルのドライバーも買ったほどだ。ただしクラブ通は「フェアウェイウッドはスグレモノだが、ドライバーはそれほどじゃない」という。だが私のドライバーは、もう10年近く使っている古いモデルなので、そろそろ取り替えたかったし、使用感も私にはよく合って悪くはない。

 姪夫婦とは年に一度、栃木県のゴルフ場で落ち合い、泊りがけでプレーをしている。だが、二人一緒に仕事をしていて日曜しか休めないので、当方ともなかなか日が合わず、今年はまだだ。プレーすることになったら、バッグにスプーンが入っていないのは具合が悪いなと思っていた。
 新しいのを買えば簡単だが、何となくバカらしい。専門店はもちろんアウトレット店でも、けっこうな値段なのだ。その分で私達なら一回プレーできる。ハードオフなら少しは安いだろうと、行く都度見ているが、これが売り物として全然出てこない。つまり、使っている人が手離そうとしないモデルなのだ。リシャフトするしかないなと私は思った。折れたとき、グリップの方はすぐ捨ててしまったが、ヘッドの方はそのまま車のトランクにしまい込んである。その折れたシャフトを外して、前に使っていたドライバーのシャフトと付け替えてもらうのだ。
 もっとも、近頃よく耳にするリシャフトとは、お気に入りのヘッドにお気に入りのシャフトを付けて、自分だけのオリジナルの一本に作り変えることが主らしい。対象はプロやトップアマ、あるいは矢鱈道具にこだわるゴルファーあたり、既製品で十分用が足りるわれわれ一般ゴルファーには殆ど無縁な方法だ。その意味では私が考えたリシャフトも、マニアックな連中に言わせれば、ただの修理だろう。
 
 ゴルフ用品専門店“G”に、リシャフトコーナーと作業工房がある。私達が時々行く丸亀うどんの傍なので昼食ついでに出向いて、そんな修理でもやってくれるか訊いてみた。ところが応対した店員は、できるできないの返答より先に、スプーンヘッドのモデルや製造年度、ドライバーの種類やシャフトのフレックスなど細かいことを、逆にこちらに質問してきた。そして、キックポイントやらバランスやら、シロウトにはどうでもいいことを並べ立てて、結局は「あまりおすすめできませんね」とのたまわったものだ。おまけに工賃も、アウトレットで見た新品の半分近い。要は「そんなもの修理するより、当店で別の新しいものを買ったら……」と言いたいらしいのだ。私は早々に退散した。

 そんな折に家内が、M国際CCの安い企画プレーをネットで見つけて、「行ってみない?」と言ってきた。M国際は随分前にオープンコンペに参加して、1度だけ行ったことがある。なじみのOゴルフ場より遠いし、プレー代も高いので敬遠していたのだが、それがO並みになる企画だという。ネット検索してみると、クラブハウスに付属してメンテナンス工房があり、シャフト交換もやっている。私は家内に「行く」と答えた。

 当日、私はフロントで受付をすませると、折れたスプーンと古いドライバーを持って工房に行った。作業台の向こう側に職人タイプの男性がいたので、修理内容を説明すると、「できますよ」とあっさり言う。修理代もGよりずっと安い。私は一も二もなく「お願いします」と言った。
「これからラウンドですか?」「はい」「それにはとても間に合いませんけど……」「いや、帰るまでにできればいいんです」「それなら十分、で、グリップは?」「自分でできるから、シャフトの長さだけ合わせて下さい」「オーケーです」
 私は、肩の荷をやっと下ろした気分だった。

 そして修理後の初ラウンドは一昨日だったが、使い勝手は姪から貰ったときとまったく変わらず、たいへん満足したのだった。

 ゴルフにしろスキーやテニスにしろ、スポーツ用品の価格は他の一般商品より割高だし、使う側もそれをある程度は承知している。だからといって、さきのGの店員が見せたような、修理するより別の品物を買った方がいい、という考え方は行き過ぎだと思う。特にゴルフは、道具の性能に左右される部分が大きいスポーツだ。その辺をよく心得ているメーカー各社は、打ち易さや飛びの機能をうたった新製品を次々と出してくる。

 しかし私は、ゴルフもスポーツとして見る限り、ボールを飛ばす原動力は筋力や運動神経など、個人の基礎的能力に尽きると思うのである。それを勘違いして道具に頼ろうとするから、上達しないし長続きもせず、メーカーやショップを喜ばせるだけになるのだ。
 

2014年10月03日(金曜日)更新

第312号 〜キツネ,クマ,野ウサギ,そしてPAJERO〜

 先月なかば、福島第一原発の事故に伴い規制されていた、国道6号線の一部が通行解除されたときのことだ。現地・富岡町の福島県謦双葉警察署で行われたパトロール隊の出動式に、キツネが参列したというニュースを地元紙で見た。
 記事には「…警察官約80人、パトカー35台が並ぶ緊迫した空気も何のその。悠然と歩き回り、署長の訓示が始まると、まるで来賓のように、署長の後方にきちんと「お坐り」して式を見守った。……」とあり、写真まで載っていた。

 通行自由といっても一帯の放射線量はまだまだ高く、周辺は帰宅困難区域である。一般車輌は脇道へ入ることはおろか、無用の途中停車も不可、窓も閉め切ったまま走れ……という不自由さだ。早く言えば規制解除とは名ばかり、裏のホンネは、事故原発付近もこのとおり着々と安全回復してますよという、見え透いたパフォーマンスなのだ。警察官をまったく怖がらなくなったキツネは、放射線でアタマがおかしくなっているのだろう。

 だが、今回のテーマは原発ではない。身近な野生動物だ。
 奇妙なことに、ここ一ヵ月ほど県内で、クマ出没のニュースをまったく見ないのである。この時期のクマは、冬眠に備えて大いに餌をあさるので、人里近くに現われることが増えるという。現に去年のいま頃は連日のように、地元紙の県内面に記事が載って、私もゴルフ場への道すがら一度ぐらい出会いたいものだと書いた覚えがある。しかも近頃悪評高い全国紙Aによると、この秋は山のドングリが大凶作で、各地でクマの出没が増えているらしい。先月20日過ぎには岐阜県白川郷で、70代夫婦が子連れのクマに襲われたニュースもあった。A紙によれば、東北地方でも出没が増えているらしいから、現われないのは当県だけだ。……と書いてきて原稿送付しようとしたら、今朝、久しぶりに出現の記事が出ていた。いずれにせよ少ないことは少ない。とにかく今後当分の間、地元紙の記事チェックは欠かせない。

 クマに代わって、近頃私達の周辺に出没しているのが野ウサギだ。
 団地傍のJRの駅に隣接して、小ぢんまりしたヘァーサロンがある。店は、色白の小顔でスタイルがよくチャーミング、かつ、気っ風と腕のいいA子さんという女主人が切り回しており、家内も常連の一人だ。A子さんには美容師の他に変わった特技がある。小鳥など小動物の飼育だ。以前、テニスコート脇の草むらで子ども達が捕まえた野バトの雛を預かり、ちゃんと飛べるようになるまで育てて、巣立ちさせたこともある。その雛はまだ十分飛べないのに、巣から出て落っこちたヤンチャ者らしく、2羽の親鳥が心配そうに鳴き交わしながら子ども達に付いて来て、その後も巣立ちまで店の傍によく来ていた。また雛も、巣立ってからも時々やって来ていた。
 野ウサギは駅裏の山の方から草むらを伝って、ヘァーサロンに隣接する駐輪場に、毎日やって来るようだ。褐色の毛艶も肉付きもいいし、人をあまり怖がらないところを見るとまだ幼い固体で、恐らくA子さんが餌をやっているのだろう。人の気配を察するや否や文字どおり脱兎のごとく逃げ出す、ゴルフ場の野ウサギとは大違いだ。

 野ウサギといえば、10年近く前こんなことがあった。市内の繁華街一番町を家内と歩いていたとき、通りすがりに立ち寄ったメンズファッション店で“PAJERO”というブランド品が目についた。初めて見るブランドだったが、三菱パジェロは私達が気に入って、3台10年ほど乗っていた車だ。そんなことを二人で話していると、店主らしい男が寄ってきて「パジェロとは野ウサギのことで、そうはお目にかかれないブランドですよ」と“上から目線”みたいな言い方をする。ふんふんと聞き流してさっさと出てきたが、その店は間もなく潰れた。

 その「野ウサギ=PAJERO」が頭の隅っこにあったので、この機会に改めて調べてみたら、全然違っていたのだ。PAJERO(スペイン語の発音はパヘーロ)を、三菱自動車は「南米大陸のヤマネコ」と説明しているが、これは一部の土俗的な方言だという。そして、一般によく知られた意味は“オナニーにふける者”という侮蔑語である。オンナもつくれないダメな奴だ。私も改めて調べてみてよかった。気付かずにしゃべっていたら、A子さん相手にとんだ恥をかくところだった。

 出所のあやふやな情報は、自分でもう一度確認した方がいい。恥をかくのは自分自身なのである。“聞くは一時の恥……”は年齢には関係ない。
 

2014年09月26日(金曜日)更新

第311号 〜iPS細胞ならオーダーメイド新薬もできる〜

 つい先日、iPS細胞を使って軟骨の成長が不十分な難病の治療ができるという研究を、京都大学と兵庫大学のチームが発表していた。軟骨無形成症やタナトフォリック骨異形成症という病気だったが、門外漢の私はもちろん初耳だ。成長期に軟骨が十分形成されないため骨が正常に伸びず、患者は身長が極端に低くなる。ニュースで見た子どもは小学2年生といったが、身長は1メートルもなく、頭や胴体と手足の長さがアンバランスな、いわゆる“小人症”だった。昔のサーカス団などにいた“コビト”である。病気にはこれまで有効な治療法はなかったという。
 
 そんな難病治療にiPS細胞は新しい道を開いたわけだ。家内など早速「私の膝痛もそれで治せればいいな」と期待している。家内の膝痛は内側の軟骨がスリ減ってきたのが原因で、女性に多い疾患だ。軟骨という共通点があるのだから、いま宣伝盛んなコンドロイチンより余程希望が持てるのだろう。病気を治す要素はつまるところ、患者本人の希望と楽観なのだと思う。
 ただし問題は費用である。

 すでにご存知のとおり、2週間前の9月12日、神戸の先端医療センター病院で、世界初のiPS細胞を使った治療が、70代女性の加齢黄斑変性に対する移植手術として行われた。この病気は眼の網膜中心部(黄斑)後方の毛細血管に変性血管が派生し、出血などを起こして視力に異常を来たす、高齢者特有の疾患だ。手術はその変性血管ができた個所の組織を、iPS細胞で新生させた組織と取り替えたものだが、それにかかった費用は数千万円になるという。

 実は昨年8月末、私自身がこの加齢黄斑変性で手術を受けているのだ。その前の7月なかば、左眼黄斑に出血が見つかり、その後間もなく、日毎にホワイトアウトしていったのだった。そして、最初出血を見つけてくれた日赤眼科の女医さんが、網膜治療の第一人者という東北大学病院眼科のA医師を紹介してくれ、注射による治療と併せて出血除去の手術を受けたのである。実際その手術の頃、左眼の見え方は白一色、辛うじて明暗がわかるだけだったのだが、それがいまは視力検査で1,2 まで回復しているのだ。
 
 去る9月5日は久しぶりの診察だったが、そのときA医師が洩らした言葉に、これほどまで回復するとは……というような驚きのニュアンスを、私も家内も感じたものだ。神戸で行われた手術はその一週間後である。私も興味を持って見聞きしたが、まず驚いたのは費用であり、次いで同じ疾患でも人それぞれ、違うものだなということだった。私の加齢黄斑変性は私だけの加齢黄斑変性だったといえる。

 これからもiPS細胞は、多くの新薬に応用され、さまざまな難病に治療効果をあげる筈だと期待されている。差し当たっては、パーキンソン病や脊髄損傷、アルツハイマーなどが対象にあがっていた。そんな話の中で面白いなと思ったことは、iPS細胞を使うことによって、副作用の面から考えると、従来の万人向けレディーメイドではない、患者一人一人に合った、オーダーメイド新薬が開発できるということだった。

 家内の膝痛回復も期待できるのである。何はともあれ、達者で長生きすることだ。
 
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