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2014年03月28日(金曜日)更新
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第285号 〜「春は曙」より「春宵一刻値千金」〜
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両方とも春先になるとよく言われる言葉だが、私は後者の方が好きだ。まず才走った小生意気な女より、遊冶郎的詩人の方が肌が合う。作者の蘇軾(そしょく)―号は東坡居士(とうばこじ)―は『赤壁賦』で知られる北宋の文学者だが、本職は役人である。昔の中国では、科挙に合格しなければ登用されなかったので、詩文は役人の必須課目だった。ただし詩人として後世に名が残るような人物は、役人としては落第生だったろう。杜甫がいい例だ。後に“詩聖”と讃えられるこの大詩人も、役人としてはウダツが上がらず、地方を転々として一生を終えた。蘇軾も一応中央に登用されてはいるが、何度も地方に左遷されている。彼を有名にしたものがもう一つある。東坡肉(トンポウロウ)という豚肉料理だ。淅江に追いやられていた際考案したもので、土地の者が彼の号をとって名付けたという。グルメでもあったわけだ。
春宵……の起句に始まる七言絶句は、日本では「春のうららの隅田川……」に歌われているおかげで、明るく健全な印象を受けるが、つづく承転結の3句を見ると実はなかなか艶めかしい。「花有清香月有陰 歌管楼台声細細 鞦韆院落夜沈沈」だ。宴の後、夜も更けた人気のない庭で愛人と忍び会っている様子を想像させる。これに対する清少納言の「……やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて……」など、まあ優等生の作文である。
それに私はこの年になっても、朝は何となく気持ちが高揚している。今日はあれをやってこれを片付けて……と予定いっぱい、やる気満々なのだ。渋茶をすすりながら、空模様をぼんやり眺めている隠居老人の真似など、いまさらできっこない。そんなわけで私は、「明日があるさ」とうきうきした気分にさせてくれる、春の明るい夕暮れから夜の雰囲気が好みなのである。
ここ仙台は東側が平野で海まで開け、西側には山形県境まで続く山地を背負っている。冬期日本海を渡ってくる西風は、蔵王など県境の山々に雪を降らせ、当地へ吹き降りてくるときは乾いている。だから冬場当地の空は大抵晴れていて、はるかな高みを薄い雲がゆっくりと東へ流れているだけだ。今年関東でも大雪を降らせたような南岸低気圧もたまにはやってくるが、殆どは乾いた好天が春まで続く。この明るい春の日の見事な暮れっぷりが、私は大のお気に入りなのだ。
高い空には青さがまだまだ残っている。それが西の方へ次第に白くなっていき、その真ん中に黄金の太陽がある。太陽が傾くにつれて周りの輝きに、ほんのりと桜色が混じり始め、黄金そのものにも赤みが加味されてくる。そして、太陽が山々の稜線に達すると、すぐに稜線に接する空全体で金赤から茜色の夕焼けが始まるのだ。
釣瓶落としの秋の夕暮れは、いまにも夜更けてしまいそうで、「日暮れて道遠し」と急かされる感じがする。春はそんなことない。日毎に日が長くなり暖かくなるのを、実感するからだと思う。それだけでも、明日は今日よりもっとよくなるだろうと、前向きの気持ちになれる。加えて何はともあれ、浮かれ心をくすぐるような夜も控えているのだ。青春は若者だけの季節ではない。厳しい冬を乗り切った老人にとっても青春なのである。
ところで、先々週パソコンのサポート打ち切りについて、事情通の知人が「まったく問題ない」と言っていると書いたが、その後、改めて懇切なアドバイスをいただいたので、要点を紹介しておこう。
「この打ち切り騒ぎはマイクロソフトやパソコンメーカー、量販店の煽りによる可能性がかなり高いのです。実際マイクロソフトのサポート自体が殆ど役に立たないどころか、かえって問題を大きくしているものが大半であり、どうしても必要なのは、新しいハードが使用しているXPのバージョンでは使えない場合に、修正やバージョンアップすれば良いのです。ウィルス感染や内部情報の漏洩対策はアバストやアルヤックなどの、必要最小限の機能だけの無料ソフトでカバーすれば十分です。ほとんどブラックボックスの無いXPは整備がしやすいので、2〜3年ごとにオーバーホールをしておけばかなり長期間使えます」 |
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2014年03月21日(金曜日)更新
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第284号 〜歯っ欠けを機に老化現象あれこれ〜
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つい先日、前歯が1本欠けた。硬いパンの皮を噛んだ途端、ポロッと半分になったのだ。欠けらを見ると、裏の片側に黒ずんだモロそうな部分が縦に流れ、欠けた面にも褐色になっている個所がある。歯も体同様老化しているのだなとわかった。
私は歯はあまりよくない。子どもの頃から虫歯が多かったし、30代には歯医者へ行くのを面倒がって、虫歯が痛むと一時しのぎに、正露丸をつめこんだりした。40代でやっと医者の治療を受け始めた頃はとき既に遅く、削る詰めるかぶせる抜くブリッジにするまた抜く……の繰り返しで、現在は前の方だけ上下9本ずつ、辛うじて残っているだけだ。その1本が欠けて、鏡を見ると前歯にすき間ができた顔は、どうしようもなく年寄りじみている。真っ白い丈夫そうな歯並びを見ると、印象も若々しくてまことに羨ましい。
そんなわけで近頃は、人前で殊更な愛嬌を振りまいたり、大口開けて笑ったりしないように心掛けているのだが、その点では、この日本に日本人として生活できるのは非常に有難い。狭い国土で単一民族が単一言語を使っているおかげで、いちいち口を開かなくとも通じるものがけっこうあるからだ。
欧米をはじめイスラム諸国はもちろん、日本以外のアジア各国でさえそうはいかない。それこそ口角泡を飛ばして罵り合わなければ、意思の疎通は十分にはかれないらしいのだ。中国人や韓国人が話し合っている有様は、いまにも殴り合いが始まりそうだ。
綺麗な健康そうな歯並びを男性のチャームポイントとして強調するのは、ハリウッド映画を代表とするアメリカ娯楽文化の伝統のようだ。古い作品で題名も忘れてしまったが、いまだに記憶に残っているシーンがある。主演のトニー・カーチスが笑ったとき、歯の1本がどんな撮影テクを使ったのか、ダイヤでもはめ込んでいるかのようにキラッと輝くのだ。成る程これがナイスガイかと、いたく感心させられた。この白い歯をアピールしたのは、古くはかの大スター、クラーク・ゲーブルの総入れ歯があったし、新しくはベストセラー作家、J・グリシャムの作品に「……(彼は)またもやきらめく歯を見せつけて……」という一節があった。
ただしいまの私には、欠けた歯を治療しようという気はさらさらない。歯科は他の医科にくらべるとけっこう高いし、前歯の1本ぐらいこの年になれば、全人格的見栄えには大して影響しまいと思う。
この冬は歯の他にも、老化現象かなと感じることがいくつかあった。足のしもやけがなかなか治らなかったこと、何かの拍子に自分の歯で舌や唇の内側をよく噛んでしまうようになったこと、酒をあまり飲みたくなくなったこと、そして、体重が増えたこと……などだ。
久しぶりにはいたズボンのウェストがきつかったときは、寒い中の外出で厚着をしているせいだろうと、気軽に思っていたのだったが、行った先の診療所で体重測定すると、60キロをオーバーしたのだ。わずか2ヵ月で2キロ増、過去60年間,病気などで減ることはあっても、増えるなんてまったくなかったのだ。まさに、信じられなーい! だった。
これらは一言でいえば、寒さによる運動不足のせいである。今冬は1月下旬から急に寒気が強くなり、雪も多かった。駐車場を除雪した際に積み上げた雪山が、日陰のせいもあってまだ残っている。したがっておなじみの階段上りなど、屋外での運動がめっきり減った。私としては家の中で筋トレを、毎日1時間ほど欠かさずやってはいるが、それでも外で動き回る場合とは、足にかかる運動的質量が格段に違うのだ。そしてその結果、血の巡りや脳や胃腸のはたらきが、以前とは微妙に変わってきたのである。人間は何をおいても歩かなければダメなのだなと、改めて実感した。
普段の生活習慣が変わると、つられて体にも変化が出て来やすいのは、若者より年寄りの方だろう。若いうちは変化を拒否する体のはたらきがあるが、年寄りは変化に順応しやすいのだ。以前より体が楽になる変化なら尚更だろう。そしてそれは体に重大な結果を招かないとも限らないのである。
私は早速、階段上りを再開した。 |
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2014年03月14日(金曜日)更新
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第283号 〜私流いまのIT機器との付き合い方〜
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いま使っているウィンドウズXPのサポートが4月9日で終了するので、別の機種に変えるようにというアピールがうるさい。そのまま使っているとウイルスにやられるらしい。だが、パソコンに精通しているYさんによると、私達が使っている程度の内容なら別に心配することはないという。彼は古くなったキカイを分解して使用可能な部品を選び出し、新しいパソコンを組み立ててしまうほどの特殊技能者だ。私達のようなIT機器オンチには非常に心強い味方で、もう全面的に信頼している。
「そのモデルはそろそろ古くなって参りました、新しいのに買い替えたらいかがですか」というのは、メーカーの常套手段だ。女性ファッションを筆頭に、われわれはこれでいつもなけなしのカネを浪費してきた。だがこの年になれば何によらず、もはやニューモデルは不要だろう。
いい例がケータイだ。いまやスマホが10憶台を突破して、全ケータイの半数以上を占めているらしい。何しろあの北朝鮮でも普及しつつあるというから、ちょっとコワい。だが私はもちろん家内も持ってない。家内はそれでもいなぜか、新しい機器に買い替えている。ところが替えた途端、使用料が5割も高くなった。はじめは私が眼を手術した際、方々に電話したせいだろうと思っていたが、何ヵ月も続いたので、ドコモのショップへ行って調べてもらった。そこで何やら余分な機能があれこれくっついているためだということになり、片っ端から削除したという。要するにスマホなどわれわれには、もってのほかなのである。
私がケータイを持つようになったのは大震災の後だから、やっと3年足らずだ。私は元々あまり物を持ち歩かない主義で、ケータイも頑固に拒否していたのだが、あれをきっかけにやむなく持ち歩く羽目になった。だから使用する機能も電話と歩数計だけ、メールなど触ってみる気もない。重さといい大きさといい、とにかくケータイは入れる場所に困る。いまのところズボンの尻ポケットにハンカチと一緒に突っ込んでいるが、これが一番納まりがいい。家内は上衣の内ポケットがいいというが、前述のように私はなるべく所持品を少なくしようと思っている。上衣のポケットはスタイル的に何も入れたくない。財布をもう片方の尻ポケットに入れると、老眼鏡の入れ場に苦労するほどだから、いはんやケータイにおいてをや……なのである。
町を歩けば至るところにケータイのショップがあり、もっと薄っぺらな軽いモデルが所狭しと並んでいるが、私には替える気はまったくない。ところでショップで最近気付いたことがある。先週ちょっと暖かい日に家内と町中へ出かけたときだ。一番町を歩いていると、とあるビルの1階にあったメンズファッションの店がドコモショップに変わっていたのだ。東側と北側が通りにに面した角地で、場所も悪くなかった筈だが、業界そのものが斜陽ではしょうがない。しかも、その向かい側の以前何だったか忘れてしまった場所も、ソフトバンクに変わっていたのには唖然だった。
こういうところは、さすが東北一の繁華街一番町である。他の地方都市ならシャッター通りになりかねない場合も、すぐ代わりのテナントが入る。ただその代替店がケータイショップというのがどうもなあ……。
私の意識では、IT機器は40年前に出現したインベーダーゲームなどゲーム機の延長である。そういうものにすぐ飛びついてのめり込むのは子ども達で、忙しい大人は二の足踏む。その頃仕事以外にもあれこれと忙しかった私など、ワープロさえ子ども、いや若手任せで手を出しかねた。それがそのまま現在に至っている。キーボードを操作するのも人差し指1本だし、それで十分だと思っている。われわれ年寄りには時間はたっぷりある。頭と体さえ達者なら、最先端のIT機器も向こうからこちらに合わせてくれると思っていればいいのである。 |
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2014年03月07日(金曜日)更新
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第282号 〜人間が夜行性になってどうするんだ!〜
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某大手紙のネット版で『8時間睡眠のウソ』(三島和夫、川端裕人、日経BP社)という新刊を紹介していた。内容に興味は引かれたが、1500円近い定価はわざわざ買って読もうという気にはなれない。折があれば書店でポイントだけ立ち読みしてこようと思っている。余談だが、ここ数年来読みたい本はブックオフの100円の棚で十分間に合っているのだ。
年をとると、なかなか寝つけず夜中目が覚めるなど、不眠になりやすいという。中には年をとる以前、40〜50 代あたりから不眠を訴える人もいて、私達の後輩のI君などその典型だ。何しろ自分でよく眠ったなと思っても3〜4時間ぐらい、明け方5時頃にはいつも目が覚めて、そのまま起き出す。それでゴルフに行っても、午前中は大抵半覚半睡でスコアにならないそうだ。仲間うちでは彼を住んでいる場所をもじって“サイタマ難眠”とからかっている。
睡眠に関しては、私はまったく心配ない。1年365日、350日は10時にベッドに入る。寝つきもいいし、寝相もいい。目が覚めるのは外が明るくなるのと大体同じなので、いま頃だと6時半ぐらいか。夏場はもうちょっと早くなる。これはどこで外泊しようが、夜中テレビでどんなビッグイベントが放送されようが変わらない。大晦日やオリンピックなどのお祭り騒ぎより、私は気楽に眠る方がいい。ここ数年来、夜中まで眠らずにいたことといえば、3年前の大震災の際、マンション管理組合の理事として、管理センター事務所に詰めていたときぐらいしか記憶にない。
夜中にトイレに起きることは時々ある。そんなときに気付いたことだが、マンションは夜遅くなると、建物の中のけっこう遠くの音が響いてくるのだ。どこかの部屋でドアを開け閉めする音、階段を上る靴音などだ。以前、別の棟の知人から床にじかに寝ていると、階下の部屋の会話の内容が何となくわかるという話を聞いたことがあったが、私のところでも夜隣の部屋でギターを弾く音が聞こえてきたこともある。だが夜中の物音はそういうものとは違う。コンクリートの壁を伝わってくるような感じなのだ。
私達のマンションは4階建ての棟が9棟集まった団地だ。小さい棟は40戸、大きい棟は70戸ほど、各戸平均80平米前後の住居だ。建物はしっかりしており、低層のせいもあって、3年前の大震災でも構造的な被害は全然見られなかった。地震の後、市内のあちこちに“お化け屋敷”と呼ばれるガタついたマンションが出現したのとは大違いだ。この建物の壁や床のコンクリート厚がどれぐらいか、詳しく聞いたことはないが、とにかく深夜は音が響くのである。
現役の頃、仕事やゴルフを通じて親しくしていた某評論家の、赤坂のマンションにお邪魔したことがあった。後に首相になったU氏も同じ建物の住人ということだったが、夜だったし室内をあちこち見せてもらったわけでもないので、どんなつくりだったかさっぱり覚えがない。まあ、私達の住居のような“壁に耳あり”ではなかったことは確かだ。
夜中に起きると再度眠りにつくまで、そんなラチもないことを思い浮かべながら、「これがまあ終の栖か壁の声」などとつぶやいたりしている。
はじめにあげた新刊紹介の中に「日本人は世界屈指の睡眠不足」という項目があった。まだ立ち読み前なのでくわしい内容はわからないが、大体想像はつく。あまり目立たないように周囲と歩調を合わせながら、ほんの少し抜け出そうとするのが日本人だ。そのために手っ取り早いのは家の中でひっそりと夜なべに精を出すこと、寝る間を惜しむことだ。睡眠不足になるのも当然なのである。
だが、われわれ人間は生体リズムを太陽の運行に合わせるのが健康の基本である。クマやフクロウじゃあるまいし、人間が夜行性になってどうするんだ! である。よく眠る秘訣はちょっと調べればすぐわかる。こいうことは、われわれ年寄りが率先して始めるべきだろう。 |
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2014年02月28日(金曜日)更新
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第281号 〜アメリカで銃殺刑復活から思うこと〜
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アメリカで電気椅子や銃殺による死刑が復活しそうだというニュースが新聞に載っていた。アメリカの処刑方法は1980年代以降、薬物注射が主だった。その薬の調達先はヨーロッパの薬品メーカーだったが、数年前からそのメーカーが「死刑に使われるなら販売しない」と言い出し、別の薬を使わざるを得なくなって、処刑がスムーズに運ばなくなってきたのだ。ある州では死刑囚がひどく苦しんで死亡し、遺族が「残虐で異常な処罰を禁ずる」憲法違反だと訴訟を起こしてさえいる。そこで代わりの方法が検討され始めたというのである。
私は別に死刑の是非を論じようとして、こんな話題をとりあげたわけではない。北朝鮮や中国のように、見せしめや商売(囚人の臓器を移植用に売る)として行っている国もあれば、人道主義的観点から廃止している国や地域もあり、一概には言えないからだ。もっとも罪人の臓器を売るのは日本でも明治初期まであった。かの首切り浅右衛門の邸宅には、肝(きも)をタコ糸で吊るして陰干しにする部屋があったという。私がとりあげたのは、銃殺という言葉からいろんな連想がはたらいたからだ。
例えば78年前のいま頃起きた「2.26事件」では首謀者の青年将校17名が銃殺されているし、昨年暮には北朝鮮のナンバー2が機関銃(迫撃砲という話もある)で処刑されている。人間なら誰でも命は惜しいし、死ぬのは怖い。ましてや他人の手で殺されるのだ。余程の確信犯でもない限り、殆どの死刑囚は何かしら釈然としない思いを抱えて刑場に臨むのではないかと思うのだ。
そんな確信犯が一人いる。2.26事件の前年、当時の陸軍省軍務局長永田鉄山を殺した相澤三郎中佐だ。相澤は永田を亡き者にすることが軍の大儀であり、大日本帝国のためになることだと信じて寸毫も疑わない。その結果死刑判決に至ったのは上官を殺害した償いをとらされるもので、悪いことをしたとはまったく思っていない。だから従容と死ぬ覚悟はできており、処刑の際係官が目隠ししようとすると、「武人として女々しい振舞いはできない」と断わる。だが「それでは射手が困ります」といわれ、「わかりました」と目隠しされて処刑される。ちなみに相澤三郎の墓は仙台旧市街地の某寺にある。私の足なら歩いて往復できるところだが、まだ行ったことはない。
死刑囚がこの相澤三郎のような人物ばかりなら、処刑する側も楽だろう。だが自分の行動がいかに大儀や信念に基づくものだと思っていても、その見返りが死刑とあっては心穏やかとはいかないのが普通ではないか。2.26事件の青年将校の中には、何となく周囲に引きずられて参加した軽挙タイプもいただろうから、土壇場で見苦しく取り乱した者がいたことも想像がつく。江戸は元禄の昔、主君の仇を討った大石内蔵助以下赤穂義士47人が、全員見事に切腹したわけではないのと同じだ。
先頃、鹿児島知覧の特攻平和会館が、特攻隊員の遺書を世界記憶遺産としてユネスコに登録申請したところ、中国から侵略の歴史を美化するものだと横槍が入った。その是非はさておき、この特攻隊員に関してもわれわれは美化された部分しか知らないところがある。特攻に出撃した隊員は、誰もがすすんで志願したわけではないのだ。上官から志願者を募られた場面では、皆たがいに顔を見合わせるばかりで手を挙げず、さらに上官の強制強迫懇願ないまぜた言辞によって、ようやく諦めたようにポツリポツリと手を挙げたという。
平和な時代に穏やかに死ねるというのは、いかに有難いことか……。 |
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