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安田健介
弁護士・S13生まれ 京都在住
同人誌「奔馬」編集長

このたび、ユーモアクラブ支配人の児玉さんと再会し「私を笑わせた話たち」を連載することになりました。人間のつながりは、不思議なものですねえ。私は関西人間、児玉さんは北海道人間、昭和39年に双葉社という出版社に私、入社しまして3年で退社しましたが、その間のつながりです。
でも空白が長く40年以上の時をへだてた再会です。これぞ、まさに情報化時代の付合いのあり方でしょうか。
私は、「笑い」については、相当の関心をもってきましたので、それを発表できることは嬉しいかぎりです。
どうか、宜しくお付合いください。

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弁護士 安田健介が日々考えていること

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2013年11月29日(金曜日)更新

第327話 笑いの分析(1)

 人は「おかしい」「おもしろい」と感じた時に、愉快になって笑う。

 これを「なぜ笑うのか」と笑いを分析する「笑い哲学」を今まで試みた人はたくさんいる。

 ベルグソンはその一人で、岩波文庫に「笑い」という本が出ており、いつでも読める。

 私も読んだが、笑い分析は不完全だ。

 日本にも多くの研究者や実行者(落語家、漫才家、漫談家、その他)がいる。

 梅原猛さん(元京大教授)も、笑い分析を試みたが、完成できず古代史研究に方向転換した。

 いつだったか、東大の入試問題のひとつとして、笑い分析問題が出た。

 たしか、三人の笑い分析の論文の一部と、四コマ漫画ひとつを資料として読ませた上、「笑いについて自由に論じなさい」というものだった。

 19歳や20歳の青年には、なかなかの難問だとおもう。

 私自身を降りかえってみても、笑い分析ができるようになったのは40歳以降えす。

 次回、その入試をもう一度読んでの内容を要約して示します。
 

2013年10月15日(火曜日)更新

第326話 私はいつもぶらさげている

 笑いの方程式は
1、二つのちがう観念を発すること
2、その二つのちがう観念への変化に関連がないこと
3、しかし、底辺でなんらかつながっていること
4、そこにおかしみと愉快さを感じること

 こんなところかとおもう。

 最近のテレビコマーシャルに例をとる。

「タンスにゴン」のコマーシャル。

 女を売りにした男優が主人公になっている。

 わたしゃ一日中「ぶらさげている」ことを強調している。

 その後、タンスに「ゴン」をぶらさげていることだと釈明している。

 なぜ釈明したのか。

 みせかけ女の男が「ぶらさげている」ものが他にあるとみえる。

 その意味が分からない人にとっては、このコマーシャルは分からない。

 このように、意味が分からない人は「笑い」は発生しない。

 笑いが知的能力のテストになるユエンである。

 笑えない人よ。ショゲルことなかれ。
 

2013年10月07日(月曜日)更新

第325号 夏目漱石さんの笑いの一例

 お客さんそれぞれ、夏目漱石さんの「我輩は猫である」「坊ちゃん」の「笑い」経験をそれぞれインプットされたのではないか。

 私も私なりに笑いを受けとめました。

 さて、漱石さんは友人の子規の影響で俳句もひねった。

 その俳句集が岩波文庫の一冊としてある。

 それがしは 案山子にて候 雀どの

 雀が稲を食いちぎらないよう見張り役として案山子が設置されたのに、雀たちは、これを物ともせず、案山子に止まったりして稲(米)をついばんでいる。

 そこで、漱石は、案山子の立場に立って、「おいおい雀君よ。俺の立場にもなってくれよ。君たちを追い払う役割にて候。ちょっと遠慮してもらえんやろか。僕の面子考えてよ」

 こんな気持をこめて、漱石さんは俳句を作った(詠んだ)のだ。

 これも「ボケ」(トボケ)のひとつ。
 

2013年09月26日(木曜日)更新

第324号 神や仏の存在を考えた笑わせ屋

 この「ユーモアクラブ」支配人(児玉さん)が、このクラブを発足させるに至ったイキサツの中に、確か「笑いの力」(岩波書店)を読まれた動機があったとおもう。

 私も、この本は読んでいて共感した。

 故河合隼雄さん、養老孟司さん、筒井康隆さん、その他の発言の本である。

 先般、この本を再読(ええかげん読み)をして、私は「オッ」と発見したことあり。

 それは、「神」だとか「仏」だとか、そんなもん、存在しないことを前提にして、そんなことは踏まえた上で、「神」や「仏」があるが如く、ウソをでっちあげたことが素晴らしいと、三人共、断言していたことだ。

 私も、完全に、同感です。

「存在しない」のに「存在する」と断定して、民衆をみちびいてきた長〜い歴史がある。

途中、マルクスやら私やらが、それを否定しても、そんなもん、モノともしない「信ずる力」はつづいている。

 これこそ、「笑い」の根元的事実に他ならない。

「笑い」こそ、不滅の精神なのである。
 

2013年09月09日(月曜日)更新

第323話  ダジャレ笑い

 私は今まで、「ダジャレ笑い」について論じたことは一度もなかったと思う(マチガイご免)。

 しかし、「笑い」のシェアの中で、おそらく「ダジャレ笑い」がトップだと独断する。

 おもしろい法則だが、「ダジャレ」を連発する人は特定の人である。ダジャレ言いまくりの人と、全く言わない人に二分されている。

 もちろん、言わない人が圧倒的に多い。私も言わない。

 私は京都の弁護士です。今600人超える。38年前は200人だったが。

 いつだったか京都弁護士会長になった出口さんはダジャレ名人らしい。

 私は、具体的例として、彼が弁護士会長になったとき、「出口さんを励ます会」があったが、彼はその時ハゲかけていて、「ハゲが増す」とダジャレを飛ばしていた。

「ダジャレ」とは、「同じ言葉を二重意味に通じるようにして発する」ことである。

 大阪の漫才コンビにダジャレ飛ばしコンビあり。コンビ名忘れた(私の老齢のため)。1人は「ウナギ」といったかな。
 
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