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安田健介
弁護士・S13生まれ 京都在住
同人誌「奔馬」編集長

このたび、ユーモアクラブ支配人の児玉さんと再会し「私を笑わせた話たち」を連載することになりました。人間のつながりは、不思議なものですねえ。私は関西人間、児玉さんは北海道人間、昭和39年に双葉社という出版社に私、入社しまして3年で退社しましたが、その間のつながりです。
でも空白が長く40年以上の時をへだてた再会です。これぞ、まさに情報化時代の付合いのあり方でしょうか。
私は、「笑い」については、相当の関心をもってきましたので、それを発表できることは嬉しいかぎりです。
どうか、宜しくお付合いください。

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弁護士 安田健介が日々考えていること

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2011年01月11日(火曜日)更新

第197話 徒然草97話

 私も72歳にして、兼好さんに近い「つれづれなるままに」生活を送る。20年以上の教育期間後、出版社3年、弁護士38年の生活をした。今や第3の生活をしようと欲する。

 兼好さんだって、今の世に生きたら「徒然草」の出版に意欲しただろうし、出版社が放っておかなかっただろう。

 兼好さんの知るところではないが、その後「印刷による本」が出来たのですよ。

 のみならず、日本でも今年から『電子書籍』(印刷によらない本)が本格的にスタートするのです。

 読者からすれば、『電子読み器』(アップルの「iPad」、ソニーの「リーダー」、シャープの「ガラバコス」、アマゾンの「キンドル」などあり)数万円で買えば、あとは「電子書籍」(紙の本の半分くらい)を買って読めるのです。

 兼好さんだって、カネはいらないことは無かろう。

 私だって、『電子書籍』出版を目指している。
 

2011年01月07日(金曜日)更新

第196話 徒然草96話

 私は兼好さんの徒然草全244話中、僅かたぶん20か30話ぐらいしか語っていないでしょう。

 私は兼好さんの心情を
(1)世捨て
(2)無常観
(3)笑いの
三つに分析してみた。

「世捨て」は、決して消極的生き方ではない、と私は思う。現代では「独立自尊」の生き方だと思う。だから私は、兼好さんと福澤諭吉さんはつながっていると思うのだ(私もと言いたい)。

「無常観」は正に真理の言い当てであり、永遠に微動だにしない。兼好さんが「40歳ぐらいで死ぬのが理想だ」と言ったのには、現在では「100歳」ぐらいに変化するのは当然です。

「笑い」は、
(1)ユーモア
(2)道化
(3)エスプリ乃至ウイット
(4)諷刺(ふうし)
(5)皮肉
(6)ぼやき
(7)ナンセンス
(8)ジョーク
 など、さまざまに分析されている。私は大づかみとして(1)(3)(8)と分析している。
 
 兼好さんの笑いは、諷刺を含むジョークの笑いか。

 人が笑うには、複合的な要素がある。その中の基本的要素として「常識的認識」と「特殊的認識」のニ重認識との短時間内の「落差」が必ずある。

 ある歌舞伎役者の臨終の場面。親族や弟子たち見守る中、いよいよ臨終と見えて泣き出す者がいた。
 

2010年12月28日(火曜日)更新

弟195話 徒然草95話

 私からは700年前(1300年頃)生きていた兼好さんを「徒然草」を通して、いくらか知ることができる。

 しかし、兼好さんは700年後の私の生活を知ることはできない。

 これ、ハイディガーさんの「存在と時間」のテーマです。「現存在(私)の方が過去存在(兼好さん)より圧倒的に優位」なのです。だから、司馬遼太郎さんは過去存在(龍馬さんなど)を自信をもって描いたのです。

 兼好さんは、食べものに関して、みかん、大根、栗、いもがしら(ずいきの親いも)、こい、かつお、などに触れているが、当時ないもので、その後日本に入ってきた食べ物もずい分あるだろう。

 私たちは、兼好さんの頃より、どれだけ豊富な食べものやら、調理法を手にしていることだろう。

 兼好さんの頃は、鎌倉の海でカツオが採れて、それを食うようになった、と吃驚しているが、今(2010年、平成22年)じゃ、カツオはタタキで食べまくりだ。
 

2010年12月24日(金曜日)更新

第194話 徒然草94話

 鎌倉時代末期、1300年頃、今から700年前頃、兼好さんは生きていた。

 つれづれなるままに日暮らし、「硯(すずり)に向かいて」心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

 今じゃ、スズリにスミをすって、筆で書く人は、ほとんどいないでしょう。書家は別ですが。

 兼好さんの当時は、ボールペンもなければ、筆ペンもなかった。紫式部も清少納言も、当然、スズリ、スミ、筆で『源氏物語』『枕草子』を書いたのでしょうね。

 もちろん、印刷技術もない。だから「写本」で伝わったのだ。

 今や、紙の本(印刷本)から電子本(紙はなし、本よみ器で電子本を読む)に進化しつつある。

 兼好さんの「徒然草」だって、当然、紙本もあれば、電子本でも読めるのだ。兼好さんは、そのことを知らないが、もし、知れば「目をむく」(松本清張の得意表現)ことだろう。
 

2010年12月21日(火曜日)更新

第193話 徒然草93話

 兼好さんが、自分自身のとこをほとんど(5話ほどあるが)語っていないので、彼の一生の生活の全体を、ほとんど想像できない。

 これに比べて、福澤諭吉さんは「福翁自伝」で自分語りをたっぷりしているので、彼の人生の全体像が良くわかる。

 兼好さんは、なぜ、自分語りを僅かしかしなかったのでしょう。「世捨て人」生活を貫いたため、自分のドラマは、ほとんどなかったのでしょうか。

 法師として、自分を無にして、「見者」(けんじゃ)として、世の中をみていたのでしょうか。
 
 それにしても、700年前、1300年頃の世相と彼の心情をよく伝えていてくれて、楽しめます。
 
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