2024年04月
01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
 
 
安田健介
弁護士・S13生まれ 京都在住
同人誌「奔馬」編集長

このたび、ユーモアクラブ支配人の児玉さんと再会し「私を笑わせた話たち」を連載することになりました。人間のつながりは、不思議なものですねえ。私は関西人間、児玉さんは北海道人間、昭和39年に双葉社という出版社に私、入社しまして3年で退社しましたが、その間のつながりです。
でも空白が長く40年以上の時をへだてた再会です。これぞ、まさに情報化時代の付合いのあり方でしょうか。
私は、「笑い」については、相当の関心をもってきましたので、それを発表できることは嬉しいかぎりです。
どうか、宜しくお付合いください。

ブログ
弁護士 安田健介が日々考えていること

ご意見・ご要望をお寄せください

 
ユーモアクラブトップに戻る
<<前へ 1234567891011121314151617181920212223242526272829303132333435363738394041424344454647484950515253545556575859606162636465666768 次へ>>

2010年08月17日(火曜日)更新

第157話 徒然草57話

 カツオというものを、それまで(兼好さんの時代まで)は食べてなかったが、最近(700年前、1300年頃)食べるようになったと、兼好さんは語っている。

 
 前話、前々話では、コイ、キジが貴重な食材だったことを紹介した。ここに、カツオという新食材が生まれたのだ。

 カツオの食べ方は、たしかに一風変ってますなあ。「タタキ」という食べ方は、他の魚では、あまりしませんなあ。カツオは刺身もあるようですが、圧倒的に「タタキ」ですなあ。

 さらに「カツオブシ」。

 それだけクセのある魚ということか。
 

2010年08月13日(金曜日)更新

第156話 徒然草56

 前話は徒然草118段(話)

 鯉(コイ)のアツモノ食ひたる日は、鬢(ビン)そそけずとなむ。膠(ニカワ)にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。
 鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉(キジ)さうなきものなり。

 
この話は、「栗娘」「イモガシラ坊主」「焼き大根兵」話と違って、コイ、キジの貴重性を語っている。

 牛肉は出てこない。これは明治からか、「牛肉と馬鈴薯」という小説あり。

 こうして、食材は段々増えていったのだ。
 

2010年08月10日(火曜日)更新

第155話 徒然草55話

 兼好さんの頃(西暦1300年頃)、コイは健康食で、天皇も食べたそうな。
 ウナギ、スッポンはどうだったのか。ハモは明らかに食べていなかった。なにしろ、小骨が多くて、食べられないシロモノだったのだ。

 私も、ある韓国料理店で、時々コイ料理を食べたことがある。すると、明らかに、あくる朝、顔のハリが違う。女性なら、化粧のノリが違うそうだ。これは、京都の「太市」でスッポン料理を食べたときも同じだ。

 兼好さんもコイ料理を食べたのか。
 

2010年08月06日(金曜日)更新

第154話 徒然草54話

 今まで、食べ物(栗、イモガシラ、大根)にからんだ、兼好さんの三話を紹介した。

 しかしながら、三話とも食べ物のグルメ話でもなんでもない。

「栗娘」話は、なぜ栗しか食べられなくなったかについて、兼好さんは何も語らず、親が嫁にやらなかった話だ。小林秀雄のいうとおり「珍談」ではない。

「イモガシラの坊主」話も、この坊主のきわだった個性(自己中心性)が、そのまま周囲に受け入れられた話で、イモガシラの話しではない。

「大根兵」話も、焼き大根(私はたべたことなし)の効用を説いたものではなく、信仰による力の発揮の話である。

 それにしても、700年前、1300年頃、鎌倉時代末期に生きた兼好さんの頃の「食」の有姿の片鱗を垣間見ることができる。

 米が中心の生活だったことは知識としても知っているが、今(2010年)の食材と比べれば、ずい分少なかったのだろう(まもなく紹介するカツオについても然り)。
 

2010年08月03日(火曜日)更新

第153話 徒然草53話

 前話「大根話」は徒然草第68段(話)です。

 筑紫に、(中略)土大根を万にいみじき薬とて、朝ごと二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。

 ある時(中略)敵襲ひかかりて攻めけるに、(中略)兵二人出て来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してけり。
 いと不思議に覚えて、「日頃ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と、問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候ふ」を言ひて、失せにけり。深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。

 兼好さんは、本当は大根の力でなく「信仰の力」の大きさを語ったものと、おもわれる。
 
ユーモアクラブトップに戻る
 


ページTOPへ