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2010年08月17日(火曜日)更新
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第157話 徒然草57話
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カツオというものを、それまで(兼好さんの時代まで)は食べてなかったが、最近(700年前、1300年頃)食べるようになったと、兼好さんは語っている。
前話、前々話では、コイ、キジが貴重な食材だったことを紹介した。ここに、カツオという新食材が生まれたのだ。
カツオの食べ方は、たしかに一風変ってますなあ。「タタキ」という食べ方は、他の魚では、あまりしませんなあ。カツオは刺身もあるようですが、圧倒的に「タタキ」ですなあ。
さらに「カツオブシ」。
それだけクセのある魚ということか。
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2010年08月13日(金曜日)更新
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第156話 徒然草56
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前話は徒然草118段(話)
鯉(コイ)のアツモノ食ひたる日は、鬢(ビン)そそけずとなむ。膠(ニカワ)にも作るものなれば、粘りたるものにこそ。
鯉ばかりこそ、御前にても切らるるものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉(キジ)さうなきものなり。
この話は、「栗娘」「イモガシラ坊主」「焼き大根兵」話と違って、コイ、キジの貴重性を語っている。
牛肉は出てこない。これは明治からか、「牛肉と馬鈴薯」という小説あり。
こうして、食材は段々増えていったのだ。
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2010年08月10日(火曜日)更新
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第155話 徒然草55話
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兼好さんの頃(西暦1300年頃)、コイは健康食で、天皇も食べたそうな。
ウナギ、スッポンはどうだったのか。ハモは明らかに食べていなかった。なにしろ、小骨が多くて、食べられないシロモノだったのだ。
私も、ある韓国料理店で、時々コイ料理を食べたことがある。すると、明らかに、あくる朝、顔のハリが違う。女性なら、化粧のノリが違うそうだ。これは、京都の「太市」でスッポン料理を食べたときも同じだ。
兼好さんもコイ料理を食べたのか。
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2010年08月06日(金曜日)更新
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第154話 徒然草54話
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今まで、食べ物(栗、イモガシラ、大根)にからんだ、兼好さんの三話を紹介した。
しかしながら、三話とも食べ物のグルメ話でもなんでもない。
「栗娘」話は、なぜ栗しか食べられなくなったかについて、兼好さんは何も語らず、親が嫁にやらなかった話だ。小林秀雄のいうとおり「珍談」ではない。
「イモガシラの坊主」話も、この坊主のきわだった個性(自己中心性)が、そのまま周囲に受け入れられた話で、イモガシラの話しではない。
「大根兵」話も、焼き大根(私はたべたことなし)の効用を説いたものではなく、信仰による力の発揮の話である。
それにしても、700年前、1300年頃、鎌倉時代末期に生きた兼好さんの頃の「食」の有姿の片鱗を垣間見ることができる。
米が中心の生活だったことは知識としても知っているが、今(2010年)の食材と比べれば、ずい分少なかったのだろう(まもなく紹介するカツオについても然り)。
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2010年08月03日(火曜日)更新
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第153話 徒然草53話
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前話「大根話」は徒然草第68段(話)です。
筑紫に、(中略)土大根を万にいみじき薬とて、朝ごと二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
ある時(中略)敵襲ひかかりて攻めけるに、(中略)兵二人出て来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してけり。
いと不思議に覚えて、「日頃ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と、問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候ふ」を言ひて、失せにけり。深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。
兼好さんは、本当は大根の力でなく「信仰の力」の大きさを語ったものと、おもわれる。
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