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安田健介
弁護士・S13生まれ 京都在住
同人誌「奔馬」編集長

このたび、ユーモアクラブ支配人の児玉さんと再会し「私を笑わせた話たち」を連載することになりました。人間のつながりは、不思議なものですねえ。私は関西人間、児玉さんは北海道人間、昭和39年に双葉社という出版社に私、入社しまして3年で退社しましたが、その間のつながりです。
でも空白が長く40年以上の時をへだてた再会です。これぞ、まさに情報化時代の付合いのあり方でしょうか。
私は、「笑い」については、相当の関心をもってきましたので、それを発表できることは嬉しいかぎりです。
どうか、宜しくお付合いください。

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弁護士 安田健介が日々考えていること

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2013年05月01日(水曜日)更新

第317話

 ときどき、夜、歌謡居酒屋「いさてつ」に行く。ごく狭い四角い部屋にL字型カウンター、イス9席で満席である。それでも10人目の客がきたら、折りたたみの補助席が一つ出される。

 
夕方5時台にマスターが準備に入る。カウンター席に、いくつかの酒のアテを用意したり、などだろう。

 私は時には5時台に行くことがある。4月28日(日曜日)もそうだった。この日京都で朝日新聞主催のアマチュア囲碁名人戦京都予選があり、私も参加した。参加者は28人だった。
 まず全員が二人と対戦し、二敗者は脱落する。私は一勝一敗で、午後の三回戦にのぞんだ。負ければ脱落、勝てば翌日の決勝大会(8人)に残る。だが当然(必然)の負けとなり、午後3時、私の名人戦は終わった。つまり私は一勝級レベルの棋力がせいぜいなのである。

 そんなわけで、歌謡居酒屋に途中下車(近鉄「桃山御陵前」下車、近鉄高架下)した。私は一番乗り。しばらくして、二人組、また二人組、一人、二人組などが来て、ほぼ満席となる。

 そのころ、待望のオカミさんがやって来た。彼女は平日はどこかに勤めている。その日は日曜だったから、家(近所にあり)から来たのだろう。平日は黒いセーターだが、この日は赤のセーターで、巨乳だとわかった。

 この日、私は碁に負けて、京都大丸に寄って、女房から頼まれた食パンなどを買ったついでに、「さばずし」で有名な「いづう」のを買って、「いさてつ」の土産にした。六切れで2200円の割りに高いが、それぐらいの価値はある。私とマスターとオマミさんが各一切れ食べ、あと三切れは先着客が食べた。  オカミさんは、私が彼女を好きなことを知っていて、客が満席になるまで私の横に座る。まもなく満席になったので、カウンターの中に入ったが。

 店名の「いさてつ」はマスター(夫)の「いさ」と、オカミさん(妻)の「てつ」(鉄子)の合体で夫婦のつながりが強いのだろう。

 この店に来る客はみな歌自慢家たちで、次から次に歌いまくり、話もはずむ。

 その話の一つとして、私とオカミさんとの間で、「フウケン的」話で笑い合っているのだ。これは「男はつらいよ」話のひとつ、寅さんが何かのことを「封建的(ホウケン的)」というべきところを「フウケン的」と言って人を笑わせた話である。

 私が「十九の春」の中の「主さん、主さん」という言葉、もうひとつ「私の大事なダンナ様」を評して、「寅さんならフウケン的と言うね」といって、私とオカミさんが笑い合ったのである。

 こうして、碁では負けたが、歌謡居酒屋で楽しく夜は更けていった。
 

2013年04月19日(金曜日)更新

第316話 「教えたとおり」

 私は朝起きるのが、早ければ5時台、6時台が多いが、時には8時台になることもある。

 途中、何回も起きて小便をする。頻尿といえるかも知れない。

 それで朝方4時ごろには、寝室(南側)の窓ガラスから外の状態が目に見えるように、内側の障子を開ける。

 目が覚めたら、すぐにテレビ4の「朝ズバ」を見る。

 みのもんたさん、長く続いてますなあ。

 他の番組司会者との決定的違いは「みの色」を大いに出しているところだ。

 NHKのニュースのようなペーパーを読むだけとは全く違う。知情意の全面アウトプットをしているのが魅力。

 これはTBS系が毎日新聞系だからか。6チャンテレビ朝日(朝日新聞系)が最近視聴率1位と聞いて、私はびっくりしているが。

 それはともかく、「みのもんた」さんの司会には魅力がある。

 そのひとつの彼の口ぐせのフレーズがある。

 スポーツ報道で、ほめるべき人のほめ方ワンフレーズとして「教えたとおりにやっている」があり、これ、なかなか、くさらない。

 彼の人柄がにじんでいるからだろう。
 

2012年11月06日(火曜日)更新

第315話 私を笑わせた広告たち

 私は、この笑いシリーズ第1話から100話までで、私の直接経験した笑いの履歴を語ってきた。

 その中で、広告が私を笑わせた事例はほとんど思い出せない。一つだけ思い出した広告あり、私が兵庫県日本海ペリの香住高校から京都大学法学部を受験した時の、京大柔道部の張り紙広告だ。

「入ったら 入れよ」

 これは、私の心の中に入りましたね。私は、入ったけど入らなかったけど。

 これ、昭和32年(1957年)のこと。その10年後私は結婚し、女房の嫁入り道具の一つ「テレビ」によって、現在に至るまで情報の洪水におぼれてきた。

 その中に、笑わせられた広告が沢山あった。笑わせられの源泉は漫才、落語、笑点、バラエティ、その他いくつもジャンルがある。

 私は今、毎日おしり水洗い便器の恩恵を受けているおかげで、パンツのその場所にクソが付着することもない。発売会社のTOTOが宣伝文案(コピー)をコピーライター(広告文案家)の仲畑貴志に依頼したところ「おしぼりだって洗ってほしいの」のコピーがもたらされて、広告部員一同、歓喜して、これを受取ったという。

 おしりに人格を与えて(疑人化の手法)、おしりに物をいわせている。顔や手は水洗いしているのに、おしりは紙でふくだけ。これは不公平かつ不潔。おしりだって洗ってほしいと主張したのだ。

 これには、笑わせられると共に、もっともとなって、各家庭に採用されたのである。

 私が弁護士の仕事で出張していた土地の道路の立て看板「財布落とすな スピード落せ」は、いまだに忘れがたく覚えている。財布とスピードが「落とす(な)」で結びつけられているが、二つの物は全然関係のない間柄であるところがおかしい。

 たぶん昭和50年代(1075年から10年)だと思う。糸井重里さんや仲畑貴志さんたちコピーライターが花形職業になったのは。糸井さんは西武百貨店のコピーを手がけ、「おいしい生活」という文案を発表した。

「生活」に「おいしい」を結びつけた発想は、それまで考えが及ばなかったのだ。このコピーで笑う人はいないが、笑いと通底する「二つの遺失物の結合」があるのです。

 サントリーの広告部(宣伝部)には、開高健(芥川賞作家)や山口瞳(直木賞作家)その他、才能競争家が多くいたらしい。自由な職場だったそうで、だから、開高や山口が才能開花させたともいえる。

 サントリーという会社自体なかなかユニークだ。株式は上場していない。サントリーという名前は、鳥井さんという創業者から付けた(「さん鳥井」)というから、ふざけているというか、笑わせられる。

 もっとも、これに似たダジャレは数知れないほど無数にはびこっている。明治の小説家二葉亭四迷(フタバテイシメイ)は「クタバッテシマエ」から生まれましたし、作詞家阿久悠(アクユウ)は「悪友」のもじりだという。

 サントリーの新聞やテレビの宣伝広告は遊び心、学び心があふれているように思う。

 たしか開高健の作と聞いたが、ウイスキー「山崎」の宣伝広告文案は今だに続けられている。

 今、私は老齢(74歳)のためか、文案を忘れたが、なかなか凄いやつだ。

 お客さん、気にかけて発見してください。「何も加えない。何も減らさない」という文言あるコピーです。
 

2012年10月26日(金曜日)更新

第314話 ぼやく

 人には色々なタイプがあるものでして。人生思うようにいかないことを、ぼやく人あり。ぼやくことは必ずしも笑いにつながるものではないが、ぼやきを笑いにまで強めた漫才コンビがいた。人生幸朗(じんせいこうろう)と生恵幸子(いくえさちこ)夫婦(故人)だ。このぼやき漫才の承継者はいないようですなあ。

 漫才コンビが笑いをとる、とり方にはいろいろなパターンがあるが、それを分析すると、「ツッコミ」と「ボケ」役の絶妙なコンビネーションが笑いを呼ぶのだと思う。

 最近はテレビであまり漫才を視聴しないが、ほらふき漫才というタイプがある。タカシ、キヨシのコンビだ。タカシが自分を偉い人の関係者だとホラを吹きまくり、キヨシがそれを怪しいとツッコム。ついに化けの皮がはがれてしまうが、それでもヘリクツで弁解する姿が笑いを呼ぶのだ。

 漫才の天才コンビといわれた「ヤスキヨ」コンビがあった。横山やすし(故人)と西川きよし(現存)のコンビだ。やすしがボケ、きよしがツッコミだ。

 私が今だに思い出して笑いがとまらないのがある。やすしがフランスに旅行だかしていて、かわいい娘とねんごろになったが、飛行場で別れの場面である。別れのつらさをやすしがトウトウとボケまくるのだ。飛行機の窓を開けて(開かない)手を振るとかなんとか。さらには彼女が自分を慕って日本までやってきた話にまでトボケる(ボケる)。

 オチは、きよしがやすしに、「それで、日本にまで君を慕ってきたフランス娘はいまどうしているのかね」とツッコムと、やすしいわく。「それが君の嫁はんやないか」とボケるのだ。

 さて、上方漫才コンビのオカシサはいろいろなタイプがある。なかでも、すでに故人の人生幸朗(奥さんの生恵幸子は現存)夫妻コンビの「ぼやき漫才」は忘れられない「私を笑わせた」夫婦である。

 このコンビの笑いの質は、他のコンビとはクッキリ違うのです。人生幸朗は、主に歌謡曲を対象にして、さんざんぼやくのだ。そのぼやきは、全く、ごもっともなぼやきではなく、見当違いのイチャモンをつけまくるのだ。
 お客さん、今の流行歌はムチャクチャでっせ、研ナオコなんて「カモメはカモメ だって、エエカゲンにせえ、カモメがカラスだったらどないするねん」とか、いろいろ、言葉だけでなく、顔や表情がたまらなくおかしい。最後は「そんなつまらない話はやめてしまえ、の声もなく私の話にご静聴たまわりまして、これも私の人徳の致すところで、、」

 これに対して妻の生恵幸子が「なにほざいているかドロカメ」などとツッコム。

 人生幸朗が世間の人の普通の行為や政治家の行為に、ムチャクチャなイチャモンをつけまくった上、「責任者出てこい」というのに、幸子が「責任者出てきたらどうするの」「あやまったらええやないか」「かあちゃん、ごめんちゃい」「ナーンチャッテ」・・・

 私がペンでお客さんに、このコンビのオカシサを伝えることは全くできません。

 それより、インターネット動画で人生幸朗夫妻の漫才の実例を見ることができます。一見あれ。
 

2012年09月24日(月曜日)更新

第313話 笑いと推理小説

 笑いのストーリーと推理のストーリーは、もちろんちがう。
笑いは笑わせるための筋立て、推理は犯人探しのサスペンスの最後に、意外な人物が犯人であると落とす。

 どちらも意外なオチの転結にする点が共通です。
 その結果、一方はオカシミが増えてきて、遂に笑い声発作に至り、他方はサスペンス不安が解決されて、よく眠れる。

 どちらも、精神衛生上、とても良いクスリとなり、ガン減少、治療にもつながり、困るのは病院と薬局のみとなる。
 
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