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2010年03月26日(金曜日)更新
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第117話 徒然草笑話17
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「無常について」 2
1、ちょっと第11段(話)について考えたこと
蜜柑の木の囲いについて。兼好さんガッカリしたが、もしあれがイノシシ払いのためだとわかったらどうだったのか。
2、さて、「無常」については「般若心経」の「色即是空」(あると思えば消滅する)「空即是色」 (無かったものが生まれかわる)が、私は一番分かりやすいコピーだと思う。
3、次に、これも凄い。蓮如さんの信者あての手紙(御文)の中の一文「白骨さん」といわれている文。「朝(あした)紅顔の美少年も、夕べには白骨となる」これも凄いコピーですね。
4、兼好さんも、「無常」については、あちこちで表現している。その中で私の好きなのは第155段(話)です。お客さん、是非読んでください。後半部分、全部示したいがお客さんに原文を読んでもらうこととして、終わり部分のみ紹介します。「死期(しご)は、序(ついで)を待たず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、礒より潮の満つるが如し」
5、桂米朝の落語に地獄の風景あり。あっちは芸人の人材無限で、寄席もおもしろすぎるほど。林家三平、渥美清、森繁久弥、桂枝雀、、、。お客さんが看板見て、最後に「桂米朝」とある。「あれ、この人まだ来てないんではないか」「ああそうか。近日来演予定か」
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2010年03月23日(火曜日)更新
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第116話 徒然草16
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「無常」について 1
兼好さんといえば「世捨て人」とともに「無常」がキーワードですね。
世捨て人は「世俗から超然する」生き方でしょう。無常は「無情」ではありませんよ。「変化」のことですよ。
私にしても、今72歳になりました。72年の変化(無常)は著しい。私の女房(台所)からしても、結婚当時の私とくらべて、今の私は見るに耐えないらしい。
今年(平成22年)に入ってからも、私の親しい人、二人消滅。たしかに兼好さんのいうとおり「無常」(変化))が実体です。兼好さんは敏感に自分の変化(死)を意識して生きたのではないか。「世捨て」もその意識との繋がりがあるのではないか。今風のいい方でいうと「ガンバラナイ」生き方といえるかも。
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2010年03月19日(金曜日)更新
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第115話 徒然草15
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すでに語った徒然草3話から見えること
徒然草244話の中、まだたった3話しか語っていません。序段(話)、11段、最終243段。それでもはっきり見えるのは兼好さんの多重思考感情です。
怪しいほどの狂気を楽しむのが「書く」という行動の動機でもあるのです。
兼好さん8歳のときのお父さんとの問答にしても、兼好さんは釈然としないのですね。「仏は人間がなるんだが、前の仏の教えによってなるんだ」とお父さんが説明するが、「それでは最初の仏はどうして生まれるのですか」と兼好さんは追及する。お父さん窮して「空から降ってきたか、土から湧いたか」と、ごまかし答弁した。今の国会の問答でもよくあることですが。
兼好さん、さみしい山里に遠足する。何の目的か不明ですが。その時こんなところに人が住んでいると感心するも。すぐ感心を一部撤回する気に変るのだ。蜜柑の木に囲いをしてあったからだ。このように兼好さんは多重思考、感情なのです。
ところで以上の3つの話は兼好さんには珍しい「自己語り」です。「自己語り」はこの3つの他にほとんどありません。
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2010年03月16日(火曜日)更新
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第114話 徒然草14
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第112話の終わりころの『蛍の光』は間違いで『仰げば尊とし』でした。思い違いですね。『蛍の光』は在校生が卒業生を送る歌、『仰げば尊し』は卒業生が先生に感謝の意を歌うものでした。
『蛍の光』は「明けてぞ今朝は別れゆく」でした。この「ぞ」も「係り」です。「こそ」より弱いですけれど。
第112話」の「係り」「結び」の例三つ書きましたが、『徒然草』序段(話)の「怪しゅうこそ物狂ほしけれ」の「こそ」「けれ」が、まさにその一例たること見逃していました。
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2010年03月12日(金曜日)更新
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第113話 徒然草13
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兼好さんは過敏症か
兼好さんは山里で感心したり、感心を取消したりしたが、彼は過敏症なのか。そういう感情過多症者が文学者かも。
辺鄙なところに住んでいたからといって、蜜柑を囲って別にどうってことはないではないか。
そういう兼好さんの感情過多症をお客さん、感心するのですね。
まあ、人間は他の人のこといろいろ思うのですね。
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