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2010年02月02日(火曜日)更新
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第102号 徒然草笑話2
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仏さんの始まりは誰か
彼(兼好さん)8歳のとき、父にしつこく質問して、父が困った話。これ徒然草最後の243話です。なぜ全244話かというと、序話があるからです。
確か、八歳の兼好が父に、仏さんのことを、聞きまくったのだ。仏さんの前の仏さん、その前の仏さん、、、と。ついに、父は困りぬいて「チリかアクタかだった」というやり取りなのだ。お客さん、最後の243話(段)を早速読んでチョ。
この父子のやり取り、あたかも鶏と卵どちらが先かと似たやり取りですねえ。この問題、お客さんの意見や如何。
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2010年01月29日(金曜日)更新
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第101話 徒然草笑話1
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書くことの狂喜
今(平成22年、2010年)から700年ほど前、吉田兼好(よしだけんこう)さん、兼好法師さんが生きていた。
法師を生業(なりわい)としていたとか。法師とはどんな生業なのか。「法師は木の葉のように思われる」などと、自分を笑い倒しているが、どんなだったのかな。
坊さんのことかと思うが、違うのか。
私と共通のこととして、兼好さんも碁を好んだようだ。ただし、私と同じく、生半可だったようだ。「碁などはやめなさい」などどいっているのだ。
碁といえば、清子ちゃん(清少納言)や紫ちゃん(紫式部)も好んだようだ。私も好んでいる。
これから、兼好さんが書いた「徒然草」(とねんそうではなく、ツレヅレグサ)244話を「笑い」観点から観察していこうと欲する。だいたい50話をメドにする。(あるいわ100話になるかも)
彼は「序話」で、「心に思いつくままを書くと」「あやしゅうこそ、ものぐるほしけれ」と書いている。
文を書くことの「狂気」「狂喜」を語っているのだ。
私も、「私を笑わせた話たち」を今まで私を材料に100話語ってきたが、やはり「あやしゆうこそものぐるほしけれ」なのだ。
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2010年01月26日(火曜日)更新
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第100話 徒然草の面白さ
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兼好さんは244の話をどういう気持ちで書いたのか。現在のような情報のバランスはない。印刷も無い。だから「写体」で今に伝わっている。
私が当時、何か新しいことを書くと誰かがそれを自筆で写すのだ。「徒然草」もそのようにして、今に伝わっている。しかし、どの時代にもユニークな見方があるもので、それを兼好さんが書いて今に伝わっているのだ。
私もそういうユニークな話を書いているつもりだが、どこの出版社もとり上げてくれない。これは事実だからどうしようもない。どこかのヘンな出版社が私をとり上げるまで、待ちましょう。
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2010年01月22日(金曜日)更新
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第99話
「悲劇」と「喜劇」は、なぜ、共に、快感を与えるのか
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シェークスピアは(1)悲劇と(2)喜劇を書いた。(1)悲劇四部作としては「ハ・マ・リ・オ(ハムレット・マクベス・リヤ王・オセロ)」がある。
彼(シェークスピア)は、習作から始め(2)喜劇作品をつくり、最後に?悲劇作品に至った。この辺なかなか意味深長だ。
笑いは悲劇より弱いのか。それはとも角、私もお客さんも兼好さんもシリアスと笑いを含めて生きてきたのだ。第101話から第150話まで、兼好さんの笑い関連思考を、お客さんと共有したい。
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2010年01月19日(火曜日)更新
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第98話 「徒然草」笑い話しの見通し
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第101話から第150話まで、ケンコウさん(吉田兼好)の「徒然草」をテーマにしたい。いわゆる、笑わせ話を兼好さんは好んでいて、これだけで20話ほどあります。
しかし、笑いから「徒然草」を語った本を私は知らない。たぶん無いんじゃないか。これらの話をどのような私(語り手)の「立ち位置」(文体)で書いたらいいのかな、と考えています。兼好さんは勿論笑い専門屋ではありません。「世捨て人」を理想とした人です。しかし彼の中には笑いが溢れているのです。それを私は取りだします。彼は悲劇的人格ではなく、喜劇的人格なのです。どういうことか。コトを二元的に考える人だということです。笑いの根本がここから発するのです。
兼好さんと比べて「方丈記」を書いた鴨長明さんは兼好さんとは全然違うキャラクターでしょうね。笑いの志向はない。兼好さんの二重思考を私はえぐり出したい。これだけでも、私の「はじめての徒然草読み」として後世に残るのではないか、なんていい気なもんですな。
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