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2009年08月04日(火曜日)更新
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第52話 キャラメル商法
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私が昭和39年2月入社した出版社「双葉社」は、なかなか魅力ある出版社でしたよ。岐阜の米屋の3人兄弟が戦後始めたそうです。長男(社長)、次男(専務)、三男(常務)でした。
終戦(昭和20年)当時はいわゆる大衆読物雑誌の王者として講談社の「講談倶楽部」があったようだ。彼ら三人兄弟はそこに目をつけたと推察する。似たような雑誌を10冊ほど月刊で発行し鉄道弘済会(現キオスク)で売ったのだ。読者が面白そうなのを買うと、ほとんど双葉社の本となるように仕向けたのだ。これを「キャラメル商法」と三人は名づけて当ったのだ。キャラメルを買おうとして森永、明治、グリコとかあるが、消費者はメーカーにこだわらず、あてずっぽうに買う。それを雑誌で狙ったのだ。やがて、このような読物雑誌はすたれるが、それまで、双葉社は大いに儲けたのだ。
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2009年07月31日(金曜日)更新
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第51話 小林弁護士との関係 3
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私は「弁護士になる」と広言したが、なんらうらづけ無かった。出版社に就職していい気になっていた。いろいろ事情があり出版社を昭和42年に辞めて「弁護士になるべく」勉強した。その間、結婚していた。女房の実家のお世話ははかりしれない。姫路である。結局、昭和44年(2年後)司法試験に受かり(501人中222番目)2年間研修を経て昭和47年から今まで弁護士をやっている。大阪で3年修行し、その後京都でやっている。
そういうわけで、小林弁護士と、またつながったのだ。
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2009年07月28日(火曜日)更新
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第50話 小林弁護士との関係 2
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第49話のとおり、こんな信じられない関係が大学生の私と小林弁護士の間に生じた。第43話・44話の「表現のちがい」問題は、私と小林弁護士の奇妙な関係ができた後のことである。
私は個人雑誌「混沌」を発行し、小林弁護士含む京都弁護士(中心5名ほど)が文藝同人雑誌「スバル」を発行していたのだ(昭和33年から57年まで27冊)。こういう文藝同人雑誌を弁護士が発行したのは、京都弁護士会の他にはない。私は昭和64年(昭和末年)「スバル」を継ぐべく、京都の弁護士をさそって「奔馬」を発行し33号まで私は編集長をした。その後平成21年7月現在35号まで出ている。
お客さん、「奔馬」を読んでやろうとおぼしめしならば、東京目黒の「日本近代文学館」に行ってください。全冊読めます。
第43・44話の「表現のちがい」問題は、私の「混沌」と京都弁護士有志の「スバル」との交流から生まれたものです。
そういう奇縁で私の大学時代、小林弁護士と交流あったのです。二人ともアルコールはイケイケなのでよく酒を飲み交わしました。小林弁護士の息子自慢がありました。「漫画トリオ」(ノック・フック・パンチ)のパンチとして活躍中だったのです。「弁護士は試験に受かればなれるが、漫才師は大衆に支持されなければなれない。ゆえに弁護士より漫才師の方が偉い」の持論に、私はもちろんナットク。
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2009年07月24日(金曜日)更新
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第49話 小林弁護士から奨学金をもらった件
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小林為太郎弁護士は昭和60年に逝去された。京都では存在感あふれる弁護士だった。昭和20〜30年代が活動の中心だったろう。共産党から衆議院議員選挙に立候補されたことあるも落選された。私はそんなこと一切知らずに昭和30年代、大学生活を京都でおくった。
私が「混沌」というガリ版の個人雑誌を作ったことはすでに語った。その頃、京都弁護士会の有志弁護士が文藝同人雑誌「スバル」を発行していて、小林弁護士は中心の一人だった。そんなこと、私は全く知らない。弁護士会のこと、弁護士のこともまるで知らない。
しかし、私がとった行動は突飛な行動だった。京都弁護士会に手紙を出したのだ。「〜私は弁護士志望の京大生ですが、どなたか奨学資金を出してもらえないか〜」と。すると、その手紙を見た小林弁護士から「事務所に来い」と連絡があり、お会いした結果「毎月4000円を2年間援助する」と決まったのだ。そのとき私は育英会の奨学資金月2000円もらっていたからその2倍だ。
こんなこと、たぶん私と小林弁護士しか無いのではないか。フシギだ。
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2009年07月21日(火曜日)更新
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第48話 出版社時代のビックリ 2
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夕方、5時近くになると双葉社の先輩、大野さんから会社に電話があり、御徒町の「樽松」だかなんだかで待っているということで、そこに行って酒を飲んだ。東京の店は関西と違ってお客に媚びないというか挨拶もしない。「勝手にせよ」というがごとし。この関西と東京の文化の違いは面白い。私も結構この東京文化を楽しんだ。(これもいいな)と。あまりお節介しない文化か、関西は気遣い文化か、これ人間の二つのタイプではないか。
関西の「気遣い文化」と東京の「気遣わない文化」は、気遣いされすぎるより「ほっといてくれ」という気持ちもあるだろうし、気遣いを嬉しく感じる人もいるだろうし。
なかなか、むつかしいですなあ。
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