2024年04月
01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
 
 
安田健介
弁護士・S13生まれ 京都在住
同人誌「奔馬」編集長

このたび、ユーモアクラブ支配人の児玉さんと再会し「私を笑わせた話たち」を連載することになりました。人間のつながりは、不思議なものですねえ。私は関西人間、児玉さんは北海道人間、昭和39年に双葉社という出版社に私、入社しまして3年で退社しましたが、その間のつながりです。
でも空白が長く40年以上の時をへだてた再会です。これぞ、まさに情報化時代の付合いのあり方でしょうか。
私は、「笑い」については、相当の関心をもってきましたので、それを発表できることは嬉しいかぎりです。
どうか、宜しくお付合いください。

ブログ
弁護士 安田健介が日々考えていること

ご意見・ご要望をお寄せください

 
ユーモアクラブトップに戻る
<<前へ 1234567891011121314151617181920212223242526272829303132333435363738394041424344454647484950515253545556575859606162636465666768 次へ>>

2009年06月12日(金曜日)更新

第37話 問題の生物の問題

 私がラッキーにも京大法学部に昭和33年合格した可能性ある「生物」の問題とはどんな問題か。
「ある川魚が夏は集団で泳いでいるが冬はナワバリをしている理由」。
 この理由を知るために10項ほどの手法が設問で出されていて、そのうち三つを答えよという問題だった。
 私は夏は食料が豊かで冬は食料が貧弱なための行動と「仮説」を立て回答した。この「仮説」発見が問題だったようだ。
 当時、京都には予備校が6校あり私は毎日予備校詣でをしていた。私の回答とは違う答えが示されていた。ところが、私が最後に訪れた「関西文理学院」の掲示板には、なんと私と同じ答えが書いてあり、「この問題の答えは、いろいろ考え方あるも、これが正解です。京大の出題スジから確かめました」とあったのです。
 これで、私はようやく「合格」を確信し現実に合格したのです。
 

2009年06月09日(火曜日)更新

第36話 高校から大学への内申書

 私は昭和32年、33年に京都大学法学部を受験して33年に合格した。その資料の一つとして高校の担任教員からの内申書があった。
 33年、私の担任教員・岡弘先生(後に香住高校校長となる)から私に内申書が届いた。私は他の書類と共に内申書を京大に渡した。
 お客さん、内申書ってやたら見たくなるものですよ。しかし封がしてあって見られないのです。でも私は見たのだ。別にマジックではない。そういう受験生の間の秘密方法があったのだ。私もそれを利用したのだ。
 どういう方法か。封のしてあるところではなく、封筒の下の部分を開ける方法なのだ。そこを湯気でノリの力を弱め開けるのです。
1.成績は上の部に属すること
2.安定した情緒の持主であること
 が記されていた。
 私は、満足して封筒に入れ復元して京大に渡した。
 

2009年06月05日(金曜日)更新

第35話  幸運(ラッキー)

 私が昭和32年、33年に京大法学部のみに申し込み昭和33年入学したことについて第34話で「結果オーライ」と語った。
 京大は東大と違って「考える能力」を試験することが私の場合にも良く分かった。まず数学の試験において「下書き」書面をも参考にすることだ。答えが間違っていても「考え方」に「正さ」「おもしろさ」があれば、それを考慮するというやり方だ。これ、森さんという名物教授の発案らしい。確かにふり返り見るに「考える力」をいかにして判定するか、に京大入試は一貫していたと感じる。だから知識に弱くても「考える力」のある学生を採用したかったのでしょう。それにより私も掬いあげられたのでしょう。
 いまふり返り見るに、その典型として「生物」の1問がありました。これは「知識」関係なし。「考え方」を試す問題だった。どうやら私はこの問題に正解したらしい。それで合格に引っかかった可能性ありと感じる。結局京大法学部一本槍という「間違ったやり方」に関して「結果オーライ」だったこと。その原因として、生物の「考えさせる問題」に正解したこと。がなんとか今日につながったと思うのだ。
 私は血液型O型だったが、なるほど、O型パターンではあるけれど。
 

2009年06月02日(火曜日)更新

第34話 結果オーライ

 お客さんの中でゴルフを楽しんでいる人がどれくらい居られるか。ゴルフ遊びにおいては「結果オーライ」という言葉が常用される。つまりゴルフボールをゴルフクラブ(野球のバットの変形)で打って、予定外のところにゴルフボールが飛んだが、木に当るとか、さまざまな原因結果により、結果的に良い地点にゴルフボールが落着いたときのフレーズである。プロゴルファーには全く通じないが素人ゴルファーのやり取りだ。私の大学入試(京大法学部合格)も実は「結果オーライ」だったのだ。
 昭和32年に香住高校卒業し京大法学部をすべり、あくる昭和33年に合格しそれゆえその後の私の現在まで繋がるのだが、もし昭和33年不合格だったらどうなったのだろう。私と一緒に近畿予備校アドバンスドクラスに通った他の三人は昭和33年に二つの大学を受験してそれぞれ大学に進学した。しかし私は京大法学部一本だった。これ自慢ではありません。「結果オーライ」です。合格順位も最低に相当近い。私の言いたいことは、私のやりかた「良くなかった」ということです。
若いお客さんよ、くれぐれも私を真似ないように。
 

2009年05月29日(金曜日)更新

第33話 大学ドイツ語の件 その2

 私は英語も中途半端な修得であるがドイツ語にいたっては全くゼロ修得であることを語った。したがって大学でのドイツ語単位修得は正当な修得ではなく詐欺修得、窃盗修得というしかない。英語の修得については前回述べた。まさか今更単位剥奪はなかろうけれど。
 もう一つのドイツ語試験くぐり抜け経験を語ろう。それはドストエフスキーの若いときの作品『貧しき人々』の中の「ワルワラの手記」という部分のドイツ語翻訳が教材だった。その一部の日本語訳が試験に出ることは分かっていた。私はドイツ語の文を読んで日本語化する能力ゼロなので、そこで策略を発揮したのだ。私はどうしたか。日本語翻訳の文庫本を手に入れてその内容を覚えたのだ。試験当日、推測により私は翻訳らしき文を解読した。それでクリアしたのだ。
 
ユーモアクラブトップに戻る
 


ページTOPへ