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2009年05月26日(火曜日)更新
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第32話 大学ドイツ語の件 その1
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大学というところは二ヶ国の外国語を修得することを要求しているようだ。私は中学から高校にかけて英語を学んだ。大学入試にも英語はあった。それもなんとかクリアした。大学に入るともう一つの外国語修得を要求される。私はごくありふれたドイツ語を選択したが、いまだにドイツ語で話すことも本を読むこともできない。のみならず英語を話すこともできない。読むことは多少できなくもないが、スムーズに纏った文章を読んだことがない程度なのだ。したがって翻訳に頼っている。私は母語の日本語にすべて依存していてバイリンガルではないのだ。
英会話教室の宣伝合戦なかなか凄いが私には興味なし。私は日本語を磨くしか残り人生を生きる方法なし。残り人生は30年としよう、今71歳だから。
私は京大を卒後し義務のドイツ語もクリアした。しかし実力はゼロなのだ。そこで作戦が必要となり、担当の先生の裁量が問題となるのだ。そこは京大、たぶん第三高等学校からつづきの先生がアウンの判定をしたのではないか。「教養部」(1・2回生)のことだから。私の場合の一つ、正式試験はダメだった。当然である。なにも分かっちゃいなかったのだから。そこで追試となった。ある日先生の自宅に来いと。日曜日だった。私は何の準備も出来ないまま日曜日先生の自宅を訪れた。すると先生いわく「よろしい」と。それで合格したのだ。いいねえ。たぶん、私の潜在能力を信頼してくれたのだろう。
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2009年05月22日(金曜日)更新
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第31話 続続 猫話
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小泉武夫さんの著作に「奇食珍食」(中公文庫)があり、その96頁から97頁にかけて「猫食い話」が書いてある。猫は人間と生活を共にする動物だから、これを食べるには度胸がいることを語った上で次のように語っている。
実際に猫を食べたことのある人たちをやっとのことで捜し出し、その味はどうだったかと聞いてみた。だが、ある人は軽く淡白な味でなかなかいけるというし、ある人は鍋の汁に青い色の脂が浮いて気持ちが悪かっとか、またある人は煮ている間ずっと泡が出て始末に困ったなどさまざまだった。
その人たちの話で一番多い食べ方は、鍋に水をたっぷりと張って昆布を敷きそこに猫の肉を入れて煮ると盛んに泡が出ては浮かんでくるから、その泡を次から次に掬い取って捨て全く泡が出てこなくなった後に、砂糖と醤油で好みの味付けをすると大層旨いとのことだった。
おことわりしておくが、この話は食料が底をついた終戦直後の若者達が調子に乗っていかもの喰いを自慢していたときの体験談であって、今では猫を食べる人など皆無となったのは当然である。いやひょっとしたら、この無上の珍味を再発見する料理家が現れるやも知れない。ただし「猫」という食材はあくまでも隠して。
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2009年05月19日(火曜日)更新
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第30話 続・猫食い話
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私の大学時代、美味しかった屋台のラーメン屋に隠し味として猫の頭が入っていたかどうか、そんなことはどっちでもいい。もし入っていたなら猫はなかなか美味だということになる。
ところで私が大学を出て、出版社に3年いて弁護士に転じて40年近くになるが、その間いろいろな人との付き合いあり。その中で戦後昭和20年代の京都の猫話を聞いたのだ。その人は脊髄カリエスという病に罹っていたが猫で救われたという。あるルートを通じて「猫が入ったぞ」と連絡ある度、猫を食べてその病が治ったという。そうすると猫は、なかなかの力を持っているのではないか。しかし今、京都で猫料理をウリにしている店は無いのではないか。噂を聞いたことなし。これブラックユーモア話か。
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2009年05月15日(金曜日)更新
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第29話 私は猫を食ったかも
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別に猫を食ったらいかんという法律はないが、ある種のシバリみたいな習慣があるようだ。鯨を食う国、喰わない国、牛を食う国、喰わない国あるがごとし。仏教においては、肉食を禁止し植物だけ食べるキマリもあったらしい。
私は昭和20年代ウサギを食ったが、いまウサギ料理を聞いたことなし。そういえば朝、道に鳩が平然といる。人が捕まえないことを知っているからだろう。猫や犬は人間の遊び友だちだから食べる習慣がないのだろう。そういう訳で私は猫を食うことはその気になれない。
私、大学時代(昭和30年代)京都・出町の広場の南側にラーメン屋台二つあり、その一つが超人気だった。私もそれを食べるのを楽しみとした。その味の旨さを表現するすべはない。いま、テレビのグルメ番組と同じで誰もその味の絶妙さを言葉で表現できない。
いかなるノウハウがあったのか。今現在のラーメンの味で言えば、この味に近いのは「天下一品」のラーメン、「こってり」「ニンニク入り」のラーメンだと思う。私は時々それを食べる。家に帰ると台所(女房)がハナをつまむけれど。
ところで大学時代そのラーメンは何故あんなに美味だったのか不明です。ところがこのことについて「猫の頭を入れている」という噂がたった。真偽不明なるもそれであんなに美味だったならいいのではないか。最近、猫料理の話は聞かない。
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2009年05月12日(火曜日)更新
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第28話 ネットによる笑い その3
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私が小学3年のとき、自習のとき同じ教室左側の4年生が、江戸時代の貧乏学者タチバナアケミ(橘曙覧)の和歌「独楽吟」の一部を先生(沼田先生)と共に声を出して読んでいた。
すべて「たのしみは」で始まる和歌である。私はその中で二つの和歌を覚えたのだ。
一つは「たのしみは珍しき書(ふみ)人にかり始め一ひらひろげたる時」。
二つめは「たのしみはまれに魚煮て兒等(こら)皆がうましうましといひて食う時」。この二つだ。
もっと4年生は何首か習っていたと思うが。これだって最近ネットで調べると、彼の詠んだ全部がすぐ分かるのだ。それによると50首ほどの和歌がある。私が小学3年のとき4年の生徒が習ったのは何首だったか。
「たのしみはいやなる人の来たりしが長くもをらでかえりけるとき」という歌があり、私を笑わせたのだ。
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