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2009年04月17日(金曜日)更新
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第22話 平安中学野球部応援歌
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私が、10歳年上の兄から、いろいろ刺激をうけたことはある程度語った。私が、10歳年下の弟に刺激を与えたこと、あまり語れないのが悲しい。弟は高校現役で大阪大学基礎工学部に入り、卒業してそれなりにやっています。
それはとも角、バカ兄のこと。平安中学野球部応援歌まで覚えさせられました。これ、ビックリ応援歌だ。
ガタガタガタ ヒュードンドン
雨が逆さに降ろうとも
太陽が西から出ようとも
平安健児は負けはせぬ
負けはせぬ
これ、私が兄から覚えさせられた歌詞です。4歳ころか。
今、平安にはこの歌はないのか。この元気こそ必要なのではないか。
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2009年04月14日(火曜日)更新
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第21話 正月遊び
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昭和20年代、私の小・中学時代は日本の激動の一部でありました。日本経済が発展し農業人口が減って他の産業人口となってゆきました。私の家も、それの流れで村から町へ移りました。そういうなかで、正月は盆と同じく村中が楽しみました。村の集会場で、いろいろ私ら小学生から20代の青年までゲームを楽しみました。百人一首ゲームにおいて、私は「これやこの ゆくもかえるもわかれつつ しるもしらぬもあふさかのせき」という蝉丸の和歌だけは他人にカルタを取られない自信がありました。こういう盆踊りや、正月遊びを通じて、私、小学生は、大人の世界の一端に触れていったのです。
エピソードとして「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」があった。カルタとしては「まだふみもみず あまのはしだて」であるが、この札を参加者全員が競うのである。村の若い衆は「まだいっぺんも見ぬ カカのキンタマ」などといいながらカルタを探すのだ。
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2009年04月10日(金曜日)更新
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第20話 スズキモンドというサムライ
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私、昭和19年(敗戦1年前)4月、小学1年だった。父は京都で本屋をしていたが、廃業して実家(兵庫県、日本海に面した香住の安木というところ)に疎開した。実家は農家。私はそれに連動して移動した。小学校入学は京都の清泉小学校、1学年300人くらいの学校。1週間で香住・安木小学校に移った。こちらは同学年14人。複式(1,2年同クラス)だった。全校生徒60人ほど。
あくる年、昭和20年8月15日敗戦。私は高校までその近辺にいた。小学校(昭和25年まで)のとき、盆踊りが盛んだった。戦後エネルギーの解放だったと思う、皆んなお寺(臨済宗・極楽寺)の庭で踊りまくった。私も小学生ながら一緒に踊った。踊りの歌は何曲かあったが、メインは「スズキモンドというサムライは」で始まる歌だった。この盆踊り歌、私は
「スズキモンドというサムライが」というところしか憶えていない。このあと「ドッコイショ、コーラーショ」と合の手を入れ、そのあとナンダカンダあったが、全く憶えていない。その後「ソリャ、ヤットセイエイ、ヨーイヤナー」と合の手を張りあげるのだ。私は小学生ながら、この踊りを大いに楽しんだ。
あれから60年。それを思い出すにつけ「スズキモンドというサムライ」は一体どんなサムライだったかと思ったものだ。
今は確かに情報化時代。ネットで調べたらすぐに「鈴木主水という侍」の正体が分かった。「ありゃ〜、こんな話だったのか」こりゃ笑いどころでなく悲劇そのものだ。
しかし、60年を経て私がそれを知ったことは、私をして笑わしめるのだ。
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2009年04月07日(火曜日)更新
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第19話 コリャコリャのおっさん
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私、4歳のころ京都東西の通り松原通りという下町に住んでいた。南北の通りでいえば西洞院あたりです。今でも松原通りは昔の俤が残っています、京都真ん中より南です。私は、ときどき今でもこの辺を歩きます。天神さん(菅原道真神社)があり、その辺で私、幼少期遊びました。
この辺りに、散髪屋、時計屋などあり今も続いています。その中で本屋もありました。私たち小学校いく前の友だちは、その本屋で立ち読みというか、すわり読みをよくしていました(私はしませんでしたけど)。絵本とかだったと思います。暫らくは本を読めたのですが10分くらい経つとココの(おっさん)が「コリャコリャ」といって追い払ったのです。私たち小学校前の仲間からすると「コリャコリャ」のおっさんは読書自由の束縛人間だったのです。
昭和19年4月、その本屋は廃業しました。あの「コリャコリャ」のおっさんは、今はアッチの人間で、昔の、私の父です。
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2009年04月03日(金曜日)更新
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第18話 A子さんとの関係
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エロ話をかなりしたが、これ、きわめて正直な話なのだ。10代・20代はその欲望なくてはいけない。私が正直だったに過ぎない。ただし、71歳の今も、その欲が続いていることには疑問はあるが。あやちゃんを悩ませている。
高校時代、A子さんへラブレター出した。高校時代、何事も無かった。4人の仲間が徹夜で「思い人」にラブレターを書いて渡したのだ。私のA子さんへのラブレターがA子さんに渡った。私の大学時代、直接、手紙のやり取り始まった。彼女は私との結婚を望んだ。一度デートした。「天の橋立」にて。結局、成立せず。やはり私、若すぎて、経済的見通し立たなかった為だ。彼女は今、非常に幸せな家庭を営んでいる。
これは、ありふれた男女(特に若い男女)の関係ではないでしょうか。ところで、高校同級会で時どき会うのですが、もはやそれぞれ確固たる別の生活をしている(50年以上)ので、ビクともしませんが、それでも何か、ちょっと特別な気持ちの通いあいあるのも、おかしい。
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