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2007年07月02日(月曜日)更新
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第22号 偽造食通タレント
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TVのバラエティー番組というのに、たまに面白いと思うこともあるが、本来ピンでやっていけないからいろいろなファクターを寄せ集めているのだろうくらいの位置づけであり、積極的に見えない。
たまに見ていて、お笑いタレントが何かやっている中で目立つデブがいる。何の芸ができるのかよくわからないが、わめいたりガヤ言ったりして、とどのつまりは大食芸なのか別な番組で食べ歩きをやっているから。
ガタイもあるし、いかにも食い意地が張っていそうだ。ま、それはそれでいいが、このデブが食べて、「いやぁこれはなかなかの味です」とか「絶品です」なーんて賞め上げた料理を見ても、一向に食欲がわかない。
アブラぎって臭気をただよわせているようなこんなデブは一山幾らのものをバクバク食ってりゃいいんで、いっぱしの料理を召し上がるにしては、ムサくて、料理がまずく感じられる。せいぜいラーメンどまりだろう。
同じデブでも往年の古川ロッパとか岸井明といったスターは気品があった。特にロッパは食通だし、食べ物や食べることに関して一家言を持っていたから、彼の書いたものを読んでも納得できる。
ロッパにしろ岸井明にしろ、演技者としても一流であり歌もうまい。愛嬌と魅力がある。第一、アブラぎっちゃいないよ。
時代がちょっと経て千葉信男がいる。ドタドタした感じで「大男、総身に知恵が回りかね」みたいなとこがあって、可愛げがあった。
もっと若くすると高木ブーがいる。背が小さく丸々肥っていて、これが可愛らしい。
総じてデブは鷹揚で大人風。円満で人柄が良さそうな外見から、存在感を持たれる。それだけでも得なキャラなのだ。
だが、このTVのバラエティーに出ているデブは醜い。下卑ていて何もいいとこがない。プロレス上がりでもないだろうが、やたらデカイ顔しているように見える。食べもの番組でも、宿とか店の方はTVに紹介されるわけだから、一生懸命接待するのだが、大威張りで食らって、ほんの数語、「うまい」だの「見事」だのしゃべっておしまい。店主の苦労話しとか、料理の秘訣だとか器とか借景とか、その他聞くことがいっぱいあるだろうに。それで料理も引き立つ。視聴者だって、一つ付加価値を見出し、行ってみて食べて見たいという気になるんじゃなかろうか。
食べ歩きをよくやっていいた渡辺文雄など、いろいろ話を引き出して、それこそバラエティーに富んだ番組にしていた。
いかにもタレントでございみたいなウザイ服装で出るデブの名前も知らないし、知ろうとも思わないが、こんな不細工で品のない者を食べものにくっつける制作サイドの気がしれない。ユーモアのセンスもなく、単なるデブでお笑いタレントといえるのか。食べものを不味くするデブなど見たくないものだ。
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2007年06月25日(月曜日)更新
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第21号 悪名縄張あらし
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「ヒジョウに、キビシーィッ」とか「聞いて、チョウダイ!」
といった調子の、奇妙なアクセントとトーンの高い声が特徴で、叫んだあと、しゃくれた顎をクイッと持ち上げる。
このギャグで財津一郎は大いに売り出した。彼がTVで目立つ存在になったのは、藤田まこと、白木みのるの『てなもんや三度笠』のナントカ一角という浪人役あたりからではないかと思う。
古い話しだが、日劇ミュージックホールのステージで、伊吹まり代姉御とか奈良あけみらのヌード嬢とカランでお芝居をやっていたのを知っている。その当時は財津肇メの芸名だった。
あとで調べたら、帝劇ミュージカルに入って、唄と芝居をやり、その後に日劇MHの舞台に出演とあるからスジはいいわけだ。もちろん声がいいのも道理である。
三十九年から吉本新喜劇に所属し、この頃には財津一郎と名乗っていた。東映で『喜劇・度胸一番』という主演作品も撮っている。他にも三枚目のバイブレーヤーでいろいろ出演した。
勝新太郎の『悪名・縄張あらし』で売春組織のボスになり、「俺は空手の達人だぞ」といってアチョーッ!と腕をふり回し、勝新に簡単にどづかれるあたり、財津らしい役どころだった。
善玉でも悪玉でも器用にやれるが、街の与太者の兄貴分になってユスリをかけたり、時代劇で山賊に扮してカラ威張りするなんてのがよく似合った。
喜劇スターとして一本立ちするにはちょっとという感じだが、達者な芸人だとは思っていた。
それが、竹脇無我の『鞍馬天狗』に財津が近藤勇で出るというので、「エッ、ウッソー」となった。たれ目の竹脇天狗じゃシマらないのはわかっているけども、なんで財津の近藤勇なんだ。フザケてるのかと思ったものだ。だが、財津があすこまでやるとは“想定外”だった。
そりや風格とかスゴみではもっと素晴らしい先輩スターがいるが、財津は三枚目と意識させない出来である。コメディアンはステージではなんでもやる。単なるお笑いだけでなはなく、チャンバラだってやるのだ。
その後『お耳役秘帳・桧十三郎』に、老獪な目付役で出た。ふだんは芸者と遊んでいるスタイルで、十三郎に隠密役を命じているタヌキなのだ。
森繁をはじめとして、コメディアンがシリアスな演技派に転向するケースが多い。それは一種の役者魂なのかもしれないが、一方で由利徹のように「オシャマンベ」に徹する人もいる。財津はシリアス転向成功組といえるだろう。しかしあの軽妙なおかしさをまた見たい気がする。
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2007年05月21日(月曜日)更新
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第20号
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昭和36年、新東宝落城寸前の作品『私は嘘は申しません』を、TV放映で見た。
これに松原録郎、大宮デン助と並んで主演の一人として泉和助が出ていた。見逃していたものなので意外だった。
泉和助は日劇ミュージックホール専属のコメディアンだから、そのステージはずいぶん見ているのだが、映画出演は知らない。チョイ役で出たのかもしれないが、主演クラスでの出演は『私は嘘は申しません』だけだと思う。
ただ、この作品では日劇MHの舞台のような面白さというか、泉の存在感はなかった。この人はエノケン一座の出身。戦後は軽演劇の一座を率いて関西を巡業していたこともある。
小柄だが万能型で、主演、脚本、演出、振付、殺陣、装置、衣装、宣伝、、何でもやってのける。実に器用な才人なのだ。
MHでは新谷登の名を用いることが多かった。振付は和田佐記とか和田順といい、脚本は本田ヘンリーの名を使った。
戦後すぐの松竹で岸井明と森川信コンビの『のらくら海浜騒動』等の“らくらシリーズ”の殺陣をつけたのが泉和助だと知った。また、高田浩吉映画の殺陣もつけたといわれる。
TBS『コメディ・フランキーズ』の時、彼は殺陣を「戯動」と表現した。それはリアルでないおかしな立ち回りだからで、彼一流の造語といえる。
確かに彼のアクションはまともな立ち回りというより、飛んだり跳ねたりする型のものだった。場の限られているステージなどでは、この方が面白く見えるケースが多い。ことに小男である彼にはそれが当てはまる。
その上、泉和助はギャグマンとしてすぐれている。MHのステージでのギャグはほとんど彼によって作られたといわれ、彼の手帳はギャグが満載されていて、もし彼が死んだ時、その手帳を誰が手に入れるかと皆が虎視耽耽だったそうだ。
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2007年05月07日(月曜日)更新
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第19号
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若山富三郎は『極道』で完全な二枚目になった。山高帽にダボシャツ、腹巻き姿でノシ歩くやくざ。女房の清川虹子に頭が上がらず「おカァちゃん」などと甘えている、まことにカッコの悪い島村清吉親分である。
かつての白塗りの美剣士スター、任侠映画での憎々しい悪役からは想像もつかない変身ぶりだ。しかも八方破れで、大砲をぶちこんだり、ダイナマイトをボンボン放り投げるというすさまじさ。
だから第一作『極道』で壮絶な最期を遂げたはずの清吉が生き返って“極道シリーズ”が十二本も作れるなんて超ナンセンスなことも不思議じゃなくなる。
あの山高帽は弟の勝新太郎の『悪名』で登場する「シルクハットの親分」からヒントを得たのだろうと思ったが、若山に聞いたら、「河内にあの帽子をかぶった一家がありまんのや」という話。ホントでもウソでも面白い。
『極道』島村清吉のキャラクターが受けてからは、熊虎親分だ。ちょび髭、鼻を赤く塗り、橋本竜太郎じゃないがポマードベッタリの頭にシルクハットという島村清吉をもっとオーバーした格好で、『緋牡丹博徒』藤純子のお竜さんにゾッコン惚れまくって兄弟分になり、お竜さんの危機を度々救っている。
その助平そうなデレデレした風情は、もともと地なのかもしれないが、ユーモラスだった。しかしひとたび怒れば熊虎親分、肥った体に似ずトンボを切って大暴れ。硬軟のコントラストが効果的だった。
次から次とアイディアが出ると見え、『日本悪人伝』では額に十字の刺青をつけたり、“カポネの舎弟”などというバタくさいやくざになったり、好色で念仏三段斬りの凄腕の“極悪坊主シリーズ”を出したりと、八面六臂の大活躍は大いにフアンを喜ばせた。
豪快な若山が、実は酒は一滴も飲めない。山城新伍とか潮健児ら“一家”を集めて、大福か何かを食べながら親分気どりで宴会やってるというのもほほ笑ましい。
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2007年05月01日(火曜日)更新
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第18号
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時代劇スターは意外に喜劇的要素を持っていて、オヤ?と思うような演技をしばしば見せる。
しかし、流石に徹底的に三枚目にはならず、二枚目半というところで抑えているのが普通だ。千恵蔵、右太衛門、長谷川、アラカンなど、かなりおどけた所作や表情を見せるが、やはり自分のフィールドを越えることはない。
阪妻の場合は、素の自分を見せて『無法松の一生』とか『王将』で成功し。しかし、阪妻は阪妻のスタンスを守っていたと思う。
大河内伝次郎の場合はスッカリ自分のイメージをぶっこわしているのが、他の時代劇スターに比べてスゴイ。私は見てはいないが、昭和三年日活で「弥次喜多」をやっている。当時のトップスター阿部五郎が弥次、大河内の喜多だが、阿部は弥次さんになりきっていないと評された。大河内はスチールなど見ても、メイキャップや所作が完全に喜多を表現していて、国定忠治や丹下左膳、机龍之助に見るようなニヒルなキャラクターからは想像もつかない“堂々たる”三枚目ぶりだったといわれる。
日活というより日本映画界のトップとして全盛時代を誇った時にも『怪盗白頭巾』とか『でかんしょ侍』といった作品を出し、十八番の丹下左膳でも『百万両の壷』のように、櫛巻お藤の尻に敷かれた小市民的左膳を演じている。この作品は現在も見ることができて楽しめる。
戦後は『盤獄江戸へ行く』や『二万両五十三次』等で、女に追っかけられてアタフタす瓢逸なサムライをやった。
三十二年東映に移ってからは完全なバイブレーヤーとして、善良な家老とか長屋の大家とか岡っ引きなどで、コメディアンに負けない演技を見せた。あの凄絶な“剣戟王”だった大河内の晩年の二枚目は大スターの最後を飾るにふさわしいかどうか、評価は分かれるだろうが、しかし割り切って三枚目に徹した大河内は立派だった。
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