映画と笑いの今昔物語

日本映画に関係した人たちの、 名前の変遷なら私が一番知っている

 
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永田哲朗
昭和6年生まれ、北海道釧路出身。
昭和30年早大法学部卒、双葉社を経て、45年出版ビジネス、50年永田社設立。
月刊誌「旅と酒」「熱血小説」「○秘桃源郷」「おとこの読本」「焼酎」「実話MUSASHI」書籍「経絡の原典「現代ビジネストレンド」等発行。著書「殺陣―チャンバラ映画史」「日本映画人改名別称事典」共著「右翼民族派事典」「全学連各派」「時代小説のヒーローたち」など多数。
チャンバリストクラブ創立者。

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2007年04月11日(水曜日)更新

第17号

 植木等が死んだ。八十歳だった。近影を週刊誌のグラビアで見た時、ああ、やはり老いというものはスゴいと思った。ショックだった。あのバイタリティあふれる“無責任男”の面影は全くない。そりや当たり前のことなんだが、あまりにも落差がはげしすぎた。
たとえばマリーネ・ディートリッヒ。イングリット・バークマン。グレタ・ガルボ。ブリジット・バルドーといった、一世を風靡した女優の老いた容貌を見せられて、無残というか、見たくなかったという思いを何度も味わったが、男であるから女優ほどではないが、何となくガックリするのだ。
 前にも書いたが、植木は´60年代のスーパースターだった。喜劇スターあるいはコメディアンで二枚目は珍しい。マスクや所作で笑いをとるケースがほとんどで、チョイ二枚目とかいい男はいるが、植木はパーフェクトな二枚目である。彼自身、二枚目で行きたいと思っていたフシがある。
 それはとも角、植木のリズム感は素晴らしい。ミュージシャンでコメディアンになったのはフランキー堺もそうだが、このリズム感の発達していることが、有効な武器となっているのは確かだ。
 しかし、無責任男、スーダラ男で売った植木が、酒もタバコもやらず、ナオンの方も浮いた噂を聞かないマジメ人間だったというのは、普通では想像できない。
 お寺さんの息子というせいもあるが、オヤジはかなりの反骨・反体制だったというから、案外、植木の土根性の中にも反骨とかシニカルなものが入っていて、映画の上でエライさんをオチョクッていたのかもしれない。
 いつまでも庶民にとって閉塞状態の続くニッポンに、植木の演じた「平均(たいらひとし)」のような奴が出て、ブァーツとやってもらいたいものだ。「お呼びじゃない」ではなく、「お呼びだ」よ。
 

2007年04月04日(水曜日)更新

第16号

 アチャコは新派から喜劇一座を経て漫才師になったのだから、もともと演技力があつた。
 戦後ラジオの『アチャコ青春手帖』がヒット、続いて『お父さんはお人好し』もヒットしてシリーズ化、さらに伴淳三郎と共演の『二等兵物語』が長寿シリーズになる。長谷川一夫の銭形平次にガラッ八で共演したり、松竹、新東宝、東映、大映の各社にコメディリリーフとして大活躍して、完全にエンタツを追い抜いた。
「もうムチャクチャでござりまするがな」と、両手を前に出して水平に回しながら、ナヨッたように動くギャグなど、関西風なソフトなところがウケるのだろうが、はっきりいってアチャコの粘っこい感じはあまり好きになれない。しかし大きな体でコチョコチョとやる芸は器用であり、それなりに女性フアンにも喜ばれるキヤラクターだった。
 二人はラジオでは同じように人気をとっていたが、アチャコの方がホームドラマで成功したことが追い風になったといえそうだ。
 そしてどういうわけかエンタツが東映時代劇に多く出るようになったのが失敗だった。マゲ物で喜劇スターが主演作を撮るケースは、エノケン、ロッパ以外極めて少ない。まして当時の右太衛門、千恵蔵が天下の東映では、『旗本退屈男』等の脇役で、堺駿二らと一緒にガヤガヤやるだけの存在でしかない、ランクがグンと下がるのだ。
 やはり彼のセンスを生かすには現代ものでなければならなかったのに、明らかに選択を誤ったいうべきだろう。
 かっては“喜劇の王様”斎藤寅次郎作品にアチャコと一緒によく出ていたのに、出演しなくなった。渡辺邦男監督について東映に行ったという事情があるかもしれないが、とに角、量産する斎藤喜劇から外れたのは喜劇スタートしては致命的だった。
 何かの作品で、ちょび髭のないエンタツを見た記憶がある。やはりヘンだった。トレードマークをやめたということは、自信がなくなったからとも推察される。エンタツはあくまでエンタツなのだ。
 チャンバラ映画で右太衛門の取り巻きの一人で出ているサマを見て哀しくなった。もっと使いようもあったろうにと、昔日の活躍を思い浮かべて残念に感じたことだった。
 

2007年03月26日(月曜日)更新

第15号

 横山エンタツ・花菱アチャコは従来の、扇子で相手の頭をハッたりする音曲入りの漫才に対し、背広姿でしゃべりだけでやるしゃべくり漫才で新しい形を生み、『早慶戦』で人気爆発。まさに一世を風靡し近代漫才の元祖といわれている。
「ボク」「キミィ」といった口調と話しの内容、背広スタイルでモダーンで、インテリ層にもウケた。
 私は舞台は知らず、ラジオで聞いただけだが、その代わり映画ではよく見た。『これは失礼』『忍術道中記』『明朗五人男』等、戦後も『東京五人男』『俺もお前も』等、東宝喜劇の一翼を担っていて、私はエノケンとこのコンビの作品が最も面白かった。
 アチャコが病気で休んでいる間にエンタツが別の相方と組んでコンビは解消するが、吉本興業は抜け目なく「エンタツ・アチャコのコンビは映画以外はノー」といって、舞台ではそれぞれの相手と組ませて売り、映画で二人の人気をあおったのである。
 お笑いコンビは大抵仲が悪いといわれている。このコンビもご多聞にもれず、作品で共演する以外はあまり口をきかないという話だった。
 はじめの頃はエンタツが主導権を握っていたようで、漫才の台本なんかも彼が作ったと聞いているが、小柄なエンタツがツッコミ、大柄のアチャコがウケで、非常にバランスが良かった。
 エンタツはロイド眼鏡とちょび髭がトレードマークだ。喜劇スターで髭を売りものにしているのは彼くらいだろう。アメリカで巡業したことがあるだけに、あのマルクス・ブラザーズのグルーチョを真似たのではないか。そういえば、尻をヒョイと突き出すあたりもグルーチョのガニ股潜行歩きに倣ったのかとも思える。
 才気走って動きもいい。漫才界をリードするだけのことはあつた。戦後、コンビで映画に出たほか、NHKラジオの『気まぐれショーボート』が好評で、『エンタツちょび髭漫遊記』もラジオから映画化されて主演した。だが、この二十七・八年頃から「エンタツ・アチャコ」が「アチャコ・エンタツ」に逆転する。     (続く)
 

2007年03月05日(月曜日)更新

第14号

 柳家金語楼は本来・落語家だ。しかも、“天才少年落語家”として六歳から高座に出ている。自分の軍隊生活を話しに使って“兵隊落語”で大いに売り、ハゲ頭をトレード・マークに映画でも人気者になる。スターも自分の名前が冠の作品が作られれば一流である。P・C・L→東宝で『金語楼の大番頭』や『プロペラ親爺』等、多数の作品があり、戦後はなんといっても“おトラさんシリーズ”だろう。
 私は戦前のものでは『明治五人男』『水戸黄門漫遊記』くらいだが、戦後は新東宝もので主演・共演ずいぶん見た。顔面クシャクシャにして蛸のハちゃんみたいな珍芸と、ハゲ頭が売りもので、長屋の大家さんといった役にはピッタリだった。
 本名の山下敬太郎や有崎勉のペンネームで新作落語や随筆なども書く才人だが、昭和三年に金語楼ジャズ・バンドを作ったことはあまり知られていない。業界ではかなりススンでいたのだろう。
 それと最も意外な側面は、彼が発明狂だということ。坂道用下駄とか、占いの茶碗とか、なんでも彼の取った特許は何百にもなるとか聞いた。しかし、それが実益を生んで金持ちになったなんて話は伝わっていない。まあこれは一種の道楽というべきか。
 晩年、高座に戻ったが、映画よりも高座の方が向くのじゃないかと思う。私はどちらかというと、金語楼の演技はクドイよううな気がしてあまり好きじゃない。むっつり右門おしゃべり伝六を三回ほどやっているが、それだけ役者として大きいのかも知れないが、、、。
 そういえば、新東宝、黒川弥太郎の“若さま侍捕物帖”『謎の能面屋敷』で、金語楼が珍しく悪役をやった。意外性もあったし、うわべに善人じみた男がすごい冷血な殺人鬼で、ゾッとさせるものがあつた。これは彼にとっても記念すべき演技だったのではなかろうか。
 

2007年02月23日(金曜日)更新

第13号

 マルクス兄弟ーマルクス・ブラザースといっても、共産主義の原典であるマルクスとは全く関係ない。アメリカ喜劇映画で異彩を放つ“兄弟”である。
 チャップリンをはじめとするアメリカ喜劇をずいぶん見たつもりだが、一番印象に残るのが“キートン”とマルクス兄弟だった。
『珍サーカス』『二挺拳銃』『デパート騒動』『捕物帖』は劇場で見た。『けだもの組合』『我輩はカモである』『いんちき商売』等をビデオやTV放映で見た。『ココナッツ』等、他にも数本あるのをぜひ見たいと思っている。
 マルクス兄弟は五人だったが、四人のを一、二本、あとは三兄弟のものだった。グルーチョ、チコ、ハーポで末弟のゼッポは印象が薄くあまり記憶がない。早くから消えている。
 一見、長兄のグルーチョが、実はチコ、ハーポの弟というのには驚いた。彼の立派な髭と太い眉は描いたものだそうで、最初から人を食っている。その早口なおしゃべりは、こちらの古舘伊知郎アナのプロレス実況放送もビックリのトーク・マシンさながら。いつも葉巻をくわえた大股潜行歩きと呼ばれるユニークな歩き方も特徴だ。
 チコはおカマ帽をかぶったピアノの名手。親指をピンと立て人さし指で弾く―“ピストル・ショップ”というのだそうだ。時には後ろ手で弾いたりする。そんなのあり?ただのコメディアンに非ず。こういうのを「アーチスト」と呼ぶんだなと、シミジミ感じさせてくれる。
 もう一人のハーポがこれまたスゴい!ちぢれた赤毛のかつらをつけ唖でいたずら好き。デカい鋏をレインコートの中から出して、女性のドレスだろうが何だろうがジョキジョキ切ってしまう。女と見れば飛びかかる。たいていの騒動の原因は彼が引き起こすのだ。だがハーポもただ者じゃない。必ず一場面ハープをを弾いて見せる。シッチャカメッチャカ切ったりぶっこわしたりの“狂気のこわし屋”かと思うと、これまた立派な「アーチスト」なのだ。ハーポが両耳から煙を出したり、コートの中から手品みたいに刷毛やら氷やら仔犬まで出す。また酒が飲みたくて乾いた舌でマッチを擦って火をつけるといったギャグなど、一種のシュールな芸としかいいようがない。
 どちらかというとインテリ層にファンが多く、あまり多作じゃないので、日本ではそう知られていないのが残念だ。
 
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