トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2015年10月30日(金曜日)更新

第456号 キャスリン台風 JR戸塚駅

 何度も申し上げたが、私の田舎は関東平野のど真ん中である。七十年近く昔の話。記憶に残るすさまじい台風が関東を直撃した。屋根はとび、塀は倒れる、風もこわいが、雨も豪雨となれば人の命をうばい去る。戦後間もない頃で、人々は漸く虚脱から立ち上がろうとする頃である。土砂降りの雨で、人々はなすすべもなく、ただ台風が去るのを待っただけであった。その名を「キャスリン台風」という。当時はまだ占領下、台風には発生順に「ABC・・」で女性の名前をつける、アメリカ風の呼称であった。後に、女性の意識や地位向上とともに、「何で台風に女性の名をつけるのか」と問題になり、単純に「1号〜3号」という呼び方になった。そのキャスリン台風。雨がすさまじかった。そして翌日、台風一過。すばらしい秋晴れの日。私はまじめに学校へ出かけた。昼ごろ、食事をしに行った学生食堂のラジオが(まだテレビはない)、利根川決遺を報じていた。
 

2015年10月23日(金曜日)更新

第455号 鬼怒川下り JR戸塚駅

 九州はやはり遠いから、気軽に「球磨川下り」と思い立って出かけるわけにもいかない。天竜川下りの舟に乗ってしぶきをあびたことはある。現職を終って、池袋の専門学校で講師をしていた頃。仲間の方々と連れだって、鬼怒川の川下り舟に乗ったことがある。例の如くで、急流の瀬では波しぶきをかぶり、おだやかな流れのところでは、両岸の奇岩などを冗談まじりに説明してくれる。
まだ記憶に新しい、今年の夏。関東・東北豪雨で、その鬼怒川の堤防が決潰し、家が流され、亡くなった方もある。という大変な被害が出たようだ。情報が入るとTVはすぐとんで行く。濁流が家をのみこむ。屋根の上で助けを待つ人。泥水につかった茨城、常総市の様子は、そうやって日本全国に伝えられた。私は生きるのに必要なもの。そして豪雨。奔流はこわい。人の生命をうばい、生活を一変させる。ふと私は戦後、間もない頃を思い出した。
 

2015年10月16日(金曜日)更新

第454号 赤道を越えて 街・店・ガスト

「思いこんでいた」というよりは、太陽の輝く方角が南。というのが、もはや本能のように、身にしみついていたのである。旅行でどこかへ出かけてみても、あるいは山に行っても、太陽さえ輝いていれば、方角が分かり、地図を見てそのあたりの地理も分かるというもの。何回も書いて来たことだが、登山隊員としてアフリカに遠征したときのことである。エチオピアの空港からナイロビ空港へ。タクシーで市内のホテルへ、というとき、何か変なのである。たしか地図で見ると東へ向かえば市内である。妙なことだが、何で西へ走っているのか。落ちつかない気持ちのまま市内に着いた。変な所へ来たのではないか。冷静に考えてみて、少しずつ落ちついた。そうです、ここナイロビは赤道の南にあるのです。だから太陽は北に輝やき、北の上空を通って行くのです。生まれて始めての体験であった。得難い体験でもあった。
 ズボン姿で直立している男性。スカート姿の女性もきちんと立っている。色は青が一般的で、たまに黒、あるいは緑。トイレマークといえば、それらが一般的、というかオーソドックスなもの。こういうマークにしなさい決められている訳でもなかろう。横浜市営地下鉄の終着駅(相鉄線の終点でもある)「湘南台駅」すぐの商業ビル一階。ガストというレストランの隣で見た。人間の顔をマークに仕立てたのはいいアイデアである。拍手!
 

2015年10月09日(金曜日)更新

第453号 太陽が南 街・店・ガスト

 何回も書いたことだが、私の家はすぐ前が道路をひとつはさんで、小学校の校庭である。方角でいえば、私の家は東向きということだろうか。そして南側、西側を向いた方が庭であり、建物はそちら側にひらけて廊下があった。その先は畑が広がり、その向こうに人家がつらなる。つまりそちらは、街並みである。ちょうど南に当たる方角だろうか。二〜三本の大きな樹があった。その方向が南であると思いこんでいた。日の一番短いころ、つまり、十二月の終わり、冬至のころ。あるいは梅雨入り頃の、夏至のころ。晴れていれば、太陽が一番高くなるのが、この方角。つまりこの大きな樹の上のあたりなのであった。夜になると、この樹の方が何となく、ぼんやりと明るいではないか。つまりそれは東京の空なんだと自分できめて、思いこんでいた。高い、低い、の違いはあっても、とにかく太陽が輝きつつめぐるのは「南」であると、子供の頃から思いこんでいた。
 

2015年10月02日(金曜日)更新

第452号 マジメな話です 街・店・ガスト

 これは、記憶にないけど、誰もが体験した、誰もが通ってきた、一つの話である。母親から離されて、この世界の一人として歩き始めた日から、一年、いや半年くらいの間は、しきりにオッパイを求めていたはずだ。母親の、ゆたかなオッパイに武者ぶりつく。そこにしがみついて、力をこめて吸いこむようにすれば、それが食事というものであり、生きてゆく、大事なものだということを、誰に教わったわけでもないのに、ちゃんと知っている。そうやって、ぐんぐんと大きくなった。後半、子供から少年になり、青年になり、心ひそかに女性の、ゆたかなオッパイ憧れるようになる。子供が出来る前でも、子供がいても、奥さんのゆたかな胸に顔をあずけて、心安らぐ時を送りたい。エロ話をしているのではなく、それが男に本能なのではないか。ということである。胎児の時代。生まれた頃。本能がそうさせているのだろう。それらをくり返しているのではないか。
 
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