トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2015年04月03日(金曜日)更新

第426号 日帰りの金沢 東急小杉

 戦争で、日本の多くの都市(京都や奈良を除いて)が、無惨にも焼きつくされた。そして何百万人という日本人の生命が消えていった。あれから七十年、日本人の平均寿命より、やや短い歳月のあいだに、この国の風物や人々の心情まで大きく変わっていった。三月十四日、北陸新幹線、金沢までの営業開始で、東京から金沢まで「かがやき」で約二時間半だという。夜になって「上野」を発車、椅子でとろとろとして、蓮根の池をしょぼついた眼で眺めると間もなく金沢。あの夜行で旅したことを思うと、日帰りも出来そうな快適な北陸行は、まさに夢のようでもあろう。すでに台湾では新幹線が走っているし、アメリカやヨーロッパ、アジアでもそのうち、走り始めるだろう。近い将来、新幹線で札幌へということも実現するはずだ。乗ってみたいが、果たして私の寿命がそこまで持つかどうか、世の中ずい分と変わるだろうな。
 

2015年03月27日(金曜日)更新

第425号 ゲップローン 東急小杉

 これが我が家のはじめて物語、テレビ編である。私をふくめて、団塊世代頃までのお父さん方は、ラムネを飲んだあとのように、「ゲップ、ゲップ」でどんなに苦労したしたことか。「ローン」と呼び名を変えたことで、丸井さんも急成長し、誰もが借金を苦にしなくなった。それどころではない。実質、豊かになったものだから、もはや「ゲップ」も死語に近くなった。今どき、毎月の支払いで苦労しているものって、一体何があるだろう。言葉の魔術もあるのだろうが、人々の財布もバリアフリー化が進んだ。街を歩いて店をのぞき、あるいはチラシを見れば分かる。テレビも洗濯機も、当節は現金・即金で買う時代。サラリーマンが、子供にまで、ケイタイやスマホを即金で買ってやる時代。一部の方々は別にして、多くの庶民にとって、「車」とか「戸建」「マンション」などの住宅とかは、即金で買うものではない。ごく普通に考えれば、当節、ローンで購入するものといえば、この二つぐらいではないのか。
 

2015年03月20日(金曜日)更新

第424号 テレビを買った 東急小杉

「ゲップ」という言い方を改めて、「ローン」としたが、なに、中味は同じこと。しかし新宿駅東口にあった丸井は、今や主要な駅前。有楽町にも進出している。近くの知り合いの家に頼んで見せてもらっていた初期の頃のテレビ。勿論白黒である。子供たちの楽しそうな顔をみると、何とかしてやらなければという想いが日ましに強くなった。公営住宅に入居することが出来たのを機に、私どもも、ようやく「月賦」でテレビを購入した。テレビ本体がなくて、アンテナだけでも見栄で建てている家もある、という時代の話である。 今でいう「アニメ」。「ひょっこりひょうたん島」などの人形劇とか、子供向け時間のドラマなどを、目を輝かせてみている子供たちをみて、ああこれで好かったんだと思えるようなオヤジになっていた。勿論、私は仕事で忙しく、ほとんど、日曜日くらいしか、見る時間がない。大抵はニュースや、スポーツの中継などであった。
 

2015年03月13日(金曜日)更新

第423号 地名の由来でびっくり 横浜地下鉄戸塚駅

 こちらへ転勤して、名前に惹かれて福島の一切経山に登ったのを手始めに、あちこち出かけた。丹沢が多かったが、屋久島の宮之浦岳や、五十年を回顧して友人と登った吉野―山上ケ岳も忘れ難い。
 ところでお気付きでしょうか。今まで集めたマーク。案内表示を始め、ほとんど横並びになっている。しかし横浜市営地下鉄の場合、横並びに書いてあっても、スペースに余裕があってもタテ型の構成になっている。市の方からの要請か、個人的な好みなのか。地下鉄の駅の場合、ほとんどがこのタテ型である。ところで、又話がとびます。戸塚から二つ東京寄りに「保土谷」、東海道の宿場でもあったこの地名。両側から尾根が迫って、やや深く、暗い谷あい。古くは、女性の大事な部分を「ホト」といった。そんな地形から「保土谷」「宝登」「富戸」などと書いた地名があちこちに見られる。マンションなどが建ち並んでいるが、折があったら地形を眺めて昔をしのんで下さい」
 

2015年03月06日(金曜日)更新

第422号 富士やつくば 横浜地下鉄戸塚駅

 陸軍幼年学校は学校だから、当然、校歌がある。「東海の天雲はれて 朝日輝やく尾洲原」と広大な濃尾平野をうたい、つづいて「木曽川」や「金鯱城」が出てくる。半田高校では「朝明けの、衣が浦に」と、知多湾(衣浦湾)の名勝地がうたわれている。さて、帯広三条高校はどうだろうか。私が着任して、しばらくしてから市の会館で発表会があった。荘重な詩である。富士や多摩川は見えないのだから詠まれていないが、二番に「吹雪する ひろき十勝野」と、日本ばなれした十勝の大平原がうたわれている。
 寝たきりにならないよう、出来るだけ散歩に出ているが、丹沢の山なみを、大山と、時に富士を眺めることが出来るが、私が生まれ育った田舎では、校歌にあるような、富士もつくばも、眺めることは出来ない。だからだろうか、足利のいとこの家へ遊びに行っては、織姫山によく登った。幼年学校で登った伊吹山や、大台ケ原なども私の生涯に強烈な印象で残っている。
 
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