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2014年06月13日(金曜日)更新
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第386号 役所の対応
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半田の市役所がどの辺にあって、どんな建物であったか、全く記憶にない。しかし転入の手続きをしたのは確かであろう。手続をしていなければ、高いヤミ米を買うことになる。次が帯広、赴任して半年あまり経った頃、すでに助役をやめていた父に戸籍の書類を送ってもらい、妻となるべき人のそれを揃えて、帯広市役所に二人で出かけた。洋風の建物ではあったが、木造だったように思う。後日、一緒になった結果として産まれてきた子供に、私はどうしても「彗」を使いたかったが、常用、人名漢字ともにないのでと、つき返された。(後に復活)やむをえず「恵」にしたが、今でも恨みに思っている。それ以外に市役所へ足を運んだことがあったろうか。そいていわゆる内地へ。すでに何回も書いたことだが、まず「川崎」次に横浜のはずれ。次に「緑濃い住宅地」(昨日までは山林原野)の公営住宅にくじ運のない男が当たったのだ。
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2014年06月06日(金曜日)更新
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第385号 戸籍に関心なし 旭区役所
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単純に計算しても八十年の昔、小学校に入学する前のこと。近所の友だちと連れだって遊んでいた日々。何をして遊んでいたのだろうか。ふと思いたって、二歳違いの兄と一緒に、少し歩いて町役場まで行く。当時、父は町の助役をしていて、この建物の中で仕事をしていたらしい。和風の建物で、外に面した廊下側はガラス戸になっていた。私たちの姿を目にすると、小使いさんが父に何かを告げに行く。すると父が「しょうがないなあ」という顔をして、私たちに「一銭」か「五厘」の小づかいをくれる。それ以外に役場に行ったことはない。さて、陸軍幼年学校はどうなっていたのだろうか。一種の寄宿生活であるから、戸籍まで移動させる必要はないだろう。しかし「お国に捧げた身」ということを、常に教えこまれていた。それは一つの精神教育であって、まだ両親の保護下の子どもという考えであったろう。戸籍をいじったのは、やはり二十歳をすぎてからである。
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2014年05月30日(金曜日)更新
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第384号 ここで喫ったら目立つ JR辻堂駅
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父はタバコをのまなかった。母は煙管につめたキザミ煙草をよくすっていた。半世紀喫いつづけ、会議などでも一人タバコを手放さなかったその息子が、突然禁煙した。禁煙は難しいとよく言われる。入院した、医者通いした、これで五回目の禁煙。禁煙パイプがある等々。出来上がった義歯を入れてもらい、家に帰って一服。味が異常に粘っこくて、いつものように素直に味わうことができなかった。そのうち慣れるだろうと、その翌日ものまず、そして二日経ち、一週間が経つと、義歯にも慣れ、タバコを喫わないことにも慣れて、もう五年が経ったのである。
ところでJR辻堂駅。この駅のトイレマークの大きいこと。今は廃止されてしまったが、このマークの前でタバコを喫ったら目立つだろうナ。指示マークまでが大きい。(第6号・第7号)の大英博物館や東京駅のは工事中だけの大きいマークだった。並のマークもあるのだから、ご丁寧なことです。
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2014年05月23日(金曜日)更新
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第383号 禁煙より禁酒を JR辻堂駅
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そう。たしかにひところは、タバコ愛好家ヅラしていた。缶入りの両切りピースを愛好していた時期もある。比較的長くつづいたのは「ダンヒル」だろうか。マンガ家「しょうじさだお」さんも書いている。「知人や初対面の人と話していて、ふと話につまったとき、タバコを取り出し、ライターを出して火をつけ、まず一服というので20秒はかせげる。この間に次の話を頭の中で組みたてる」というようなことを。タバコの効用というものがある。それを否定してはいけない。何よりイヤなのは、酒のみが大声をあげることだ。伊豆へ向かう電車の中、一つのグループがもう出来上がっていて、大声でわめいている。あるいは忘年会シーズンのころ、あちこちに、汚物が吐き出されている。タバコの罰金もよいけれど、なぜこの酒のみの醜態を放置するのか。これこそ罰金ものではないか。そして行きつく所はかってのアメリカのような、禁酒国家ということか。
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2014年05月16日(金曜日)更新
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第382号 オクテのタバコ喫い JR辻堂駅
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新聞やテレビは、言論の自由を、社会正義を口にするけれど、所詮は「一民間企業で」であるから、世の中の流れ、社会の風評にはさからえないのだろう。K県の知事さんもその一人。指定された領域などで喫煙した人は、見つかり次第罰金を払うことになった。世の風潮に便乗した政治手法であり、いかにも子供じみている。
私がタバコを喫い始めたのは二十歳すぎであった。今どきの、理解ある?親のように、タバコを買い与えてくれる親でもなかったし、今どきの高校生、中学生のように、親や友人の前でイキがってタバコをふかすワルでもなかった。高等師範学校の三年生のときだから、二十二歳の頃であろうか。それから半世紀。一度も途切れることなく、よくもまあ長い間喫い続けたものである。さぞかし肺は真っ黒になっているころだろう。肺がんで死んでもおかしくない人生だった。さて、それでも何とか生きている。
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