トイレマーク見てある記

タウンウオッチングだと言い訳しても
エロ爺だろう!の視線を浴びて

 
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大熊昭三(おおくま しょうぞう)
1928年、埼玉県生まれ。名古屋陸軍幼年学校を経て、1951年東京教育大学文学部卒業。愛知県半田高校、北海道帯広三條高校、川崎橘高校、川崎高津高校教諭を歴任して現職を終わる。
その後、専門学校の講師を勤める。その間、多くの山に登り、アフリカに遠征してキリマンジャロやルエンゾリに登頂。
教育評論家としてTV出演、週刊誌などでも活躍する。
主な著書
「こんな教師を告発する」「組合教師亡国論」(エール出版)「学校は汚染されている」(潮文社)「恐るべき親たち」(コンパニオン出版)、共著「日教組を斬る」「日本をダメにした学者・文化人」等、著書多数。

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2014年01月10日(金曜日)更新

第371号
 蛍の光で本は読めない 横浜マークイズ

 2013年度の日本スポーツ賞。大賞に輝いたのは世界選手権、個人総合で四連覇を達成した体操の内村航平選手だった。オリンピックでの活躍も今なお記憶に刻みつけてくれている。その日のために、どれほどか苦労し、努力したことであろうか。まさに「身を立て、名をあげ、やよはげめよ」である。しかしこのことばのある「仰げば尊し」は立身出世だからいけないという理由で、卒業式から排除され、やがて三月の愛唱歌から消え去ろうとしている。そして、今どきの子どもが「蛍の光では本が読めないモン」「そんなことしたら、目を悪くしちゃう」「雪があんまし降らないモン」といえば「そうだ、そうだ、子どもの方が分かっている」と迎合するバカ教師が多かった。「いくら努力したって、行けないシィ」と悟ったような子どもたち。そう、努力は目には見えない部分だから否定されやすいのです。それでも大賞は君に輝く。
 

2013年12月27日(金曜日)更新

第370号
 仰げば尊しを聞かない 横浜マークイズ

 季節はずれの話で申しわけないが、私の勝手な愚痴を聞いてください。春3月、そして4月は「別れ」の季節であり「出会い」の季節でもある。卒業式で親友と別れ、初恋ともいえる人と別れ、あとは毎日メールのやりとり。そして進学した高校や大学で親友となるかもしれない人との出会い。私は何十年も昔にそんな体験をしたが、今は4月を迎えても、昨日の続きでしかない。寂しいものです。
 担任として、輝く青春の彼らを送り出したが、その人たちも古稀や喜寿を迎えている。「仰げば尊し」を耳にしなくなってからどのくらい経つだろう。「蛍の光」は卒業式以外でも耳におなじみだが、「旅だちの歌」などというのが妙に好まれているようだ。「私は仰がれるほど立派ではない」などと、組合かぶれした教師が、腰手拭いで汗をふきながら「仰げば尊し」反対論を口にするが、彼らは決して「仰がれるほどに努力したい」とは考えない。民主化はダメ教師を量産してしまった。
 

2013年12月20日(金曜日)更新

第369号 字が大きすぎ JR茅ヶ崎駅

 かっては三百枚近くの賀状。とても自分で書けないから印刷屋さんに頼んだ。しかし宛名は自分で書く。当り前のことだが。そして相手の顔を想いうかべながら、ふさわしいようなひと言を本文わきに書き添える。そんな折、ふと気づいたことがあった。砂丘と潮騒と松林の街なのだそうだ。そして近年は海水浴だけでなく、釣りやサーフインでも注目の街なのだそうだが、私はこの街に全く縁がなかった。海釣りはやらないし、サーフインはできない。隣の藤沢には講義で勤めた学院もあった。大磯の鴫立庵にも何回か行った。賀状を書いていて、ふと調べたら、茅ヶ崎に友人が三人。賀状をくれる教え子が三人もいるではないか。やや暗い天井の矢印に従って東口改札の方へ。とてつもなく大きな文字で「お手洗い」とある。遠くからでも分かるようにと大きな文字で書いたのか。少し気恥ずかしくなる大きさ。そして「トイレ」の文字までこんなに大きくしなくてもよかろう。
 

2013年12月13日(金曜日)更新

第368号 つき合いは水輪に似る JR茅ヶ崎駅

 しかし、年と共につき合いの巾が減っていくのは仕方のないことだろう。職業柄、同僚の他には、多くの教え子からの賀状がある。自分も老人になって、喜寿が近いというのに賀状を欠かさない。私の著書を本屋で見た、あるいは、テレビでお顔を拝見した、などと言って、卒業後二十年以上も音沙汰のなかった教え子が、それから賀状を欠かさない、というのもある。勿論、教え子ではない、私の論旨に賛成だ、といおう方々とも、もう三十年余りのつき合いになる。しかし、人生はままならぬもの。本人が鬼籍に入られれば、つき合い当然、絶えてしまう。あるいは高齢者になって書く意欲も湧かない。あるいは手が利かない等などの、さまざまな理由によって、「不本意ながら、以後、賀状は欠礼します」という方もおられる。池に小石をほおり投げて、水輪がいっぱいに広がり、やがて時と共に次第に小さくなってゆく。やがて消える。私自身があの世に招かれたときである。
 

2013年12月06日(金曜日)更新

第367号 賀状は虚礼か JR茅ヶ崎駅

 それはとも角。この方々に年賀状は出せない。マナーを教え、説く人たちがよく言うのは「寒中見舞」を出すのがよいそうだ。小寒は年が明けて間もなくの頃。二十日からその季節に入る「大寒」の頃に出すのがよいと、どなたもおっしゃる。私もそうしてきた。さて、あとは年賀状。こんなのは虚礼である。出さなければよいのだ。気に病むことはないと、ひと頃、わめきたてた人々がいた。しかし、多くの人たちは、そんな妄言に耳をかさなかった。何億という賀状が、日本中を往き来している。しかも最近はパソコンなどの機械を使って、自分なりの工夫をして、印象に残る賀状を、楽しんで作っている人が多いようだ。頂く方もすてきな賀状を受け取ると楽しいものである。年賀状を虚礼だなどと言った方々は、今頃どう思っているだろうか。喪中はがきを受けとって、思い出などをそえて寒中見舞を出し、それから奥様と賀状のやり取りが始まった方もある。
 
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