|
ユーモアクラブトップに戻る
|
|
2013年09月06日(金曜日)更新
|
第356号 始めての駅 JR鶴見駅(続)
|
|
どなたも身に覚えがあろうかと思うが、人間は行きに利用した交通機関で帰ってくるとは限らない。別の路線を使ったり、タクシーで帰ったり。「小牧までは歩く」ということが、「帰りも小牧から歩く」を意味するのかどうか。でも、皆さん、マジメにこれを守っていたのだなと、今しみじみ回想する。一年生の夏、冬。二年生の夏、冬。そして終戦まぎわの三年生の夏。皆さん、ぎりぎり夕刻帰校してくる。早朝名古屋着という時間帯のせいもあったろうが、全く、誰にも会わなかった。皆さんは、小牧から歩いて帰校していたのであろうか。しかし私は自分が間違っているとも思わなかった。きちんと切符を使ったらこうなると思い込んでいたのである。
ところでこの鶴見駅。現役のころ、遊びにしろ仕事にしろ、一度も利用したことが無かった。マークを集めるためだけに、わざわざ下車してみた。改札内と外側に、標示通りトイレがある。好感のもてる駅である。
|
|
|
2013年08月30日(金曜日)更新
|
第355号 特定区間の利用 JR鶴見駅(続)
|
|
さて、その後は名古屋の陸軍幼年学校の生活である。あの時代だからここでも「歩く」生活が続く。名古屋という大都市の本屋をのぞきに行ったこともあるが、約三Kmの道を、小牧駅までは歩かなければいけない。夏休み。そして冬休み。父に母に、おのれの軍服姿を見せたくて、小牧まで歩いて、名鉄で名古屋駅へ。夜行の東海道線にゆられて、早朝東京着。上野から東北線に乗って久喜下車。バスでやっと我が家へという長旅である。墓参りをし、友人に会い、親の心づくしのご馳走を食べて、さて帰り道。小牧から歩いて帰るのが常識だろうが、私は切符をみて気持ちが定まった。名古屋駅だけではない、名古屋市内なら、金山、鶴舞、大曽根。どこで下車してもよいのだ。名古屋駅で、七、八番線のホームへ行き、中央線に乗り換える。そして大曽根で下車して、少し待って下未行きのバスに乗る。下末十字路から名幼校までは200mあるかどうか。
|
|
|
2013年08月23日(金曜日)更新
|
第354号 男はとにかく歩けの時代 JR鶴見駅(続)
|
|
古い話を再三書いてきたが、私の生家は小学校の正門前である。鐘をきいて、駆け足で教室へ向かったら遅刻にはならない。六年間、それをやっていて、さていよいよ中学校。私の田舎町は、大宮から東北方面の宇都宮線。西北方面への高崎線と分かれ、四〜五駅先の中間点にある。線路はない、バスだけがたよりの町である。中学校は八Kmほど北にはなれた町にある。直通バスはないから、必然的に自転車通学ということになる。大人用の自転車をこいで四十分余り。雨の日や、風の強い日などは少々つらい。真冬、雪の降りつもった日などは四時起きして、歩いて学校へ向かった。帰りは少ない小づかいから工面して、東武電車で加須―久喜、そしてバスに乗って帰宅した。一年に一回くらいのこと。中学生は質実剛健。ということで、学校まで二Km以内の者は徒歩通学、自転車は許可されなかった。まだひょろりとした子供であったが、男は歩くのが当り前の時代だった。
|
|
|
2013年08月16日(金曜日)更新
|
第353号 礼節と品格 JR鶴見駅東口
|
|
若の花、栃錦、柏戸、北の湖、千代富士など、強い日本力士のいた時代があった。何とか日本人横綱をというスポーツ記者の願望だろう。七月の場所では、負けても「稀勢の里」を持ち上げていた。しかし私は反対。この力士に品格は望めない。テレビはよく映してくれる。花道をやってきたとき、勝負が終わったとき、あるいは勝負が終わって花道を下っていくとき、力士は一礼する。しかしこの人は一礼どころか、軽くあごをひくだけである。豊真将を見習いなさいと言いたい。また勝負に勝って懸賞金を受け取る時、外国人力士の琴欧州関はきちんと、左・右・正面と手刀をきるが、この人はそれすらも出来ない、きちんとやろうとしない。
ところで「鶴見駅」、おじいさんは悲惨な事故のことを。中年の娘は「裕ちゃんのお寺に行く」ことを考え、鉄子鉄ちゃんはこの近くのホームから出られない駅を想いうかべる・ふだんは通りすぎる駅なんだけど。
|
|
|
2013年08月09日(金曜日)更新
|
第352号 素人の批評 JR鶴見駅東口
|
|
「日」は「ひ・か・が・にち・じつ」と読む。どの辞書をみても「ハル」という読みはない。外国人力士の「碧山」は「へきざん」でなく、形容詞の「い」をつけないで「あおいやま」と読ませるのだという。親方が冗談半分でつけたのか。「豊真将」という力士がいる。怪我か病気で現在は十両で名前の字もちいさい。「ホーマショウ」と音も訓も全く考慮せずにつけたらしい。日本の国技ならば、日本語をもっと大事にしてほしい。私はこの力士をほめる。たまりに入る前、勝負が終わったあと等々、最敬礼に近く、深々と一礼する。実に気持ちの良い態度だ。立ち合い、ちょっと当たってすぐ右か左へかわる。そうやって横綱までのぼりつめたが、素人考えながら、あれは横綱相撲ではない。白鵬関のように、四つに組んで投げる。奇数月の夕方、一時間ほどテレビ放送をみながら、あれこれと批評をし考えてみる。そういえば、ここ何年かモンゴルの横綱ばかり見せられた。
|
|
|
ユーモアクラブトップに戻る
|
|
ページTOPへ
|